己の無力さ
目も眩むような、明るい星空。
そういえば、この空はネロが見せてくれたものだった。いや、今までだって見つめていたのに、その美しさに気付けないまま居たのだ。
「……眠れないの?」
そんな物思いにふけっていると、背後から声が掛かった。
「お姉ちゃん……」
「アミも全然眠れなくてさ。横、座っていい?」
「別に断る事ないでしょ」
「ふふっ、そうだね」
レオとアミは、今だに発電塔の防護壁の上で留まっていた。と言ってもイリーナが消え、黒い装備のロボット達と戦ってから一日くらいしか経ってのだが。
安全が確認できるまでここから離れるのは危険だし、だからと言って行く目的地も無い。迂闊にうろつくのも危ないだろう。
「……なんかさ、ここ数ヶ月で色々あったせいかな。こうやって一人でボーッとするのも久しぶりで……」
「そう……なの?」
「あっ、ご、ごめん! 記憶が無いんだもんね、覚えているわけないか……」
そう。
今の彼女は、数ヶ月前までの『神崎亜美』ではない。
九尾型デストロイに肉体を喰われ、その呪縛を解く為に抗った結果、力と引き換えに記憶を失った、ただの少女。
それでも、肉体は『神崎亜美』のままであるはずなのだ。
その狐の耳と尻尾を除けば――――――だが。
「いいんだよ。レオはこれまで頑張ってきたんだよね。何も知らないくせしてお姉ちゃん面するのもあれだけど……大丈夫、アミの事は気にしないで」
「お姉ちゃん……」
「それに、色々レオから教えてもらったからね。何と無くは把握してる。それに……」
彼女はその手を軽く握って、
「なんだか感覚で分かるの……アミは、レオと一緒に戦ってきたんだ……って」
その一言は、確かに強い一言。
だが、レオの胸には少し痛みが残る。
そう。
彼女は――――――レンという存在を、完全に忘れている。
それもそのはずだ。レオは彼女が傷付くまいと、レンに関する全ての情報を伏せておいてある。つまり、彼女がレンの事を思い出す事は、きっと一生無い。
だが、これでいいのだ。辛いこと、ましてや恋人が死んだ事なんて、思い出さない方が良い。
「……どうしたの、レオ」
「いや、何でもないよ。お姉ちゃんがお姉ちゃんのままで良かったな、って」
「そう? それなら良かった」
人懐っこく笑うアミ。それに重圧を感じるレオだが、そんな事を口に出すわけがない。レオは落ち着かない素振りで、再び空を見る。
――――――ネロ。
――――――カノン。
ここで出会った人達はみな、死んだ。
ネロはレオ達を守るように。
カノンは誰にも気付かれずに、戦いの中で。
「……なんで、みんな死んでくんだろう」
「え?」
そう、レオはとある少女を思い浮かべていた。
茶髪が特徴的な、可愛らしい少女。
その少女は、自分が傷付いた事をトリガーとして、暴走したらしい。アルマから全てを聞いた。
そして――――――爆発の後、消えてしまった、とも。
「なんで……なんで……」
自然と、涙腺が緩んでいく。
ポロポロと涙が零れるが、それを拭おうともしない。
「……なんで、居なくなるの……?」
声を掛けることも出来ないアミは、無力な自分を呪った。
「……っ」
「なんでみんな死ぬのに……僕は……!」
それは、言ってはいけない事なのかもしれない。
この破壊と混沌に包まれた世界で、生きる事は果てしなく困難な事であり、それが出来なくて死んでいく人がたくさんいるというのに。
では。
何故、こんなヘタれた自分が、いつまでも生きているのだろうか。でも、死ぬのは怖い。
「……僕……ダメだ……全然……」
「そうでも、ない」
「……え?」
それは、アミではない声。
背後から聞こえるその声は、無機質な様でいて、何かが込められている様に感じる。
「アルマ……さん……」
「ここでは当然起こりうること。……その中で生き残ってるって事は。あなたは、生き残るべき人ってこと」
「そ、そんな……僕なんかが……」
「なんかじゃない。アルさんはレオの事、何も知らないけど。でも、なんだかそんな感じがする。生き残る人だって、そんな雰囲気がするから」
「そうだよ! そんなこと言わないで!」
今度はアミが言う。
「レオはアミを助けてくれた。レオが居なかったらアミ、いつまで経っても暴れ回って、みんな壊してた。それを止めてくれたのはレオ、あなたなんだから……!」
「……そうなのかな」
「そう。だから落胆しなくていい」
「だって、アミの大事な弟なんだから!」
……そう、なのかも。
レオは思う。
いつだって弱気で。
泣いてばかりで。
女の子や姉に助けられるような弱い男だけど。
でも。
こんな僕でも、守れたものだってあったのかも、と。
――――――でも。
「……ヒツユちゃん……」
君だけは、どうしても助けたかった。
そう、小さく思った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……でね、そいつがもう腹立つのよ。カイトって奴なんだけど、もうウジウジしててもう……」
虚空に溶ける一方的な会話。
もちろん、答えなど返ってくるハズもなく。無理に作り出した笑いが、虚しく消えていく。
「でも、そいつは優しくてさ、ホントに良い奴で……それでね……!」
暗く、電気すら点けられていない病室で誰ともなく会話するイリーナの姿は、ともすれば奇妙にも、不気味にも見えた。
ただその姿は。
切なく。
儚げで。
自分の無力を噛み締めながら、それでも一人話を続ける、孤独な少女。
何故だろう。
何故、これほどまでに一人が怖い?
いつだろうかイリーナは、ヒツユが消えたらどう思うのだろう、なんて考察してみたことがあった。
だが、結果はこう。――――――別に、深く気にもしないんじゃないか。この世界では日常茶飯事で、誰が死のうが不思議でも無く、むしろ無力だった本人が悪い、と。
なのに。
何故自分は、この少女が死と生の瀬戸際を彷徨っていた事に、そして未だ目を覚まさない事に、どうしてこんなにも執着しているのか。
「……意味分かんないでしょ? アタシだってそうよ! あははははははは…………」
答えも出ず、もはや話すら潰えてしまうイリーナ。先程まで延々と会話が木霊していた部屋が、突然の静寂に包まれる。
月明かりが開いたままのカーテンの向こうから二人を照らす。一人は空虚な会話すら途切れた儚い機械、一人は人知を超えた存在として生まれ変わらされた、創られた神。
心地良い風が機械の紫色の流れる髪を揺らす。弱々しげな、しかしおぼろげな月の光が、神の方に射し込む。
「……ねぇヒツユ。アタシ達ってさ、いつこうなるって決まってたんだろう」
小さく舞う髪を押さえ、イリーナは呟く。
「もしこれがさ……生まれた時から決まってたんなら、『運命』だったんなら、神様ってのは相当ヒドいヤツよね」
神とまで称される少女を前に、イリーナは神へ文句を言う。彼女はそれを知らないハズだが、偶然なのだろうか。
「……いや、そんな事無かったんだろうけどね。少なくともアタシは違う。単に丁度良い傷付き方をしたのが、たまたまアタシだっただけ。たまたま瀕死になったから、たまたま機械の身体になった。そうよ、少なくともアタシは偶然なのよ」
だから、文句は言えない。
何しろ。
目の前の少女は、あのイチカに気に入られたからだったのだ。他の人間では成り得ない、最初から神に仕組まれていた神。
この情報は、あの五十嵐から直接聞いた。それも、かなり事細かく。
元々彼女らは近所に住んでいて。
引きこもりがちで研究に没頭していたイチカを、ヒツユが救い上げたのが全ての始まり。しかしヒツユは助けるばかりか、逆に飲み込まれてしまう。
つまり。
もしも、ヒツユが他人を気に掛けるような性格じゃなかったら。
もしも、こんなイチカ好みの顔、身長、人懐っこさじゃなかったら。
こんな惨劇は無く、イチカはいつまでも研究に没頭し、誰にも気付かれずひっそりと死んでいったのかもしれない。
だから。
こんなあどけない、可愛らしい顔で、思わず撫でてしまいたくなるような茶髪で、小さくてつい保護欲が働いてしまうような、そんな一人の少女として生まれてしまったから。
そんなただの少女が、神へと昇華してしまったのだろう。
つまり、生まれながらの運命。
こうなる運命だったのだ。
イリーナはヒツユの小さな手を両手で包み込む。
「……アタシはアンタが死ぬまで、この機械の身体でいつまでも支え続ける。だから……だから、お願い。目を……覚まして……!」
すると、僅かに彼女の指が動いた気がした。
「っ⁉︎ ヒツユッ……!」
だが、全体的に反応はない。それどころか、その手も再度動く様子は無い。
イリーナは飛び跳ねる心を無理矢理抑えつけ、静かにヒツユを見つめる。
彼女の瞳が、再び自分を視界に入れることを祈りながら。