九十九一花
「イチ……カ?」
「そう、イチカ。歳も近いよ」
「……あなたは、なんでこんなとこ――――――」
瞬間、イチカはその白い掌でヒツユの腕を勢いよく掴むと、そのまま後ろへと引いた。突然の行動にヒツユは小さな悲鳴を上げそうになるが、直後に背中から数センチの辺りにカルネイジの腕が降りてきた時、その悲鳴は掻き消された。
「ここは危ないね。少し離れようか」
その声と同時に、イチカはヒツユと共に一度だけ飛び上がり、数メートル程後ろへ後退する。高さは6mを優に越していた。それも、何十キロもあるバスターソードを掴むヒツユを小脇に抱えて。
先程の一撃で激昂した狼型カルネイジは、もはやヤケクソという感じで二人を追う。4メートルの巨体が駆けてくる。その迫力と速度たるや、目を見張るものがある。
しかし、イチカはその笑顔を崩さない。
「あらら……離れるのは難しそうだね。どうしようか……」
もう一度イチカは跳躍する。しかし速度で言えばカルネイジも負けてはいない。むしろ身体の大きさだけで言えば、イチカの方が不利なのだ。歩幅も、速度も、明らかにカルネイジが勝利している。
そして、カルネイジは後を追うように飛び上がる。その右前足を振り上げ、爪を剥き出しにし、イチカ達を引き裂こうとする。
が。
「うわッ!? イチカ前ッ!!」
「焦らない焦らない。……じゃ、こうしようか」
その一言で、不思議とヒツユの焦りが消えた。その勿体ぶったような口調が、こんな危機的状況を無にしてくれるような安らぎを纏っていることを、彼女は知らなかった。
言葉と同時に、イチカは脚を引っ込め、丸まるような姿勢に入る。その一秒後、鋭く尖った爪が縦に襲ってきた。しかし、彼女が脚を丸めたためその攻撃は当たらず、狼爪は空を泳ぐ。
だが、それだけでは終わらなかった。
イチカは空中で一回転すると、ヒツユを抱えていないもう一つの手をカルネイジの爪に掛ける。そのまま腕力だけで自身の身体を放り、カルネイジの手の甲へと着地する。あまりの曲芸的な動きに、もうヒツユは何だかよく分からなくなっていた。というより、方向感覚がおかしくなっている。
そしてイチカはもう一度跳ねる。今度はカルネイジの背中へと。
「どあああああああああああああああッ!?」
投げ出されるように銀狼の背へと着地した(転がった)ヒツユは、イチカに手を掴まれていたため、辛うじて地面へと投げ出されずに済んだ。
「危ない危ない。あともうちょっとでグチャグチャの死体になるとこだったよ」
「ちょっ、なんでこんな場所にうわああああああああ尻尾がぁぁあああああ!!」
ヒツユが何か言う前に、カルネイジの鞭のような尾が、横薙ぎに襲ってきた。彼女は無理やりに自らの身体を起こし、攻撃を避けようと跳ぶ。
しかしタイミングが合わなかった。避けきれなかった脚が尾に引っ掛かり、そのまま引っ張られるように弾き飛ばされる。とんでもない速度で、まるで弾丸のように放たれたヒツユは、ビルの壁へと思い切り衝突する。
「――――――がッ!!」
身体中がギチギチと危うい音を立て、ヒツユは意識が飛び掛ける。バスターソードでさえも手から離れ、3階くらいの高さにめり込んだ彼女は、そのまま崩れるように落ちていく。意識も朦朧としていて、落下を防ぐこともままならない。
ただ。
ただ、落ちていくだけ。
(ぁ――――――――――――?)
しかし、来ない。
いつまでたっても、衝撃が、痛みが。
身体が弾けるような感覚が――――――来ない。
「もう、しっかりしてよ。僕が疲れるじゃん」
薄く瞳を開けると、そこにはイチカの笑顔があった。
自分は抱き抱えられている。そう気付くまで、少しだけ時間が掛かった。
「イチカ……」
「ほら、早く降りてよ。カルネイジが襲ってくるよ?」
「嘘ッ!?」
勢いよく意識を覚醒させたヒツユは、すり抜けるようにイチカの腕から抜け出す。ドスン、と尻から地面に落ち、軽い痛覚に苛まれた彼女は、周りを見渡す。
しかしカルネイジは居ない。一面の夜空が見えるだけだ。よくよく確認すると、ここはビルの屋上だった。血の跡があるのを見る限り、ここは先程イリーナと避難したビルの屋上だろう。
「なーんて、ウ・ソ♪」
下から、カルネイジの呻き声が聞こえてくる。口を開けられないため、まともに吠えることが出来ないのだ。
「はぁ……びっくりしたぁ……」
「あれあれ、ヒツユちゃんはそんな力を持ってるのにカルネイジが怖いのかい?」
「だってイリーナが……そうだ、イリーナは!?」
「別の所に運んだよ。カルネイジを倒したら一緒に行こう」
そう言って彼女は紅い大剣を手渡してくる。尾に弾き飛ばされた際に手から落としてしまったバスターソードだ。
(これも持って……私を屋上まで引っ張り上げたの!?)
ヒツユは驚きを隠せなかった。腕力、身のこなし、全てヒツユのそれを凌駕している。
「……イチカ。聞きたいことが……」
「ちょっと待った。今は奴を倒そうよ。このビルもじきに倒壊させられる。早く倒さないと、僕らが勝てる可能性はどんどん減っていくばかりさ」
ね? と、彼女は一点の曇りもない、最高のニッコリ笑顔を作って見せた。
(……そうだ)
早く倒さないと。
早く倒して、イリーナの手当てをしないと。それに、今は傍らにこんな頼もしい人がいる。
ヒツユはバスターソードを握り、言う。
「……そうだね、倒そう」
「OK。じゃ、行こっか!」