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【序章】クサの村―前哨戦―

 城のある都市からは程遠い辺鄙なところに、突然村ができたのは奇妙な話であった。


 単なる村であれ放っておくわけにはいかないと二匹の魔物が感じたのは、その村が二匹の住む洞窟にかなり近いところにあったからである。



――小鳥の囀りが疾うに鳴りを潜めた宵闇には、眠りについた獲物を求む蛇蝎どもが這い回る。



「何か見えたか?」


「うん。人間が住んで、暮らしてるよ!」



 村から遠く離れた草むらに佇むのは、頭の天辺に一本角の生えた黄土色の巨人。一つ目の鮮血を思わせる赤い瞳と、鏃の如き鋭い牙がズラリと並んだ大口。その筋骨隆々とした巨躯も相俟って、見上げる矮小な人間は圧倒されるだろう。


 一方で彼の肩に乗ったゲル状の動く液体からもまた、声が発せられている。半透明な若草色の体内に赤い楕円形の何かが浮かんだ、とても単純な構造の見た目は生き物と認識しづらい。


 奇妙なのは、恐ろしい容貌の巨人のほうが声色も口調も子供っぽく、動く液体が渋い声で落ち着き払った言葉を発しているところだ。



「拙者が知りたいのは、武装した人間が何人いるかなのだがな。いくら小規模な村とはいえ、我々魔物を警戒して入り口に番兵くらいは置いているだろう」


「うん、門の前に、ぴかぴかの鎧を着た人間が一人いるよ。他に潜んでることはなさそうだね」


「ふむ……一人なら拙者だけでも仕留められるな。レンヅは大きすぎて目立つ、ここで待っていろ」


「えー! スイトンだけでいくの!?」


「今日は様子見だけだ、鎧の人間を仕留めたらすぐ戻る」



 不満げに声を上げる巨人を尻目に、動く液体が零れるように地面に落下した。



「……はーい。ちゃんと持ってかえってきてね? そろそろ新鮮な人間のお肉が食べたいよ」


「それを言うなら気をつけてね、だろう。全くこの卑しん坊め」


 村に焚かれる生活の営みの光は、外敵を阻むように集落を囲む石壁の落とす影を、星明りの僅かに白く滲んだ夜空よりも黒々と映し出している。


 村の唯一の入り口たる、両開きの木の扉の宛がわれた門の前には、全身に鋼鉄の鎧を纏う番兵が一人寡黙に立っていた。



「――あれは」



 平穏無事に時が過ぎればその場を動くことのない兵士が、視界の悪い宵闇から解けて出てくるように現れる異形の影に身構える。


 しかし、その正体を見るや否や、唯一兜に覆われていない口元に薄く笑みを浮かべた。



「何だ、スライムが一匹だけか。迷子なら引き返してくれ、ここはあんたらのねぐらじゃないよ?」


「ふむ……外見そとみで判断するとは戦場慣れしていない証拠だな」



 人間の膝丈ほどしかない半透明のゲル状物体が渋い声で返すと、番兵は一瞬虚を突かれたように口を開け、すぐに笑みを引き締めた。



「……驚いた。スライムってそんな自信満々に喋る生き物だった?」


「物心ついた頃から春夏秋冬を30回程は経験しているのでな。拙者は名をスイトンと申す者。貴殿の命は今宵この場にて頂戴いたす」


「ちょっとは出来るようだけど……スライムごときの体当たりで、この鎧に傷一つでもつけられると思う?」


「む、悔しいが確かに拙者には出来ぬな。……だが、命のやりとりにおいてそのようなことは些末なことよ」


 剣を抜いた番兵が、いよいよ刃を眼前の魔物に向けて臨戦態勢となる。



「……どうやらあんた、ここを『通る』ことを企んでいるわけじゃあなさそうだね?」


「……敵ながら察しがよいではないか」



 地面にへばり付くように下半身を広げていたスイトンが、ぬめった音を立ててそれを引き絞るように縮めていく。


 そして、床に転がる風船のような形になると、



 地面を抉る轟音とともに、弾丸のような流線型に変形したスイトンは水平に飛び出した。


 まるで突進するように地面スレスレで飛び込んでいく先は、無論獲物である番兵である。



「なっ……!?」



 魔物最弱と呼ばれるスライムの種族に有り得ないエネルギーを垣間見た番兵は、咄嗟に左手の盾を眼前にかざすことで精一杯だった。



「……ふむ、確かに傷はつけられんな」



 スイトンは軌道を変えることなく、勢いを微塵も殺すことなく真っ向から盾にぶち当たる。



「……ぐっ!?」



 歩兵の突進とも相違無い重圧が盾越しに伝わり、番兵はかろうじて己の鎧の重さを支えながらも一歩、二歩と後ろによろめいた。


(……大丈夫、防げればやられやしない! このまま耐え凌いで、こいつが疲れるのを待てば……)



 だが、番兵のその目論見は、盾をどけた先に敵がいないことを知ると即座に消えた。



「……大きな盾が仇となったな」



 もはや、探す暇すら与えられなかった。


 ぬるりと、冷たい液体が鎧の裏に入り込んでくる。



「ま、まさか盾の死角から……!?」


「……そして鎧とは、隙間から侵入できるものからは無防備だ」



 やがてそれが背中を這い上がり首にまとわりつく頃には、番兵は剣も盾も取り落とし、全身に鳥肌を立たせたまま跪いた。



「う……あ……っ」


「苦痛は最小限に留めよう」



 瞬時に首の骨を折られた番兵は、ついに呻き声すらも絶やして重い鎧に身を任せるようにドサリと地面に崩れ落ちた。


 鎧の中でスイトンは番兵の脈を探り、それが止まっていることを確認すると更にカチャカチャと音を立てて中から鎧をいじる。



「拙者も力はあるほうだが、流石にこの鎧ごと引きずる体力は無いからな。……よし、後は……」



 止め具を外して手際よく鎧を解体していくスイトンだが、ここでちょっとした見当違いに気づき一旦動きを止める。


 だがそれも一時で、独り言を呟きつつすぐ作業を再開した。



「……意外だな、声色から若い人間だとは思っていたが……。まあ、レンヅが見れば喜ぶだろう」



 角の生えた一つ目の巨人が、何かを引きずる物音に気がついて仲間の帰りを知る。



「あ、お帰りスイト……」



 だが、驚異的な視力によって引きずっているものの正体を知った彼は、ただの人間の肉を持ってこられた時以上の喜びで目を輝かせた。



「やったあ、女の子のお肉だああっ!!」



 十才程度の少年のような声ではしゃぎながら、地響きをたてて筋骨隆々の巨人が走り出す。


 遠目からでも人間ほどの大きさに見える巨人が一歩迫るごとに更に大きくなっていく様は、慣れ親しんだ者でなければ恐怖に値する。


 数少ない親しみのある者のスイトンも、この状況には慌てた。



「ちょっ、待て待てレンヅ、あ、足元を見……」



 しかし興奮した巨人、レンヅには届かず、大の男七・八人分の重量を誇る巨大な片足がスイトンを踏み潰し、直後に顔を青ざめさせた。



「あわわっ!? ご、ごめんスイトン!? だ、だ、だ、大丈夫!?」


「レンヅ……走るときは足元をよく見ろと常日頃口を酸っぱくして言っているであろうが……! 一体これで何回目だと思っているのだ……ッ!!」



 間一髪地面に溶け込んでいたスイトンが地上に出てくる。それでも地面ごと潰されていたために、心なしか体をビクビクと痙攣させ、くたびれた様相を呈していた。



「……フン、次という次は承知しないからな。……何がともあれ思わぬ収穫というやつだ。レンヅは若い女の肉のほうが好みであったろう?」


「うん! ……でも、まさかあの鎧兜の番兵さんが女の子だったなんてねー」


「うむ、拙者も鎧を剥ぐまでは気づかなんだ。おそらく声色も似せて、男を装っていたのだろう」



 スイトンの傍でレンヅが見下ろす先には、鎧の下に着る地味な灰色のインナーだけをまとった年十五・六ほどの少女が転がっていた。ボサボサに入り乱れた長い黒髪からは品のない匂いが立ち込めており、あまり清潔な暮らしが出来ていない貧しい存在であることを物語っている。


 その肉体は物々しい鎧からは想像もつかないほど細いものであったが、決して華奢と呼ばれるものではなく、徹底的に無駄がそぎ落とされ引き絞られた風であった。



「よく締まった女の子のお肉なんて久しぶりのご馳走だよ! このまんま丸ごと食べちゃうね!」


「好きにするといい。拙者は食事には興味が無いからな」


「えっへへえ、じゃっ、いっただっきまぁーす♪」



 とはいえ、人間の香水などむしろ不快に感じるレンヅにとっては不潔な匂いなど問題ではなかった。


 一本一本が少女の腿ほどもある指が今夜の晩餐を摘み上げる。


 そしてレンヅはわざわざそれを己の頭の上まで持ってくると、真下で合わせるように顔をあげて大きな口をガバリと開けた。


 満面の笑みで少女を口に放り込むレンヅを尻目に、スイトンは村のある方角を向いて今後のことを考えていた。



(番兵がやられたと知ったなら村の人間共は慌てるだろう。その時にまたレンヅの『目』の力を借りて、奴らがどう動くか様子を見るとするか)



 と、考えていたスイトンは、ここで新たに出来ることを思い付いた。



(そうだ、奴らの動揺を煽るために死体を転がしておくのも……)



「おい、レンヅ。出来るならそいつは丸呑みじゃなくて食べ残しを吐き出……」


「ぶべーっぺっぺっぺえっ!!!」


「馬鹿者!! 誰が今すぐ吐き出せと言った!!」


「ぶぺっ、う、ち、違うんだよスイトン!」



 目に涙を浮かべるレンヅに、スイトンは荒げた声を抑えた。


 だが続けざまに告げられた事実に、スイトンは今度は驚愕して声を荒げることになる。



「これ腐ってて食べられないよ! ものすっごく気持ち悪い味だもん! グールとおんなじくらい不味いよ!」


「馬鹿な!? こいつはつい先刻あちらで殺してきたばかりだぞ!?」


「分かってるよう、スイトンとこの娘が戦ってるのはずっとここから『見て』たし……でも、やっぱり今は腐った匂いがするんだよ」


「しかし……」


 スイトンも、別にレンヅが嘘をついていると疑うつもりはない。


 しかし、腐敗が始まるにはあまりにも早すぎるし、地面に投げ出された少女の身体を見るにそんな痕跡もないのだ。



「初めから腐っていたというわけではあるまい。しかし、一体どういう……、!?」


「す、スイトン!!」



 原因を探ろうと少女の顔を覗き込んでいたスイトンは、更に信じられないものを目の当たりにする。


 一緒になって見下ろしていたレンヅもすぐにそれに気づき、こちらは驚きのあまり相棒の名を呼んだ。



 止めを刺したはずの少女が、ゆっくりと目を開けたのである。



 レンヅは呆然と少女を見下ろしたまま固まり、スイトンは慌ててその場から跳ねるように後ずさった。



「生き返っ……、否、もしや死んだ振りか!? しかし、それならば脈まで止まることなど……!!」


「うん、確かに私はさっき死んだはずだよ。首がさっきから上手く座らないし、心臓も動いてないみたいだし」



 上半身を起こした少女は、首を振ったり胸に手を当て、やけに冷静にそう言った。



「どうやら、アイツの『魔法』とやらは成功しやがったみたいだねえ」


「ま、魔法……? いや、しかし貴殿、聞いたところでは我々の仲間、動く死体『グール』になったに違いはないぞ。拙者も死んだその場でグールになった人間を見るのは初めてだが……!」


「僕なんて、お墓の下から出てくるボロボロの奴しか見たこと無い……こんなの、見ただけじゃ死んでるかどうかも分かんないよ」



 驚きが抜けきらぬ様子で二匹の魔物が見る先では、グールとなった少女が己の目の前で、何かを確かめようとするように手を握って開いてを繰り返していた。


血の気が失せて青白さを増してはいたが、外傷の見当たらない姿は生きた人間とまるでそれ以外の違いが見られない。

 


「まあ、私だってなりたくてなったわけじゃあないよ。……もともと私は、あそこであんた達魔物に殺される予定だったんだ。ある『魔法』を試すための実験体としてね」


「それってつまり、『死ぬと人間からグールになる魔法』ってこと!?」


「何だと……そんなふざけた魔法、拙者はどこで聞いたこともないぞ!?」

 


 興奮した様子で問い詰めようとする二匹の魔物を見て、少女は苦笑いしながら提案した。



「……話せば少し長くなるから、どこか落ち着けるところに行けないかな?」


「魔物にとってそういう場所は『洞窟』になるが大丈夫か? 貴殿には信じられないことに、人間であった頃の記憶すら鮮明であるようだが」


「大丈夫、私はもう人間と馴れ合うつもりはないよ。というか、出来るならあの『クサの村』を滅ぼすのに協力して欲しいんだ」



 恐ろしいほどに落ち着いた様子で、少女はとてつもない依頼を口にしたのだった。



「……じゃないと、この辺りの魔物達も危ないよ」


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