献身的な彼女
それから数日後――――――。
「……んっ」
窓が無いこの部屋は、朝日が射し込む事がない。研究所自体が地下にあるため、当然といえば当然なのだが。
だが、彼女らも人間である。キチンと朝に起き、夜に寝る。基本的な習慣がねじ曲げられる事はないのだ。
まぁ、そんなことはあまり関係無い。
今、寝起きである白いヒツユが真っ先に訴えたいことは。
「……んんんっ!?」
目の前が、何やら柔らかいもので埋まっていることである。
「わわわわわわわわッッ!?」
驚いて飛び上がる白いヒツユ。その勢いでベッドから転がり落ちてしまった彼女は、そういえば寝る前に下着以外何も着ていなかった事を思い出す。慌ててその辺のTシャツを手に取ると、一瞬とも取れるスピードで身に付ける。
そして一旦深呼吸をし、落ち着く。改めてベッドを見ると、そこには同じく下着しか着ていないイチカが眠っていた。どうやら、白いヒツユの視界は、イチカの胸の中に沈みこんでいたようだった。
「……ったく、いつのまにわたしにだきついたのさ、もう」
白いヒツユは頬を膨らませる。少し腹立たしい気持ちになりながらも、昨晩の事を思い出す。
『ヒツユちゃん一緒に寝ようよぅ』
『いやだ、こっちのはじでねる』
そう言って白いヒツユはベッドの端で眠りについたのだ。色んな意味でオープンなイチカに付いていけず、また、自分の気持ちを表現するのも何故か恥ずかしいため、結局彼女を突き放すしか出来ないのである。
(それなのにだきついてきて……まったく)
白いヒツユは少しボーっとしながら、眠るイチカを見つめる。スゥスゥ、という寝息が白いヒツユの耳をくすぐり、僅かに心地よい感覚にさせていく。いつの間にか、白いヒツユはその寝顔の虜になっていた。
気付けば、何分間もウットリと彼女を見つめる自分がいた。慌てて首をブンブンと横に振り、部屋から出ていこうとする。
すると、
「……ヒツユちゃあん……むにゃ」
寝言だろうか。そんな呟きが、白いヒツユの耳に入った。
「……かわいいなこんちくしょう……」
悔しいながらに、少女は呟いてしまっていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
と、まぁそんな朝を迎えた白いヒツユとイチカ。先に起きた白いヒツユが朝食を作り、後から寝ぼけ眼のイチカが食卓につく。食卓、と言ってもコンピューターだらけの机に向かい合って座っているだけなのだが、二人がそんなことを気にする様子はない。
「「いただきまーす」」
そう言い、二人は朝食を頬張る。トーストとベーコン、そして野菜の炒め物という一般的な食事だ。
「おいしー。ヒツユちゃん、もう朝御飯作れるようになったんだね。何でもすぐに覚えちゃって、良く出来た子だねぇ」
「イチカがいつまでも起きないからだよ。夜はイチカが作ってよ?」
「はいはーい」
呑気に返事を返しながら、ゆっくりとトーストを咀嚼するイチカ。彼女は幸せそうに笑いながら、炒め物へと箸を伸ばす。
(一昨日作り方教えたばかりなのに……早いなぁ)
そう、このメニューは、イチカが昨日の朝に教えたもの。彼女は朝が苦手で、どちらかというと夜にテンション上がるタイプなので、決まった時刻に起きる事が難しい。ようは寝坊助なのである。
なので、白いヒツユが先に朝食を済ませられるよう、昨日ささっと教えたばかりなのだが……既にイチカより料理が上手くなっている。まぁ、イチカもイチカで料理に興味を示すタイプではない。研究の合間、その片手間に教え込んだだけなのだ。
と、白いヒツユが唐突に、変な質問をしてくる。
「ねぇイチカ。このおにくとかやさいとかって、どこからとってるの?」
「ん? あー、それカルネイジの肉とカルネイジ化が進んだ農作物」
「ぶふっ!?」
その瞬間、飲んでいた牛乳を吹き出した白いヒツユ。次に彼女は、信じられないという顔をする。
「か、カルネイジのって……だいじょうぶなの!?」
「あー大丈夫大丈夫。カルネイジ細胞って再生機能がついた細胞ってだけで、それ以外は普通の細胞と何にも変わりがないの。いや、まぁ、脳神経に色々と影響を与える可能性がなきにしもあらずだけど……」
「だめじゃんそれ!!」
「それにしたって、僕達はもうとっくにカルネイジ化してるし。僕と君は、体内のカルネイジ化をうまい具合に留められたから、こうして自我を保ってられてるのさ。君にだって、一日に一回は検査させてるだろ? あれで異常な数値が出れば、その時にはそれ相応の処置を施すさ。……ま、食事なんかじゃ大してカルネイジ化に影響は出ないから、大丈夫さ」
ていうかね、とイチカは続ける。
「カルネイジ化をコントロールしている僕達には、むしろカルネイジ化した食材の方が良いこともあるんだよ? カルネイジの侵食が進んだ植物は、どういうわけか成長が段違いに早い。あんまり良くわかんないけど……きっと再生機能が上手く働いて、成長を促進してるんじゃないかな。だから、何年間もエッサホイサと耕さなくても、機械の制御で勝手に早く収穫できる。ただ、動物にはその兆しが見られないから、もっと研究が必要だね」
パンを頬張る事もやめて、イチカはペチャクチャと語り出す。白いヒツユがうんざりしたというように食事に視線を戻すが、イチカは自身の世界にのめり込んだまま抜け出てこない。
「動物は……そうだね、豚が良い例だ。ていうか今は豚しか分からないんだけど……どういうわけか、豚がカルネイジ化すると、肉が厚くなって脂肪分が増えたんだよ。身体の単純な大きさも増したから、食べられる量も増えた。たぶんこれは、カルネイジ化して生き残るように最適化された結果、エネルギーを溜め込む事を優先して脂肪が増えたんだと思う。知ってるかいヒツユちゃん、脂肪ってのは――――――」
「ストーップ!!」
白いヒツユは目の前で両手を合わせて会話を遮ると、ハァ、と溜め息をつく。
「はなしがながい。イコールきいてるこっちもめんどくさい」
「ま、要するに、食べることに関して僕達は事欠かないということだよ。パパとママが遺してくれた研究施設の機械って何でも出来るからね。研究以外の用途でも使えたりしちゃうんだよ」
頬杖をつきながら、箸を皿にコツコツと当てる。一瞬憂鬱そうな顔をしたイチカに、白いヒツユは何事か問い掛ける。
「ね、イチカ」
「ん?」
「イチカのパパとママって、どういうひと? いきてるの?」
イチカは、それを聞いて軽く肩を震わせる。しかし努めて笑顔を作った彼女は、あくまで楽観的な表情で話し出す。
「そうだねー。パパとママは死んじゃったんだ。僕がちっちゃい頃に」
「……ふうん」
「で、それがカルネイジが世に溢れる原因になった」
「ふうん。ってハァッ!?」
聞き流そうとしていた白いヒツユは、付け足された言葉に驚愕する。
白いヒツユの脳内には、『カルネイジ』という単語がこんな風に仕舞い込まれている。
――――――絶対的な強者。全てを喰らい、全てを破壊する『虐殺』の名を冠した怪物。
もっと詳しく言えば、地球上の動植物が『カルネイジ化』し、各々の突然変異を遂げた姿。生き延びるように変異した個体、奇怪な姿に変異した個体、はたまた何の意味もない変異を遂げた個体。それらが入り交じった、解釈不明な破壊者だと。
だが、イチカは言う。自身の両親の死が、その発祥に関わっていると。
そして、彼女は次に、こんなことを言い出した。
「ていうか、僕が二人を殺した。僕を止められなくて、僕に殺されていった」
「え……?」
「ヒツユちゃん。僕はね、『君達』とは違って、不完全な個体なんだ。僕一人だけの力じゃ、このカルネイジ細胞を制御しきれない」
箸をくるくると回しながら、彼女は呟く。
「だから、定期的に最適値に戻してる。注射でね。これがないと、僕はカルネイジ細胞に飲み込まれちゃうんだよ」
そういえば、と白いヒツユは記憶を掘り起こす。
(イチカこのまえ、くびにちゅうしゃうってたっけ……)
何気無い行動だったので、白いヒツユは気にも止めていなかった。イチカ自身もあまり気にした様子では無いようで、笑顔を浮かべながら話を続ける。
「ねえヒツユちゃん。僕にはね、目的があるんだ。何も意味無くこんな研究を続けてるわけじゃないんだ」
「もくてき?」
「……君を、この世界の神にする事さ。とんだ中二病じみた話に聞こえるかもしれないけど、聞いてくれるかい?」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
朝食を食べ終わった二人は、広大な研究室内のとある一室へ移動する。
そこには無数のコンピューターと、大きな画面があった。イチカはコンピューターの電源を入れ、色々と操作を終えた後、画面に向かって指を指す。
「あれを見てくれるかい?」
白いヒツユは黙って従い、そのスクリーンを見る。食物連鎖を表す際に使用するような三角形が表示され、それは三階層に分割されていた。それぞれの階層に、ちゃんとした名前がついている。
「そもそも『カルネイジ』っていうのは、全体を指して言う名称じゃないんだ。単純に一個体がカルネイジ化してしまったものを、『カルネイジ』と呼ぶ。そして、それは僕達みたいな強者にとっては、ただの弱者に過ぎない。一番下の階層さ」
下から三番目、一番個体数が多い階層には、『カルネイジ』という文字が入っている。
「んで、ここからが君の知らない領域なんだけど……この上には、少々複雑なカルネイジ化をした生物がいる。僕はそれらを、『デストロイ』って呼んでる」
デストロイ。破壊、破滅の意を持つ、虐殺の上を行くモノ達。生ある物を虐殺するだけでなく、生無き物までも破壊し、滅ぼし尽くすという意味である。
それは白いヒツユの背筋に嫌なものを走らせるような、そんな響きだった。
「発生方法としては、とあるカルネイジを捕食したカルネイジが、元のカルネイジの性質を受け継ぐ事。まぁ、別にそれだけってわけじゃないけど。うーん、例えば……」
そう言ってイチカはコンピューターを操作し、新たな画面へと切り替える。そこにはAとbという二つのアルファベットがあり、大文字のAが小文字のbを取り込み、合わさってAbとなっていた。
「もしも、この大文字のAが蛇型カルネイジだとしよう。そして小文字のbは……鳥型。さて、もし蛇型カルネイジが鳥型カルネイジを捕食し、その性質を受け継いだら、どうなると思う?」
白いヒツユは、恐る恐る答える。
「へびがたに……はね、がはえたり……とか?」
「ピンポーン、当たり。Aはbの性質の一部を受け継ぐ事が出来るんだ。さっきの場合だと、蛇型に鳥型の羽根が生えたりだとかね。で、これがAにとって優位に働き、カルネイジより遥かに強いと確証を得られた時、それは初めて『デストロイ』の名を冠するのさ」
つまり、異なる性質を同じ身体に秘め、尚且つカルネイジより脅威となった場合。その場合、そのカルネイジはカルネイジという存在を超え、『デストロイ』となる。
「今のところ確認しているのは、僕が創った四体だけ。それぞれには朱雀、玄武、白虎、青龍の名前を与えてる。今は亡き中国の神話に出てくる、四体の獣――――――いわゆる、『四聖獣』って奴だね。基本は僕に忠実だし、僕の命令もちゃんと聞いてくれるよ」
ただ、とイチカは付け加える。
「僕もまだ、自然発生した『デストロイ』を見たことが無いんだ。発生にも細かい条件があるみたいだから、そんなに沢山いるわけではないんだね」
そう言って、彼女は画面を元のピラミッドに戻す。その中段には、デストロイと書かれている。
「じゃあこの階級の頂点は何なのかなんだけど……これが、僕の目指しているもの、そして君になってほしい存在なのさ」
「わたしに……?」
白いヒツユは首を傾げる。
「これが『カタストロフィ』。カルネイジが歩兵、デストロイが王だとしたら、この存在は――――――」
イチカは小さく笑い、言う。
「――――――神、かな」
「かみ……?」
「そう、神。誰も勝てない、誰も殺せない。全ての生命の頂点に立つもの。僕なんかじゃ測りきれない程の存在……それが、神さ」
カタストロフィ。意味としては大災害。最早、全てを跡形もなく消し飛ばす存在と化した者。それは方舟以外の全てを押し流した、俗に言われる『ノアの大洪水』をも引き起こす事も出来る。怪物、なんて言葉じゃ推し量れないような、最悪の存在。
「それに、君がなるんだ。それには、君こそが相応しく、そして君こそが一番近い」
「わ、わたしが?」
「そう。かつては君のオリジナルを『カタストロフィ』にしようとした。でも、あの娘は死んでしまった。だから代わりに、君を造った。あの娘は体内のカルネイジ細胞と通常細胞の比率を、ちょうど1:1で保つことが出来ていた。僕みたいに不完全でない、完全な素材」
イチカは白いヒツユの目の前に駆け寄り、その手を両手で包み込む。
「わっ」
「でも、君は更に上なんだ。体細胞は全てカルネイジ細胞、だけど脳内のカルネイジ細胞による汚染率は全くのゼロ。クローンだからこその、最も神に近い存在!」
イチカはキラキラと目を輝かせる。
「普通カルネイジ細胞は、人間に取り込まれたら、まず人間の精神を侵そうとしてくる。でも、君は最初からカルネイジ細胞だけで構成されてるし、精神が汚染されていく様子もない。まさに、神になるべき存在なんだ。この僕が、そうなるように創りあげたんだよ!」
白いヒツユに顔を近づけて、イチカはそう宣言する。その顔はまるで無邪気な少女のそれであり、研究者としての研究者としてのそれでは決してない。
「だからヒツユちゃん。君は神になるんだ。そして僕と君以外の全てを滅ぼして、二人だけの世界を造り上げよう!」
「ふたりだけの……せかい……?」
白いヒツユは首を傾げる。なにやら話が急に飛んだ気がして、理解に苦しんでいたのだ。
「そう、他の奴らなんていらない。カルネイジも、デストロイも、人間も。カタストロフィである君が世界の頂点に君臨し、僕は君の唯一の家族として側にいるんだ。他には何も無い、二人だけのイチャイチャラブラブな世界さ」
「……いちゃいちゃらぶらぶはかんべんしてほしいんだけど」
「それを抜きにしたとしても、君がカタストロフィになってしまえば、もうこの世界は僕達二人だけになる。それでいいじゃんか。……ったく、君以外の人間はクズばかりだ。他人を蔑む、殺す。けど、僕も例外じゃない。僕はクズさ。だからこそ、クズとして君の側に居たいんだ。君に、僕の罪を洗い流してほしいんだ」
「なにをいって……」
白いヒツユは半ば戸惑う。どんどん話が飛躍している。
と、急にイチカは真剣な顔で、
「だって君は神なんだから……ね」
イチカはそれだけ言うと、再びコンピュータをいじりだす。
「ま、その為にやることがあるのさ。それは――――――」