似ている
咀嚼音が、暗闇を引き裂く。
誰も通りかからないような路地裏で、街灯の光すらも当たらない。そんな場所で、耳障りな音が繰り返される。
ふと、その音が止まる。代わりに、ごくん―――といった、飲み込む音が聞こえた。
「……あんがい、いけるかも」
血だまりの中で、少女の声がぽつり。暗闇から微かに見えるのは―――力尽きた、人間の腕。しかしそれすらも闇に消え、代わりに骨を砕くような音が聞こえる。
「でも、やっぱりちゃんとしたものがたべたいな。にんげんじゃなく」
咀嚼は終わり、闇からその声の主が現れる。黒いマントに身を包んだ、小さな少女だった。髪は色を抜いたように白く、アホ毛が特徴的な少女。その赤い両眼は常軌を逸したかのようにギラギラと輝き、普通の人間のそれではなかった。
そう、彼女は―――白い、ヒツユだった。
イチカの地下研究所で身動きを封じられたあと、彼女は飲まず食わずのまま一ヶ月も放置されていた。しかし死因は脳か心臓を破壊される以外受け付けない為、狂い悶える程の空腹が続きながら、彼女は拘束されていたのだ。
彼女に出来ることは、考える事のみ。考えて考えて考え続けて―――そして、自身を縛る拘束具を何万、いや何億回と見つめ続けて―――その解れ、僅かなヒビを見つけ、破壊したのだった。
それから白いヒツユは研究所内を探し回るが、既にそこはもぬけの殻だ。誰も居なくなった暗い研究所。そこには二人の生活していた跡が、他の誰かによって掻き消されていても、確かに残っていた。
二人で食べた朝食。
二人で眠ったベッド。
そして―――縛られた、あの瞬間の時に使用された工具など。
それを見た瞬間、白いヒツユの内側から、ぽっと何か湧き出るモノがあった。
それが何なのか、全てを記憶する白いヒツユですらも理解出来ず、もう一度研究所内を探し回り―――そして気付く。
―――自分は、恨んでいたのだ、と。
殺したい。
このわたしをあいしながらも、つぎのしゅんかんにはてのひらをかえしたあのくろいあくまを。
―――そう脳内に浮かび上がった時には、既に心の整理なんて生温い考えは何処かに消えてしまっていた。恨みは一度燃え上がると、消え去る事無く燃え続けると知らなかったから。
そしてイチカの研究机を一通り見ていた時、とある物が目に入る。それは、自身の作成元についての研究成果。新旧混ざっており、子供の字で書かれたものから、学生に相当する年齢で書いたものもあったが―――どれ一つとして、自身の役に立たないものはなかった。
その知識を全て内包し、そしてオリジナルが秘めた唯一のそれを理解した瞬間、彼女の中に『行動』が芽生えた。
そうだ、殺してしまおう―――という。
瞬間、背筋がゾクッとする。それは、その考えが思い付いた自分に対する、賞賛の意味。素晴らしい―――と、そんな気分でしかなかった。
そんな時、何か反応するものがあった。それは紛れもなく―――イチカの反応だ。何かとんでもないものを内包した何かを、解放したような信号。
そしてそれは、今でも頭の中から消えない。
「……わかる、よ。イチカ……あなたのばしょが。わたしは、ぜったいにわすれないから」
それは信号が途絶えた今でも変わらない。その信号を発する少女を殺したい程に愛おしくて、オリジナル同様の力に目覚めたのだから。ここに―――空中庭園にいるのも、その力があってこそだ。
―――暗闇の中で笑み、白いヒツユは呟く。
「……たべてあげる、イチカ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……ごめんね、イリーナ」
イリーナに与えられた部屋の中で、ヒツユは涙ながらに謝る。部屋の隅で小さくなりながら、彼女は自虐気味に笑みながら言ったのだ。
「こんな話したって意味が無い事くらい分かってる。イリーナにはイリーナなりの過去があって、それも重くて辛いものなんだってのも―――分かってるんだけど」
自分が特別だと、どうしても考えてしまいたくなる。こんな経験をしたのは自分だけだとしても、皆死地を潜り抜けて生きてきた、そんな時代なのに。
「……それでも、私はトラウマから抜け出せないの。先生を見る度にそれを思い出して―――怖いの」
でも、とヒツユは続ける。
「その代わりに―――イリーナに出会って、レオ君に出会って、アミに出会って、レンに出会って、ネロに、カノンに出会って。素敵な出会いを沢山して……その分だけ、お別れもあった」
九尾型デストロイに殺されたレン。
カルネイジ化してしまったネロ。
戦いの中でひっそりと死んでいったカノン。
「ホント、分からないね。お別れは良い事じゃないけど、こんな沢山の良い事が、嫌な事の裏側で起こってるの。こんなんじゃ……あんな経験をした事も、あながち単純に後悔出来ないよ」
イリーナはその意思を汲み取り―――理解する。
(確かに……)
もしヒツユが順調にカルネイジを倒していれば、レオ達とは会わなかったかもしれない。
空中庭園の中でずっと過ごしていれば、イチカと出会う事もなかったかもしれない。
そして―――カルネイジを倒す運命に生まれていなければ、イリーナと出会う事も無かったかもしれない。
それはつまり、過去を全て否定してしまえば―――全ての出会いさえも、否定してしまうことになるということ。
「……でも。アンタはアタシと出会わなければ、もしかしたらこんな事になる必要もなかったかもしれないのよ?」
そうだ。
レオと出会う―――つまり、イリーナと離れ離れになったのは、あの時三人一緒に行動していなかったから。ヒツユは多勢に無勢、猿型カルネイジの大群に殺されかけた。イリーナとイチカは蛇型カルネイジ―――実際には玄武の一部だったのだが―――を倒す事に一念していた。
「それなら、アンタにとってこの現在は不幸以外の何物でもない。アンタはアタシとなんか出会わなければ……もっと他の強い人と組んでいれば、予定通り三年間カルネイジの攻撃に耐えて、晴れて空中庭園に戻っていたのよ? それなら……アタシの責任でもある」
実際、イリーナがヒツユに与えた迷惑は果てしない。
ヒツユをあの時、手放してしまった事。そして、意識を支配され、彼女を傷付けてしまった事。
けど。
それでも。
「違うよ、イリーナ。それは関係無い。こうなったのは間違いなく私が私だったせいだし、私じゃなければこんな事にはなってなかった」
あの時とは違って、随分成長したものだ。
そう、イリーナは思った。最初は何故カルネイジと戦うかも分からないバカだと思っていたのに、今はこんなに難しい事も考えられている。
それどころか―――イリーナよりも、整理がついている気がするのだ。
ヒツユはイリーナは笑みを浮かべて、呟いた。
「私はどんな時も……イリーナが、大好きだからね」
その笑顔が。
その言葉が。
―――ある人と被り、イリーナはハッとする。そうだ、この子は……あの人と、笑顔が似ているんだ。
だから何処か親近感が湧いていた。
だから、最初出会った時も、やれやれと言った様子で気に掛けていたのだ。
「どうしたの、イリーナ?」
その様子を気に掛けたヒツユが、イリーナに近付いて聞く。その顔はとても純粋で、無邪気で、とても数秒前にあんな事を言っていたとは思えない程に子供らしい。
彼もそうだった。バカのように見せて―――実際は、その内部にとんでもないものを抱えている。ある時それが、ぽろりと露呈するのだ。
「……いや、ちょっと思い出してね。アタシがカルネイジを倒す羽目になったキッカケになった男の事を」
するとヒツユは。
「聞かせてくれる? 私だけ話しっぱなしじゃ嫌だもん。私……もっと、イリーナの事知りたいから」
聞かれれば。
自然に、話していた。
あの人との最後の邂逅。
そして死によって生まれた―――機械の身体への生まれ変わりを。




