少女の怒り
「ヒツユちゃん……どこ……?」
か細い声。苦痛さが滲み出ているような声色。
「君が居ないと……僕……僕……」
軽く猫背になりながら、虚ろな瞳で地面を見つめ続ける。探しているというよりは、ただぶつかるのを待ち望んでいるような感じだ。
「……こんなの、意味がないじゃないか。余計なものを消すための作戦も、全部、全部君の為だったのに」
一歩、一歩。
足を踏み出す度に、槍の先端が地面に擦れる。傷跡が床に残り、それは不安定に方向が変わっていた。
錯乱。
混乱。
それらを全て潜り抜けた先の、この感情。
巨大な、喪失感。
「……僕、の……僕の大切な人は……君しか居ないのに……」
不意に。
横からの衝撃。
受け身を取ることもせず、攻撃を防ぐ事すら出来ず、彼女は床へと崩れ落ちる。
起き上がろうともしない。口から僅かに血が滴ったが、それを拭うことにすら気が回らない。
「……痛い……」
そこで、新たな感情が生まれた。
『怒り』。
何故、こうなっている。何故、上手くいかなかった。何故、彼女は消えた。
そういう事に対しての、やるせなさ。いうなれば、子供が癇癪を起こすときのような感情だ。
それは、イチカの精神を極限まで磨り減らす。彼女の思考の中では、見えない何かに対する怒りが駆け巡っていた。
気が付けば、身体を少しだけ起こしていた。床に手を付き、ゆっくりと。
「……ぁ」
周りには、数十匹の猿型カルネイジが。
彼らにとってこの時間は就寝時間かなんなのか、見張りが嗅ぎ付けただけなのか。とにかく、言うほど数は多くなかった。
それでも、彼らは常に数百匹でグループを組んで行動する。じきに、これの何倍ものカルネイジが、この場所に押し寄せてくるだろう。
とにかく立ち上がろう、と。
彼女は、武器を持った右腕を後ろに構え、左腕を出す。床に付けようと、身体を支えようと。
しかし。
「――――――が、ぁ……?」
目の前にあるのは、彼女の右腕を噛み千切ろうとする白猿の姿。既に腕には歯が食い込んでおり、それは彼女の銀色のジャンパーを貫きながら、グイグイと押し込まれる。
それに対して、まともな反応も出来ないイチカ。痛覚はあるのに、微かな声が洩れるだけ。
「く……ぁ……」
そもそも。
何故、ヒツユは居なくなった?
完璧な。
邪魔者を消し、『二人だけ』になる、完璧な作戦だったのに。
弱かったから。
(………………っ)
こいつらが。
この化け物共が、この雑魚共が。
あっさりと、あんな女にやられたから。
イチカやヒツユのような化け物でもない、あんな『機械』に。
(……なんで、僕はアイツを助けたんだっけ?)
蛇型に飲み込まれるのだけは、避けたかったから。
あの機械だらけの身体を、調べたかった。何か、何か役に立つかもしれなかったから。それだけの技量が、彼女にはあったから。
確かにこの場所にカルネイジが集まるようにはしたが、あんなのが来るとは思っていなかった。
あの蛇型は、玄武型と繋がっている。飲み込まれ、もし死体が消化されなかったとしても、玄武型の方で消え去ってしまう。
あの蛇が生える仕組み。
それは、飲み込んだものを利用しているからだ。蛇型で飲み込み、玄武型の中で新たな蛇が生成される。そのサイクルなのだ。
いや、そんなことじゃない。
大体、なんで玄武型なんて寄ってきたんだ。
(僕が望んだ結果は、僕が望んだ未来は、こうじゃない――――――)
ふざけるな。
イチカの中で、小さな灯火だった怒りが、いつの間にか天を突き抜けるような火柱へと変わっていく。
「……ッ、ぁ」
右腕が、疼く。
既に食い千切られた右腕。肘から先のない、右腕。
それでも先を食い尽くそうと、必死に食らいつく猿型。
「……調子にのんな……役立たずが……」
熱い。
発動する。
彼女の力が。
『身体再生機能』が。
「お前らの……お前らのせいで……」
そして。
「ふざけんなぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッ!!!!」
災厄の怒号と共に。
究極の号哭と共に。
物凄い勢いで、イチカの右腕が再生する。
それは、食らいついていたカルネイジの喉を貫いた。猿型の後頭部から飛び出す、自身の右腕。
同時に、イチカは勢いよく立ち上がる。叩き付けられたブーツの下で、大きな亀裂が走る。
「お前らが無能だから……ッ! あのクソ女を殺せなかったから……ッッ!!」
左腕も口の中へ滑り込ませ、同じ様に後頭部を突き破る。
次の瞬間、カルネイジの身体が真っ二つに裂けた。
両腕を力任せに開いた結果、目の前の化け物は汚く2つに分断される。裂けた後から、赤い液体が離れるように2つに別れる。
まるで彼女と、あの少女のように。
それがなんだか、何かの暗喩のように見えてきて。
彼女は。
「うぅぅぅ……ううううああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」
その真っ赤な瞳を、より一段と血走らせ。
紅い目から、透明な涙を流しながら。
彼女は、化け物の波の中で、踊り回る。
靴が掻き鳴らす軽快な音を、血が滴る冷たい音を、肉が裂ける残酷な音を、バックミュージックとして奏でながら。
暗い、闇のような、地下通路という舞台の上で。
「こっ……の!! クズ共がぁぁぁあああああああああああああああッッ!!!」
彼女の槍が、縦に降り下ろされる。
それはカルネイジを断ち切り、地面へ亀裂を入れる。そして、彼女はそれを支点として、大きく飛び上がる。まるで、棒高跳びのように。
そのまま、猿型の大群の中へ飛び込む。もちろん、銀槍からは手を離してしまっている。
地面に着地する際、両足合わせて二匹の猿を叩き潰した。左で一匹、右で一匹。それらを地面に擦り付けながら、彼女の身体は前へと進む。
それと連動して、右と左の両腕が前に突き出される。右腕は先程と同じ様に、カルネイジの喉を貫く。左は首を掴み、直後に糸切れのような細さになるまで締める。骨が折れる音。断末魔。それらを聞いただけで、不思議と気持ちが落ち着く気がする。
しかし代わりに湧き出てくるのは高揚感。しかも、ヒツユが消えた悲しみも消えてはいない。
「あ、……は、は」
ドクン、ドクン、と。
彼女の心臓が高鳴る。しかし、これは戦っている時のような高揚感ではない。なんというか、後ろめたいような、世間一般には受け入れられないようなことをしているような背徳感まで押し寄せてくる。
それでも。
それすらも『快感』に変換出来てしまう自分は、どうなっているのだろう。そんな考えが、不意に彼女の頭をよぎる。
その瞬間、背中からの衝撃。
というより、鋭さ。
気付けば、自身の腹にはカルネイジの腕が突き立っていた。背中に繰り出された化け物の一撃は、彼女の内蔵を貫き、そのまま腹から飛び出してきたのだ。
それだけでは終わらない。
そこに気を掛け、一瞬だけ動きの止まった彼女へ、様々な脅威が降りかかる。
喉元を鋭い牙で貫かれ。
左腕を肩くらいから食い千切られ。
両足にも牙が食い込む。
しかし、彼女は笑う。実際には喉に牙が突き刺さり、ヒューヒューという掠れた音しか出ないのだが。
が、その表情は歓喜そのものだった。
イチカは首へと食らいついた猿型を右腕で掴み、首を無理やり回転させながらその猿型の首へ噛みつく。
そして右腕を引っ張ると、猿型は首だけを残して引き裂かれる。
同時に、左腕が復活。肩辺りにしがみついていたカルネイジの腹をアッパーカットの要領でかちあげる。結果的には、その拳が腹を突き破ったが。
首を軽く振り、残ったカルネイジの頭部を投げ捨てる。喉にぽっかり空いた風穴も、次の瞬間には埋まっていた。あー、と軽く声を出し、余裕綽々で喉の調子を確かめる。
「……危ない危ない。首をかっ切られてたら流石の僕も死んじゃうとこだったよ」
カルネイジが噛みついているはずの右足を軽々と持ち上げ、もう片方のカルネイジを踏み潰す。脳やら目玉やらが炸裂し、辺りに転がっていった。自由になった足で、もう片方のカルネイジも踏み潰す。
全身に血が飛び散り、真っ赤に染まったイチカ。しかし、彼女は笑っていた。
「お前らは全員殺す。役立たずのクセに僕を襲ったケダモノは、生かしちゃおけないね」
彼女はかかんだ体勢をとったかと思うと、大きく後ろに飛び上がる。彼女が跳んだその先には、彼女の武器である銀色の槍が突き刺さっていた。先程跳躍する際に、支点となる棒の代わりとしたままだった。
彼女は深く突き刺さったそれを引っこ抜き、回転を加えながら着地する。その際に円を描くように槍を振り回したため、辺りのカルネイジは全て吹き飛んでしまった。
そして。
ここから、彼女は化け物へと槍を振るう。
怒りと苦しみを込めた槍を。
晴らしようのないやるせなさを込めた槍を。