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解放

――――――そして、目を覚ませば。

暗い部屋に居た。動けない。気泡がふわふわと浮かび、上の方へと移動していく。

どうやら水中にいるようだった。しかも、狭い。身体を動かせないのだから意味はないが、何処か閉塞感を感じてしまう場所。

メスシリンダーを人一人が入るほどに巨大化させたようなものだった。

その中で『それ』は、意識を覚醒させた。

(……こ、こ)

重めの起動音が休みなく流れ続ける。この大きなメスシリンダーのような、機械の音だ。

目の前には、少女が立っている。

黒い髪に、紅い瞳。上には白衣を来ており、下にはスカートを履いている。

この機械が収められている狭くて暗い部屋の中で、彼女は何かに恋焦がれているかのような表情を浮かべていた。それが自分だと知ったとき、『それ』は僅かに心臓が跳ね上がった。

(綺麗な人……)

半分寝ているかのような朦朧とした意識の中、そんな感情だけが舞い上がってきた。まるで恋に落ちたかのような、そんな気分だ。

目の前の少女は、傍らにある机に座る。そして、その上にあるパーソナルコンピュータに、彼女は素早い仕草で何やら打ち込んでいく。

それは、時間に換算すると30分くらいの出来事。

たったそれだけの時間が過ぎた後、『それ』は特別な体験をすることになった。



――――――彼女の頭に、異様な速度で情報が流れ込んでくる。



(……ッッッ!!?)

それは、案外他愛もない情報だった。


――――――わたしの名前は、霧島(きりしま)日露(ひつゆ)


――――――歳は14歳。だけどクローンだから、実際は1歳にもなっていない。


――――――目の前の少女の名前は、九十九(つくも)一花(いちか)。歳は16歳、わたしの二歳上。


――――――彼女はわたしが好きで堪らない。わたしも彼女の事が好き。


――――――ただし、この感情は後からプログラムされるものではなく、本能的なものとする。


――――――ここは彼女の研究施設。


――――――わたしには『覚える』力がある。どんなことでも瞬時に覚えて、彼女の手助けをする。


細かく言えば更に精密なプログラムなのだが、かいつまんで言えばこのような感じ。一気に押し寄せる情報量に、『それ』、いや『霧島日露』は、拒否反応をしてしまう。

身体は動かせない。が、まるで脳味噌に水を流し込まれているかのように、情報が詰め込まれていく。それを受け入れることが出来ず、彼女は苦しそうにもがく。

(アアアッ……アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!)

その内に、彼女の茶色だった髪が白く染まっていく。目の前の少女、『九十九一花』は、まるでバグを見つけたプログラマーのように、慌てた表情を浮かべる。

身体も少しずつ自由になっていく。小刻みに震え、そして全身に血が巡る。いつしか彼女は、身体中のチューブを引き千切り、ガラスのメスシリンダーから出ようとしていた。

その壁を、強固であるはずのガラスを、叩き割るような勢いで。

そしてそれは、比喩表現でも何でも無くなってくる。

最初はヒビが入る程度だった。

それが繰り返され、機械全体が嫌な音を立て初め、

そして、



ガラスを叩き割り、彼女は滑り出すように外へと飛び出した。



ベタン、という音がした。それは、彼女の身体が床に叩きつけられた音。

背中や腕、その他色んな部分からチューブが取り付けられており、それは機械から抜け出した後も、淡々と彼女の脳に情報を叩き込んでいく。

『霧島日露』はそれに耐えられない。悲痛を押し出したかのような呻き声と共に、彼女の裸体はビクビクと床を跳ねる。

ゆっくりと、左手を前に出す。そこに何もなく、何も掴めないのにも関わらず。その苦痛から抜け出そうとするかのように、彼女の(てのひら)は空を泳いだ。

「あぅ……、あ、ぁ……」

だんだんと、彼女の瞳が虚ろになっていく。紅い両目が、少しずつ閉じかける。机の上のパソコンは、異様な音を立てながら、『インストール中……』と書かれた画面を表示していた。

そして、その数値が98パーセントを超えたとき、



彼女の身体は、『九十九一花』によって抱き上げられた。



「ぁ……?」

「大丈夫かい、ヒツユちゃん?」

『九十九一花』。彼女は『霧島日露』の身体に触れ、優しく抱き締める。

(……暖、かい。優しい、声……)

ハッ、ハッ、と小刻みな呼吸を繰り返す白髪のヒツユ。唇は青ざめ、顔は真っ青に染まる。濡れた髪からは水滴が滴り、イチカの肩へと落ちる。

その瞬間に。

ピッ、という音と共に、パソコン画面のケージが満タンになる。

つまり。

情報のインストールが、終わる。

ヒツユの身体から力が抜け、彼女はイチカへと全身を投げ出す。

そんな『造られた存在』にキスをしてから、イチカは呟いた。

「……おかえり、僕の神様(カタストロフィ)



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



次に目を覚ました時は、ベッドの上だった。

地肌の上に白衣を着させられており、手首に何かを測るような、ケーブル付きのシールのようなものが張り付けられていた。

「……ぁ」

「起きた? ちょっと予想外の展開だったけど……数値に異常はないよ」

傍らには、パソコンの画面を見つめる少女がいた。黒髪紅眼、白い肌の綺麗な女の子。赤い眼鏡を掛けて、頬杖を付きながらキーボードを叩いている。

「……イ、チカ」

「そう、僕がイチカ。君はヒツユちゃん。分かるよね?」

「……うん」

白いヒツユは小さく頷く。トクントクンと跳ねる心臓を感じて、初めて生きているのだと実感する。

「とにかくゆっくりしてて。君にはちょーっと重要な任務があるからね、ゆっくりできるうちにしといた方がいいと思うよ。まぁ、あんまり辛いって訳でもないし、休みも取るけどね」

「イチカ……わたし、クローンなんだよね?」

「うん。……でも、オリジナルは多分死んじゃったし、君がオリジナルだといっても過言じゃないと思うよ? ……よし、先にインストールしといた情報はちゃんと仕舞い込まれてるね」

イチカは安心したように息をつく。眼鏡を外し、机に置いた。椅子を後ろに引き、白いヒツユをまじまじと眺め出す。

白いヒツユは照れているのか、顔を赤くしてそっぽを向いた。

「あ~……可愛い……一晩中見てたいくらい可愛いよヒツユちゃん」

「……なんか、はずかしいよぉ」

「ホントは今すぐベッドに飛び込んで滅茶苦茶にしたいとこだけど……生憎(あいにく)、疲れてるだろうから、今夜は我慢するよ」

「こんや『は』ってなに?」

「明日の夜は襲うという事だよ仔猫ちゃん」

やや低めの声でカッコつけるイチカ。ガンマンのように人差し指を向けて、これ以上ない笑顔を見せた。

今の彼女は白衣を来ていなかった。恐らく、白いヒツユが着ている白衣は、彼女が着ていたものなのだろう。黒い、ぴっちりと肌に吸い付くようなシャツが見えている。

そして、

(ちちデカイな……くやしい……)

白いヒツユは、その身体のラインがはっきりと見えるシャツによって際立った、イチカの巨大な胸に劣等感を覚えた。と同時に、本能に植え付けられた恋心というかそういう(たぐい)の感情によって、ドキドキと興奮を覚えてしまう。

と、イチカは白いヒツユの目線を追う。やがてそれが自分の胸に向けられていることを知ると、満足そうな笑みを浮かべて、

「ん? ……ははーん、悔しいんだ。僕のコレの大きさが悔しいんだなー? ふっ、そのデカ乳を悔しく思う気持ちは僕からしたらもう萌え要素でしかないからもっと悔しがりなさい」

「そのちちよこせ!」

「可愛いのう可愛いのう」

「イチカがわたしのことをつくったんだったら、なんでもうちょっとグラマーにしなかったの!」

「それが貧乳萌えってやつですよ」

「もーいみわかんなーい!!」

大声を上げてふてくされる白いヒツユ。イチカに背を向け、不機嫌を露にする。

一方、イチカの方はとろけそうな表情で白いヒツユを見つめている。机に両肘を乗せ、掌の上に顎を掛ける。そんな楽な姿勢で、彼女は目の前の天使を見つめていた。

(やべーヒツユちゃん超可愛いやっべー)

こんな可愛くていいのだろうか、とイチカは半ば本気で思う。貧乳はコンプレックスとして存在し、そしてそれを恥じらうから萌えるのだ。胸を突き出す貧乳なんて、飛べない事を自慢している鶏と同じだ。

髪が白くなったのも、可愛い(どちらかというとカッコいい)のではないのだろうか。何故こうなったのかはよく分からないが、こうして彼女の思惑通りの存在になってくれたのだから、万々歳だ。

……といった欲望丸出しの考察をしている内に、イチカは彼女ともっと接してみたいと思った。

「ヒツユちゃーん?」

「もうしらないしきいてないしはんのうもしないからねプンスカ」

「してるし可愛いし萌えるし卒倒モンだわコレ」

「……ばかっ」

イチカは小さく笑いながら、椅子から立ち上がる。そしてベッドに腰掛けると、静かに白いヒツユに語り掛ける。

「なんだかんだで結構元気だね」

「べつにだれもつかれてるなんていってないし」

「……ふーん、じゃあやっぱしー……」

と、次の瞬間。

イチカは突然力を込め、白いヒツユの肩を引っ張り、仰向けの体勢へと戻す。

ガタッ!! という音。

白いヒツユが驚いた表情を浮かべた時には、既にイチカの顔が目の前にあった。

「今夜……襲っても大丈夫かな?」

息がかかる程、鼻先が触れ合う程の近さ。もう何センチか近付けば、唇が重なってしまう程の距離で、二人は思い思いの感情を渦巻かせていた。

「なっ、なっ、えっ……と……!?」

白いヒツユはあたふたと慌て出す。視線が色んな所に泳いだり、言葉を口にしようもどもったりと、内心が見え見えな分かりやすい反応を取る。

対してイチカは、常に落ち着き払っている。白いヒツユが慌てるのも気にせず、距離を少しずつ縮めていく。

遂に額と額が触れ合い、もはやここまでかと覚悟を決めた白いヒツユが目を(つむ)った時、


「……なーんてね。ドキドキした?」


イチカは悪戯っぽく笑うと、額を離し、そのままヒツユの上に馬乗りになるような体勢に戻った。

「ふえ……?」

訝しげな表情を見せる白いヒツユ。

「だから言ったでしょ、今夜は我慢するって。もしもここで僕と君で情事に持ち込んで、君の身体に異常でも起こったらどうするんだい? ……一時の感情に任せちゃって君を壊すなんて、僕は絶対に嫌だからね」

そう言って、彼女はにっこりと微笑む。

「……ま、明日なら大丈夫だと思うから、そんときは食べちゃうけどね」

「……ば、バカじゃないの!? わたし、そんなのごめんだよ!!」

「そう? 満更(まんざら)でもなさそうな顔だよ?」

「ちがうちがうちがーうっ!!」

顔を真っ赤にして叫ぶ白いヒツユ。首を勢い良く横に振る彼女は、自分の中の感情を無理矢理否定するような、そんな雰囲気だった。

それを見透かすように、イチカは、

「じゃあ、僕の事嫌い?」

「うっ……」

「ねぇ、どうなの?」

ニヤニヤと笑いながら囁くイチカ。彼女は白いヒツユの、その心の奥底の感情を知っている。というより、それを造り出した。その為、既に確証は得ているのだ。

今はただ、彼女を少し(いじ)めたいだけ。少女が恥じらうところを、少しばかり見ていたいだけなのだ。

白いヒツユは耐えられないというように目を背け、

「……きらいじゃ、ない、けど……」

「じゃあ好きなんだね良かった良かった」

「ちょっ……うぅ……」

悔しそうな表情を浮かべる白いヒツユ。イチカは彼女の額にキスをすると、そのままベッドから降りる。

「じゃ、僕は別室で寝るよ。寝相が悪くていつの間にか君の関東平野に頭突っ込んでるといけないからね」

「だ、だれがかんとうへいやじゃい!!」

「可愛い可愛い。その恥じらいが可愛いんだよ。……んじゃ、おやすみ」

そう言い、片手を振りながら、イチカは部屋を出ていった。ドアが開き、パタンという閉まる音が響く。

そして静寂に包まれた部屋で、白いヒツユはこう呟く。

「……いじわる」

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