奇襲
「さて……次はアンタの番ね、ヒツユ」
「え?」
戸惑うヒツユに、イリーナは顔を近付ける。ヒツユの手を取り、その手を軽く握る。
「アンタのこの『力』は何? 『ブースト材』で強化出来るのは、主に脚力や跳躍力とかの移動する力だけ。重いものを持ち上げる力なんて、アンタには無いはずなのに」
それだけではない。明らかに戦闘慣れしたあの動き。まるで幼い頃からカルネイジを狩るために生きてきたかのような、そんな動作だった。
実際、彼女はあのバスターソードを握ってから、一度たりとも傷を付けられていない。カルネイジの方から触れることすら、叶わなかったのである。
「……『力』。私の『力』……?」
「そう。それが知りたいの」
イリーナはさらに顔を近付ける。しかしヒツユは顔を背けたまま、
「……ゴメン」
「え?」
先程まで明るかった表情が、明らかに暗くなった。唇を噛み、身体を震わせながら、ヒツユは答える。
「教えられない。聞いて気持ちの良いモノじゃないし、私も出来れば話したくないから」
「そんな……! その力があれば、私はあの人の――――――」
言いかけて、イリーナはハッと自らの口を押さえた。
明確に動揺する彼女に、ヒツユは様々な感情が交錯したような声色で言いはなつ。
「……イリーナも、色々背負ってるんだろうけど……『力』を手に入れたいんだろうけど……」
あ、と小さく吐息を吐いてから。
何かが引っ掛かったかのような表情を見せながら。それでも、彼女は言う。
「その『力』を掴む為に……イリーナは、人間であることを捨てられる?」
「っ!?」
「……って、アハハ、ゴメン。全然意味わかんないよね」
おもむろに笑顔を作るが、もう遅い。
彼女の瞳は、まったくと言っていいほど感情の入る余地を無くしている。
哀しみもない。怒りもない。過去の全てを受け入れたと言っても過言ではないほど、彼女は感情のスイッチを切っている。
それは、きっと『諦め』だろう。
きっと変わりはしない。変えられるワケがない。自分には無理だ。――――――そんな類の。
「もういいんだ、私。もう解放されたし。イリーナに会ってから、すごく楽しいしさ」
何があったかは分からない。きっとイリーナには掘り返してほしくはない過去なのだろう。
「だから、これ以上は……ね? 私を知れば、きっとイリーナの私を見る目は変わっちゃうから」
「……っ」
その時だった。
何者かの足音がした。人間のモノではない誰かの。
(やっば……っ!!)
「んぐっ!?」
イリーナは慌ててヒツユの口を塞ぐ。呼吸がマトモに出来なくて喘ぐヒツユに、イリーナは口の前に人差し指を立てて『静かに』と合図を送る。それを受け取ったヒツユは、震えながら首を縦に振った。
(血の匂いでも嗅ぎ付けて来たの……!?)
どうやら、この足音は外からのようだ。地面が震動するようなその音に、イリーナは更に耳を澄ませる。
(……でも、よく聞かないと聞こえない。ってことはきっと、あの騒がしい猿共じゃないわね)
むしろ、一歩一歩丁寧に歩いているような。そう、言うならば人間が抜き足差し足で進んでいるような、そんな隠密的な何かを感じる。
(それでも分かる。こいつは……デカイ……!! わざわざ目の前に飛び出す意味なんて……っ!!)
別に、彼女らは全てのカルネイジを出会い頭に倒さなければいけないワケではない。今は隠れる事に徹して、敵の帰り際に奇襲を掛けるのでも構わないし、何ならそのまま隠れていてもいい(『地上掃討軍』のマニュアルには奇襲を推奨するような事が書いてあるが、別に必ず従うモノでもない)。
自身の荒い呼吸を抑えつけながら、イリーナは静かに窓の方へと移動する。ヒツユは未だに不安定な精神を落ち着けようと深呼吸を繰り返しており、深く吐いた息が手に当たって何だかむずがゆかった。
(……さてさて、敵さんはどんなモンかしら)
落ち着いた。そう確認してから、イリーナは窓に顔を近付ける。
しかし。
目の前には、巨大な銀狼の牙があった。
「「う、わぁぁあああああああああああッッ!?」」
直後。
老朽化していたであろう窓ガラスを壁ごと突き破るように、その牙は襲い掛かってきた。
様々な轟音が鳴り響き、様々なものが砕け、全てが飲み込まれようとしていた。
一瞬の判断。
イリーナが横に転がるように回避していなければ、今頃二人はヤツの口の中だろう。
それでも、今の衝撃による余波は襲い掛かってきた。あまりの威力に、二人は壁に叩き付けられた。
「っ痛!! ……ヒツユ、大丈夫!?」
「……ぐ、ぅ。う、ん。大丈――――――ッガ!?」
思わず大丈夫なんて言い掛けたヒツユだったが、すぐにこらえようのない痛みに襲われた。
当たり前だ。
「ヒツユ、アンタ……腕が!!」
今の一撃を避けきれなかったのだろう。彼女の左腕は、肩から一気に食い千切られていた。
「痛、い……痛い……!!」
「……ッ!!」
イリーナは焦った顔でヒツユを抱き抱える。彼女の左肩から溢れる血を止血することも出来ず、イリーナは壊滅寸前のビルを駆け上がっていく。
銀狼は追い掛けてこられないのか、遠吠えのように鳴き声を上げる。ピリピリ、と空気を振動させているのが肌で感じられる。
屋上のドアを勢いよく開く。流れてきた風が彼女の赤いマフラーを揺らす。それらを全て無視しながら、イリーナはヒツユを床に下ろす。
焦る声で『転送』と呟く。銀色のアタッシュケースが現れ、彼女はそれを乱暴に開く。震える手で包帯やら何やらを取りだし、手際よく止血した。それが出来たことで安堵感に包まれたのか、彼女はホッと息をつく。
「い、……イリーナ。私、も」
「いいわよ、ここで休んでて。そんな状態じゃあ、満足に戦えないでしょ」
イリーナは自身のホルスターから黒いレーザーライフルを取りだし、表情を変えて手すりから下を見下ろす。
(……狼、か。狼型カルネイジ、って呼べばいいのかしら)
全長は4メートル程だ。銀色の体毛が、月明かりに反射して蒼白く輝いている。瞳は見定めるようにイリーナを見つめたまま動かない。恐らくヒツユの左腕を咀嚼しているであろうその大きな顎は、ワニの様に大きい。額にはまるでユニコーンのような、一メートル半程もある一本角。何に使うのかは分からないが、恐らく意味のないモノではないのだろう。
(大型……!! クソ、タチ悪いわね)
イリーナは後ろで呻くヒツユを顧みながら、考える。
(このままここに居たって、すぐにこのビルは倒壊させられる。そしたらヒツユもアタシも……!!)
死ぬ。
崩れ行くビルの下敷きになって、何も出来ずに。
イリーナは自身を落ち着けるように、大きく深呼吸をする。冷や汗を拭いながら、彼女は再度下を見る。
(……落ち着け、アタシ。相手は見たところ一匹。だったら遠距離武器であるコレさえあれば、余裕で倒せる)
彼女は覚悟を決めると、そのまま階段へと走り出した。わざと大きな音を立て、狼型カルネイジの注意を引こうというのだ。
実際、効果はあった。
カルネイジは目標を二人からイリーナ個人に変え、そして攻撃を繰り出した。
それは、イリーナには全く想像出来なかった事だった。
彼女が階段を降りきり、玄関から外に出た瞬間。
直径1メートル程の火球が、彼女を襲った。
(う……)
「ウソでしょッ!?」
慌てて回避する。地面を転がるように、というよりは半ば弾き飛ばされる形で。
「どういう原理してんのよ、コイツ……!!」
もちろんカルネイジが答える訳ではない。返事の代わりという感覚で、銀狼はその大口から、もう一度火球を放ってきた。
(……けど、避けられないモノでもない!!)
今度は余裕を感じながら、イリーナは横に避けられた。スピードは時速60km程。乗用車が向かってくる程度のスピードだ。
そして、現在のイリーナと狼型カルネイジとの距離は50メートル程。カルネイジが距離を取ろうと後退したため、この程度の距離になった。
イリーナは考えた。
(離れているなら――――――こっちのモンよ!!)
彼女は一度銃口を捻り、レーザーライフルを構える。膝を折り、腰を曲げながら、中腰の姿勢でスコープを覗き込む。スコープは元々備え付けられていたものであり、先程は使用していなかった。
ゴクリ、とイリーナは唾を飲む。
外せば終わりだ。恐らく火球に押し潰され、殺される。
しかし。
彼女は既に決めていた。
(あの子には指一本触れさせない。聞きたいことが……どうしても聞かなきゃいけないことが……)
引き金に手を掛ける。
ドクン、ドクン、と。心臓が高鳴っているのを感じる。
(……あるんだから!!)
――――――彼女が使用している出力方式は、スナイプ方式。
それは、再装填までの時間を大幅にロスしてしまう代わりに、本来パワー100であるハズの一発の銃弾を――――――
「死ねぇぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッ!!!」
――――――パワー200で撃つことが出来る、いわば諸刃の剣である。