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【序章】クサの村―真相―

◇魔物豆知識◇



亜人あじん



 RPG・ファンタジー小説等に登場する、人間と骨格が似た種族の総称。妖精の一種とされることもあり、その場合例え外見がどんなに醜悪でも分類は「妖精」である。そもそも妖精とは自然界の精霊の総称であり、妖怪・魑魅魍魎と同義とされることもあるので可愛らしい姿とは限らないのである。


 魔物に分類される亜人としては、棍棒等の原始的な武器を持ち盗賊のような恰好をした禿頭の亜人『ゴブリン』、軽い鎧を身に着け剣と盾の扱いに長けた犬頭の亜人『コボルト』、豚に例えられる醜悪な顔を持ち、光を嫌う習性を持つ亜人『オーク』の三種類が例として挙げられやすい。


 魔物として扱われやすい亜人の中で共通しているのは、独自の言語を用いて仲間同士でコミュニケーションを取り集団で襲ってくること、人間より多少頭が悪いことなどといった要素である。


 だが創作によって例外及び派生形態はいくつも作られており、知能の発達した亜人が魔法を使えたり、選ばれた長が頂点に君臨した社会体制を組織している……という設定も数多くみられる。


 人間に真似できない技術を身に着けているという設定もよく見られ、RPGなどではその亜人を倒さないと手に入らない武具がある……という要素を盛り込むことなどにしばしば利用されたりする。

「しかし……、敵に情けをかけられることを嫌うのであれば、この場にて拙者の手にかけてやらなくもないぞ」


「ハッ、俺は外道とゴキブリ並みのしぶとさで悪名高いバーグマン傭兵団の団長だぜ。金が必要なら善人からも奪い、敵の靴を舐めてでも見苦しく生き延びてやるさ。勿論、こいつはこれから先も変わらねえ……矜持とか持ち出してとっとと諦めるクソ下らねえ騎士なんぞより、よっぽど後悔しねえで済むからな」



 顎を地面につけるように顔を上げ、体はうつぶせになったままバーナードはスイトンを見てニッと黄ばんだ歯を見せて笑う。


 無精ひげや顔面にはりついた土埃も手伝って汚らわしい面と言えばそれまでであるが、目の色は己を外道と名乗るわりに純真さを帯びていた。



「今度会ったときはてめえのお情けなんて忘れてるぜ。お前には俺を殺さなかったことを後悔させてやる」


「ふむ……楽しみだな。拙者も望むところだ」



 顔があればバーナードと同じようにニヤリと笑っていそうな楽しげな調子で、スイトンは余裕たっぷりにそう返す。


 更なる内心の驚きなど、おくびにも出さぬままに。



(回復が早すぎる……。もうそこまで喋れるのか)



 スイトンが突いた人体の急所「水月」は、神経が集中して痛覚が鋭敏なのに加え、呼吸のための筋肉「横隔膜」を直接に近い形で攻撃できる個所である。


 強く突けばその衝撃によってこれを瞬間的に止められることがあり、その場合突いた相手を呼吸困難に陥らせることができるのである。


 しばらくは死なないように息をすることが精一杯になるぐらいには、スイトンもそこを強く、正確に突いたつもりであった。実際そうやって気を失わせた傭兵もいる。


 だが、バーナードは力尽き倒れたとはいえ、僅か数分の時間を置いただけで息を切らすことなく話してみせたのである。



「……だが、拙者が手にかけるにしても見逃すにしても、その前にお前にはけじめをつけてもらわねばならぬことがある」



 スイトンは本心からこの男のことを賞賛していたが、だからといってクサの村を襲撃する理由を与えてくれた者のことを見過ごすわけにはいかなかった。


 人間の記憶を残したままで、いきなり武装した人間と戦わせるのは精神的にも戦闘経験的にも危険であると、こちらが呼ぶまで隠れているように命じた、もう一人の仲間。





「……出てこい、ムク。お前を苦しめた傭兵団の長はここに居るぞ」



 聞き覚えのない名前に訝るバーナードであったが、すぐにそれが見知った者のことであると知った。


 己を飾ることを許されなかった身分であったことを表す、粗末な服と地味な色合いの伸びた髪の少女が、番人のいなくなった門の影から姿を現す。


 気絶した傭兵から拝借したのか、彼女は小柄な長剣を手にしていた。



「お前は……!」


「この姿で会うのは初めまして、か。グールになった今は、ムクって呼ばれてる」


「僕がつけたんだよ、えへへ……覚えやすくてとってもい」


「レンヅは黙れ」



 空気を読まない相棒を一言で斬り捨て、バーナードとムクを阻むように位置どっていたスイトンが静かに退いた。


ムクはそれを確認すると、倒れたバーナードに向かってゆっくり近づいていく。


 姿が鮮明になっていくと、バーナードは少女の全身から血の気が失せていることに気が付いていく。


肌全体が当たり前のようにこのような色に染まってるせいか、顔色が悪いという印象は受けなかった。



「……」



 足元にバーナードが倒れているというところまで来ると、しばらくの間沈黙してムクは彼を見下ろす。


 一言も言葉を発さない間のムクには歯軋りも涙をこらえるような歪みもなく、ただ無表情が貼りついたようにあった。



「蘇ったのは……復讐の為か?」



 何も話さず、剣を振り下ろす様子もないムクに、バーナードは全く身構えることなく倒れたままで問う。


 ここにきて、何をしたものか分からなくなっているのかもしれない、と何となく察したためだ。



「知らない。……死んだら、生き返ってただけ」



 勘が当たっていたのか定かではないが、答えはすぐに返ってきた。だが、あまり話そのものが進んでいない。


 だから、バーナードは一気に切り出した。



「なら聞き方を変えよう。……俺が憎いか? 名もない奴隷」



 命拾いをしようと言葉を選んだにしては、あまりに危険で露骨に核心を突いた質問である。


 よって、傍でこれを聞いたスイトンは、彼が甘んじて責任を取ろうとしていることを知る。


 そんな彼の意志も、少女の意志も尊重すべく、スイトンは口を挟むような真似はしなかった。



「……ある意味、あんたのおかげで私は奴隷じゃ無くなり自由になった。礼は言わないけど、私はもうあんたを憎んでいない」


「そんなに単純なことか?」



 あっさりしすぎていることに疑問を感じたバーナードは、あえて確認するように尋ねる。


 ムクは、逡巡することなく答えた。



「スイトンとあんたの話聞いてたら、何だかどうでもよくなった。あんたはもう、殺すべき敵には見えない」


「……そうか」



 答えを聞いた直後のバーナードの声は、負けを認めたような力の抜けたものだった。



「……終わったよ、スイトン」


「うむ」



 決着したことを告げるムクに、スイトンは深く頷くような神妙な調子で相槌を打った。


彼女が自分の意志で選んだその答えを称賛し、ねぎらうように。



 バーナードは、最後まで謝罪を口にすることは一言もなかった。


それは、奴隷身分の人間をどう扱おうが勝手だから自分は悪くないという、外道な考えも勿論ある。


 しかし同時に、許しをもらうことで救われることを拒否し、犯した罪を背負い続けるという意志もあった。


 ムクがその意思を汲み取れたかどうかは知るべくもないが、少なくとも彼女の口から謝罪を求めようとすることもなかった。





「……むふっ、むふふ……」


「……やめろレンヅ。毎度のことながら気持ちが悪い」



 含み笑いは、声だけ聴けば子供のそれと聞こえなくもない。


だが、それが泣く子も失禁する一つ目の巨人が漏らしたものであると知っているスイトンは、心底うんざりした様子で咎める。


 しかし、当人には全く応えた様子もなく、愛嬌のある笑みをニコニコ浮かべてはしゃいでいた。



「だってだって、もう終わったでしょ? じゃあさ、この村の建物、ぜーんぶぶっ壊していいんだよね、ね!? そうでしょ!?」


「……ああ、再起不能なまでに徹底的にな」


「うっわーい!!」



 すっかり興奮したレンヅが、歓喜のあまり叫びながら手近な建物の屋根に手をかけようとする。



「コラ待て待て待てっ!!」


「えーっ? 何だよう、ぶっ壊していいって言ったじゃ……」



 スイトンが慌ててそれを言葉で押しとどめ、楽しみに水を差されたレンヅは不満を隠す気のない態度で文句を垂れる。


 しかし、次に語られたスイトンの言葉にはすぐに納得してみせた。



「その前に、足元の邪魔者をつまみ出せ」


「あーそっか、巻き込まれちゃうもんね。ごめんねスイトン……えっと、バーナードさん達も」



 スイトンが近づいてくるのを見、意図を察したバーナードは自ら手をついて体を起こした。



「平気だ、立てる。……悪いな、敵の世話なんざ焼かせちまって」


「気にするな。半端な情けなどかけぬも同じ、決めたなら最後まで貫かねばならぬ」





「それじゃ、門の外に転がしとくけどそれでいいかな?」


「ああ、頼む。てめえがやってくれりゃ文字通り百人力……」



 すっかり打ち解けた様子で話をするレンヅが、足元の傭兵達を優しく拾おうとしたその時。





「おやおや、何とも呆気なかったですねえ」





 全く気配を感じることのないまま突如後ろから投げかけられた声に、スイトンは只ならぬ使い手の片鱗を感じて即座に振り向いた。


さっきまで影も形もなかった、漆黒のローブに身を包んだ男が居る。


 すぐに分かったのは、その怪しげな風貌の男が傭兵ではないということ。隣で憎々しげに顔を歪めるバーナードの態度から見ても、彼が傭兵団の一員ではないことは容易に察せられた。


 そもそも、戦いの最中に全く加勢してこなかった点からして、この男がバーナードの仲間であることすら疑わしい。



「貴殿、何者だ」



 あくまで簡潔に、しかしスイトンはこれを必然と感じて問う。


何を目的に現れたのか、出現のタイミングに脈絡がなさすぎてまるで読めなかったからだ。



「……先に言っておくけど、こいつは僕の目で『見た』時は一度も居なかった。……ムク、もしかしてこいつが」


「うん。私に魔法を使ってきた男だよ」



 ムクがレンヅの推測に肯定で答えると、彼女の存在に気付いたローブの男が感心したように語りだす。



「ほほう、素晴らしい。蘇生に成功したどころか、わたくしの……生前の記憶を残したままでいるのですね? これは実に興味深い結果に……とその前に。まずは勇猛なる魔物の皆様に敬意を表しまして、ご所望通り自己紹介を」



 フード状に頭に被せていたローブの一部を捲った時、初めて男の素顔が明らかになった。


 右が青、左が緑のオッドアイを宿した両眼には女のように長い睫毛が揃い、たっぷりの銀髪が肩口に、背中には肩甲骨を通り過ぎた辺りまで流れている。


 美丈夫としては非の付け所がない、不自然なほど整った容貌の男は、まるで主の前に馳せ参じた執事のように恭しい態度で名乗りを上げた。





「私、魔法の研究の傍ら魔導士を務めております、グスターバ・フォーサイスと申します」




「魔導士? 魔法使いとは違うの?」


「王侯貴族に仕える高位の魔法使いの職名だそうだ。拙者も、実際の魔導士と話すのは初めてだが……」



 レンヅに説明するスイトンの隣で、バーナードが唸るように言う。



「今更何しに来た。俺達を笑いに来たのか?」



 グスターバは肩を竦め、苦笑いしてその問いに答える。



「ええ、仰る通りです。全滅させられた挙句その実一人も殺されず、おまけに情けまでかけられる……これほど絵に描いたような完敗ぶりを見せられては、笑うのが道理でしょう?」


「てめぇ……よくもヌケヌケとっ……!!」



 嘲笑に激高して剣を振り上げようとするバーナード。

 しかし間一髪、先にスイトンが前に出る。



「グスターバといったか……。貴殿こそ、この者達が戦っている間どこで何をしていたというのだね? 物置の奥で膝を抱えて震えていた、と我々に思われても致し方ないのではないか?」


「これは手厳しい。しかし確かに、直接攻撃に使用する魔法の類は専門外ですね。見ての通りろくに剣を持ったこともない貧相な体でありますし、私自身が戦うことは苦手です」


「ならば、貴殿を魔導士たらしめている魔法とは何だ?」



 魔導士の称号は富裕階級に関わるだけあって、魔法使いの中でも最上級との呼び声が高い。故にこの称号を持つ魔法使いは、あらゆる魔法を高水準で使いこなせるということを通常意味する。


 逆に、苦手な魔法があるということは、それを補ってあまりあるほどに飛び抜けた魔法の分野があることを意味すると、スイトンは推測したのである。



「それは実践してみせたほうがよくお分かり頂けるでしょう。一分ほどお時間を頂けるのであれば」



 案の定、グスターバが口にしたのはとてつもないことであった。



「ここに倒れている傭兵を、全て戦いに復帰させてみせますよ?」


「何だと……!?」



 驚きの声を上げたのは、団の傭兵のことを最もよく把握しているバーナードであった。


 スイトンは彼の驚いた理由を代弁するように、冷静にグスターバに問い質す。



「……拙者が見ただけでも、此奴らの数は百を超える。それを全て戦線に復帰させるどころか、たった一分程で完遂出来ると申したか」


「ええ、容易いことです」



 グスターバはそう言うと屈みこんで片膝を突き、指を真っ直ぐ伸ばして広げた両掌を地面につける。


この時、両手の親指と人差し指同士を合わせて三角形を作るような恰好である。



「ところでスイトンさんは、魔法使いが何故杖を使うのかご存知ですか?」



 まさか人間に「さん」付けで呼ばれると思っていなかったスイトンは虚を突かれる。……が、すぐに立ち直って答えた。



「魔力を制御するため……であろう?」


「流石ですね。凡人は魔力の底上げのためと答えるところですが、貴方は博識でいらっしゃる」



 グスターバが指で作った三角形の中心を凝視し始める。


 すると、三角形の線を形作る人差し指と親指と双方の根元のフチが、薄ぼんやりと紫白色の光を帯びていく。



「魔力のような形のない存在を制御するのは、素手で煙を捕まえようとするぐらい難しい。杖はこの煙、使用者の魔力を包んで捉える袋のようなものです。魔法とはこの魔力を練り上げて生み出される芸術。強大な魔力も、制御出来なければ消える煙と同じです」



 強い光を帯びて輝きだした三角形がやがて指を離れ、形を保ったまま中心に収縮していく。


ある程度まで小さくなると地面と水平に180度回転。


掌の三角形の三辺それぞれの中心に頂点を置き、小さな光の三角形は丁度掌の三角形を均等に四等分する形になる。


その間に、またも掌で作られた光の三角形が、最初の光の三角形と同じ大きさになるまで縮む。


均等な大きさで二つの三角形が重なり合って出来るのは、六芒星。


合計六つの頂点を結ぶように、中心と均等となるよう円を描いて光が伸びていく……。



「――しかし逆を言えば、制御さえ出来れば杖など必要ないのです」





 静かに語るグスターバの手の中に、光の六芒星の魔法陣が浮かび上がった。


 魔法は身体能力を必要としない代わり、緻密に頭の中で効果をイメージし得る強い精神力が求められる。


 そして魔法陣には、使用者が目で魔法の効果範囲を捉えられるようにする役割がある。


これによって頭の中で魔法を構築する負担が減り、より正確な魔法の行使が期待できるのだ。



「……では、とくとご覧あれ」



 舞台開演前の司会のごときグスターバの口上と共に、緩やかな動きで地面に付いた両手を引き上げて両側に広げていく。


 手の中に収まっていた魔法陣は距離の広がる両手に合わせて形を保ったまま膨張していく。

 



――少女が、ここで何か引っかかるものを感じ取った。



(あれ? この魔法陣の色って……)



 後ほんの少し、知識と経験が多ければ気がつけたのかもしれない。


 だが生前、学びを与えられない奴隷身分であったムクには、彼が始めようとしていることに妙な胸騒ぎを覚えるのが精一杯だった。


 両腕が広がりきらなくなる頃合いになった瞬間、魔法陣はグスターバの手を離れて爆発するように急激に巨大化した。



「……これで、村全体が私の魔法陣に収まりました」



 個人の視界に収まりきらないほどに魔法陣が規模を広げては、見ている者は何が起きたか理解しにくい。


 グスターバがわざわざ口に出して言ったのは、それを考慮してのことだろう。



「こいつ、嘘は言ってないみたいだよ。見てみたら、本当にこの村が光の輪に囲まれてる」



 遠くを見ることができる特別な一つ目を持つレンヅが、裏付けとなる事実を報告する。魔法について疎いレンヅは殆ど動じていない。


 対して、見ただけでは分からないが、スイトンはただ呆然としていた。


杖もなしに一人で村全体に魔法をかけることなど、饒舌なこのスライムから言葉が出なくなる程度には大変なことなのだ。



「……おい、グスターバ」



――しかし、次の瞬間苛立った顔でバーナードが宣言したのは、魔導士の思惑を真っ向から裏切るような言葉であった。



 

「勝手に何始めてんだか知らねえが、俺達はもうこの任務から手を引かせてもらうぞ。バーグマン傭兵団は勝てない戦いからは逃げる主義だ。こいつらみたいな大物相手じゃ命がいくつあっても足りやしねえしな」



 勇敢であることと、引き際を心得ていることは矛盾しない。


先の戦いにおいて勝てないと分かっていても傭兵がレンヅに立ち向かったのは、大砲を持ってくるための足止めという目的があったからだ。


 もっとも、本当は『勝てない』という理由は剣を納めるための建前。


スイトンの漢気、レンヅの情け、ムクのけじめを見せられた後のバーナードには、彼らを殲滅する本来の仕事にはとても取り掛かる気分になれなかったのである。


 話を聞いたグスターバは怒ることはなく、代わりに臆病者を軽蔑するような嫌味な顔でまた肩をすくめてみせた。



「まあ、そんな気はしてましたよ。そう目くじらを立てずともすぐに終わりますから。後はしっぽを巻いて逃げるなり貴方がたのお好きなようにして下さい」



 その頃には、村を囲んでいた魔法陣の光は徐々に消えつつあった。



「……消えたよ。完全に」



 誰に頼まれたわけでもなく、レンヅが報告する。


 倒れている大勢の傭兵達は、特に光に包まれることもなかった。


 ただ魔法陣が村を囲むほど大きくなって消えただけ……と、誰の目にもそう見えたのだ。


 あまりに地味な終息に、バーナードは気のぬけた顔で魔導士を見やる。



「しまらねえな……。これで本当に戦線復帰ができるのか?」



 露骨に馬鹿にした物言いであったが、グスターバは優しく笑って答える。



「もうお目覚めですよ。何でしたら、助け起こしてあげては如何です?」


「……チッ。お前に言われるまでもねえよ」



 言われてやるような形になったのが気に食わず、バーナードは大きく舌打ちして近くの傭兵の傍に屈みこむ。


 背中から上半身を持ち上げ、軽く頬を叩く乾いた音。



「……う……」



 すると、気絶していた傭兵から呻きが漏れ、瞼がピクピクと動きだした。


 虫の好かない魔導士のせいでしばらくしかめっ面だった傭兵団長の顔色が、ここでようやく明るみを帯びる。


 周りでも、倒れていた仲間たちが動く気配がした。



「……あ……」



 はっきりと目を開けた傭兵は、自身を助け起こしてその目を見つめている傭兵団長の顔を見る。


徐々に呆けたように口が開いていくのを見て、眼帯をつけたいかめしい面に苦笑いが浮かんだ。


 気絶したことを怒られると思っているのかもしれない。



「……仕置きはしねえよ。よく生きてた」



 勇敢に敵に立ち向かった戦友をバーナードはそう言って労うが、傭兵の表情は変わらなかった。


 そのまま、彼の両肩にゆっくりと両手を伸ばしてくる。



「ああ、立てるか?」



 覚醒したてで自分じゃ起きられないのだろうと思って掴まりやすいように姿勢を低くすると、思った通りしっかりと両肩を掴まれた。


 バーナードはかつて幾度となくそうしてきたように、戦友と共に起き上がろうとそのまま体を起こして、



――不意に、その傭兵が素早く動いたことに反応出来なかった。



「ん?」



 何だ、わりと元気じゃないか。気づいた時もそんなことを思ったのは、予想できるはずもないことであったから。


 違和感をようやく感じることができたのは、粘着するような水音がやけに耳の近くでしたことを認識した時。


 続けて首から、覚えのない激痛が響き渡る。





「…………あ?」





――首に喰らいつくかつての戦友は、一度も瞬きすることなく目を見開いたままだった。


 理解の追いつかない事態をようやく認識した瞬間、衝撃音が響き渡った。


 頭に引っ張られるように吹き飛んでいく戦友を見ながら、バーナードはまだ動けない。



「こっちに!! 早く!!」



 鬼気迫る様子で棒立ちの彼を呼び、その手を掴んでレンヅの足元まで引いていったのはムクであった。


 傭兵の頭にタックルを仕掛けたスイトンも、着地してすぐ彼らの元に素早く駆けつける。



「…………何、起き? あいつ、首、噛み付、」



 うわ言のように呟く傭兵団長の見る先には、確かに次々に起き上がってくる戦友の姿があった。


 一人として例外はない。同様に呆けたように口を開け、目を瞠ったまま固められたように瞬き一つせず、こちらを向いて意味不明な唸り声をあげ、両手を前に掲げて引きずるような足取りでこちらに近づいてくる。



「……説明しろ」



 掠れた低い声でスイトンが問い質そうとする相手は、この異状の中で唯一笑顔を浮かべていられている魔導士。


 笑っているどころか喜色満面といった明るい瞳は、あまりに場違いと言うほかなかった。



「予定なら魔物で実験せざるをえない魔法だったのですが、人間で実験できたのは僥倖でしたよ。……さあ、『無事』戦線復帰した皆様に、新しい主からの命令です」



 グスターバは未だ我に返らない様子のバーナードを手で指示して言い放った。





「この男を、喰い殺して下さい」





 欠伸でもするような間抜けた声を垂れ流し、起き上がった傭兵たちは両手を前に出してじりじりとバーナード達に近づいていく。


 遅々として進まない足取りも手伝って、その様子は手さぐりで恐る恐る闇を歩いているようであった。  



「うぅあああァ……ッ」



 しかし、彼らの顔には恐れどころか、「無表情さえもない」。


 筋肉が緩み切って馬鹿のように口を開け、瞳は明後日の方向を向いている。



 放心状態のバーナードに代わり、動いたのはレンヅだった。


 迫る傭兵を遮る壁のように巨大な掌を置き、一振りで他の傭兵達も巻き込んで払いのける。



「命令を聞くところは及第点ですが、やはり不完全ですね。理性を失うのは仕方がないとして、武器の一つもろくに扱えないとは」



 グスターバは腑に落ちないと言わんばかりに顎を指で掻いている。


 罪悪感を抱くどころか自分から文句を付けるこの男の態度が、スイトンの頭に沸々と怒りを煮え返らせていく。



「おっと、そういえば説明をご所望でしたねフフフ……。これは新しく開発した私オリジナルの魔法による産物でございますれば」



 スライムが何を考えているかなど全く気にしない魔導士は、嬉々とした表情になって思い出したように講釈を垂れ始めた。



「彼らは『ゾンビ』。死体に別の命が宿った魔物『グール』と形態としてはほぼ同じですが、ゾンビは元々宿していた命を用いて動く死体。ほんの少しの設定を加えれば、このように思い通りに動かすことが出来ます……当然、作り手の命令に限りますがね」



 彼の言った通り、少し手で何かの合図をしただけでゾンビ達は一斉に歩みを止めて見せた。


 しかし、そんな実演をされずともスイトンに彼の言葉を疑う気はない。


他に聞き捨てならないことがあった。



「貴殿……今、死体と言ったか」


「意識を失った生物を強制的に死に至らしめ、ゾンビへと変える。さっきのはそういう魔法ですから。……あれ? もしかして、あなたは彼らが生きているとお思いに?」


「……何ということを」



 気づかなかった彼らのほうが意外であるかのように言って、グスターバは旧知の間柄に向けるような和やかな笑みを浮かべる。


 こんな状況でなければ、慈悲すら感じられたかもしれない。



「あなた方がそう目くじらを立てずとも、トスタの洞窟の魔物を襲うつもりはもうありませんよ。この男を殺せばお終いです。元々、私がこの仕事を受けたのも実験素材を得るためでしたからね」

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