忘却
「……く、ぅ」
瓦礫の中で、イリーナは目覚める。その海色の瞳はあっちこっちを見回し、そして真上を向いた状態で静止する。
身体中がズキズキと痛み、動き出すことすらままならない程に腕が震える。
「……助かっ……た?」
最初は自分が生きているという現状を理解出来ず、呆然としていた。しかし次第に冷静になっていくと、彼女は何故助かったかを思い出す。
(そういえば……アタシ……)
そう。
ヒツユが繰り出した、超威力の爆発。
あれは全てを吸い込むような、まるでブラックホールのような動きの上で成り立っていた。
が。
あれは爆発する前、吸い込んでいたもの全てを凝縮し、溜め込む。つまり、爆発の一瞬前になった時、それは『吸い込む』という動作をやめ、『溜め込む』という動作に入るのだ。
それは僅か一瞬で、到底どうにもならないもののはずだった。
だが、イリーナはその瞬間までブースターを最大限に噴かしていた。突然吸い込む力が消えた事により、まるで吹っ切れたように、パチンコ玉が発射されたように、物凄い勢いでヒツユから離れた。
そして爆発。しかしイリーナは離れていた為、それほどの被害は被らなかったのである。
「……ふ、ラッキー……な、ヤツね。ア、タシ……は……ゴホッ⁉︎ ガハッ‼︎」
突然咳き込む。
先程までの衝撃により、イリーナの体内がおかしくなっている。極限まで人間に近付いたイリーナの身体は、素材は違えども、構造は人間そのもの。咳き込む事だってあるのだ。
しかしそんなこと気にしていられない。とにかくアルマを探さなければ。『クリムゾン』はそれなりの大きさはあるので、すぐ見つかるだろう。
ボロボロの身体を無理矢理に動かし、ブースターを噴出させる。が、バランスがとれず、あらぬ方向へと飛んでいくイリーナ。別にエネルギーが残っていないわけではない(というか元々人間の寿命レベルのエネルギーが溜め込まれている)のだが、なにぶん、それを活用する仕組みにヒビが入っている。
彼女の感覚は、言ってしまえば身体に命令しているのに動かない、そんな感じである。
「く……ちくしょう……」
もどかしい気持ちが、収まらない。こんな事でどうするのだ。
「……歩いていくしか、ないか……」
その傷付いたその脚を、無理矢理に動かして。
何度も瓦礫に脚をつまずかせながらも。
爆発により荒野と化した、最先端だった機械の街を。
彼女は、歩いていく。
長らく浴びていなかった太陽の光を、久しぶりに浴びながら。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……ぇ、ちゃ……!」
誰の、声だろう。
この声は、一体誰のもの?
「お、ね…………ん!」
その声が、だんだんと確かなものへと変わっていく。
これは……少年の声。
その声色は、今にも泣き出しそうな程に弱々しく、掠れている。
そういえば、右手に温度を感じる。
なんだろう。とても暖かい。
そして――――――優しい。
心地良いという感情が、何も残っていない脳内にポンと浮かんできた。心が安らぐ。
それと共に、その声もその全貌を見せる。
「お姉ちゃん‼︎」
「…………ぁ」
視界はまだ暗い。
それが開く。
そして。
突然の太陽光に、再び目を細める。
「……お、姉ちゃん……?」
「…………ぅ、あ」
僅かな呻き声。
そして少女の瞳は完全に開く。
目に残った太陽光のフラッシュに苦しみながら。
「お姉ちゃん‼︎ 良かった……‼︎」
そう言って、その少年は少女に抱き着く。少女の身体中に、その体温が伝わる。
(暖かい……)
姉、と呼ばれた。
姉とは、同じ両親から産まれた、年長の女性の事を言う。
つまり。
「……君、おとう……、と? 私……の?」
ただの確認だ。
だって。
少女には、姉には、一切の記憶が無いのだから。
そもそも。
「君……誰……?」
そうだ。
それが先だった。まず彼に名乗ってもらって、それから関係を確認するのが普通だ。
彼に対しても、いきなり『弟か?』などと聞くより『誰?』と聞いた方が失礼でないだろう。
だから、まだこれはリカバリーが効いた方だろう。
なのに。
彼は。
黄土色のセーターの中に赤いパーカーを着た、黒髪で猫耳が生えている、優しい印象を与える少年は。
――――――泣き出してしまった。
「……え?」
戸惑いの声を上げたのは、姉と呼ばれた少女の方。
何故だろうか?
誰、と聞いたのがそんなに癇に障ったのだろうか。それとも、何か触れてはいけない部分に触れてしまったのか。
「ご、ごめんね……私、何も覚えてなくて……だ、大丈夫……?」
とりあえず謝ってみる。
しかし無駄。彼は泣き止まず、むしろ更に辛そうな表情になる。その小さな手をセーターの裾に掛け、ぐっと握り締めてしまう程に。
(うーん、困ったなぁ〜……)
どうすれば泣き止んでくれるだろう。
何をすればいいのだろう。
とにかく、姉として振る舞えばいいのだろうか。
「お、弟クン、泣かないで? お姉ちゃんがついてるから、ね?」
大泣きである。駄目なんてレベルではない。
(も〜……‼︎ どうすれば……‼︎)
悩みに悩んだ挙句、彼女は諦めた。
「……ごめんね。私、何も分からない。だって、自分が誰で、なんて名前で、どんな性格で、どんな事が好きなのかも分からないんだもん。家族も知らない、ましてや名字だって知らない。だから、どうしようもない……」
そう、正直に告白した。
もう手をつけられないレベルまで泣き出すのでは。
そんな恐怖感が、彼女の脳を突き抜ける。
が。
「……うん……知ってる……」
「オイイイイイイイイィィィィ‼︎‼︎」
壮絶なツッコミを入れる姉。
そんな。
なら、自分は今まで何に四苦八苦していたというのだ。最初からこの少年は事実を知っていて、なのに泣いていたのか。
「……えへへ。それ、お姉ちゃんがやったら面白いね」
「え?」
「お姉ちゃんは……僕が泣いてたらいつも慰めてくれて、笑わせてくれるんだ。ちょうど、今みたいに」
そして。
姉である少女は。
初めて、彼の笑顔を目の当たりにした。
「大丈夫だよ。お姉ちゃんは前のお姉ちゃんらしくしなくたって、最初からそうなんだから。それってつまり、僕に何も気を遣ってなかったってこと。気なんか使わなくたって、僕達は仲良しなんだよ」
彼は、少女に再び笑顔を見せると、呟く。
「僕達、姉弟なんだから」
「…………!」
「でも、名前は言っとかなくちゃね。僕の名前は……」
「――――――レオ、だよね……?」
その一言に、少年は目を見開く。
「……なん、で?」
「え、あ、その、……間違ってた?」
「いや、合ってるけど……なんで覚えてるの?」
「今、思い出したの。何故か知らないけど、どうしてか分からないけど、この二文字だけは忘れてなかった」
そっと、少女は笑う。
「……可笑しい、よね。はは」
「可笑しく……な、いよ」
それとは対照的に、少年は涙を浮かべた。
ただし、その意味は対照的ではない。
少女は自虐。
少年は喜び。
マイナスとプラスが逆転した感情を浮かべる二人は、再び先程の様になる。
「ご、ごめん! また泣かせちゃって……!」
「ううん、違う……嬉しくて……」
その二文字は。
最後まで、アミが掴んで離さなかった二文字。
どれだけ記憶が消えると言えども。
それだけは、消させなかった。
それは。
その二文字が、何物よりも大切だから。
例え、自分の名を忘れたとしても、だ。
だから。
今、彼はその失ったピースを、取り戻す。
「お姉ちゃんの名前はね、アミっていうんだ。神崎亜美。僕は、神崎玲王。僕も色々忘れてるから昔の事は思い出せないけど……」
そう。
彼が忘れていた記憶を、前のアミは覚えていた。
しかしアミが記憶を無くした事で、それを覚えている者は居なくなった。
その記憶は、闇に消えたのだ。
だが。
二人には、関係無い。
「それは、これから二人で作っていこう!」
そうだ。
無くしたピースは取り戻せない。
ならば、新しく創り出せば良いのだ。
心機一転、というわけではないが。
欠けたものは、取り戻せると知った。
だから、死ななくてよかった、と。
こうなった経歴も分からないのに。
脳の何処かで。
今の自分ではない『誰か』が。
呟いた気がした。
そして。
消えた。




