少女の告白、姉弟と機甲少女の戦線
「……ん」
目を覚ました時は、既にのぼせた感覚は消えていた。
額にはたくさんの冷たい氷を袋に入れ、乗せてあった。
「ヒツユちゃん、大丈夫?」
「……イチカ……」
バスタオルを身体に巻いたイチカが、問う。
その心配した表情に、ヒツユは気の毒な気分になる。
が。
「……っていうか、こんな事になったのはイチカのせいじゃん。もう、許さないんだから」
「ええっ⁉︎ ごめんって、許してよ〜!」
「ダメー」
ヒツユは意地悪そうに笑う。のぼせさせたばかりか、後頭部を強打させたのだ。これくらいは当然だろう。
(明日まで許してあげないんだから。ふふん、たまには見返してやらなきゃ――――――⁉︎)
と。
その時。
イチカの唇が、ヒツユのそれに重なる。
(ッッ……‼︎⁉︎)
「ん……んっ……」
突然の出来事だったため、数秒間は息をすることを忘れていた。イチカの荒い呼吸音が、静寂に響き渡る。
そして、ゆっくりと離される唇。
「……これで……許して、くれる?」
目を薄く開き、頬を火照らせながらウットリと呟くイチカ。ハァ、ハァ、と息が掛かる。そんな小さな吐息に当てられ、ヒツユは正常な判断力を失ってしまう。
「う、ん……」
思わず答えてしまう。なんだかこちらもウットリとしてきて、息がどんどん荒くなってしまう。
「ごめん……我慢できなくて……」
「……ってちょ、なに⁉︎ いきなり何なの⁉︎」
ワンクッション置いた後に正常な思考を取り戻したヒツユは、驚いた表情でイチカとの距離を置く。物凄い勢いでベッドから転がり落ち、壁まで後退したのだ。
が。
「ダメ、かな。ねぇ、ヒツユちゃん……」
両手をヒツユの顔の横に突き、身動きが取れないようにするイチカ。『ひっ』というか細い声を出すヒツユに、またもやイチカは心を奪われた。
「僕は……君が好きでたまらないんだよ……」
「ちょ、ちょっと待って……私にそういう趣味は……」
「趣味なんかじゃない、本気さ。君だけを想って、僕は今まで生きてきたんだ」
「で、でも……」
「ねぇ、ヒツユちゃん」
そう呟くと。
イチカは、ヒツユの額に自らの額を当て、吐息を掛けるような声で囁く。
その紅い双眼は、真っ直ぐにヒツユの双眼を見つめて。
右手はヒツユの茶色い髪に触れ。
左手はその震える肩を押さえ。
怯えるヒツユの脚の間に、自らの脚を入れ。
まるで圧迫するかのように。
追い詰めた、とでも言うかのように。
「僕の事……好き?」
そんな問いを、持ち掛けた。
これは何も、好きという答を強制しているわけではない。今のヒツユの気持ちを、イチカが知りたいだけ。そしてそれが少しでもイチカの思い通りに運ぶように、彼女が外的要因から可能性を高めていっているだけ。
ごく自然な行為。
スピードのある動きで縛りが緩んでしまったのか、バスタオルははだけ、イチカの胸元が露わになる。
そんな、誘惑とも取れるような行為に、ヒツユは。
「――――――好き、だよ」
その瞬間、イチカの表情はパァ、と晴れる。
逃げられないように包囲した両手で、抱きしめようとする。
が。
「でも、それは友達として……かな。私たちはそんな関係じゃないし、私はなりたくない」
「――――――!」
叩き落すような言葉。
気分を台無しにするような、そんな言葉。
「……いつまでも純粋に、友達としてのイチカが見ていたいな。ちょっとスキンシップが過ぎるけど、でも優しくて友達思いな、そんなイチカの事をね」
「……っ、なんで……」
恋人としてじゃいけないのか。
まさか同性だからという理由だけか。
そんな。
そんな。
「……それに、」
すると、ヒツユは頬を赤らめて、呟く。
「私、好きな人いるんだ。私の事が本当に大好きだって言ってくれる、格好良い彼がさ」
その瞬間。
イチカの何かが、壊れた気がした。
「……う、そ……」
がくり、とうなだれるイチカ。ヒツユを囲むようにしていた両手を、床へと力無く降ろす。
「そんな……事って……」
雫。
それは涙。
落ちる。
ポタポタ、と。
哀しみを乗せて。
「……僕は……君だけの……為に……今、まで……」
「…………もちろん、私はイチカも大好きだよ。でも、恋愛感情を向ける事は出来ない。私が恋愛的に好きなのはレオ君だけだから。一人だけだから」
慰めるようなトーンで、ヒツユは言う。
「でもありがとう、イチカ。感謝してる。イチカが私を助けてくれなかったら、私は今頃死んでいた。だから……」
ヒツユは、ゆっくりと身体を起こす。
のぼせた為に火照った身体。
それを、イチカの身体に押し付ける。
その両手で、抱き締めたのだ。
「……抱き締めることは出来るよ。でも、キスはダメかな。本当はレオ君の為に取っておきたかったんだけど、仕方ないね」
優しい、落ち着く声。
でも。
それはやんわりと、イチカの恋を拒否していた。
そして。
そんな慰めなど、イチカの心には響いていなかった。
呆然とした表情のまま、イチカは考えていた。
(……殺す。レオ、だっけか。絶対に殺す。僕のヒツユちゃんを奪いやがって……許さない……!)
彼女の紅い瞳の奥に。
復讐が、宿った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
が、当の本人は。
そんな場合ではなかった。
「危――――――なッ⁉︎」
ビームソードが、レオの鼻先をかする。
腰を背中側に曲げ、ブリッジの要領で攻撃をかわしたのだ。
(ガチで死ぬってこれは‼︎)
そのままレオは両手を地面につき、バネの様に力を込める。そして、反動で突き出した両脚を、黒装備のロボットに命中させる。
ロボットの装甲も流石にレオの脚力を無力化するには至らないのか、数メートルは弾き飛ばされた。
そして。
「今だよお姉ちゃん!」
「任せてっ‼︎」
そう言うと、アミは自らの尾を伸ばす。いつの間にか九本に増えていたその尾は、真っ直ぐと。
レオが弾き飛ばした黒装備のロボットへと向かう。
だが。
「っ――――――が⁉︎」
突如、アミは痛みに顔を歪める。
それもそのはずだ。
現れた二体目の黒装備のロボットが、ビームソードでその尻尾を斬り落としたのだから。圧倒的速度の剣さばきで、九本全てを。
「ぐっ……あ‼︎」
死ぬ程の痛み。
尻尾とはいえ、身体の一部である。
「お姉ちゃん‼︎」
枯らすように叫ぶレオ。だが、そうも言ってはいられない。
レオはその瞬発力を生かし、飛び出していった。
剣でアミの尻尾を斬り落とし、半ば無防備な状態の黒装備に。
だが。
機械音の後。
蹴り飛ばされた方の黒装備が、レオの目の前に現れる。
「な――――――」
何か声を出す間も無く。
レオの身体は、放射線状に蹴り飛ばされていった。
吐血。
腹部を強力な力で攻撃された彼は、口から赤黒い血を吐きながら墜落する。
「レオッ‼︎」
アミは、迷わなかった。
カルネイジの力を宿した彼女なら、弟である彼を守ることが出来る。彼女は強靭な脚力を活かして飛び出し、空中で彼の身体をキャッチする。
「お、姉ちゃん……」
「レオ‼︎ 大丈夫⁉︎」
「敵……が……」
その言葉の通り。
二人の前と後ろに。
黒装備のロボットが二体とも、脚を構えて現れる。
恐らく二体で挟んで蹴ることによって、彼女らの身体を蹴り潰すつもりなのだろう。
だが。
「大丈夫」
アミは、笑っていた。
「それが狙いだから」
「え?」
次の瞬間。
アミの黒い尻尾が、二体の黒装備の胸部を貫く。
「空中なら、避けることも出来ないでしょ」
そう。
アミは二体を一網打尽にするために、空中を選んだ。空中ならば足を着ける場所が無いため、咄嗟の回避が出来ないと踏んだのだ。
そして、それは正しかった。
が。
「お姉ちゃん、危ないッ‼︎」
レオは姉の腕を掴むと、一体の黒装備の顔面を蹴り、頭上へと跳ぶ。それに引かれるように、アミも跳ぶ。
そして、彼女にかするかかすらないかくらいのタイミングで。
「……っ⁉︎」
二体の黒装備が握り締めたビームソード。その光の刃が、アミがいた場所で交差する。
しかし、レオの賢明な判断が功を奏した。
結果、二体の黒装備のロボットは、お互いの顔面を貫き、自爆した。
その爆発は、その言葉からすれば小さいものだったかもしれない。
だが。
そのすぐ頭上を跳んでいた二人を弾き飛ばすには、十分な程の威力だった。
「「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ‼︎⁉︎」」
弾き飛ばされる。
発電塔の防護壁、その厚みよりも遥か遠く。
「くっ――――――そおおおおッ‼︎‼︎」
レオを抱きながら、アミは自身の尻尾を限界まで伸ばす。せめて、壁にそれを突き刺し、喰らい付けるように。
だが、無理だった。
殆どギリギリで、届かなかったのだ。
(あー……。ダメだこれ、死んだわ)
諦めが見えた。
アミは、静かに目を閉じた。
何百メートルもの壁を、物凄い勢いで落ちていく二人。
このまま絶命してしまうのか。
重力によって、肉片も残さずに叩き潰されるのか。
そう、思った。
彼女が、助けに来るまでは。
『レオ! アミ!』
それは。
辛うじて意識を留めていたアルマが乗っていた、『クリムゾン』だった。
もはや武器など持ってはいない。
その何も無い機械の両手を、二人を救い上げるように重ねながら。
二人を、包み込んだ。
ゆっくりと、その冷たい両手に着地したアミは、安堵の息を吐く。
「た、助かったぁー……」
『危なかった。落ちたら、死んでた』
「分かってるよそんなの……ってかレオ、大丈夫⁉︎」
アミはギュッと抱きしめていたその腕を離し、レオの表情を伺う。
大丈夫、死んではいない。
(けど、気絶してる……)
そう。
メンタルが弱いレオは、この死の絶望に耐え切れず、泡を吹きながら気絶していた。まさに顔面蒼白、といった表情である。
(……強いんだか弱いんだか)
しかし、アミは感謝していた。彼が腕を引っ張ってくれなければ、彼女は死んでいたに違いない。
光の刃に貫かれて。
そう考えると、全身の毛が逆立ってしまう。
「ありがとうね、レオ」
アミはレオの額にキスをした。
親愛の証。
なんだかんだ言って、守ってくれる。
そんな、弱いけど強い存在。それが、レオなのだ。
きっとヒツユも、そこに惹かれたのだろう。
『……じゃあ、踏ん張ってて。どこかにしがみついてた方がいいと思う』
「へ……って、うあああああああああああああああああああああああああああああああああああッ‼︎⁉︎」
『クリムゾン』内蔵のジェットパックには、空を飛ぶ程の力は無い。
だが。
壁に喰らい付き、尚且つジェット噴射をすれば、極限までスピードを弱めることが出来る。
アミとレオを片手に乗せ、もう片方の手と両足で壁に摩擦を加える。壁に向かうように噴射を加え、弾き飛ばされるのを防ぎ、別のジェットは全て重力に抗うように噴射する。
『〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎』
ガガガッッ‼︎‼︎ という轟音が、壁を伝わり響き渡る。
だが、壁にはヒビすら入らない。さすが幾多のカルネイジから発電塔を守っていただけの事はある。
そして。
徐々に、スピードが落ちていく。
(……行ける! これなら……)
が、その時。
下から、予想外の攻撃が襲い掛かる。
(ッ⁉︎)
突如、瓦礫が飛んできた。
横のジェット噴射を加え、紙一重で回避する。瓦礫は弾かれ、砕け落ちる。
(ぐっ……何が……!)
そこには、一体のカルネイジがいた。
大型だ。元はゴリラなのだろう、それらしいフォルムをしている。だが腕の筋肉は異常に発達し、全身の毛が逆立っていた。八メートルはあろうという体躯。そして、紅く光った瞳。
(ゴリラ型カルネイジ……⁉︎ デカすぎる、『クリムゾン』よりもデカイだなんて)
瞬間、アルマは戦う事を決断する。大剣はアミとレオを救うのに邪魔で置いてきてしまったが、その気になれば肉弾戦でも何とかなるだろう。
アルマは『クリムゾン』を操作する。手に乗った二人を腹部のハッチから中に乗せると、身体を半回転。壁に喰らい付くような姿勢から、壁を蹴り、飛んでいくような姿勢に変更する。
ブースターも目的に沿うように噴射する向きを変える。そう、『クリムゾン』の動きを後押しするように。
ダンッッッ‼︎‼︎ という音。
それと同時に、その赤くて巨大な機械は、それ以上巨大な化け物へと向かっていく。ジェット噴射による黒煙と赤い炎が尾を引き、まるで赤い流星のようだ。
『クリムゾン』は、その鋼鉄の拳を握り締め、引く。
『死ッ……ねぇぇぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッッッッ‼︎‼︎‼︎」
ゴリラ型カルネイジまでは十何メートルもない。
刹那。
その区切りで、拳は届くのだ。
が。
その鋼鉄の拳は、もう一つの拳によって相殺された。
そう、ゴリラ型の拳である。
『なっ……⁉︎』
だが、アルマもこれでは引き下がれない。もう一つの拳を引き、ゴリラ型を殴り飛ばす為に力を溜める。
しかし。
彼女は、気付かなかった。
既にゴリラ型の拳が、『クリムゾン』の頬の部分に突き刺さっていることに。
『な……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ‼︎⁉︎』
予想外の痛手。
生物の所業とは思えぬ速さに、『クリムゾン』は弾き飛ばされる。その身体は発電塔の防護壁に突き刺さり、ずり落ちる。
『……く……そ……!』
「し、死ぬ……冗談じゃなく死ぬよこれ」
アルマが背後に注意を向けると、何処かにぶつけたのか額から血を流すアミがいた。レオはがっちり抱いていた為に安全だったらしい。
(やば、忘れてた)
「その顔完璧に忘れてたよね⁉︎」
相手の考えを見透かすのが得意なのか、僅かに表情が揺らいだだけで感づくアミ。ただでさえ表情のバリエーションが極度に少ないアルマなのに、それに気付くのは、やはり相手への気遣い、思いやりに特化したアミだからこその特技なのだろうか。
しかし、何はともあれ、こんな状況では呑気に彼女についての考察などしていられない。
(……ここから逃げてもいいけど、どうせ安全な場所なんて探さなきゃないんだから。倒しといた方が、安全。追い掛けてくるかもしれないし)
アルマは決意し、操縦席の手すりを握り直す。脳内回路で『クリムゾン』をコントロールするアルマには、それを握り直すかどうかなんて些細な違いですらない。が、彼女の僅かしかない感情、気持ち。それらを落ち着かせる為には、気休めでも必要な行為だった。
「……あいつを倒す。アミ、しっかり捕まってて」
放送越しではなく、直接声で安心させるアルマ。
「分かった。レオは任しといて」
「別にそんなの気にしてないけど……でも、守ってみせる」
何故、この二人を守ろうと思ったのだろう。
自分は発電塔を守る事だけが仕事の、悲しい防衛システムだったのに。
――――――あぁ、そうか。
姉も死に、全てが消え、自らの命すら消費し終えようとしている今だからこそ。
何か、役割が欲しかったのだ。
防衛システムの欠片として生まれた少女だからこそ。
誰かを、守りたかったのだ。
(……気付いたら、案外どうでもいい動機だったかも)
しかし。
この命が燃え尽きるまで、この二人は守ってみせる。
イリーナは消えてしまった。なら、せめて他の当てが出来るまでの間は。
「絶対に……守ってみせる」
猛烈な勢いでドラミングするゴリラ型カルネイジを目の前にして。
彼女は、操縦席の手すりを固く握り締めた。