動き出す野望、悲痛な願い
間違っていたのかな、なんて、たまに考える事がある。
ヒツユを手に入れる為に失った代償は、少なからずある。
自分の価値。
自分の家族。
僅かにあったかもしれない望み。
それは、パパとママが優しくしてくれたらよかったのに、というとてつもなく平凡な願い。しかしそれが叶えられなかったからこそ、今の彼女があるのだ。
世界中にカルネイジという存在を拡散した、死刑ですら済まされない重犯罪者。殺害した人数を考えれば、恐らくこの世界の誰よりも、いや、それの何倍、何百倍という罪を背負わなければならないだろう。
ただ、その事が知られていないから、彼女は責められないワケであって。
だから。
この状況も、償うという意味では悪くないのだろうか。
そんな思考が脳の根底にあるが、自覚出来ていないイチカは。
巨大な殺戮兵器の中核として、融合させられていた。
――――――場所は、よく分からない。
どこかの研究室の様だが、この兵器が収まるのだから、体育館なんて大きさでは済まされないだろう。ドーム何個分とか、それくらいの話である。
ただそれでいて、日の光は一切浴びることがない。この部屋は、完全に密封されていた。
「…………」
意識すらない。
ただ本能が、何と無く場所と状況を把握しているだけだ。
彼女が融合させられた殺戮兵器は、巨大な『花』の形をしていた。
10枚程度の超巨大な花びらに、それを超える大きさの葉。茎は極太のケーブルが何百本と束ねられて構成されており、それによる花自体の高さが300メートル程。それらは生物的に見えて、表面には回路の光の様なものが透けて見えている。
花びら一枚の大きさが、既に何百メートルという大きさ。その中核、花の中央に、彼女の肉体があった。
傷付き、解放もされないまま融合させられた為、傷は治っていない。だが彼女本人の力により、少しずつではあるが、再生している。
花の中央にはケーブルで出来た壁の様なものがあり、彼女の身体はそこに縛り付けられている。いや、そのケーブルの何本かは、既に彼女の背中へと直接接続されている。時折流れる電気信号に、彼女の身体はビクリと反応する。
腹部から下は、得体の知れない中央の表面へと埋め込まれ、そして一体化してしまっている。機械的ではない、生物的な何かに。
「まだ再生はしとらんのか」
「はい、後数週間は掛かるかもしれませんが……電気信号による命令で、回復速度を早めますか?」
「いや、やめておけ。やっと手に入れた『創造主』の肉体だ。丁重に扱おう。それに、時間は幾らでもあるのだからな」
「はっ」
その殺戮兵器をガラスの外から眺める五十嵐とスタッフ。彼らは何やら意味ありげな会話を続けていた。
「……そういえば五十嵐開発長、イリーナ・マルティエヴナ・アレンスカヤが連れてきた『使用済み実験サンプル』の件ですが……良かったのですか、わざわざ助ける様な事をして」
「心配するな、既に手は打ってある。手術の時、あいつの心臓を修繕する時にある仕掛けをしておいた。あいつはこの『創造主』からは『神』なんて呼ばれていたらしい。それだけの力を秘めていてもおかしくないということだろう。手駒に出来ればこれほど良いことはない」
「そ、そうですか。……しかし驚きましたよ、イリーナ・マルティエヴナ・アレンスカヤが応急処置で出血を止めたとは言え、心臓を貫かれていたのに……」
「あぁ、それはあれだ。イリーナは心臓の真ん中を貫いたのではなく、かする程度に留めていたらしい」
「え?」
「まだまだ情が捨て切れていなかったということだ。まだプログラムの余地が足りなかったかな。……近いうちにもう一度補強する事にしよう。それまでは休ませておけ」
「承知しました」
それだけ言うと、スタッフは消えていく。
誰も居ない部屋で、五十嵐は呟く。
「……イリーナ、せいぜい今のうちに友達ごっこでもしていればいい。だがな、お前らは私が従える。最も難易度の高い『創造主』と違い、お前らは既に私の手にかかった過去がある。楽勝も楽勝、赤子の手を捻るようなものだ」
だから。
だから、確信する。
「私がこの世界を統べるのだ。お前らはその為の駒だ」
そういえばこの少女の父親は、研究に熱心な男だった。
名誉や欲など何一つ無く、ただ研究を続ける男。確か嫁も研究者であり、そしてこの少女も『創造主』になる程の天性のセンスを持っている。
呪われた一族だ。そして純粋な一族だ。
父親である九十九健一は研究というものに全てを捧げ、その娘である九十九一花は、霧島日露の為に全てを捧げた。
だから。
だから、こんな自分のような男に利用されるのだ。
「つくづく馬鹿な男だったな……健一よ」
誰も居ない部屋で、懐かしむように呟いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
呼吸音。
酸素マスクのせいでやたらに大きく聞こえるそれは、病室内に響き渡る。背後の機械が音を鳴らすが、そんなものはこの数時間の間に聞き飽きた。
ただ、その人の温もりがする右手を自身の両手で包み込み、願うだけだった。
「……ヒツユ……」
イリーナのパイロットスーツのような格好は衣服ではないため、彼女はその上に申し訳程度にジャンパーなんかを羽織っている。身体はボロボロだった彼女だが、自らの多少の再生機能により、薄い傷は既に消えていた。
「ごめんなさい、ヒツユ。アタシ、どうかしてたわ。自分の力を過信して、はしゃぎ回って迷惑かけて。そのくせ、未練たらしい事をグダグダ言ってしまって」
力の恐ろしさを、奢ることの愚かさを、今になって知った。
遅過ぎるのだ。
だから、こうやって身近な人が傷付く。
「……アタシ、償いたいの。友達なんかにしてくれなくたっていい、奴隷でもなんでもいい。とにかく……アンタを助けていきたいの。傷付けてしまった事を償う為に」
だから……、と。
消え入りそうな声で呟く。
その白い右手を、イリーナの機械の手で包み、そこに自らの顔を埋める。
「だから……起きなさいよ……! ヒツユ……!」
だが、目覚めない。
ピクリとも反応しない。
死んではいないハズなのに。
無事なハズなのに。
なのに――――――
「……お願い……」
イリーナの悲痛な声が、病室の中で消えていった。