欠けていた記憶
「……あのさ、ヒツユちゃん」
「んー?」
あの告白、そして拒絶から一週間程経ったある日。
いつもの通り二人で一つのベッドに入り、ヒツユが就寝しようと瞳を閉じかけた時。
イチカが、少し静かに呟いた。
「人間って、何なんだろね」
「なんか哲学だね。私全然分かんないよ」
「僕らはどちらでもない存在。でもさ、それってどちらでもある存在って事だよね」
「そうなのかな」
ヒツユは長くなるかと思い、イチカの方を向く。彼女は眠たげな瞳を擦り、欠伸をする。どうやら、あまり重要な話でもないようだ。
「だからさ、僕はどっちも好きじゃないんだ。カルネイジもいらないし、人間もいらないと思う。僕と君さえいれば、それでいいんじゃないかな」
「……それ明らかに歪んだ考えだよね。私はカルネイジが嫌いで、人間が好き。だから、私は人間を守りたくて戦ってる。カルネイジは人間を滅ぼしかけた、本当に害悪な奴らなんだから」
「でもさ、それは君の本心じゃないと思うんだ」
「え?」
目に掛かっている髪も気にせず、イチカはヒツユの頬に触れる。
「君の本心はさ、何も信じられないってのが正直なところじゃないの? 君は空中庭園で、人間にとても酷い事をされた。違うかい?」
「……そんなこと、ないよ」
「だったら、なんで震えてるの? その時の事を思い出して怖いんじゃないのかい?」
「……違う……!」
そうは言いながらも、その瞳には涙が浮かぶ。
「それより、なんでイチカがそんな事知ってるの? イチカと会ったのは何ヶ月か前、空中庭園から降りた時だけじゃん……」
すると、イチカは溜め息をつく。
「はぁ……あのさ、僕言ったよね? 君と初めてちゃんと話した時、『僕達は最初の友達同士だったんだよ』って。なのに君はそれを否定した。だから、そこから話が進まないんだよ」
「でも、だって……覚えてないんだもん。いつからか……そう、空中庭園で目覚めた時より前の記憶。何もかも、全く覚えてない……」
「……そっか。きっと空中庭園の人間に記憶を消されたのかもね」
イチカは、ヒツユの身体に手を回し、抱き締める。
「……なら、あの時の話をしてあげるよ。昔話の続き……いや、答え合わせ……かな」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
最初の出会いは、イチカが閉じこもっていた地下室。
そう、地下研究所。
あの昔話は、やはりイチカの物語だったのだ。
学校にもいかず、地下にこもって研究ばかりしていた頃。たった一匹の黒猫を傍らに佇ませ、ひたすら研究をしていたあの頃の話だ。
「……ね、クロ。今日は良い結果が出そうだよ。楽しみだね」
フラスコ片手にボールペンで書き込みながら、中学生程の年齢のイチカは黒猫に話し掛ける。
その黒猫の名はクロ。黒いからクロという、余りにも安直で面白みの無い名前だ。
クロはマイペースな調子で辺りをうろつきながら、人懐っこい鳴き声を上げる。イチカに懐いているのだ。
「あはっ、可愛いやつだなぁ。ほら、おいで」
チチチチッ、と舌を鳴らし、両手をクロへと広げる。クロは躊躇いもなくそこに飛び付き、たちまちイチカの肩に飛び移った。
「……お前と僕だけの場所だよ、ここは。父さんも母さんも、ここには絶対入れないからね」
少しトーンを下げ、イチカは呟く。
この場所は、イチカが父親に与えられたもの。研究者の両親、その娘であることを見込まれ、こんな地下の研究所に居ることを余儀無くされた。学校など行かなくてもよかった。その代わり求められたのは、世間を驚かせるような研究成果。
そして彼女は、とある細胞を開発した。それは人類を進歩させるような、とんでもない研究成果だった。
『身体再生細胞』。
そう彼女は名付けた。それもくだらないネーミングだった。身体が再生する細胞だから身体再生細胞。イチカはそんな研究成果などどうでもよかったからだ。
とにかく。
この時のイチカは、何かに飢えていた。
なんというか、生活が無気力。尚且つ、非生産的なのだ。
こんな事をしていて何か意味でもあるのだろうか。
そんな問いを繰り返す。
そのうち、自分の存在の価値を考え、そして怯える。
だが。
「痛ぇッッ‼︎⁉︎」
それを晴らす存在が、すぐに現れた。
「ッ⁉︎」
イチカは怯える。
突然の悲鳴。それは、家の内部と通じている梯子から聞こえてきた。
普段は滅多に使用しない、閉じられた扉のようなもの。
だが。
扉は、開かれたのだ。
「つつつ〜ッ…………!」
そこには、自分と全く同じくらいの少女がひっくり返っていた。Tシャツに短パン、そして茶色い髪にアホ毛が特徴的な少女だった。
「……ぁ、あの……だい、じ……ょう、ぶ?」
「大丈夫じゃないかも……ってああああああああッ‼︎ 居た! やっぱり居たじゃん!」
「〜〜ッッ⁉︎」
いきなり大声を浴びせられ、イチカは涙目になる。クロは彼女の肩の上からそのアホ毛の少女を警戒し、威嚇する。
「あ、あー。な、泣かなくてもいいじゃん……人見知りが激しいなぁ……」
「だ、誰……なん、で、ここに……⁉︎」
「そんなにオドオドしないでよ、こっちが傷付くじゃん」
「いや……でも、そん、な……や、ぁ……う、うう……」
「何もしてないのに泣かないでー⁉︎」
イチカは家族以外との何年ぶりかの会話に、驚くほど順応することができなかった。しまいには泣き出す始末だ。それは、この少女の話し方がグイグイ来る方だからかもしれない。
すると。
イチカが泣き止まないのを見て、少女は自己紹介をし始めた。
「私の名前はね、霧島日露っていうの。一応、あなたのクラスメイトなんだけど……知ってる?」
どうやら彼女は、名前だけは学校にあるイチカのクラスメイトらしかった。始業式から登校せず、その後もずっと家に篭りっぱなしのイチカを心配してきたらしい。
「知、ら……ない……」
「そりゃそうだよね。だって始業式から学校来てないんだもん。何かと思っちゃったから、そのまま九十九ちゃん家に潜入しちゃった」
「潜入……って……」
イチカは目を擦りながら聞く。
「ふっふーん、九十九ちゃんのお父さんが家を開ける瞬間にこの家に忍び込んだのだよ。誰にも気付かれずにねん」
自慢げに説明をするヒツユ。だがイチカの表情が晴れないのを見て、彼女も説明する気が失せる。
「……ねぇ九十九ちゃん。なんで学校来ないの? まだ一回も来てないよね? このままじゃ楽しい中学生生活をエンジョイできないよ!」
「……僕……ここ、から……出られないから……」
「なんで?」
「学校なんか行かなくてもいいから……研究だけしてろって。パパとママに、そう言われたから」
「……モンスターペアレンツ発覚。マジすかー、そんな理由だったんだ。……でもさ、研究者の娘だからって研究しかしちゃいけないってのは……ねえ」
ヒツユは少し怒ったような表情を浮かべる。それに対して、イチカは疑問を抱く。
何故。
何故彼女は、赤の他人である自分の為に、そこまで怒る事が出来るのだろうか。
意味が分からない。自分なら、どうでもよくなってしまうのに。
「……あ、でもすごーい! ここ、色んなのがある! 学校の理科室よりなんでもあるよ!」
「う、うん。……あ! それ触んないで!」
「なんで? ちょっとくらい――――――」
それは、先程イチカがいじっていた試験管である。ヒツユはそれを持ち上げ、中身を透かして見る。
が。
それは指と指の間を滑ると。
思い切り床に叩きつけられ、割れた。
「〜〜ッ‼︎」
イチカは再び涙目になり、ヒツユの肩を掴んでブンブンと揺する。
「ご、ごめん……」
「ひどいよ! わざとでしょ今の! せっかくいい結果が出そうだったのに……ふぇぇえええええええん」
「で、でも……なんか元気になったね」
「怒ってるの‼︎」
「許してください」
「許さない‼︎」
すると、ヒツユはイチカの手を掻い潜り、研究所内を走り回る。いい加減堪忍袋の緒が切れたイチカは、両腕をブンブンと振り回しながら追い掛ける。
「待てぇーー‼︎」
「待たなーい!」
普段運動などしないイチカがヒツユに追い付けるハズもなく、だんだん距離が離れてく。その遥か彼方でヒツユは、
「ほら! こうやって遊んでる方がイキイキしてるよ!」
「あ、遊んでないのっ! 怒ってるの‼︎」
だが。
イチカの心の何処かで、感じていた。
――――――自分に足りなかったのはこれだ、と。
他人との触れ合い。
生の感覚。
喜怒哀楽を表す相手。
だから。
イチカは、心の底では嬉しかった。
それは。
イチカの口元が緩む形で、外に出た。
それから、イチカはヒツユを捕まえた。油断していたヒツユが、この研究所内を知り尽くしているイチカに勝てるハズがなかったのだ。
イチカはヒツユに飛び付き、その身体をガッチリ掴んだ。
「うわぁっ!」
「ハァ……ハァ……つ、捕まえた……!」
「あはは、捕まっちゃったぁ……」
「はは、あははは……!」
それから。
二人は、腹の底から笑い合った。
イチカは、足りない何かを見つけ出した気がした。