第3話 北嶺の都②
ラギーノ=ライミーは、すやすやと寝息をたてる美少女を見下ろした。
レナード王国ガーランド大公国の依頼でやってきたとかいう冒険者である。
少し子供っぽいが人間離れした美貌だった。
報告を聞いた時は殺すべきかと思ったが、実物を見て考えを変えた。もったいない、と。
主人であるザフ=クルッパも彼女をお気に召したようだった。
ワインに仕込んだ睡眠薬が完全に効いた事を確認すると、魔力を込めて唱える。
―ザード・ザード・シュトレイン 虜囚を捉え、縛れ、茨の王。『絶界魂牢』!!―
少女の姿がかき消える。
遥か大地の底に魔法の牢獄を設置し、捉える「牢獄」の魔法だ。
この魔法を唱えた場所で解放の魔法を唱えない限り絶対に解放できない魔法である。
もちろん内部からの破壊は不可能だ。
この少女にはしばらく退場していてもらおう。
なに、すべてが終わってから魔法なり薬なりで調教すればいいのである。
合図をすると隣室から護衛どもがあらわれる。頼もしい下僕ども。ライミーは嫌らしい笑みを浮かべると宣言した。
「さあ、狩りの時間だ。」
―ムグド・マグド・ディー・ブルー 飲み干せ、四海の使者よ。踊り、狂え、夢魔の王。汝が敵を蹂躙せよ!『無命群陣』!!―
空間収納から大量の泥が流れ出て、次々と人型になる。「泥兵団」の魔法だ。攻撃力は低いが、不定形で物理耐性・魔法耐性ともに高く、自動で敵を判別して制圧する。
並の兵士では相手にならないし、そこそこの強敵は25人の護衛が片付ける。
もはや障害は無いと思われた。
◆◆◆
侍従長カイエル=リウニーは報告を受けて飛び起きた。
「魔法感知」がけたたましく警報を鳴らしている。場所は迎賓館。帝国の使者ザフ=クルッパの客室だった。
使用された魔法は「牢獄」と「泥兵団」。こちらに対する害意をもって使用されたのであれば、対処は難しい。そしてその可能性は極めて高かった。
カイエルは忙しく指示を飛ばしながら、最近のことを思い出していた。
竜の民はドラゴンを神獣として崇めながら、決して見返りの無いことを知っていた。
しかし時折、気まぐれに与えられるライオットとの会話。
なんとなく彼女とは心が通じているような錯覚も感じていた。
そこに5体のドラゴンが集まっての会合。
竜の民始まって以来の衝撃だった。歴史の転換を目にしているのかと思った。
だが、そこから一人消え、ほどなく全員が消えた。
誰もいない宮殿。空を覆う雷雲が消えた時、自分たちは捨てられたのだと知った。
それでも、いつか帰ってきてくれるかも知れない。我々はそれを待ちたいのです。貴女が帰って来た時、何も変わらないこの宮殿で!ライオット様!!
ふと、昼間会った少女を思い出した。美しいという、それだけが共通点。だが、なんとなくカイエルはあの少女にライオットの面影を見出していた。
願わくば無事であってほしいと、少しそう願うのだった。
◆◆◆
竜の民は自給自足が基本だ。宮殿に仕える侍従達も平時は農耕牧畜を営んでいた。宮殿にほど近い迎賓館は、ほとんどがガーランド大公国からの使者や商人のためのものだ。
街中には市場や酒場、公衆浴場があり、それがほとんど唯一の娯楽だった。
気候は寒く、湿気も多く、老人には過酷だ。平均寿命は他地域と比べても短い。
それでも懸命に生きていた。
最強の生物、ドラゴンに仕えているのだという誇りがあった。
最初にこの街を作ったのは数十人だったと伝わる。竜を信望する者達が少しずつ集い、規模も大きくなり、やがてライオットはこの街を守ってくれるようになった。
物は足りなかったが、宮殿と衛門だけは数百年をかけて豪奢に築いた。
その歴史が終わろうとしている。
異形の泥人形。剣も槍も弓矢も効かない。唯一、炎の魔法だけが効くようだった。
だが、魔法を使える者はそう多くはない。
女子供を中心に宮殿に収容し、戦える者が入口を固める。だが、宮殿に集まった時点ですでに人数は半数ほどに減っていた。
街が燃えている。門司のミハエル=リウニーは歯噛みした。
先日、母の誕生日を祝ったばかりだった。
足の悪い母は、ミハエルの作った不器用なケーキをひどく喜んでくれた。早く嫁を貰えと余計な忠告付きで。
避難してきた中に母の姿はなかった。
一体、また一体と泥人形が集まってくる。地獄の幽鬼のようだった。
―ブルーム・ヲー!穿て!爆炎!『烈火華箭』!!―
ミハエルの号令で5人の門司が放つ「火矢」の魔法が次々と泥人形を破壊する。だが、
―カイ・エル・エル カイ・エル・エル 地獄の業火よ、灼熱の伯爵よ。
現臨せよ、地獄の番犬、カイエル・ブラフォードの名において、七輪の嚆矢と八螢の爆塵に宿れ、赤黎の鴻!『爆熱蓮陣』!!―
「まずい!全詠唱の「火球」だ!」
ミハエルの警告は間に合わない。ザフ=クルッパの護衛、ゼカルドの唱えた「火球」の魔法は一撃で宮殿のバリケードと門司5人を含む守備兵20数名を吹き飛ばしていた。
かろうじて即死はしなかった。だが、ミハエルにはもう戦う力は残されていない。焼けただれた体はもはや苦痛も感じない。目も開かない。手足が繋がっているのかすら分からなかった。
守れなかった。ただ一人の敵を打ち倒すこともできなかった。
死が間近に迫る恐怖よりも悔しさがまさった。
その時。失われた視界の向こうで、誰何の声が聞こえた。低いネコ科の野獣のうなり声。
そして、おそらくそれを呼ぶ美しい声。
「来い!ケイオルカ!」
その名は知らない。だが、その声には聞き覚えがあった。