愛を求める少女、力を求める少女
その夜。
椅子に座って作業をしていたイチカは眼鏡を外して、一息吐く。机の上には何枚かの紙とシャープペンシル。そして、今しがた彼女が外した赤縁の眼鏡だ。
「……はぁ、疲れた」
人差し指と親指を瞼に押し当て、彼女は呟く。
そんな瞼の裏に、昼頃のヒツユの表情が浮かぶ。昔話の意味が分かったような分からなかったような、そんな疑問の表情だ。
「自分語りも、隠すところを隠せば楽しいものだね」
机の上の紙、それに記された内容に目を通しながら、イチカは言う。誰にでも無く、ただの独り言を。
その紙には、これからの予定……というか、目標というか、野望が記されていた。
(世界を僕とヒツユちゃんだけにする計画、か。我ながらダイナミック過ぎる計画だなぁ)
それの成就にはもちろん、ヒツユの協力が必要だ。そう、少女ではなく、神の協力が。
端的に言えば。
この世界が二つのグループで構成されているとして。
まず一つのグループを、もう一つのグループによって潰し。
残ったグループも、ヒツユの力で滅ぼす。
(だけど、それにはヒツユちゃんが神の力を操り、尚且つ……)
イチカはニヤリ、と笑う。
(僕以外いらない、そう信じ込ませるようにしなくちゃならない)
「単に頭ん中をいじっちゃえば簡単なんだけど、そんなんじゃ成功とは言えないしね。僕とヒツユちゃんの二人だけの世界を本当に喜べないから」
イチカがヒツユを愛して。
ヒツユがイチカを愛する。
そんな状況が、必要なのだ。
その為には、ヒツユを愛しながら屈服させなければならない。イチカの手で。他に何も要らないように。
幸い、ヒツユはイチカ以外からの愛をあまり受けていないようだ。というか、今まで受けていたそれを、ヒツユは全て破壊し尽くしてしまったらしい。
神の力で。
「……そろそろ寝るかな。時間は沢山あるし、ゆっくりと慣らしていけばいいさ」
イチカは席を立つと電気を消し、その部屋を抜ける。
長い廊下を抜け、寝室へと入る。
そこにはもちろん、ヒツユも眠っていた。
「……ヒツユちゃん」
彼女は下着姿になると、そのままベッドへ潜り込む。
目の前に来たヒツユの寝顔はあどけなくて、無防備で、ただ癒しの為に存在しているような。
そんな表情だったのだが。
突如、それは曇り始め。
一つ、言葉を洩らす。
「……レオ、君……」
それと同時に、涙が頬を伝う。
「――――――‼︎」
驚愕。
しかし、再び落ち着くイチカ。
(寝言で口にするほど身近な人間か……でも、その内忘れさせてみせるよ)
そう考えて。
その白くて細い腕でヒツユを包み込み。
ささやかな寝息を溢す彼女の唇に、自身の唇を押し当てる。
「……君は、僕だけのものだ」
身勝手かもしれない。
五年前にその命を断ち。
自らの側に居て欲しくて、冷たいガラスの中に閉じ込めた少女が言うなんて。
だけど。
(君は、僕の最初の友達だ。分かり合える親友だ。そして、大切な想い人なんだ……)
今度こそ、本当の意味でこの腕の中の小さな少女が死んでしまえば。このイチカでさえも、死を覚悟してしまうかもしれない。
だからこそ、彼女にカルネイジ細胞を埋め込んだのだ。
どんな環境でも生き抜く力を与える為に。
いつでも、イチカの為に生きてくれるように。
道徳的には間違っていると思う。
だけど、それでも、彼女の勝手な行いだとしても。
この少女は、それを許してくれる気がする。
本当は同い年なのに。
命を断ち、目覚めるまでに年月が掛かったせいで、身体的にあの時のまま止まってしまった少女。その心は止まるまでも無く、そもそも消えてしまった。
一体、あの『空中庭園』は。
こんないたいけな少女に、何をしたのだろうか。
これだから、人間は嫌だ。
(僕はもう人間じゃない。ヒツユちゃんもそうだ。僕達は彼らを超えた、新しい生物なんだ)
それこそが、創造主と神なのかもしれない。
それが、この二人なのかもしれない。
(小さい考えは捨てる。でも、小さい望みだけは絶対に捨てない)
それは、こんな希望だ。
二人で、ずっと一緒に居たい。
そんな、小さな夢。
だけど。
それの為に、イチカは何もかも捨てた。
父親も。
人間も。
道徳も。
そしてこれから彼女は。
――――――世界をも、捨てるだろう。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
イリーナは、地面にへたり込んだ。
もうダメだ。
このまま、眠ってしまおう。
(どうせ何も見つからない……みんな壊れたのよ)
周りにあるのは、破壊された機械の残骸のみ。開けられた天空の大穴からは、月がその姿を見せている。
まるで、今まであったことが全て幻想だったかのようだ。
(……そうよ、全部幻想だったんだわ。ナツキの事も、アルマやクラルの事も。こんな所に機械の街なんてあるはずがなかったんだわ)
でも。
それなら、この首の喪失感は何だ。
ここの事が全て嘘偽りで、幻想という名の絶望だったとしたら。
この首から消えた温もりは、まだ残っているはずなのだ。
「……大切な、形見だったのに……」
呟く。
その一言は虚空に溶け、しかし嘘のように反響する。
そして残ったのは、何とも冷たい静寂だけ。
虚しいほど静かだ。
こんな夜は、彼を思って眠りたい。
『空中庭園』に居る頃は。
少なくとも、そうやって過ごしていたハズだ。
「……もう、いいかな……」
ペタリ、と地面に横たわる。
そこに見えるのは、巨大なクレーターだ。それは、とある少女の暴走によって生み出されたもの。
ああ。
今あの子は、一体何処に居るのだろう。
一体何をしているのだろう。
一体何故、ああなってしまったのだろう。
(……ほんと、最初からおかしかったのよ。何もかも)
突然現れた自分より幾歳も幼い少女。
それが何故だか、自分より遥かに強いときた。
だけどそんな彼女はとんでもなくバカで。
この地上へ降りた目的すらも知らなくて。
それなのに、強くて。
「……ズルいのよ……」
自分には、少なくとも目的があって。
その為に命を掛けていて。
なのに、力は無くて。
でも、あの少女にはそれといった目的も無くて。
ただイリーナについてくるような少女だった。
けど、馬鹿のような力はあった。
『宝の持ち腐れ』。
そんなことわざを、イリーナは思い浮かべた。
「……なんで、だろうなぁ……こんなに、果たしたい目的があるのに……」
涙。
それは、とめどなく溢れてくる。
「なんで……『力』が……ついてこない……ん、だろうなぁ……」
子供の様に泣きじゃくりたい気分だった。
実際、その気持ちは抑えきれなかった。
いつもなら頬を伝う涙は。
横たわっている今、重力に従って瞳の横を伝って落ちる。
「アタシ……弱い……なぁ……」
こんなの無理。
果たせるわけが無い。
思えば無茶だったんだ。
全てのカルネイジを滅ぼすなんて。
所詮、機械の身体を、力を得たところで。
何処までいっても、ただの少女なんだから。
意識が閉じる。
これからどうしよう。
もう、いいや。
眠って、明日考えよう。
明日が駄目なら、明後日。
明後日が駄目なら、明々後日。
明々後日が駄目なら――――――