とある『娘』の過去
「う……、ん……」
意識が目覚めかけると同時に、疑問が浮かんだ。
なぜ、目覚められたのだろう。
あの時。
冷たい雨が降り、目の前には巨大なカルネイジが現れ。
自分自身ですら死を覚悟したあの時に。
既に自分は、死んでいたのではないのか。
なのに。
そこから、既に目覚めることなんて出来ないハズなのに。
意識が、鮮明になる――――――!
「……おかえり、ヒツユちゃん」
甘い、少女の声。
覚醒した意識を再び眠りに陥らせるほどの、保護愛に満ちた声。
暖かい。
どうやら、自らの身体はベッドに横たわっている様だ。身体自体が休んでいる気がしている。傷付きボロボロになった身体を、癒すかの様に。
そして、その少女は自分を見下ろしている。その優しい手で、掛けられた布団にポンポンと触れてくれている。
「……ふ、ぁ」
「無理に喋ろうとしなくていいよ。きっと声もガラガラだろうし、身体も疲労してるみたいだから」
そう言って、変わらない笑顔を浮かべる少女。
黒髪に赤いヘアピン、紅い瞳。極度に白いその肌。
「……イチ、カ……」
最初に込み上げたのは、涙だった。
そして次に、その涙の意味と理由に気付く。
懐かしい。愛しい。そして――――――彼女が生きていて、嬉しいという感情。
化け物の神となった少女、ヒツユは。
その優しさと、安心感に触れて。
今だけは、至って普通の女の子へと戻れた。
そして、先程言ったそれら全ての感情が混ざりあって。
一粒の涙となって、零れる。
その涙が、次は溢れて来た。
会いたい、会いたいという感情の量に比例して。
全てが合わさったそれは。
その紅い右の瞳から、その茶色い左の瞳から、視界が溢れる程流れた。
「……た、だい……ま……!」
そして、意識が消える。
その言葉に残った体力を費やしたかのように。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
イチカに聞くと、ヒツユは丸二日も眠っていたらしい。
まるで死んだようだった、というのがイチカの感想。
お陰で、ヒツユは今元気なまま昼食を口にすることが出来る。
この科学室のような部屋からは想像出来ないような木製のテーブルに、その日の昼食が並べられている。
今日はハムとレタスを挟んだトーストとコーンスープ、そして牛乳。まぁなんとも洋風な食事であり、とても枯渇した地上で入手したとは思えない素材から作り上げられていた。
「ん、美味しい!」
「そりゃよかったよ。別に料理っていうよりかは手軽さを重視したものだから、そんな気にはしてなかったけどね」
「ところでイチカ」
「ん?」
イチカはトーストを頬張りながらイチカを見つめる。
というより、元々視線は合っていた。
「なんでそんな幸せそうに私を見てるの?」
そう、ヒツユが目覚めてから、彼女はじっとヒツユを見つめたまま笑顔を浮かべ続けているのだった。それはもう、心底幸せそうな笑みを。
「んー? 幸せだなぁと思ってさ」
「何が?」
「君とこうやって同じ時間を過ごせる事がさ。誰の邪魔も無くね」
純真な瞳。
そんな紅い双眼が、優しい光を放ちながらヒツユを見つめる。それこそ何の偽りも無く、本当に幸せそうに。
「僕が見てるだけじゃ面白くないかな。そうだ、昔話でもしようか。と言っても五年前くらいの話なんだけど」
「どんな話?」
ヒツユが聞き返すと、イチカは瞳を閉じながら、ゆったりと語り出した。
「昔……この辺りかな。とある家族が引っ越してきてね。三人家族だったんだ。父と母、そして娘のね。でも、家族仲は大して良くなかった。そもそも会話があまりなかったんだ」
ふーん、とヒツユはトーストを飲み込むと、コーンスープに手を掛ける。
「お父さんもお母さんも研究者でね。生物学の第一人者だった。当然、二人とも娘が研究者になることを望んでいた。そして娘は、幼い頃からその鱗片を見せていたんだ」
「ふんふん」
「小学生の時に論文を発表、それは生物学の新たな可能性とされたんだ。『未来を形作る新たな細胞』……だったかな、そんな記事が新聞に出るほどにね。それからも様々な発見をし、中学に入る頃には生物学の『神童』と呼ばれていたんだ」
ゴクリ、とコーンスープを喉に染み渡らせるヒツユ。話はちゃんと頭に入っているのか、それなりに興味ありげだ。
「娘の両親はそんな『神童』を更に伸ばそうとした。研究を思う存分させてあげるために、巨大な設備まで用意した。――――――でも、それがいけなかったのかもしれないね。娘はコミュニケーションを取るのが苦手な節があって、いつしかその研究設備にこもりきりになったんだ」
「…………」
「でも娘だって友達くらい欲しい年頃だよね。でも他人と向き合うのは怖い。だから娘は、友達を創ろうとした。自らの手で、研究の才能を利用して」
なんだろう。
そう、ヒツユは思い始めていた。
別に初めて聞いたような話ではない気がしてきたからだ。
「でもね、そんな時に一人のお友達が訪ねて来たんだ。その子は娘のクラスメイトで、気さくで気配りが出来る子だった。娘はすごい嬉しかった。だって初めて友達が出来たんだから。その日のうちに、その子は娘の友達、そして憧れ、最終的には恋愛対象にまでなったんだ」
「……そっか」
「でも楽しい時間はいつまでも続かない。その子は家に帰ると言い出した。でも娘はその子を離したくなくて、側に置いておきたかった。でもそれは叶わない夢。だから」
イチカは瞳を開くと、少し嫌な顔をして。
「――――――その子を、殺した」
「……え?」
「殺すけど、彼女の細胞を殺さないように。特殊な培養液が注がれたガラスの筒の中に閉じ込めたんだ。つまり意識は死んでいるけど、身体は死んでいない状態。空っぽのケースって事さ。娘はその子が居るだけで安心出来た。足りない何が埋まった気がしたんだ」
そう言ってイチカは笑う。ほんの、少しだけ。
「けど、それはすぐに勘付かれる。その子の親はその子が居なくなった事に気付き、警察に捜索願いを出した。――――――けど、結局行方不明で終わった。家宅捜索でもされない限り、その子が見つかる事は無い。その子が娘の家を訪ねる際も、親に何も言わなかったらしい。実際、娘の家にだって勝手に侵入したんだしね。見つかるワケがなかった」
「……でも、そんなの隠し通せるわけが……」
「そうだね。二年くらい経ったある日、その行いは父親にバレた。父親は正常だから、娘にやめろと言い聞かせた。正義感の強い人でね、こんな事をしてはならないと説いたんだ。でも、娘は聞き入れなかった」
ハァ、と溜め息を吐くイチカ。
「結果、娘は自暴自棄になった。警察を引き連れて娘を説得しようとした父親に、前々から行っていた『研究』で手を掛けたんだ」
「『研究』……?」
「そう、研究。さっき言った『友達を創る為の研究』さ」
イチカは苦笑いする。そして、その先を口にする。
「『異常再生細胞』……今じゃあ『カルネイジ細胞』なんて呼ばれてる代物だよ」
「……⁉︎」
「娘は色々な動物にそれを投与して、異常な再生能力を身につけさせていた。今で言う『カルネイジ』だね。それらを、研究施設内に解き放ったんだ」
ククク、と笑うイチカ。先程よりも表情が嫌な印象を与える。
「警察、及び父親は喰い殺された。それらカルネイジは研究施設内を飛び出して、辺り一帯を喰い荒らした。一人の少女の身勝手が、無関係な人達を殺し尽くしたんだ」
「……そ、その娘は……?」
「もちろん、生きているよ。けど、カルネイジに味方意識なんてあるはずもない。娘は喰い殺されそうになったんだ。けど、彼女は助かった。なんでだと思う?」
ニヤつくように質問する。
「……カルネイジを倒した?」
「ま、及第点かな。その通り、カルネイジを倒したんだ。自身の身体にカルネイジ細胞を注入して、半人半カルネイジになってね。半ば暴走状態だったけど、彼女は生き残った。それからというもの、娘は自身に抗生物質を打たないとカルネイジ化してしまうという枷を背負ったけどね」
そして、イチカは人差し指を立てる。
「けど、ここで一つ問題点が。なんと、娘が溺愛していた死んだあの子が消えてしまったんだ。カルネイジの騒動のドサクサで何処かへ消えてしまったんだね。娘は悲しんだ。生きる希望も無く、抜け殻のような日々を送っていた。世間ではカルネイジが全世界に広がって、限られた人間のみが『空中庭園』なるものに逃げていったけど、それも娘にはどうでもよかったんだ」
けど、とイチカは頬杖をつきながら続ける。
「そんな出来事から数年、彼女は四体のカルネイジを従えて暮らしていた。でも、自堕落な生活だったよ。娯楽も何もない、荒廃した地上での悲しい毎日さ。でもね、そんな時に――――――消えたあの子が、成長して戻って来たんだ。娘の事はさっぱり忘れて、ね」
パン、と手を叩いてイチカは収拾をつける。
「そんなあの子と合流し、娘は再び楽しい生活に戻ろうと心に決めましたとさ。めでたしめでたし。――――――っていうのが、とある少女のお話さ」
スッキリしたとでも言うように、イチカは席を立つ。そんな背中に、ヒツユは声を掛ける。
「ねぇイチカ、そのお話の娘って――――――」
「知りたい? これは君が思う通り、本当のお話だからね」
再び。
イチカは『けど、』と区切り、言う。
「この先は、自分で想像して楽しむといいよ」
ヒツユに背を向けて、楽しそうに笑いながら。