Next day
轟音。
相変わらずの、施設全員を起こすアラームである。
「ん……」
ヒツユは瞼を開く。
目の前には猫耳の少年が居る。ヒツユの身体を彼の腕が包み込み、温もりが伝わってくる。
(……温かい……)
ヒツユは僅かににやけ、そして彼の胸に頭を埋める。すると彼は目覚め、ヒツユを見て少し驚く。が、すぐに穏やかな顔になり、ヒツユの頭を撫でる。
「どうしたの、こんなくっついて……?」
「……離れたくないもん……君と……」
僅かにレオが戸惑う。ヒツユの額に当たる彼の胸から、トクントクンという音が聞こえる。ヒツユの先程の一言の後、その速度が早くなったのを感じた。それに対してヒツユは小さく微笑み、彼女も彼の背中に手を回す。
『うっ……』と呻き声が聞こえたところ、きっと彼は緊張しているのだろう。なんだか妙に征服欲を満たされたような感じがして、ヒツユは内心ほぐそえむ。
すると、彼女は案外どうでもいいことを考える。
「そういえばレオ君、このうるさいのに慣れたの……?」
「ま、耳栓付けてるからね……流石に慣れはしないさ」
そう言って苦笑いするレオ。耳から小さいスポンジのようなものを取りだし、ポケットにしまう。
「と言っても君の声が聞こえるくらいだから、大して効果はないよ。あくまで軽減するだけさ。朝の配給に遅れたら困るしね」
「そうだね」
少し眠たげに、ヒツユは相槌を打つ。すると、レオは毛布をめくり、ゆっくりと起き上がる。
「ほら、早く起きないと配給に間に合わないよ」
「大丈夫だよ、別に急がなくても……どうせ混んでるんだし……ゆっくりしようよ……」
「そうやって二度寝したから、この前食べそびれたんじゃないか。ほーら、早く」
レオは焦れったそうに毛布をめくる。温まるものが何もなくなったヒツユは、寒そうに震える。しかし意地でも動きたくないため、彼女は枕にしがみついて寒さを凌ごうとする。
「もう……早くっ」
「寒い~寒い~」
レオは溜め息をつきながら枕も剥ぎ取る。が、ヒツユは枕を取られるのではなく、そのまましがみついてきた。異常なまでの抵抗に、眠そうにしていたレオも、そろそろ本腰を入れる。
「こらっ。ホントに早くしなさいっ」
「嫌だ、私はここから離れないぞ。この枕は私のもんだー」
「それならこうだ」
レオは枕をつまみ上げ、ヒツユが下になるようにする。そして、大きく左右に揺さぶった。
「やだー揺れるー気持ち悪いー」
「じゃあ起きて」
「やだー眠いー」
「……あー、じゃあ僕、ネロちゃんと一緒に行こうかなー」
「ごめんなさい起きます離れます」
その一言が効いたのか、ヒツユはすぐに枕から離れる。次の瞬間、彼女はフワリと浮き、そして床へと落下した。レオは見ていられず、思わず目を瞑る。
「痛っ」
「大丈夫?」
「頭を打ったんだけど」
「ドンマイです」
そんな気のない会話が交わされ、ヒツユの朝は始まった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「お姉ちゃん、起きて」
「……あ。おはよ」
「なんかえらく綺麗なお目覚めだね」
レオは少し驚く。いつもなら『あと五分~』などというテンプレート極まりない言葉が飛び出すのだが、今回はすぐに起きてくれた。
……というより、姉はこの前からどこかおかしい。話し掛けても、気付くまでに時間が掛かったり。廊下などで突然、気分が悪そうな表情をしていたり。体調でも悪いのだろうか。
「さてと、ご飯貰いにいきましょーか」
「わわっ、お姉ちゃん!! 水着ずれてる!! 隠して!!」
レオは驚いて目を背ける。はだけた水着のせいで、微妙に見えそうで見えない状況になっている。
「あ、ごめんごめん」
「ったくもう……じゃ、行こうよ。ネロちゃん達も連れ……」
そこで口をつぐませるレオ。
――――――昨夜はあんな事があったのだ。今頃どんな気持ちなのだろうか。
最後は何気無くコメディチックに終わって彼もホッとしていたのだが、それも一時しのぎにしかならない。今この瞬間まで明るいとは、絶対に思えない。
自分に対して、どんな対応をするのだろう。
周りの人とはどう接するのだろう。
何より自分自身と、どう向き合ったのだろう。
そんな考えが、レオの脳裏に焼き付いて消えない。
とにかく出ようと、レオは部屋のドアを開き、廊下に出る。この長廊下は相変わらず人が多く、いつでも渋滞気味だ。そんな中で彼は、ネロ達のドアの前に立つ。
ゆっくりと、ドアノブに手を掛ける。
(開けなきゃ……)
そうだ。
知らなければいけない。関与し、少しでも支える事が出来たのなら。
自分のしたことに、責任を持て。
最後まで、見届けろ。
生唾を一つ飲み込むと、レオはノブを捻る。
――――――ハズだったが。
「……?」
ドアがゆっくりと開く。
しかし、レオが開いたのではない。向こう側から、開かれている。
そう。
ネロの方から。
「……おはよう」
レオは、声を掛ける。
「おはよ、レオ」
満面の笑顔が、そこにはあった。
きっちりと長い赤髪をツインテールにし、いつもの赤い蜂のような格好をした少女。多少涙を浮かべてはいるが、確かにそれは、全てを飲み込んだ顔だった。
「どう?」
「どうってなんやねん。別にウチはなんともないで?」
とぼけたように呟くネロ。
今の彼女にはどこにも、真代の面影はなかった。
自称『大阪弁の元気なカワイコちゃん』であるネロは。
――――――確かに、そこにいた。
「……ふふ」
「何笑っとんねん。何かおかしいとこあるか?」
「いや、何でもないよ。『ネロ』ちゃん、僕達と一緒に行こう?」
そう言ってレオは、手を差し伸べる。
「…………」
ネロは終始不思議そうな顔を浮かべていた。が、やがて大きく頷き、
「うんっ」
その手を取った。そしてそれを両手で包み込み、言う。
「……これからもずっと『友達』でいよーな、レオ」
その一言には、ちゃんと意味がある。
恋焦がれるのはやめる。
だが、やめるといっても、『終わる』わけではない。
『友達』として。
あくまでも『友達』として、関係を続けていこう、と。
そんな事を、意味していた。
そしてレオも、それを理解していた。出来ていた。
だからこそ、彼は答える。
「……うん。よろしく、ネロちゃん!」
彼も、満面の笑みを浮かべた。
すると、隣で一部始終を見ていたヒツユが、
「??? どゆこと? 今更どうしたの? 昨日あの後何かあったの? 今の会話には何の意味が?」
不思議そうに首を傾げる。深く事情を知らないヒツユは、何がなんだかよくわかっていなかったのだ。
と、ネロはヒツユへと向き直る。
「意味ならあるで」
彼女は、ヒツユにも平等の笑みを向けた。
「ヒツユ、お前の勝ちってことや」
「!?」
ヒツユは信じられないといった顔を浮かべる。まぁ、無理もないだろう。昨日まで、あれだけいがみあっていたのだから。
「レオはお前にやる。だからその代わり……」
ヒツユの額を小突いたネロは、そのまま拳を差し出して、
「レオの事、絶対幸せにするんやで。もし別れたりなんかしたら、そんときはウチが貰ってくからな」
「わ、別れるわけないもん!! 結婚までいくもん!!」
「け、結婚ですと……!?」
レオは思わず目眩を覚える。
(……なんて事だ。ここまで来て、僕は未だに好きすら言えてないのか……意気地無し……)
思わず自分が恥ずかしくなるレオだったが、すぐに思い直す。
(いや、きっと言ってみせるぞ……!! いつか、そういつか……!!)
そう意気込むレオを横目で見たネロは、少し切なげに笑っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「いいのか? あんな事言って……」
配給待ちの間、ふと声が掛けられた。振り返ると、そこにはカノンが居た。
彼は少し不安そうな表情で、ネロを見る。
「なんや? 柄にも無く優しいやないか、カノン」
「別にそういうわけじゃねーけどよ……なんか、少し辛そうだったから」
「辛そう? ウチが? んなわけないやろ、冗談も大概にせぇや」
笑いながら軽くあしらうネロ。それでも、カノンの表情は暗いままだ。
ネロはなんだかいつもと違う彼に違和感を感じ、彼に近付く。
「そうか……」
「ホンマにどうしたんや、お前らしくもないで」
「お前、無理してねえか?」
「してへんて言うとるやろ」
「本当か? 俺にはそうは……」
しつこく食い下がるカノンに、いい加減ネロも嫌気が差してきた。
それは、なんだか心を探られているようで。
我慢している心を、荒らされているようで。
つい、
「してへんて言うとるやろ‼︎ ええ加減分かれや‼︎」
語彙を荒げてしまう。
周りの視線が集まり、それらは全て二人へと向けられる。たまらず、ネロは配給待ちの列を飛び出してしまう。カノンは慌てて、『お、おい!』と後を追い掛ける。
ヒツユら三人は既に配給を終えており、自らの部屋に戻っていた。すし詰め状態のエレベーターではぐれてしまった為、順序に公平さが無くなっていたのだ。
そのようなワケで、今ネロを終えるのはカノンしかいない。列を抜かされることも忘れ、カノンは彼女の背中を追った。
しかし、案外彼女は近い所にいた。通路の端にあるような、少し余分なスペース。特に何かあるわけでもない、空いたスペースに、彼女は立っていた。
壁に向かって立っている為、カノンからは表情が伺えない。
ただ、彼女はその小さい手を、苦しそうに握っていた。
「……ホンマ、自分が分からんねん」
「?」
ネロは僅かに俯きながら、呟く。
「もう終わったハズやのに。レオはあいつのモノ、ウチはレオの友達、それで終わらせたハズやのに……」
「ネロ……お前やっぱり……」
カノンには、なんとなく分かった。彼女が悩んでいる理由が。
彼女は、終わらせる事が出来ないでいるのだ。
自分の気持ちを。
恋焦がれ、猫耳の彼と居たい気持ちを。
「分かってた。レオには最初からヒツユがおった。やけど、ウチは奪おうとしてた。力ずくでも」
でもな、とネロ。
「あいつらはもうデキてる。ウチが入ってもどうしようもないくらい、あの二人は固く繋がっとんねん。だから、ウチにはどうしようもないやろ」
次第に、声が震えてくる。
彼女の頬を、何かが伝った気がした。
「ええねん別に。大体レオは弱いし、馬鹿やし、デリカシーもないし、優柔不断やし……」
大切なものを忘れたいが為に、それをなじる。
丁度、玩具を買ってもらえない子供が、意地を張って『別にあれ面白くないし、欲しくもないから』と言うように。
あえて格を下げ、いらないモノ、と自分に思い込ませるように。
なのに。
「……優しいし、ええ奴やし、言うこと聞いてくれるし……レオは……レオは……!」
何を言っているんだ。
これじゃ、諦められない。
悪いと思わなければ。
最悪な男だと、そう自分に思い込ませなければ。
なのに……。
「……もういい。分かったよ、お前の気持ちは」
「!」
いつの間にか、頭に手が乗せられていた。もちろん、カノンの手だ。
彼はガシガシと不器用に彼女の頭を撫でると、肩を掴んでネロを自分の方へと向かせる。
「なんだ、泣いてるべや。お前こそらしくねーぞ」
「……うるさい……手下のクセに……」
「はいはい、手下手下」
軽く小馬鹿にしたような声で、カノンは笑う。
少しだけ中腰になり、背の低いネロに目線を合わせる。
「目線合わすな……馬鹿……」
「お前が背小さいのが悪い」
あくまで真面目には取り合わないカノン。それは彼らしいといえば彼らしいし、ネロに対してもいつもの様子と変わらない。
「ったく、ホント柄じゃねーの。隅っこでウジウジウジウジってのはよ。お前はいつも、輪の中心で笑ってるような奴だべ?」
「……!」
ネロはハッとした表情を浮かべる。
まるで、何かに気付いたような。
「別にレオばかりに捉われる必要はねーだろ。俺なんかアミさんに告った瞬間無視だからな。それと比べりゃ、まだまだいいもんだ。あいつだって聖人君子じゃないんだから、お前に構ってられないんだよ」
「……」
「初恋なんか失敗前提だよ。それでウジウジするよかは、さっさと新しいの見つけな。その内、レオの事も忘れるからよ」
ネロには、こんな感情は似合わない。
さっさと切り離し、別の恋を探す方が良い。
カノンは、伊達に彼女との相部屋生活を過ごしてきたわけではないのだ。
ネロもまた、なんとなく納得のいく答えが得られた気がした。
悩まない。
柄じゃないから。
ウジウジするような、そんな弱い人間じゃないから。
真代だった時をも忘れ、ネロとして生きていくのだから。
「ほら、いくぞ」
そう言って、カノンは配給の列に戻ろうとする。
その時、ネロが呼び止めた。
「カノン!」
「ん?」
カノンは振り返る。
「……ありがとな! なんか元気出たわ!」
「そりゃ結構」
相変わらず気にしない様子で、カノンは呟く。
だが。
その顔には、僅かに笑みがこぼれていた。
「あ、でも俺はお姉さん属性ないとダメだから。カノン様に構ってほしかったら、そのまな板なんとかしろよー?」
「誰がお前なんかに構ってほしいて言うた! お前なんか興味無いわ!」
「まな板フラグは勘弁なー」
「誰がまな板じゃーっ‼︎」
どこか嬉しそうな喧嘩が、また始まった。