説明書 リヴィノイドの防犯機能
霜が来てから、早ひと月。二人暮らしにようやく慣れてきた。
毎週水曜日は買い出しの日と定めて、講義終了後に食料や日用品をスーパーに買いに行っている。一人だった頃には荷物が重くなるから無理だったけれど、今は霜が居る。一週間分の物をまとめ買い出来るようになったのだ。文明の進歩、万歳。
そんな今日は水曜日。時間を指定して、スーパーの前で霜と待ち合わせしてお買い物だ。
買い物が終わる頃にはすっかり空は暗くなっていた。買い物袋をぷらぷらさせて霜と並んで歩く。古い街だけあって一歩路地を入ると人気はあまりない。昔から妖怪変化の言い伝えのあるこの土地は、文明が発達した今でもこういう暗い場所に来ると、そういう者達がまだ残っているんじゃないかと思わされる。
そんな事を考えながら歩いていたからか、女のうめき声が聞こえてきて一瞬背中を震わせてしまった。
「聡里さん、どうかなさいましたか?」
目ざといな。いや、待てよ?霜は機械だ。霜に聞こえる音ならリアルな音だし、そうじゃなかったらヤヴァイ物ってことだ。
「霜、今なんか聞こえなかった?」
「ええ、女性のうめき声が聞こえました。あちらの方から」
霜が指を指した瞬間、車のドアが乱暴に開かれる音がして、更にその先から足音やら女のうめき声がまた聞こえてきた。
あれ?もしかして、別の意味でヤバイ?足を止めてよく見ると、前方にライトをすっかり消している車があり、運転席に誰か乗っている。そして、開け放たれた車のドアの所に大きい人が居る。何?何してんの?
ああ、マズイ。女の人が車の中に押し込められようとしている。
「霜、警察に通報して!」
つい大きな声をあげてしまった。その声を聞いた二人組は、マズイだの急げだのと言っている。ああ、何かしなきゃ。とりあえず、ポケットに入っていたタブレットを取り出し、内蔵されているカメラで撮影する。とにかく足止めしなきゃ。
「見たぞ見たぞ誘拐犯!!お前らの車のナンバーも顔も全部撮影したからな!ざまーみろ逃げられると思うなよー!」
ああ、挑発してどーするの、私……。こっちに向かってこられたらどーしよう?
「クソッ!」
運転席の奴が車から出てきてこっちに向かって走ってきた。どうする?逃げる……のはもう遅い。
「よけーなマネしやがって!」
男の声がして振り上げた手が私の顔めがけて振り下ろされる。このままただで殴られたのでは大損だ。
私は勢いをつけて買い物袋を思いっきりスイングして相手の顎めがけて振り上げた。私の手に攻撃が命中した手ごたえを感じたが、男の拳は私の顔には当たらなかった。見ると、霜が男の腕を掴んでいた。男はそのまま膝から崩れ落ちた。袋に入っていたのは六本入り缶ビール。何かぶしゅぶしゅいってる。何本かは飲めない状態になってるかも。
「缶ビールアタック、恐るべし」
私はつい余計な事を言ってしまった。
「何をやってるんですか!?怪我をしたらどうするんです?どうして早く逃げなかったんですか?!」
やばい、霜が怒った。
「それより、あっち……」
「あっちならもう逃げていきました。じきに警察が来ます。それより……」
「お説教は後で聞くから!それより女の人は!?」
霜のお説教を聞いている場合じゃない。急いで車に駆け寄ると、後部座席に寝かされている女の子が見えた。口と目を布で覆われていて顔はよくわからないが、着ている制服でその人が中学生か高校生だということがわかった。
「ちょっと待ってて。すぐ外すから」
やれやれ。未成年の女の子を攫うなんて、とんだクズが居たもんだ。私は少女を拘束するものを全て外してやる。おお、美人さんだ。
つやつやの長い黒髪に大きな瞳、整った鼻筋に赤く色づくぷるぷるの唇、そしてふにふにの白い肌に細い身体。う~ん、前言撤回。こりゃあ攫いたくもなるな。
「大丈夫?怪我とかしてない?」
一応見る限り怪我はしてなさそうだけど……。
「大丈夫です。ありがとうございました」
少女は落ち着き払った声で言う。顔に特に表情らしい表情が浮かんでいない。変だ。
「それならいいけど……。いや、でも、びびった。めちゃくちゃ怖かったな」
「……べつに。これが初めてじゃありませんから」
「そんなにしょっちゅうこういうことがあるの?」
「いいえ。これで二回目です」
二回目?初めてじゃないから落ち着いているだけ?いや、それだけでこんなに落ち着いてられるものだろうか?こんな若い女の子なのに。
「怖がってめそめそするのはみっともないことだと言われておりますので、しません。大丈夫です」
「みっともなくない。感情は出す時に出しておかないとおかしくなるんだよ」
「……ですが、祖母がそう……」
やれやれ。とんでもない老害がいたもんだ。別に泣けと強要したいわけじゃないけど、何かこの子、ババアに怒られるのが怖いから泣くのを我慢してるようにしか見えない。そういうの、いくない。
「我慢し続けて精神の病気になったら元も粉もないんじゃない?そうなったってその祖母とやらは責任なんか取んないだろーね。祖母だけじゃない。他の誰も、責任なんて取ってくれない。自分のメンタルを守れるのは自分自身だ。然るべき時に然るべき場所で感情を吐き出すのは人間の当然の権利だよ」
「……でも、私は赤蓮院家の跡取りだから……」
ああ、この子、お金持ちの家の子なのか。だから金銭目当てで誘拐されたりするのか。容姿が目当てじゃなかったのか。
「跡を取るのは先のことでしょ。今は人間形成の大事な時期なんだ。マトモに育ちたいならマトモに感情出さないとろくな人間に育たないの。私みたいなおかしいのが出来上がっちゃうの。そうなったらどれだけ大変か……。本当に、生きるのが困難になる。そんな人に跡を継がせようと思う人はそう居ないと思うよ」
少女は黙り込んでしまった。サイレンの音が近づいてくる。思ったよりは早く来たな。
「大学生で一応成人してるけどただの目撃者の私でさえ怖くてびびったんだ。ほら、これ見てよ?手がまだプルプルしてる。当事者で子供のあなたが怖いって泣いたって何もおかしくないし、私が誰にも文句は言わせない。今が然るべき時、然るべき場所なんだよ」
本当にまだ情けなくもぷるぷると震える手を彼女にみせてやる。すると、彼女の目が急に潤み私にしがみついてきた。
「怖かった!すごい怖かった!くち塞がれて、腕掴まれて、怖かったの!この前の時も…本当はもっと、……もっと、もっと泣きたかった!どうしてっ、わたしが……こんな……わたしばっかりっ」
手触りのいい髪をなでてやっていると、ようやく警察が到着した。パトカーが数台停まり、警官がわらわらと出てきた。
「通報したのはあなたですね?お名前は?」
「霜です」
「苗字は?」
「ありません」
無線の声やらなにやらの音に紛れてそんなやりとりが聞こえてきた。
……。何て珍妙なやりとりしてるんだ。
「無いって、そんなわけないでしょう。住所は?職業は?」
うわ。雲行きが怪しくなってきた。
「すいません、そいつ、私のリヴィノイドです!」
面倒が起こる前に私は声を掛けた。それを聞いた警察官の顔はかなり驚いた様子だった。
「えっ!?ええ?……ああ、えっと、失礼しました」
それを聞いた私と少女は二人して噴き出してしまった。少女の笑った顔はとても可愛かった。
人間と間違えるとは……。通報した時にわかってたと思うんだけど……。
その後、そのまま事情聴取の為警察署へと連れて行かれた。警察署に着くと、連絡を聞いて駆けつけた少女のご両親が待っていた。
少女はとりあえずご両親に任せて私と霜は事情聴取を受ける為移動する。すると、少女が私を呼び止めた。
「あのっ、助けてくれてありがとうございました!」
少女はそう言ってぺこっと頭を下げる。頭を上げた彼女の顔には満面の笑みが咲いていた。私は笑顔で「どういたしまして」と答えた。物凄い充実感だ。
犯人を挑発したあげく逃げ遅れて缶ビールで犯人をぶん殴ったくだりを話した時は、さすがに警察官にも注意を受けた。あとは撮影したデータを引き渡すと、すぐに解放された。
警察署から出てくると、少女のお父さんが外に居た。私達の姿を見ると、すぐに歩み寄ってきた。
「娘を助けて下さって、本当にありがとうございました」
深々と頭を下げられてしまった。
「いえ、頭を上げてください。そんな大したことしてないので。それに犯人の一人を逃がしちゃいましたし」
「いいえ、誘拐犯から救ってくれただけではありません。あの子があんなに泣くのも笑顔をみせるのもいつ以来か……。本当に、ありがとうございます」
うわ、マズイ。胸くそ悪い。不愉快だ。
「私は彼女に普通のことしか言ってません。本当に、当たり前の常識的なことです。感謝されるようなことでは決してありません」
できる限りオブラートに包んで包んで包みまくって……ちょっと失敗した。これ以上余計なことを言わないうちに逃げよう。
「逃げた犯人の画像を提出しているので捕まるのは時間の問題だと思います。事件が早く解決することをお祈りいたします。それでは失礼します」
取り繕うように適当なことを言って頭を下げた。
「待ってください。お礼を……」
「お礼ならお嬢さんからもう頂いているので」
少女の父親は首を傾げるばかりだ。
「可愛いらしい女性からの満面の笑顔とお礼の言葉。これ以上ない報酬ですね」
霜が見かねてよけいな助け舟を出した。クサイから言いたくなかったのに……。
「そーゆーことなので失礼します」
私と霜は、まだ頭を悩ませている少女の父を置いてそのまま家路についた。
「それにしても、どうしてわかったの?」
「聡里さんのことですから、当然です」
まだ一緒に生活を始めてからそんなに経ってないのに。
「それより聡里さん、あんな危ないことは二度としないで下さい」
うう、警察でも怒られたのに霜にまでまた怒られるとは。
「わかった、わかったって。もうしない。しません」
大分投げやりに私が言うと、霜は更に怒った顔で私の肩を掴んだ。
「本当ですか?」
真剣な表情だった。おかしい。私、こんな設定したっけ?市販のパーソナリティーソフトでインプットしたデータは、単に温厚で礼儀正しく紳士的に振舞う為に必要なデータしか入っていないはずだ。お説教垂れたり怒ったりするような振る舞いをするようなデータは入ってなかった。
「霜、どうして怒ってるの?」
『怒る』という行為をする為のデータを入れていないのにどうしてそんなことが出来るんだ?いくらインターネットに常時接続されているからといって、マスターの命令無しにリヴィノイドが勝手に何かを検索したりインストールしたりすることはしない。セキュリティーソフトをちゃんと入れているのにウイルスに感染したとでもいうのだろうか?
「当たり前でしょう。心配したんですから」
心配したから怒る。人間なら普通の行為だけど、リヴィノイドにとってはそうじゃない。これじゃあまるで霜が人間みたいじゃないか。
激安だったリヴィノイドの製作キット、まるで人間のように振舞うリヴィノイド。あの安さの秘密がコレ?……まさか。馬鹿馬鹿しい。そんなはずはない。在り得ない。素人が初めて作ったんだから、変なことがあってもおかしくはない。きっと私は気付かずにこんな風に振舞うようなデータをインストールしてしまったんだ。そうに違いない。
「わかった。ごめん。本当にもうしない」
霜は私の目を覗き込んでから、ようやく私の肩から手を離した。けれど、その手をそのまま私の背に回した。
「聡里さんが無事で本当に良かったです。犯人があなたに手を上げた時、目の前が真っ暗になるかと思いました。二度と、危ないまねはしないでください」
「大げさだな。大丈夫だから、本当に。二度としない」
やっぱり変だ。適当な相槌を打ちながらも、頭の中は不安に侵食されていった。帰ったらウィルス検査しなきゃ。
そして、帰ってきてから一通りウィルスチェックを行ったが、異常は見られなかった。他にも、入れたソフトをフルチェックしてみたが、やっぱり変な物は何一つ見つけられなかった。
私はそれ以上の詮索はせず、自分が設定時にミスをした結果だろうと自分を納得させ、この件のことを考えるのは止めた。




