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SciFi創作論  作者: 宮沢弘
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絶望こそがSciFiである

 いつ頃からでしょうか。1980年代? もっと前からでしょうか。SciFiでもSF(それが何なのかは知りませんが)でも、広大な宇宙を飛び回るという話が少なくなったと言われています。

 その理由として挙げられているのは、「SFってなんなんだろう? 番外編 ――希望と絶望――」(http://ncode.syosetu.com/n9555ct/)や、「エッセイ1」(http://ncode.syosetu.com/n9931cp/)の「太陽系は狭く、宇宙は広い」に書いたように、宇宙は絶望に満ちているということです。ただ、ともかく宇宙は広過ぎるということです。それとともに、光速の壁と、空間湾曲型のワープは原理上可能だが実現するにはどうあがいてもエネルギーが足りないことの証明などもあります。

 現状で見る限り、人間は地球という重力井戸に囚われ、太陽という重力井戸に囚われ、そして近いところでも4光年ほどという距離によって隔離されています。ここに挙げただけでも三重の牢獄に囚われています。実際には、さらに何重もの牢獄に囚われています。

 そこから何が見えるでしょうか。現状では絶望のみでしょう。SciFiは絶望をこそ覗き込まなければなりません。あるいは、絶望を覗き込んだ上で、その先を見ることができるなら、それはもちろんそれでかまいません。

 さらに、その絶望はただの最終戦争や、その後のことではありません。一時期は、それが絶望であったこともあります。しかし、遅くともウォルター・M・ミラー Jr. の『黙示録3174年』(原題: A Canticle for Leibowitz, 1959年)によって、最終戦争やその後こそが最悪の絶望であるとされた時代は終っています。

 では、根本的な絶望とは何なのでしょうか。科学も技術もなにもかも含めて、私たちは人間であることこそが、最悪の絶望です。

 「見えるものが絶望ならばこそ人間的なことが大切なのだ」と言うなら、あるいは「人間であることこそ幸せである」と言うなら、SF(それが何かは知りませんが)やその他のジャンルで自家発電しててください。


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