暴走する神
瞼が、閉じる。
先程まで呻いていた彼女も、今は静かである。
九尾型デストロイ。
いや、神崎亜美。
彼女はレオの胸の中で、眠っていた。
「……戻っ、た……?」
レオはそう呟く。
その言葉には、小さな確信があった。
何故なら、彼女の白かった長髪は、深い黒髪へと染まっている。その狐のような耳と尻尾は、未だに残ったままだったが。
しかしレオには、アミが九尾型デストロイに勝ったのだろうという事が分かっていた。
それは、彼にも猫耳が残っているから。もし今回の戦いがレオの時と同じだったなら、この獣耳や尻尾、そしてこのカルネイジを宿した力は、戦利品とでも呼ぶのだろうから。
だから、彼は心から安心できた。
休息することができた。
神崎亜美は、勝ったのだから。
そして。
戦いの疲れが、壁に叩き付けられたダメージが、ここに来て姿を見せたのか。
彼は、あろうことか、意識を失ってしまった。
彼のすぐ近くには。
神となった、少女が息巻いていたのに、だ。
「……t、?」
彼女は、僅かながらに首を傾げていた。
何故なら、神としての確信が外れたから。
あのノミのような存在が死んでいないということに、少し、ほんの少しだけ驚愕した。
だから。
その唇から、僅かに疑問の声が洩れたのだった。
肌が触れる程近くに居てやっと聞こえるような、そんな微かな、か細い声で。
何故死んでいない、という風に。
が。
その迷いは、すぐに掻き消された。
殺せばいいのだ。
消せばいいのだ。
一度目が駄目なら、二度目を食らわせれば。
たったそれだけの事。叩き付けられたこのグロテスクな大剣を再度構成し直し、もう一度潰せばいいのだ。
そんな些細な事。
神にも等しい存在である今のヒツユには、そんな毛ほどの事に興味を持つこと自体が珍しい。
――――――だから。
彼女は、その手を再び振り上げた。軽く発光した、その細くて白い指を荒れた空気に這わせながら。
大剣を再び、構成する。
ぐちゃぐちゃとした黒い肉片は一点に集中し、内臓や眼球などが飛来する。それら全て掌の上に集い、再び数千メートル程の大剣が出来上がる。
斬るというより潰す目的で構成されたその巨大な剣は、何の感情も持たず。
ただ、殺人の為の道具として。
「t……っ!」
簡単に、振り下ろされ――――――
「やらせるかぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ‼︎‼︎」
「……っ⁉︎」
刹那。
数千メートルもあるグロテスクな大剣が。
一瞬にして、まるで失敗したダルマ落としのように斬られ、落ちていく。
それは、神であるヒツユでも予測出来なかった奇襲。
そして、どこか懐かしい声。
そんなものに、彼女は反応を遅らされたのかもしれない。
だってその声の主は。
もう会えないと思っていた女性。
面倒見が良くて、綺麗で。ヒツユが持っていないものを、たくさん持っていて。
それでいて儚げな弱さを持つ、そんな女の人。
過去にヒツユは親しみを持って、彼女をこう呼んだ。
『友達』と。
そう。
彼女の名は。
「……ヒツユよね、アンタ。何が一体どうなっちゃったのよ。こんなところに突然現れて……」
歯噛みしながら、彼女は言う。
「心配したじゃない……ヒツユ……!」
そう。
イリーナ・マルティエヴナ・アレンスカヤ。
あの戦闘のどさくさで消えてしまった、ヒツユの仲間の一人である。
しかし、ヒツユは目立った反応をしない。
神となり自我を失ったヒツユには、友達や仲間なんてものを認識する程の余裕が無かった。彼女の目的はただ一つ。
最愛の彼を傷付けた、たった一匹のカルネイジを始末するだけ。
例えそれの為に、その最愛の彼を失う事になっても。
思えば、本当に本末転倒だ。
これはもう彼の為ではなく、神としてのプライド、そしてやり遂げられていない不甲斐なさからなのかもしれない。
だってその為に、彼を殺しても構わないと言うのだから。少なくとも彼女――――――ヒツユに、そんな気遣いは見られない。
彼女の視界には、九尾型しか入っていない。その中に何が居ようと、所詮転がり込んで来た小石のようにしか思わないだろう。
だが。
その目標、九尾型を宿した神崎亜美は、既に消えていた。
「……t、⁉︎」
彼女はぎこちない動きで首を巡らせる。まるで人形の首をギチギチと無理な方向に回転させているかのように。
するとこの辺りではかなり高い位置のビル、その屋上に。
九尾型とレオを抱えた、真っ赤に染まった機体があった。猫背の姿勢を保った、獣の動きをトレースしたような機体が。
『……もう、大丈夫』
その機体から、それにそぐわない優しい少女の声が聞こえた。聴いた者を安心させるような、そんな声が。
まぁ、そんなことは神にとってはどうでもいい。
問題は、目標を見つけたかどうか。
見つけられたなら話は早い。
殺す。
ただそれだけの為に、彼女は動く。
再び全カルネイジの肉体を集め、グロテスクでスプラッターな大剣を作り出す。一度イリーナが斬撃を繰り出したからか、その断面からは血が滴り、赤き雨を降らせていた。
それはヒツユの裸体に近い発光した身体にも垂れ落ち、その華奢なフォルムに赤いラインが引かれる。それはまさに、血染めの神と呼ぶに相応しい。
彼女は左の親指に付着した血を舐め取りながら、その大剣を振り下ろす。
――――――が。
「やらせるかっつってんでしょうがこのドアホ‼︎‼︎」
再び斬撃が大剣に襲い掛かる。背中と腰部に付けられたブースターを異常な程に稼動、制御させる事で、まるで空中を自由に飛び回る蝶のような動きを可能にしているのだ。
そして、大剣は斬り落とされる。
そんな簡単に肉の塊である大剣が斬り落とされるのは、イリーナの持っている双剣が特殊だから。
それは『クリムゾン』の非常用装備から持ち出したもの。もし『クリムゾン』が制御不能や戦闘不能に陥った時に、操縦者が最低限身を守れるような装備をしてから脱出できるようにするためのものだ。
だが、それを調達したのはもちろん科学技術の最先端を行く地下機械都市。そんなちゃちなものであっても、十分カルネイジに対抗できる。
イリーナの手に握られた剣は、刃が特殊だ。
何しろそれは、レーザーなのだから。翡翠色の光を帯びた、荒々しい程に眩い剣。
そんな剣に、切断出来ないものなどない。
少なくとも、同じレーザーで構成された物質でない限り。
「無駄なのよ。アンタが何回そんなグロいもんを作り出しても、アタシはそれを許さない」
「…………ひ、」
「?」
「く、ひ、はは」
イリーナがそれを宣言した途端、ヒツユに異常が生じた。
今まで無表情を貫き通していた彼女が。
突然。
「ははははははははははははははひ、はは、ふふへへっははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッッッッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎」
気でも違ったかのような笑い声を立てた。
両手を大きく広げ、目をカッと見開きながら。
彼女は、笑う。
恍惚としたような、それでいてイかれたような表情で。
「ッ⁉︎」
「……イリーナ、ナ……なんで、い、生き……は、ひはは」
「何が起こって……⁉︎」
「うれ、し、ひは、……そん、な、ひひ、はひっ……なん、ひひっ…………あはははっ」
それは、奇妙な光景だった。
顔では笑っていても、心は感極まっている。笑いながら涙を流し、言葉を平常を失っている。
つまり。
彼女は心のバランスを失っており、よく言えば自我を取り戻しかけているのだ。
「ひひっ、はは……あ、はあ、ああ、は、ああああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッ‼︎‼︎‼︎⁉︎」
そんな彼女の表情が、曇り出す。
恍惚とした表情から、苦しむような表情へと変わる。開いていた両手は彼女の額へ移り、彼女の苦悩を表現するかのように、その額を押さえつける。
「ヒツユ……⁉︎」
「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ‼︎ 痛い……辛い‼︎ もう壊したくない……‼︎」
バチバチとうるさく鳴り出す周囲の雷光。それはまるでヒツユの声を掻き消すようだった。
「嫌だって……言ってるのに……‼︎ 助けて……誰か……‼︎ ああああ……あああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ‼︎」
何かに襲われているように怖がり、何も無いところでヨロヨロと足踏みするヒツユ。イリーナはその状況から、ヒツユの状態はただならぬものだと感じた。
「ヒ……ツユッ‼︎‼︎」
ブースターを最大限に噴かし、彼女は遥か上空からヒツユへと近付く。
だが。
「嫌……たす、け……た、す……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッ‼︎‼︎‼︎」
突如。
カルネイジの肉片が、彼女の身体を包み込むように展開し始めた。
それなら、今までとあまり変わらない。
恐ろしいのは。
周囲の建物や地面までも、取り込み始めた事だ。
それはまるで、天地開闢のように。
全てを吸い込むブラックホールのように。
全てを、空気や塵、果ては瓦礫なども。
一斉に吸い込んでいた。
「ぐっ……⁉︎」
咄嗟にイリーナは、保身に走ってしまった。
つまり急接近を諦め、踵を返して離れようとしだした。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッッッッッッッ‼︎‼︎‼︎」
彼女の悲鳴が強みを帯びてくる。
イリーナはブースターを全開にして反対方向に逃げるが、段々と吸い寄せられていく。彼女が遠くをチラリと見ると、同じくブースターを全開に噴かして逃げている『クリムゾン』が。既に二人はコントロールルームに匿っていたらしく、その両手は自由に開き、辺りの壁を支えにしながら、少しずつヒツユから距離を離していく。やはり単純にブースターの数が違う分、逃げやすいのだ。
(や……ば、い……‼︎)
それとは違い、少しずつ吸い寄せられていくイリーナ。このままでは埒が明かないと踏むが、どうすることもできない。
一方ヒツユは、声が裏返り痛々しくなっても、まだ叫んでいた。身体の中の異常な程のエネルギーを抑えきれず、必死にもがいているのだ。
そして。
直径20メートルほどの巨大な『繭』に包まれたヒツユは、その瓦礫や肉やコンクリート、そして大量の鮮血で構成された壁の中で、最後の悲鳴を上げた。
「も……う、だ………………、め………………」
そして。
「が、ああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああアアアアアアアアアああああああアアアアアアアアアああああああアアアアアアアアアああああああアアアアアアアアアああああああアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああアアアああアアアああアアアアアアああアアアッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
閃光。
爆発。
解放。
そんな言葉が似合うような、そんな光景だった。
説明すると。
まず、ヒツユを中心に、眩いばかりの閃光が辺りを包んだ。『繭』は心臓のように鼓動を繰り返し、そして、爆発した。
それはイリーナや『クリムゾン』、その中にいたレオやアミ、アルマなどをまとめて吹き飛ばし。
そして、その余りあるエネルギーは、抑え切れずに真上へと飛んでいった。
それがヒツユに出来る、最後の抵抗だったのだろう。
イリーナなどの近くにいる者へのダメージを最小限に留め、余ったエネルギーを誰も居ない上空へと打ち出す。
しかし。
結果それはロボット達の生命線であった発電塔を吹き飛ばし、炭も残らない状態にしてしまった。
そして。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……あ、ぅ」
ヒツユは、爆発の中心で目覚めた。
彼女を中心にクレーターができ、辺りの様子が確認できない。
ヒツユは心身共に深いダメージを負っていた。身に纏っていたものは全て焼け焦げ、殆ど裸体のまま。おまけに焦げ臭い香りが辺りに広がるせいで、喉が焼け付くように痛い。クレーターの中は得体の知れない肉体、瓦礫。裸足で歩くとガラス片が足の裏に深々と突き刺さる為、まともに歩くことすら出来ない。
そんな状況の中、彼女は涙目になりながら歩いた。クレーターの外に出るまで。ガラス片を何度も踏み、痛みに悶えながら、そしてその傷は彼女特有の再生能力で消える。改めて自分は人間ではないことを実感し、心を潰されそうになる。
そのうち、痛みも感じなくなっていった。虚ろで光の少しも無い瞳で、ゆっくりと歩く。
しかし、そんなものはまだ序の口だった。
彼女がやっとの思いでクレーターを抜け出した時。
その、地獄を見る。
「う……そ……」
そこはまさに『何も無い』状態。
彼女の『繭』に全てを吸い込まれ、建造物、ロボット、人、それら全てが無くなっていた。
この地下都市自体が崩落しなかったのはここの構造が想像を絶する程の強度だというのを物語っていたが、それでも。
それでも、ヒツユは全てを吹き飛ばしてしまった。
身体の中に、いや彼女自体が神となってしまったせいで。
そして制御出来ず、暴走してしまったせいで。
彼女は。
全ての生命を、潰した。
「ぅ……あ……そ、ん……な……嫌、い、や……嫌ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッ‼︎‼︎‼︎」
彼女は泣き叫んだ。
誰も居ない、崩壊した街で。
自らの存在を呪いながら。
ひたすら、泣いた――――――。