彼女の異常性
コツコツ、と。
階段を下る音が、イチカの耳に入る。
(……ヒツユちゃんも完成したし。そろそろ、下準備をした方がいいかな)
イチカはスカートのポケットから、鍵を取り出す。ジャラジャラと五月蝿い音を立てるそれは、十何種類もの鍵が一束になった、いわばマスターキーだった。
真ん中のリングに指を通しながら、その鍵をくるくると回す。陽気に鼻歌を歌っている内に、とある重いドアの前に出た。
「~♪」
ドアノブに鍵の一つを挿し込み、クルリと半回転させる。小気味いい音が鳴り、ドアが開かれる。
その先は――――――
「気分はどうかな?」
――――――牢屋だった。
ただし、誰も安易に想像するような、コンクリート造りの古風な留置場ではない。言ってしまえば、部屋一面が白で統一された、小さなベッドルームの集まりのようなものだった。
とは言うものの、扱いはやはり牢屋、留置場だ。ホテルのように真ん中に廊下があり、そこから左右に個室がある。ただ、個室といっても快適なモノではない。簡素なトイレと水飲み場、薄い毛布一枚だけという、優遇されているとは言い難い部屋だ。
そして、イチカは先程、その中の一つに声を掛けた。その中にはとある子供達が監禁されていた。
「出して!! ここから出してよ!! ねぇ!!」
人数は三人。少年が二人と、少女が一人。
そう、イチカがここに帰ってきたときに出会った子供達である。
少年の一人は、激昂した様子で、
「僕達を騙しただろ!! ここに住まわせてくれるって……!!」
「住まわせてあげてるじゃないか。こんないい部屋にさ」
「ふざけないでよ!! こんな狭い部屋に、三人で……!! ユリちゃんだっているのに!!」
ユリちゃんというのは、どうやら紅一点の名前らしかった。当の本人は、毛布を被って横になっている。感情が消えかけたような虚ろな目で、少年達を眺めている。
イチカは、それに対して何の言及もしないままだった。
「僕は別に、快適な暮らしをさせてあげるなんて一言も言ってないからね。ご飯食べれて水飲めて寝られる場所があるだけありがたいと思った方がいいよ」
「僕達をどうするつもりなんだよ!! こんな所に住まわせて……!! 野垂れ死にさせなかったのには、何か理由があるんじゃないの!?」
「ほーう。なかなか頭の回転が早いね。小学生くらいの男の子が、そんなこと考え付くなんて」
「何もすることがないんなら、考え事くらいするさ……!」
確実に、彼の心には憎しみが積もっている。それはもちろん、イチカに向けられたものに違いない。
が、イチカは溜め息をついた。
「ハァ……ていうかさ、そもそも君達は『何でもする』と言ったわけですよ。僕に。ということはね、君達がどうなろうと、決定権は全て僕にある。約束を破るのはあんまり頂けないなぁ」
「こんなことされるなんて思うわけないじゃないか!! それに、あの時僕達は死にかけてた。その時々の言葉なんて覚えてるわけないだろ!!」
「いやいやいやいや。約束は約束だからねぇ」
イチカはニヤニヤと笑う。まるで少年が抵抗するのを楽しんでいるかのように。
「んー、じゃあまぁ、言っちゃってもいいかな?」
それから、イチカは廊下の中央に立つ。留置場の全員に聞こえるような、大きな声を上げる。
「はーい! みんな聞こえるー? 子供達から『これからどうなるのー?』っていう質問があったんでー、答えたいと思いまーす!!」
その声に、監禁されている人間全てが耳を澄ませる。ある人は俯いている顔を上げ、ある人は鉄格子にしがみついた。それだけ、監獄された人々は、これからの運命が気になるのだ。
何しろ、彼等の命は、彼女の手の中にあるのだから。
――――――そして、少女の声が、響き渡る。
「あなた達はある女の子の実験台となりまーす。とりあえず全員にする事はー、カルネイジ化の為の薬を打つことー! 色々サンプルを取らせてもらってー、最終的にはその女の子と戦ってもらいまーす!」
一瞬だけ、静寂が訪れた。
「……嫌、」
だが、誰かがポツリと呟くと。
「……嫌ああああああああああああああああああああああああ!!!」
「カルネイジ化って……!? あの化け物みたいになるってことか!?」
「戦うって何!? 嫌だ、死にたくないよッ!!!」
阿鼻叫喚、とでも言うかのように、怒号と悲鳴が留置場を包む。そのどれもが、拒否を示す内容だった。
その反応に対して、イチカはただ高笑いを繰り返すだけ。救いの言葉も何もなく、ただ彼等の恐れおののく姿を嘲笑っているだけだった。
色々な音が聞こえる。
鉄格子をギシギシと軋ませる音。壁を乱暴に叩く音。何かを吐き出したような音まで聞こえる。恐らく、あの恐怖の象徴の名前を聞いただけで、彼等が体験した惨事を思い出してしまったのだろう。
「まぁまぁ、落ち着いて。別に今すぐやるわけじゃないよ。何人かずつ連れていって、僕がお注射しちゃうだけ。それから隔離して、反応を見てから、色々と調べるから」
イチカがそう言うと、先程の少年が反論した。
「結局は化け物にされるんじゃないか!! 嫌だよ!! ここから出して!!」
「あー、いいよー」
そう言うと、イチカは個室の鍵を開ける。少年は信じられないという顔でイチカを見た。
「……ゆ、ユリちゃん!! リョウ!! 早く出よう!!」
少年はユリの手を掴み、もう一人のリョウという少年に発破をかけ、個室の外へと飛び出す。
「まぁ、」
そして、留置場のドアを彼等が開こうとした、
次の瞬間。
「個室から、だけどね」
「え――――――、」
思わず振り向いた少年の視界からイチカが消え。
そして、気付けば。
壁に叩き付けられていた。
「が、ぁ……?」
もう、少年の意識は消えていた。
額からドクドクと血を流し、継続的に吐血を繰り返す。
少年の手から離れた二人は、廊下の端へ転がっていった。少女はその勢いで壁に額を打ち付け、震えながら縮こまっている。リョウと呼ばれた少年は自暴自棄になりながら、拳を握ってイチカへと向かう。それがどんなに無謀だったとしても、怒りが頂点に達した彼には関係なかった。
が、イチカもイチカでわざわざ殴られるような事はない。
彼女はスカートのポケットに手を突っ込んだまま、猛烈な勢いで膝を彼の腹に直撃させる。衝撃で少年が嘔吐すると、明らかに嫌な表情を浮かべ、もう一本の脚で弾き飛ばす。
「あぐっ……!!」
「汚い。気持ち悪いし雑魚いしキモいしもう正直殺したいレベルだわ、君」
周りの人々は何も言えずにポカンとしているか、自分に厄災が降りかかるのを恐れて見向きもしない。イチカはそんな連中には見向きもせずに、気絶したリョウの横を抜け、ユリの目の前へと立つ。
「君は、あのバカ達と違って大人しいもんねー?」
「……ね、……」
「ん?」
少女の口から、小さく言葉が洩れ出す。イチカはニコニコと笑顔を浮かべながら、聞き返す。
「……死、ねばいいのに……!! この、化け物……!!」
その瞬間、イチカの中で何かが切れた。
そして笑顔を浮かべたまま、彼女の右の太股を踏み潰す。
「あ、があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!?」
グチャ、という生々しい音。彼女の脚は根元からもぎ取られ、イチカによって蹴飛ばされる。その脚が牢獄のドアに当たって止まり、中に居た男が『ひぃっ』という声を上げる。
「なんだって~? もう一回言ってもらえるかな~?」
「な、ん……回だって、言って……やる……!! 死ね……!! 化け、物!! ク……ズ!! ゴ……、ミ!! 気違――――――あああああああああああああああああああああああああああああがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!」
瞬間、イチカの脚が彼女の左腕を蹴り飛ばす。血が噴水のように噴き出し、彼女の瞳が変な方向へ向く。色々と気持ちの悪いものを口から垂れ流しにし、涙を浮かべる。
断末魔を浮かべる少女に向かって、イチカは呆れたように呟く。
「参ったなぁ……この子が一番のバカだった……この僕に逆らうだなんて……」
イチカのハイソックスは噴き出した血で真っ赤に染まり、ポタポタとそれが滴ってくる。彼女はそれを少女の頬へと擦り付けると、そのまま腕の断面を踏みにじる。
「カルネイジ化の注射をすれば腕くらい元に戻ると思うけど……そもそも人間の姿を保てるかどうかも分かんないしね。人を完全なカルネイジ化させるのは初めてだし」
「あ……が、ぅ……」
「とにかく運ぶか……よいしょっと」
そう言うと、イチカは特に気にしない様子で、少女の襟首を引っ張る。そして少年二人を左腕で抱え、少女を右手に持ち変える。
ボタタッ、と血が滴るが、イチカは気にしない。気持ち悪さに嘔吐する投獄者達を横目に、彼女はマスターキーを手に取り、留置場を後にする。
後には、少女の腕と脚、そして大量の血液しか残ってはいなかった。