表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
SciFi創作論  作者: 宮沢弘
17/28

われら、すばらしい、1984, 1985, 3174

 表題の5作品について。


 「1985年」については有名ではないかもしれないので補足しておきます。アントニイ・バージェスによるもので、「1984年」に対しての補足資料でもあります。


 この5作品のうち、前の4作品は(比較的)最近のディストピアものとくくられるかもしれません。ですが、そうくくるなら、くくりかたを間違えています。

 くくる方法はこうです:

* 「われら」と「すばらしい新世界」

* 「1984年」(と「1985年」)と「黙示録3174年」


 なぜこうくくるのでしょうか。簡単な話です。「いつ書かれたのか」を見ればいいだけの話です。

 「いつ書かれたのか」によってくくることで、それぞれの作品に見えていた世界がどういうものだったのかが、実際に見えてきます。

 二つとも、そこに書いてある世界は、ただ目の前にあった世界に過ぎません。思想も思考もなにもなく、ただ目の前にあった世界を書いているに過ぎません。ですから、これらすべて、オリジナリティも文学的価値もありません。わかりやすいラノベでしかありません。

 さて、「黙示録3174年」が受けるかどうかは知りませんが、「われら」、「すばらしい新世界」、「1984年」が、なぜ現在の評価に至っているのでしょうか。当時のラノベだったことを差っぴいてもです。

 それは、「私たちは、もう、そのころのことを忘れているから」です。そのころのことを忘れているから、そこに描かれていることがただ目の前にあっただけだということすら忘れているにすぎません。


 「時代によって解釈が云々」という話もあるかもしれません。それは否定しません。ですが、「時代によって解釈が云々」と言うなら、「包括的にやれ」と思います。「今、どう読まれているか」だけではなく、「いつごろにはどのように読まれていたか」を包括的にやれと思います。そして、包括的にやるなら、ある年代以前にどう読まれていたのかが、そのある年代にどう読まれていたのかにどのように影響しているのか、あるいは影響していないのかというように多層的にやれと思います。

 SF(それが何であれ)のお安さは、「それらがラノベだった」ことすら忘れたというお安さからも来ているのです。細かくは「3174年」以外は「風刺小説」と分類することもあります。なぜそれらが「風刺小説」と呼ばれるのでしょうか。それは「風刺」であったからです。なぜ風刺であったのかと言えば、それが目の前にあったからです。その時においてどういう意味を持っていたのかすら忘れられてしまった安っぽさ、それを忘れてしまう人間の安っぽさを是認するのであれば、安っぽいSF(それが何であれ)をやっていたらいいかなと思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ