諦め
ヒツユは、その話を最後まで聞き、そして怯えた。
「……な……」
「そして君は僕のものになった。僕だけの、ね」
「う、そ……嘘‼︎ そんな……嫌……」
「嘘じゃないさ。こんな話、実際に見ないと思い付きもしないからね」
それを聞いて、ヒツユはベッドを飛び出す。
「嫌ァッ‼︎」
あの時と同じ様に。
研究所内を、駆け巡る。
(嘘……そんなの……信じないよ……!)
だって。
それがもし真実なら。
――――――ヒツユは既に、一度死んでいるのだから。
この身体は、自分のものではない。
記憶が無いと言うことは。
それはつまり、今ここにある自我は、死ぬ前に存在していたヒツユの自我とは別物ということになる。
死に、そして何らかの原因でまた生き返った彼女の意識は、あの時のヒツユではないということだ。
ということは。
(私は……偽物……⁉︎ 分からない、分からないよ!)
泣きじゃくりながら、研究所内を駆け回る。
ここに居ては危険だ。
イチカ。
彼女が何をしでかすかも分からない。
殺される、なんて生易しいものではないかもしれない。
もしかしたら。
彼女の気が変われば。
ヒツユという存在は一生、イチカのラブドールとして扱われかねないのだ。
だから。
行く当てはなくても。
ここからは、抜け出さなくてはいけないのだ。
だが。
「待ってよ、ヒツユちゃん」
次の瞬間。
イチカが、後ろからヒツユを抱き締めた。
温かい抱擁。だが、その温かさが今は狂気にすら感じてしまう。
「は……離してッ‼︎」
「なんでさ。ここを出て、君はこれから何処に行くつもりなんだい?」
「そんなの分かんない……でも、少なくともここには居たくない‼︎」
「ハァ……分かってないなぁ、ヒツユちゃん」
瞬間。
ヒツユの身体は、イチカによって押し倒される。
まさに、あの時と同じ状況だった。
「僕がその気になれば、君を僕の玩具にすることだって出来るんだよ?」
「――――――ッ‼︎」
それは、嘘ではないと感覚で分かった。
イチカの目は本気の色を帯びていたからだ。
「そうだなぁ、裸にして何処かに縛り付けておこうか。僕の好きな時に、好きな事をさせるんだ。そう、それなりの事もさせるつもりだよ……?」
「……い……や……‼︎」
ヒツユの目に涙が溜まる。
「それとも、君の脳を改ざんして僕に奉仕するようにしようかな。あんな事やこんな事、僕が命令しただけでなんでもするんだ。君がするなら、どんな事でも可愛いだろうね」
「嫌……嫌‼︎ そんな事しない、私はイチカの玩具じゃない‼︎」
「なら、あの時僕の気持ちに応えていればよかったのに。僕だってあんまりそんな事はしたくない。だから、あの時に聞いたのに。帰らないでって、僕の友達になってって」
「でも……その時の記憶なんて無い、あの時の私と今の私は別なの‼︎」
「今の君にもチャンスを与えたじゃないか。でも君は『好きな人がいるから』って断ったんだ。僕以外なんて好きになっちゃいけないのに」
「――――――ッ‼︎」
それは、一週間前程のあれだ。
突然、イチカがヒツユの唇を奪い、そして想いを告げたあの時。
だが、ヒツユの想い人はレオの為、彼女は断った。それが、イチカの気に触ったというわけだ。
「そして、今でも君は僕に抗う事は出来ない。単純な力の差でもね。だから、君はこうして僕に組み伏せられている。今なら、僕は君の身ぐるみ全部剥がして、ここでそういう事したりも出来るんだよ?」
「やだ……嫌だ……!」
それに構わず、イチカはヒツユの衣類を掴む。ほとんどパジャマのような格好の為、真ん中のボタンを無理やり引きちぎるだけで、彼女の肌が露わになる。
「嫌ぁぁぁぁぁッ‼︎‼︎」
思わずヒツユは叫んでしまう。それに疲れ、溜息を吐いたイチカは、
「でも……でも、もう一回チャンスを与えてもいいかな」
「……ぇ……」
その手の力を弱める。
「簡単な質問さ。これに心からYESの気持ちで応えて、これからそれ相応の態度を取ってくれれば、僕は君にありったけの対応をするよ」
イチカは笑う。
「もう一回聞くよ。僕は君が好きだ。この気持ちに応えてくれる?」
それは。
イチカからすれば、あまりに簡単な問いだろう。
はい、と。
そう答えるだけで、ヒツユは最低限の人権を与えられる。
それだけ。
ただ、はいと答えるだけ。
それだけなのに。
「…………ッ」
ヒツユは黙っていた。
何故なら、これはレオを裏切る行為。今、彼が生きているのか死んでいるのかは分からない。だが、ここで答えてしまえば、レオへの好意は嘘になってしまう。
だが。
「……まさか、これでも応えないなんて言わないよね?」
再び、ヒツユの服を掴むイチカの手に力が篭る。イチカの力で少し引っ張れば、衣服は裂け、ヒツユの上半身は露わになってしまうだろう。
ヒツユは。
声を出せない、出したくない。
ここで答えては、レオへの気持ちは歪んでしまう。
でも。
でも。
「……じゃあしょうがないね、ヒツユちゃん。君は今日から僕の――――――」
「…………ぃ」
か細い声。
今にも消え入りそうな、そんな声。
「え? 聞こえないなぁ」
「……は、い……」
「悪いけど、はいだけじゃちゃんと伝わらないなぁ。ちゃんと言ってよ」
そう言いながら、イチカはヒツユの胸の上にその指を乗せ、優しく線を引く。
「っ……私は……」
「私、は?」
くっ、と。
ヒツユは歯噛みする。
だが。
ここでイチカの玩具になっては、もしもレオが生きていても会うことは出来ない。
なら。
「私は……イチカが、好き……です。……他の誰よりも……大好き、です」
瞬間。
イチカはこれまでにないような満足げな笑みを見せた。
妙に妖しげな、その笑顔。
だが、刹那。
イチカは唐突にヒツユにキスをする。
「んっ……⁉︎」
それは、とてつもなく長かった。
ゆうに二分間はあったろうか。微かにしか出来ない呼吸が、まるで欲情した際の吐息のように両者から洩れる。
そしてゆっくりと唇を離したイチカは、まるで嵌めたかのような喜びようで、囁く。
「好きなら……こうしても、いいんだよね」
「…………う、ん……」
表情には出さないが、ヒツユはとてつもなく悔しかった。こうしなければいけないという、自分の不遇さが。
イチカの歪んだ愛情を受け入れなければならないという理不尽さが。
彼女の心を、強く締め付ける。
「じゃ、戻ろう……?」
そう言って、イチカはヒツユの腕を掴み、立ち上がる。
前なら。
それを嬉しく受け入れ、温かいその掌を掴んでいただろう。
なのに、今は。
それさえも、恐怖に感じてしまっていた。
(…………も、う)
ヒツユの瞳に、以前まで無かった感情が現れた。
しかし、それは今のヒツユとして覚醒した時に、そしてあの地獄のような苦しみを味わった際に、常々感じていたものだった。
それは。
(――――――死に、たい)
そうとも知らず、イチカはヒツユの腕を引っ張る。
ここから先は、全てイチカの思いのままだ。
何をしようが、イチカの勝手。
そう。
例え、ヒツユがどんなに嫌がる事だろうと。
それが、恋人であれば行う行為であるのなら。
ヒツユに、拒否権は無い。
――――――イチカは妖しく微笑んだ。




