嫉妬
「……んっ」
今は何時だろう。この場所は光が入らないから、朝なのか昼なのか、夜なのかも分からない。
鉛のように重い身体を無理やりに起こして、アミはベッドから起き上がった。
「レオ? ヒツユちゃん?」
呼び掛けてみるが、二段目のベッドからは返事がない。登ってみるが、両方とももぬけの殻だった。
「…………レン…………」
名前を呼んでも、返事はない。
当たり前だ。自分の目の前で、死んでいたのだから。
帰ってくることはない。
どんなに泣いても、喚いても。
全てが砕けるほどの号哭をしたって。
死んだ人間が、戻ってくることはないのだ。
「…………」
辛い思いをこらえながら、彼女は皆の共有スペースへと足を運ぶ。
「レオ、ヒツユちゃん? ……って」
そこには、なにやら満足げな顔でソファーに寝転がっているヒツユと、そこから転げ落ちたであろうレオが居た。
二人とも熟睡しており、起きる様子もない。
「あれあれ……」
二人の可愛げな寝顔を見て、アミは思った。
(これからは、アミが引っ張っていかなくちゃ……)
このグループの長は死んでしまった。戻ってくることはない。
ならば、長の幼なじみである彼女が、これからこの二人の面倒を見なければならないのだ。
それならば、死んだ人間の事をいつまでも引きずっていてはいけない。
「…………!」
ふと、アミは気付いた。
ソファーに寝ているヒツユと、床に転がっているレオ。二人は全く違う場所で寝転がっており、寝相も酷い。
が、その手だけは、離さずに繋がっていた。
(……出来上がっちゃってるんだ、こっちは)
アミの心の中で、僅かな期待と。
ほんの少しの悔しさが、たったそれだけの感情が、暴れ馬のように暴れまわっていた。
自分は失敗したのに。気持ちすら伝えられなかったのに。
この二人は成功して。力があるから、お互いを守り合える力があるから、きっとこれからも成功し続けていって。
そんな差が、少しだけ気に食わなかった。
『――――――憎いんでしょ?』
自分の声が、深層意識が、問い掛けてくる。
『二人が、レンと自分に見えてきて。憎くて憎くて、たまらないんでしょ?』
何なのだろうか、この声は。幻聴などではなく、ハッキリと聞こえてくる。
しかも、その声はアミ自身の心を、底の底まで読みきったかのよう。それから推測した、最も本能的な答えを出しているよう。
『だったら、殺しちゃいなよ。寝てる今がチャンス。ナイフでも何でもいい、さっさとやっちゃいなって』
その声は、アミの頭を空っぽにさせる。心を奪われたかのように、自分で考えられない。まるで、身体を乗っ取られたかのようだ。
『そう。今のあなたには、私の力が宿ってる。ちゃちなものじゃ嫌なら、ヒツユちゃんの大剣を使っちゃえば……?』
(力? あなたは、誰? アミと同じ顔してても、あなたはアミじゃない……)
『アミはアミ。私はアミだし、アミは私。だから……抗わないで? 本能に従って……?』
心の中に、もう一人の自分がいる。同じ顔で、同じ格好で。
それの正体は解らないし、考える事も出来ない。
フラフラと、気付けば彼女は大剣を掴んでいた。重すぎて持てないハズなのに、何故か持ち上げられる。
赤い刀身。
そこに反射する、自身の顔。
魂の抜けたような、疲れきった表情。そして、紅く光る瞳。
(瞳、瞳? アミって、こんな……?)
しかし、その思考さえも、掻き消される。
バスターソードを大きく振り上げ、もう一度彼らを見つめる。
幸せそうな表情。結ばれて、喜びに浸っている笑顔。
何故、笑えるんだろう。
(アミは、失敗したのに)
大事な人が、一人死んだのに。
たった一人の中の一人と、会えなくなったのに。
『さぁ……早く……!』
解らない。
分からない。
判らない。
わからない。
ワカラナイ。
『早く、私に身体を……!!』
紅目の悪魔が、囁いた。
「……レ、オ」
『…………え?』
もう一人のアミが、唖然とした表情を浮かべる。
そして、アミ自身の一言により、彼女は正気を取り戻す。
「……ぁ。……って、重ォッ!?」
大きく重心が偏った大剣を振り上げていたため、彼女はバスターソード共々後ろに倒れこんでしまった。
「……んぁへ? あれぇ、アミ何やってんの?」
それによって起きた轟音は、ヒツユを起こすには十分な音量だった。
「痛たた……ひ、ヒツユちゃん……」
「人の武器持ち出して……アミに持てるわけないって」
「こ、これは……その……えと……」
珍しくあたふたするアミ。のらりくらりとした彼女からは想像出来ない動揺っぷりだ。ヒツユは先程のアミの精神状態を鑑みてか、心配そうに覗き込んで、
「大丈夫? ……まだ、辛い?」
「うん。……大丈夫」
「ホントに?」
再度問い掛けてくる。しかし、彼女の瞳には優しい光がこもっていた。
(――――――さっきまで、アミは……)
何をしていたのだろう。
彼女を殺そうとして。
彼女だけではない。レオのことも、手に掛けようとして。
最悪だ。
こんな、優しさの塊みたいな少女を。
それもこれも、全部自分の心の弱さからだ。
まだ、乗り切れてないからだ。
――――――だけど。
「大丈夫だよ、アミは。絶対に、大丈夫」
それは、自分に言い聞かせていたのかもしれない。
少なくとも、アミはこの中で一番の『お姉ちゃん』だ。彼らを、まとめなくてはならない。
そうだ。
何が出来るかなんて分からない。
何も出来ないかもしれない。
けど。
せめて、迷惑だけは掛けない。
彼女はそう、心に誓った。
「アミ……」
ヒツユは、安心したように呟く。
それを見たアミは、自然にヒツユを抱き留める。
「どれだけ願っても、レンは帰ってこない。そりゃあ、アミはレンの事が大好きだったし、今でもホントに悔しい」
アミは、ゆっくりと瞳を閉じる。
「けど、アミはそれを乗り越えてみせる。レンのことは忘れずに、でも、それを抱え込んだりはしないようにする」
「…………うん」
「だから――――――信じてほしいの。アミの事を」
「もちろんっ」
ヒツユは、アミの腕の中から元気よく顔を出す。溢れんばかりの笑顔を、アミに見せ付けてくる。つられて、アミも笑ってしまった。
「ありがとね。……あ、そうそう」
「?」
不思議そうな顔をするヒツユに、アミは悪戯っぽく笑い掛けると、
「レオのこと……これからよろしくね」
「…………ぁ」
ポンッ、とヒツユの顔が真っ赤になっていく。ここで恥ずかしがるということはやはり脈ありか、なんて、アミは予想通りの笑みを浮かべる。
「そ、その……レオ君は、優しいから……あうっ、うぅ……こんなの初めてだよぉ」
「いいんだよ、それで。レオに彼女とは、お姉ちゃんも鼻高々だ」
「うぅ……馬鹿にしてぇ……」
「してないよ~。頑張ってね♪」
何だか、本来の調子が戻ってきたアミだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『失敗しちゃったなぁ。あと少しで身体をもらえたのに』
先程までアミだった『何か』。いや、アミを操っていた『何か』は、悔しそうな顔をしてみせる。
『私の侵食は、メンタルの虚弱さも関わるんだけどなぁ。まぁ、またチャンスを狙えばいいか』
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「全部……倒しちゃった……」
イリーナは消え入りそうな声で呟く。
目の前のモニターには、真っ黒に染まった戦場が映されていた。それは全て、粉々になった蟻型カルネイジ達の残骸だった。
「彼女のお陰で、私達は守られているんです。お分かり頂けましたか?」
相変わらずニコニコとした笑顔を浮かべ、クラルはイリーナに聞く。
と、その時だった。
『やったやった! 姉さん見てる? アルさんやったよ!!』
モニターから、アルマの声が聴こえる。どうやら、彼女側からもこちらに通信出来るようだ。
「ありがとうね、アルマ。姉さん嬉しいわ」
『えへへっ。もっと褒めて褒めて~』
アルマは完全にクラルになついているようで、芯からデレデレである。先程の無表情とは比べ物にならない。
「き、キャラが崩壊してるわね……」
『あぁ!? なんつったうっせぇの!!』
「うひゃっ!?」
イリーナが思った通りの事を呟くと、アルマはドスの利いた声で怒鳴り散らしてきた。
『アルさんが姉さんと話せる時間は少ないんだから、うっせぇのは黙ってろやカス!! ねー姉さーん♪』
「そういう事言わないの。イリーナさんとも仲良くしなさい」
『は~い……チッ』
どうやら自分は嫌われてるようだ。そうイリーナが確信するまで、一分も掛からなかった。そもそも最初、イリーナの挨拶に反応しなかったときから、既に彼女に嫌われていたのだ。それが、今たまたま言葉に表されただけ。
(感情の起伏が激しすぎるわよコイツ)
僅かに聞こえた舌打ちの音が、更にイリーナの心を抉ったのは言うまでもない。
『今回はめっちゃザコかったよ! あんな奴ら、アルさんが出なくても壁を越えられないと思うー!』
「でも、戦闘が終わればこうして話も出来る。だから、倒した。でしょ、アルマ?」
『うんっ、もちろんっ!!』
「姉さんも楽しいわ、こうやって会話できて」
『……この時間がずっと続けばいいのに』
「しょうがないわ、あなたは戦う為に造られた兵器だもの。でも、私はアルマが大好きだからね」
『アルさんも好きだー! えへへっ』
話してみればこのクソガキも可愛い声出すじゃない、とイリーナは心の中で毒づいた。
もっとも、自分に向けてではないが。
モニターの向こう側で、アルマが満面の笑みを浮かべている。こんな可愛らしい笑顔も、またここに降りてくれば無表情に消えてしまうのだろうか。
その時、モニターから小さく警告音が鳴った。
『……もう、終わり?』
「えぇ。大丈夫、これであなたから感情性のプログラムが欠けたとしても、私はずっとあなたの側にいるからね」
『約束だよ?』
「もちろん」
そう言うと、クラルはモニターの電源を切る。
最後に映ったアルマは、満足そうで、それでいて何処か寂しさを感じさせるような表情を浮かべていた。