トラウマ
「あぁぁ……疲労。激しく疲労」
「ほら何やってんだハーレムマスター。早く着替えろよ」
再び脱衣場。レオは風呂から上がったまま服も着ず、ただ扇風機の風を受けていた。銭湯でよく見るような、天井に取り付けられているアレである。
それを横目に見ながら、既に着終わったカノンは、水を口に含んでいた。
「ハーレムマスターじゃないですよ……ホント、マジで苦手なんですから……あぁ、頭痛いぃ……」
「まぁあんな貧乳幼女共にモテるのは俺はゴメンだわ。俺はもうちょっと豊満なお姉さま達に抱かれたい」
「幼女って言っても二人とも僕と同い年ですよ……緊張するに決まってるじゃないですか……ていうかカノンさんいくつなんですか?」
「俺? 俺は15だけど?」
「僕と一歳しか変わんないじゃないですか!!」
ビシッ、と片手を添えてツッコむレオ。なんだかんだ言って、彼もレオ達と一歳しか変わらないのだった。
諦めたように溜め息をつき、服を着る。
と、カノンは訝しげな表情を浮かべる。
「レオ……」
「はい?」
「今気付いたんだけどよ……お前、その耳と尻尾ってコスプレじゃなかったのかよ」
「今更過ぎませんか……?」
「いやいや! なんでんなもん付いてんだよおかしいだろうが!! もっと自分に疑問持てよ!!」
「そんな『もっと自分に自信持てよ』的なノリで言われても……」
レオは困った、という顔をしながら、自身の尻尾に触れる。
「……これ、自分でもよく分かんなくって。なんか気付いたら付いてた……っていう感じなんですよね」
「意味が分からん……」
「僕も分かんないんですよ。しかも、これが付く前の記憶が全部飛んじゃってて……実際のところ、僕がお姉ちゃんと姉弟なのかも怪しいです」
「……ま、顔も似てるし、見た感じは姉弟だろうけどな」
「でも、その事はあんまり考えないようにしてるんです。だって、無いものを思い出そうとしたって、何も分かるワケないですからね」
悲しげな目で、精一杯笑うレオ。どう見ても作り笑いなのが、カノンでさえ見てとれた。
それから会話は一切無かった。
そして着替え終わると、彼は吹っ切れたように、
「……さてと。行きましょう、カノンさん! 二人とも待ってるんじゃないですか?」
「お、おう。行くか」
「……ちょっと聞いたの後悔してるんじゃないですか?」
「いや、べ、別に……」
「大丈夫ですって! 姉が実は姉じゃなかったなんて、そんな近親相愛系エロゲみたいな展開あるわけないじゃないですか!」
「例えが醜悪すぎるだろ……」
「ま、まぁ……そんなのどうでもいいですって! 早く行きましょう!」
笑ってカノンの手を取るレオ。彼はやけに大袈裟な身振りで、廊下へと向かっていく。
だが、その裏に隠しているものは、カノンには何となく分かった。
――――――恐いのだ。
自分の過去に何があったか分からず、奇々怪々な格好を余儀無くさせられている自分自身が。
それは明かされるとは限らず、その格好が元に戻るとも限らない。自分ではどうしようもなく、せいぜい自身の姉に聞くしか無いのだろう。
僅かに手が震えているのを、カノンは察してしまう。
(……こいつ……)
しかし、カノンにはきっと何も出来ない。助ける事など、夢のまた夢だろう。
そもそも。
助けるという考えに至ること自体、おかしい。カノンには、そんな義理はないのだから。
だから、彼は気にすることもない。レオに引っ張られるがまま、脱衣場から飛び出す。
(……ま、関係ないか)
そこには、笑顔で手を振るヒツユと、早速レオに飛び付くネロがいた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――――――そして、それより数分間前。
「う~ん、大して寝れない~」
頭をボリボリと掻きながら、上半身だけ起き上がるアミ。ベッドに入ったはいいものの、特に眠くはないのだった。ただ、ゴロゴロと過ごしたいだけ。
が、アミは何となく落ち着かなかった。新しい環境だからだろうか。
彼女はゆっくりと掛け布団をよけ、脚を床へと出す。相変わらず彼らが帰ってくる様子もなく、部屋は妙な静けさに包まれていた。
「どうしよ。なーんもやることない」
無表情のまま、閉じたドアを見つめる。それから体育座りをして、再びドアを見つめる。
「……つまんなーい。ホントつまんなーい」
独り言を繰り返し呟く。そんなことしか出来ない程に、この部屋は何もない。
「んー……。アミもみんなと一緒に行けば良かったな。どこ行ったんだろ」
とりあえず外に出ようと、アミはのっそりと立ち上がる。片目が隠れるほどの長い黒髪をいじりながら、彼女は欠伸を噛み殺す。ノブを捻り、廊下へと出る。
左右に伸びる、異常なほどに長い廊下。無機質な、コンクリートのような壁は、触れるとひんやりとした冷たさを伝えてくる。所々消えている蛍光灯からして、ロボット達が人間のことを上に見ていないのが分かる。
(何気なく言ってるけど……ロボットってどんな生活してんのかな?)
先程、朝食の配給で見掛けたロボットは、人間と何も変わらない、穏やかそうな女性型だった。エプロンを身に纏い、柔和な表情で微笑んでくれる。
それ以外には、あまりロボットは見掛けなかった。恐らく、壁内居住区の中には、あまりロボットが居ないのだろう。
(全部機械がやってくれるのかな? ……機材の管理とか、そういうの)
とにかく、何も考えずに歩き出す。彼女の履くサンダルの軽い音が、何気なくアミの耳をくすぐる。
すると、先程の配給の最後尾が、エレベーターからぞろぞろと出てきた。少年少女や若者、おじさんやおばさんなど、数を数えればキリがない。
そんなもの、アミにとっては何の興味を引くものではない。精々、『いっぱいいるな』程度である。
そうだ、その『集団自体』は、アミにとってどうでもいいもの。
だが。
「――――――ッ!?」
アミは、それを見て息を呑んだ。
忘れるワケがない、一番嫌いな顔を見た。
「はぁ……相変わらず少ないな……」
それは、髪をオールバックにし、無精髭を生やした男だった。歳は40代くらいで、ぶつぶつと独り言を口にしている。それは配給のパンに対する不満のようで、欲が深そうなのが見てとれた。
(あの、ひ、と……は――――――)
アミは一歩後ずさる。それもよろよろと、頼りなく、だ。
そして。
耐えようのない嗚咽感が、彼女の中で渦巻いていく。
(――――――っ、)
アミは急いで後ろに振り向き、そのまま走り出した。片手で口を押さえながら、転びそうな程に不規則なよろめきと共に。
少し走り通した所で、彼女はトイレのドアを思い切り開く。そのままの勢いで個室のドアを開き、便器の前にかがみこんだ。
「お、えっ!!」
溜め込んでいた嗚咽感を、全て便器の中へとぶちこむ。ハァ、ハァと大きな息遣いをし、呼吸を落ち着けながらも、胃をひっくり返すような気持ち悪さは改善しなかった。
「……なんで……なんであの人が……」
アミは自分の身体を自分で抱きながら、耐えようもないおぞましさに震える。
忘れもしない。
いや、正確には今まで忘れられていたのだが――――――思い出してしまった。
幼い頃の一番、いや、今まで生きてきた中で、一番汚らわしい思い出。それこそ、嗚咽を繰り返してしまう程の。
(……アミの身体を……汚しておいて……嫌ぁ……)
捕まったのでは無かったのか。少なくとも、今でも刑は続いているハズ――――――。
(まさか……カルネイジの混乱の……どさくさで……!?)
男の名前は知らない。幼い頃なのだから、住所だって知るハズがない。
なのに、内装は事細かに覚えている。どんな間取りで、どの位置に何があって。
こんな思い出、捨ててしまいたい。出来ることなら、頭の中から締め出してしまいたい。
限りない程の辱しめと、苦しみと、寂しさを経験させられた、あの出来事を。
その記憶の断片を思い出し、自分がその時どんな状態だったかを思い出してしまい、そして、
「っ……あッ!!」
再び、喉の奥から気持ち悪いものがこみ上げ、それを吐き出してしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『なるほどねぇ……これは辛いな……』
狐。
そう呼ばれるアミの分身は、闇は、彼女の記憶の断片を流し読みしていた。暗闇の中で、まるで文字が浮かぶかのように。
『うわうわうわ……あのオッサン、ひっどい事するなぁ……わ、こんなことまで! エロいとかの範疇を超えてるな、これ……』
しかし、彼女に同情の念は無かった。蔑みも、憐れみも。ただただ、ニヤニヤと笑いながら、それを読んでいくだけ。
『おおう、こっちなんか「せijぢ」って文字化けしてる……恥ずかしすぎて文字にすら起こせないか……』
狐型の中には、少しの希望が見え始めていた。かなり待つことになるハズだったチャンスが、こんなにも早く訪れるのだから。
彼女はその赤い視線を、飛び交う文字の集団から外す。軽く舌舐めずりをし、小さく笑った。
『想像だけど……このオッサンは捕まったけど、仲間たちの襲撃の中、どさくさに逃げ出したってところかな? いやぁ、助かった助かった』
そして、狐型は瞬きをする。すると次の瞬間、心が空っぽになったかのような、そんな宿主の姿が、そこに現れた。
『早くこの身体が欲しい……メンタルがさらに虚弱になれば、身体を奪う事が出来る……そうすれば……』
彼女は、静かに笑った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「たっだいまー」
「……おかえり……」
ウキウキしたような表情のヒツユ。彼女が部屋に戻ると、そこには何故か元気のないアミが居た。憂鬱そうに額を押さえながら、視線だけをヒツユに移す。
「どしたの? なんだか元気無いみたい……」
そう言われて初めて気付いたのか、アミはハッとした表情を浮かべる。そして、努めて笑顔を作った。
「そ、そう? いや~、寝起きだからかもね~」
「……ならいいけど」
ヒツユは疑るようにアミを見つめ、顔を近付ける。額と額がくっつくほどまで接近した彼女は、更に信じられないという表情を浮かべて、
「何か……思い詰めてない? まだ、レンさんの事忘れられないの?」
「い、やぁ~そんな事は……無い、かな?」
おどおどと視線を揺らがせるアミ。彼女にしては珍しく、何処か戸惑っている様だった。普段はふわふわとした性格なだけあって、こういうところではボロが出るのだろうか。
「お姉ちゃん大丈夫……? 何かお姉ちゃんじゃないみたいだよ……?」
後から入ってきたレオが、心配そうな顔で見つめる。が、彼の方が何となく疲労感に見舞われているのは気のせいだろうか。
「アミじゃないみたいって……分かんないよ、そんなの」
「何か、活気が無いっていうか……」
「……ま、ちょっと気分が乗らないだけだね~。明日になったらいつもと同じだよ」
ようやく調子を取り戻したかのように、アミは素直に笑いかける。レオの方は少し安心したようだが、未だにヒツユがジト目で見るのを止めてくれない。
アミは何も出来ず、ただジッと見つめあっていた。しかしその内、ヒツユは小さく溜め息をつき、前屈みになっていた姿勢を元に戻す。
「……辛かったら教えてね。力になるから」
そう言って、彼女はベッドに飛び込む。大きな音と共に、掛け布団が空気を押し出す。
「何で? アミはそんなことないよ?」
「……表情で何となく分かるの。アミの笑った顔は、何だか作り物みたい」
ヒツユはジッと天井を見つめたまま、放心気味に呟く。レオは何がなんだか、というような表情を浮かべていた。
少し心を読まれたような心持ちになったアミの心臓は、少し早く脈打つ。が、ヒツユがそれ知る由もない。彼女はただ、アミの笑顔が作られた笑顔で、心からのものではないと、そう思っただけだ。
(どうしたんだろ……アミ。レンさんの事……まだ……)
あれだけの出来事があったのだ。それに、まだ1ヶ月程度しか経っていない。心の傷を癒すには、あまりにも少なすぎる時間なのかもしれない。
ヒツユは何も無い天井を見つめながら、ゆっくりと目を閉じた――――――。