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少女の考え事

チャポン、という音。

水滴が水の上に落ちた音だ。

その音は反響し、辺りに響き渡る。なんのことない小さな音は、ヒツユの心に何気無い安らぎを与えた。

「……はぁ。気持ちいー」

風呂なんて、地上に降りてから何ヶ月ぶりだろう。いつも簡易なシャワー、時にはペットボトルの水を被るだけで満足していた彼女は、身体全体がゆっくりと温まる感覚に久しぶりに出会ったのだ。

すっかり顔を火照らせ、気持ち良さそうに鼻歌なんて歌う彼女は、しかしその笑顔を曇らせる。

(……イチカの話……)

そう。

少女が家族と暮らし、歪み、そしてもう一人の少女と共に全てを壊す話。しかも話から察するに、どうやらそれがカルネイジ誕生の原因らしかった。

(誰の話なんだろう……空中庭園から来た女の子が私だとしたら、合流したのはイチカ。つまり話の娘はイチカ? けど、女の子はクラスメイトだったワケだし、それだったら同い年のハズ。私とイチカは歳が近いけど同じってワケじゃないし……でも研究施設っていうのはたぶんここで……)

考えが絡み、詰まり、混乱する。

推測は出来るのに、矛盾が発生して解けない。それの繰り返し。

(うーん‼︎ 全っ然分かんない‼︎)

濡れた髪の毛をくしゃくしゃと掻く。苛立ちが(あら)わになるが、それもすぐに収まる。

(……イチカは何であの話をしたんだろ。今までここにずっと一人で、話足りなかっただけ? でも、何もあの話である必要は無いよね……)

湯船の中で脚をたたみ、体育座りのような姿勢をとる。

落ち着く時はいつもこれだ。膝と膝の隙間に顔をうずめ、視界を真っ暗にする。何も見えない事によって、全ての感情を消す。

これは、ヒツユの人生の中で一番辛かった期間に身に付けたもの。自らの人権が失われていた時に身に付けたもの。

自らの身体が傷付けられていた時に、用いていたもの。

(……まだ、誰にも話してない。私だけの、嫌な過去)

きっと。

この話をして。

受け入れてくれる人なんて、誰も居ないだろうから。

だから、誰にも、イリーナやレオにさえ、教えた事はなかった。

しかもそれを口に出すだけで、身体中が鳥肌を立て、息苦しくなり、正常な思考を保てなくなる。

それほどまでに狂気じみた、最悪の過去。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



そんな過去は、始まりから最悪だった。

(……?)

目が覚めたのは、冷たい床の上。

頭がガンガンする。身体が怠い。起こすことにさえ、体力の半分を使ってしまいそうだった。

次に、自分の身体を確認する。

両手両足はちゃんと存在している。だが、それらの四肢全てが、黒い枷の鎖によって繋がれていた。

(こ、れって……)

服は白いワンピースを一着着ているだけ。下着などつけてはいない。肌寒いという感覚が、一気に身体を貫いた。

今いる部屋は、やたらに広い場所。ちょうど、体育館程度の部屋。排気口が一つあるだけで、他は何も無い、ただの冷たい部屋だった。

(わ、た……し……)

更に、絶望するべき事はもう一つあった。

(だ……れ……?)

記憶が、無い。

自分が誰かも。

ここがどこかも。

それらが何一つ、浮かんでこない。

『試験体、目覚めました』

『よし、分かった』

その時、聞き覚えの無い声が聞こえた。

それはこの部屋の上部。横に長い、ベランダの窓くらいに設計されたガラスの向こう側に、人が一人立っていた。

姿形はよく見えない。視界が不明瞭なせいか、それともガラス自体が向こう側をよく見せない仕組みになっているのかは分からない。

しかしマイクか何かを通しているのか、彼の声は鮮明に聞こえた。

『ようこそ、空中庭園へ。唐突で悪いが、少し確認をさせてもらいたいのだが……』

「……?」

彼がそう言うと、彼女の目の前に変な装置が伸びてきた。床が開き、そこから飛び出してきたのだ。

『そこに指を置いてくれ。どの指でもいい』

「……う、ん……」

意味が分からずに困っていたが、とりあえず人差し指を置く。

すると、何やら小さい痛みが指を貫いた。

「――――――痛ッ!」

思わず指を離す。そこには、よく見ないと分からない程に小さい刃が突き出ていた。彼女が指を置いた事に反応し、一瞬で切りつけたらしい。

「なん……で……」

『悪いな。少し確かめたい事がある。切った指を確認してくれないか』

指の腹を見る。そこには当然の事ながら、切り傷が存在していた。血の(しずく)が一滴、彼女の指を滴っていく。

だが。

その傷は一瞬のうちに消え、次の瞬間には塞がってしまっていた。

「……塞がっ、た……?」

『……やはりそうか。ヒツユ、君にはこれから研究に付き合ってもらう。君に秘められた力の研究だ』

「ヒツ、ユ……? 名前……? わた、しの……?」

『なんだ、自分の名前も知らないのか。国のデータで調べた時、君の名前が発覚している。霧島(きりしま)日露(ひつゆ)、それが君の名前だ』

それが、名前だった。

最初に手に入れた知識だった。

『確か、五年前に行方不明となっていたな。それが二年前のカルネイジ大発生の際に発見されたわけだ。そして再び人の前に姿を現した君は、奇妙な能力を備えていたわけだ』

「奇妙、な……?」

『そうだ。「身体再生能力」と我々は名付けた。ベタな名前だがね。君は身体を傷付けられても、すぐに再生するようになっているらしい』

「……?」

『つまり、今の君の指のように傷付いても、すぐに治ってしまうのだよ』

いまいち、実感が持てなかった。

そもそも記憶が無いヒツユには、それが普通か普通でないかすらも分からなかった。

そしてその発見から。

彼女は、血と痛みの生活を続ける事になる。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



(……あれから、私は恐かった)

最初は麻酔を打たれて、指を切られた。目隠しをされ、何が起きているのか分からなかったが、指に何かされたのは分かった。

しかし、その数分後、突如指に激痛が走った。それが、再生する感覚なのだろうと知った。

次は二の腕。同じく痛かった。

その次は腕全体。

それから何十回と試され、そろそろ麻酔も効かなくなっていった。それから更に何十回、今度は切られる痛みに慣れてしまっていた。

累計何百回の時には、ついに再生の痛みにすら慣れてしまっていた。

どんどん、実感していった。

自分は、普通ではない。

化け物なのだと。

そして研究者に明かされたのは、それはカルネイジと同じ力だということ。同時に、カルネイジが人間に及ぼした大罪について教えてもらった。

ますます、恐ろしくなった。

自分は、カルネイジなんだ。人類を蹂躙する、化け物なんだ――――――と。

だから。

そのうち、認めてしまっていたのだ。

これは、当然の報いなのだと。ただの怪物である自分にとって、当然の痛みなのだと。

研究が終わり解放されても、その気持ちは晴れなかった。自分は何をすればいいのか。どうすればいいのか、と。

そんな折、『地上掃討軍』の存在を知った。

罪滅ぼしをすればいいのでは、と思った。

(そう、罪滅ぼし。カルネイジがカルネイジを倒すのは、罪滅ぼしになるんじゃないかな、って)

だから『地上掃討軍』に入った。『地上掃討軍』の規定にはちょうど良く、更に人員不足だったらしい。カルネイジの力のせいかパワーだけが取り柄な彼女を、歓迎してくれたのだ。

その時出会ったのが、先生。名前は忘れてしまった。呼び名が決まって『先生』だった為、記憶になかった。

彼は過去にあったカルネイジの氾濫や破壊の歴史、そこからどう人間が生き残ってきたのかを教えてくれた。見覚えがあるような無いような、変わった人だった。

そしてイリーナと出会い、地上へ降りたのだ。

(……やっぱり、よくわからないなぁ。ここまで考えても、イチカの話と合わさんない。大体、初めからいきなり記憶が無いんじゃ、ダメなんだよ)

湯船に目の下まで浸かり、ブクブクとあぶくを出す。

(ていうかそろそろのぼせそう。頭洗ってそろそろ出ようかな――――――)

その時。

「ヒっツユちゃーん♪」

「ッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」

バタァンッッッ‼︎‼︎‼︎ と勢い良く風呂場のドアが開き。

そこから、生まれたままの姿のイチカが飛び出してきた。

そのままヒツユに抱き付いたイチカは、二人で湯船に突っ込んだ。何やら鈍い衝撃音が聞こえたが、イチカには聞こえていない。

「もうね! ヒツユちゃんが風呂に入ってるのに僕が入らないワケにはいかないと思ってね! 入っちゃった!」

「入っちゃった! じゃないから!」

「いいじゃんヒツユちゃん、一緒に汗を流そうよ〜!全身の汗を! 洗いっこしよう!」

「なんか危険な香りがする⁉︎」

「あんなところやこんなところを洗ってあげるから早くしよう! 今! さぁ‼︎」

「まっ、ちょ、ひぁっ! ど、どこ触って……あ、ひぇ……」

瞬間。

意識が遠のき、ドブン‼︎ と湯船に仰向けのまま頭を突っ込んでしまう。

のぼせてしまったのと合わせて、イチカが飛び込んで来た時に後頭部を強打してしまった余波が、今更来た。

「ひ、ヒツユちゃん! 大丈夫⁉︎」

(誰のせいだと思って……あ、だめ……死ぬ……)

どうでもいいことで死を覚悟したヒツユは、気を失ってパタリと倒れる。

「ヒツユちゃぁぁぁあああーーーーん‼︎‼︎」

イチカは叫ぶが、ふと気付く。

(……待て、今は千載一遇のチャンス。ヒツユちゃんの身体は僕に委ねられている)

そんな可能性に気付いてしまう。

「……と、い・う・こ・と・は……☆」

どうされても抗えないヒツユに、イチカはいけない想像をしてしまう。

ヒツユの純情は、イチカの手の中なのであった。

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