全部、終わり
『こうしてかおをあわせるのははじめてだね、オリジナル』
『……私と、同じ……あなたが、私のクローン?』
ヒツユは同じ顔で、しかし色がどこまでも抜けたその少女の、ただギラリと光る紅い瞳を見つめる。
『そう。わたしはイチカにつくられた。イチカのために、イチカと一緒にいるためにつくられたの』
彼女は、イチカへの道を塞ぎながら、言葉を発する。
『あなたがイチカをあいしてあげられなかったから、わたしがうまれた。あなたがイチカといっしょにいてあげられなかったから、わたしはつくられたんだよ。それなのにどうして? どうして、あなたはいまごろになってイチカにまとわりつくの?』
『止めなきゃダメなんだよ。イチカを、あなたをこのままにしておけば、みんなが悲しむ。ねえ、なんでこんな事をするの? 空中庭園を破壊すれば、みんな死んじゃうんだよ?』
『いいじゃん。だっていらないもん』
白いヒツユは再び液化、イチカをまとわりつくようにして包み込み、またヒツユの形に戻る。
『これはイチカののぞみなの。わたしといっしょに、わたしたちだけのせかいをつくる。そのためには、ほかのにんげんなんてひつようないでしょ?』
『そんな……そんなの、身勝手だよ! それに、イチカがそう願っていたとしても、他の人達は、私の友達は、そんな事望んでいない!』
『かんけいないよ。ぜんぜん、どうでもいい。イチカとわたしだけがいればいい。そして、そのせかいにわたしはふたりもひつようない』
瞬間、白いヒツユの命令に従うように、ヒツユの足元から白い空間が捻じ曲がり、白い触手となって彼女の手足を封じる。
『しんでよ、オリジナル。いまさらしゃしゃりでてこないで。イチカをうらぎったあなたは、もうひつようない』
『そんなの……ッ、ダメだよ!』
その時、ヒツユの身体が光を帯びる。神の力だ。それによって、白い触手はその形を無くす。
『ちっ……!』
『聞いてよ、イチカ! 私の声が届かないの⁉︎ こんな事ダメだって、あなたも気付いてるでしょ⁉︎』
『むだむだ。いまイチカはわたしのなかにとじこもってる。どうやったってあなたのこえはきこえない』
『ッ……!』
再び、触手を伸ばす白いヒツユ。己の無力さにどうもできないヒツユは、今度こそ雁字搦めにされてしまう。
『イ、チカ……!』
どうすればいいのだ。
どうすれば、みんなを、イチカを救える。
白いヒツユの呪縛を解かなければ、イチカが目覚める事は決してない。しかし、彼女はイチカに声を届かせる事はない。
『ふふっ。これでおわりだよ。いしきのそとにあなたをおいだせば、わたしたちはふたたびうごきだす。そうすれば、あなたをけすことなんてぞうさもない』
どんどん、彼女らとの距離が開いていく。
どうする、どうすればいい。
もうーーー何をしたらいいのかも分からない。こんな精神の世界で、真っ白な空間で、今更どうとも出来ない。
『イチカッッ‼︎』
叫ぶ。
意味が無いと分かっていても。それでも、叫ぶ。
たった一声だけでも。
それに、理由なんてなかったとしてもーーー
『……ヒツユ、ちゃん?』
『ーーーッ⁉︎』
白いヒツユが、驚く顔を見せる。
『届……い、てる? イチカ! イチカッ‼︎』
『うそ……そんなわけない! きかないで、イチカ!』
だが、彼女は、黒髪の少女は、声のする方へと首を傾ける。
そこに、何かがいるような、大切なものがあるような気がしたから。
『ヒツユ……ちゃん! ヒツユちゃんじゃないか!』
『いっちゃだめだよ、イチカ!』
走り出そうとした彼女を、しかし白いヒツユが抱き止める。それに心まで支配されたかのように、その脚は止まり、伸ばそうとした手が落ちる。
『……やっぱり、ダメだよ。ヒツユちゃん……』
『どうして? なんでそんな……!』
『僕は……僕は、もうみんなのところには帰れない。ううん、もう人間がいるところには居れない』
イチカは苦しそうな表情で呟く。
『ーーー僕は身勝手な考えでみんなに迷惑を掛け続けた。君以外要らないだなんて言ったり、それで全部を破壊しようとしたり。この君のクローンだってそう。君が居ないのが寂しいから、こうして創り出したんだ。結果、この子の提示する未来の誘惑に負けて、こうして一つになってしまった』
自虐的な笑みを浮かべ、彼女は零す。
『……自業自得ってやつだよ。だから、僕は僕だけで決着を付ける』
『決着?』
ヒツユが問い掛ける。
イチカは、傍の白いヒツユに触れながら言う。
『君をーーークローンの君ごと、僕は死ぬ』
『ッ⁉︎ どういうこと、イチカ……ッ!』
『君を取り込んだまま、僕はこの「ブロッサム」を墜落させる。今からこの意識の主導権は僕が握る。クローン、君には迷惑ばかり掛けたけど、これで終わりだよ』
『ッ……!』
瞬間、イチカの腕が黒い肉と化し、しなりにしなって白いヒツユを拘束する。彼女はそれに対してどうすることもできず、ただもがくのみ。
『おかしいよ……ッ! イチカ! わたしはあなたのために……ッ!』
『ごめん。全部僕が悪いんだ。だから、こうやってカタをつけなくちゃならない』
そういうと、イチカは白いヒツユの口をも塞ぐ。静かになった空間の中で、彼女はヒツユへと呟く。
『……全部、償うよ。僕が全ての原因だ。僕が死ねば、みんなの心も軽くなるだろう。そのうちカルネイジも君達やその子孫の手によって死にゆくさ。この空中庭園の科学は進歩しているからね。……でも、ちょっと名残惜しいかも』
『…………ッ!』
『君に対しては、どう償ったらいいのか分からなーーー』
刹那。
『ふざけないでよッッ‼︎‼︎』
白い空間に、少女の声が響き渡る。
『償う償うって……馬鹿だよ! 大馬鹿だよ、イチカは! なんでそうやって死に急ぐの⁉︎』
触手を、己の力で引きちぎるヒツユ。イチカの元へと駆けた彼女は、イチカのその頬に触れて、喚き散らす。
『そんなので……イチカが死ぬ事でなんて終わらせない。そんな生易しいものでイチカを許しはしない! カルネイジを掃討するのだってイチカには手伝ってもらう。みんなの恨みだって生きて買ってもらう。イリーナにだって謝ってもらう。レオ君にだって、アミにだって、レンさんにだって、ネロにだって、カノンさんにだって……私のパパにも、ママにも、みんなに謝ってもらうまで……私は、絶対にイチカの事を許さない!』
泣き崩れるヒツユ。イチカの首筋へ、胸元へ、ズルズルと落ちて彼女の足元に這い蹲りながら、その涙を流して、呟く。
『ーーーだから……生きてよ、イチカ……!』
『……!』
イチカは、驚きを隠せなかった。ここまでしておいてなお、彼女はイチカに死んでほしくないのだ。
彼女を殺したのも、あんな過去を刻みつけたのも、親に会えないのも、それ以上の悲しい出来事を繰り返させたのもーーー全部、イチカのせいだというのに。
『……生きて、償ってもらうもん。カルネイジを全部倒すまであなたには協力してもらうし、その為にどれだけ重荷を背負っても、死ぬなんて事で逃がしはしないから』
にこり、と。
可愛らしい笑顔で、それでも泣き腫らした辛い笑顔で。
ヒツユは、言った。
『だから一緒に居てよ、みんなと一緒に』
『……ヒツユ……ちゃん……』
『……その為に、もう一人の私は……私が何とかする』
ヒツユは立ち上がると、白いヒツユを拘束しているイチカの黒い肉をどける。解放された彼女はすぐに距離を置き、その身体から無数の触手を繰り出す。
『かってにはなしをすすめるな! わたしはわたしとイチカだけのせかいをつくるんだ! それが、イチカののぞみだから!』
『違うよ、ヒツユちゃん……いや、僕の影って言った方がいいかな』
『なにを……!』
傍から、イチカが言う。
『君の思考は確かにヒツユちゃんのものだ……でもね、そのパターンは、僕の思い通りになるようにしていた。僕の欲望に応えてくれるように、創っていたんだ』
『……ッ⁉︎』
『君は僕の欲望の権化さ。だから君はヒツユちゃんなんかじゃない。汚い僕って事なんだ』
『うるさい……うるさぁいッッ‼︎‼︎』
先の尖った鋭い触手を、イチカへと差し向けるイチカの欲望の塊。
だがーーーそれら全てを、ヒツユがその身体で受け止めた。
『ッ……!』
『なッ⁉︎』
突き刺された所々から血が噴き出す。白い床に、赤い点が作り上げられる。
それでもその触手に身体の肉で喰らい付き、それが自らを貫通している事も無視して、彼女は白いヒツユに近付く。
『……大丈夫。あなたも、私の仲間だよ』
『ッ⁉︎』
『寂しかったんだよね。辛かったんだよね。でも大丈夫、今度からは一緒だよ』
『なにをいって……⁉︎』
『確かにあなたはイチカの汚い部分かもしれない。でも、あなたが私から生まれたなら、その強い独占欲は、私が生まれ持ったものなのかもしれない。今はなりを潜めているだけで、確かに私の奥底にあるのかもしれない』
ずちゃり、と肉が裂ける音がする。それでも、ヒツユは歩みを止めない。
『だから、あなたは私。私はあなただよ。一緒になるべきなんだよ、私たち』
『……ッ⁉︎ おまえ、まさか……!』
『その通りーーー』
気付くのが、少し遅かった。
ヒツユは白いヒツユとーーーその額を、触れ合わせる。
その瞬間、眩い光と共に、白いヒツユの身体が消えていく。
『カタストロフィのちからで……わたしと、ゆうごうするき⁉︎』
『御名答。……これからは私と一緒に居よう、もう一人の私?』
『いやだ……そん、なっ……⁉︎』
どんどん消えていき、しかし白いヒツユは気付く。
消えた部分は存在しないはずなのに、どこか温かい気がする。そう、ヒツユの中に存在している部分が。
『……こ、れは……?』
『大丈夫、恐くなんてないよ。一緒だよ、私が死ぬまで、ずーっと。みんなと、一緒』
その時、気付く。
安らぎを覚えているのだ。
自分の足りなかったものが補完されていくような感覚、人間としての温かさを手に入れているような心持ち。
そうだ。
これから、完全になるのだから。
『いっ、しょ……』
『そう、一緒。楽しいよ、みんなと一緒は』
もう、身体の大部分が消えている。だけど不思議だ、何も恐ろしさがない。むしろ、何処か気持ち良いとさえ感じる。
『……それも、いいかもね』
瞳を閉じて、呟く白いヒツユ。
『よかった。……おかえり、もう一人の私』
そして白い彼女は消えた。ヒツユの中へと移動した、という方が正しいか。
いつの間にか、隣にはイチカがいた。安らかな笑みを浮かべると、彼女は呟く。
『……帰っても、いいのかな』
『もちろん。まあその前に、これの後始末はしてもらうけど』
『大丈夫、この「ブロッサム」は僕のエネルギーを糧としているんだ。僕が抜ければ、勝手に墜落していくさ』
『そうなんだ。じゃあ、もう終わりだね』
『うん、全部終わりだ』
白い光が、この輝きを増していく。
その輝きの中で二人は、静かに手を繋いでいた。