起動する『花』
あまりにも厳重過ぎる扉。それは限りなく重く、人の力では無理にこじ開ける事など到底叶わないものだ。
それは、その奥にあるものが限りなく貴重であり、危険でもあるからだ。
だが、それは一瞬にして吹き飛ばされる。
「……いた、いたぁ」
全身を血塗れにしながら、白いヒツユは扉があった場所へと立ち、部屋の内部を見る。
そこは―――どんな建物よりも広く、そしてそれを埋めてしまう程に複雑な機器が埋め尽くされた場所だった。そしてその中央には、花をモチーフにしたであろう機械があった。
高さは約300メートル程だろうか。それよりも大きく広がった花びらの表面には、回路のようなものが無数に設置されている。それは葉も同じで、まるで葉脈のようにすら見えてしまう。
茎は何千本もの太いケーブルが寄せ集まって出来たように見え、それによってあの花びらたちが成り立っているようにであった。
そして、その実物の花でいう柱頭の部分に―――彼女は、眠っていた。そう、九十九一花である。
彼女には今白いヒツユが着ているパイロットスーツのようなものが装着されており、身体の下半身は機械に埋まっている。両腕は手首から機械の中にあり、全身から繋がれた回路が光り、彼女自身さえ機械のようにも見える。瞳は閉じ、その奥の紅い二色の眼はその姿を見せない。
「やっとみつけたよ、イチカぁ……」
返事は無い。
それは当然だし、白いヒツユもそれは分かっている。
イチカの元へと続く階段を登りながら、彼女は興奮で身を震わせる。ふーっ、ふーっと荒い吐息を隠そうともせず、その舌を一舐めずりする。
「ああ……もう、ほんとににくい。いますぐころしてあげたいほどにくいよ、イチカぁ。でもぉ……でも、おんなじぐらいかわいい。もうどうしたらいいんだろ……」
狂気の瞳だった。
イチカと同じく紅い二つの瞳を持ちながらも、その目に宿るものは全く違う。混沌が宿る白いヒツユの紅い目は、ただひたすら、ずっと一途にイチカだけを捉え続けている。
イチカの存在する柱頭へと飛び移った白いヒツユは、一歩、また一歩と彼女へ近づいていく。その度に荒い吐息はまた一つ回数を増やし、白いヒツユのビクつきはまた一段とレベルを増す。
そして遂に辿り着いた。その手で触れる事が可能な程近く、彼女の身体が目の前にある。震える指で、まず彼女の頬へと触れようとした時―――
「待て!」
「…………?」
不意に、声が掛かった。男の声だ。
「私の兵器に何をする!」
白衣を着た男だ。これまで白衣を着た男など何百人と殺してきたが、彼はその中でもリーダー格のようだ。首からプレートが下げられ、そこには『開発長・五十嵐』と記されていた。
「……あなた、だれ? わたしとイチカのくうかんに、そんなそんなきたないつらではいってこないで」
「お前は……霧島君? いや、白すぎる。一体誰だ、お前は!」
ここまで来るのに走ってきたのだろう、そのこめかみから汗が滴っている。それをおぞましく感じながら、感情を表に出さずに彼女は答える。
「わたしはヒツユだよ、おじさん。イチカにつくられた、きりしまひつゆのクローン」
「クローン……⁉︎ まさか、そんなものが……!」
「ていうかおじさん、いつまでそこにいるつもり?」
―――刹那、五十嵐の首が飛んだ。
どうやら、辺りにあったものを適当に投げ付けたようだ。しかし確実に、それは五十嵐を絶命させた。
「……きもちわるい。わたしとイチカのじかんを、じゃましないで」
まるで虫でも殺したかのような気軽さでそう言った後、再び向き直った白いヒツユはイチカに身体を絡める。
「……どうしようかな、いったいどうするのがせいかいなんだろうね。ころすのか、いかすのか。いまここでどうするか、……あ、そうだよ、考えてたんだった」
瞬間、彼女はイチカの肩に向かって自らの歯を突き立てた。ビリィッ、と皮が裂ける音が響いた瞬間、ぐちゃりという肉の音が響きわたる。
「たべちゃうね、イチカのこと。そうそう、そうだった。イチカとひとつになろうっておもってたんだよ」
意識が無いイチカは、表情一つ変えず、悲鳴すら上げない。ただ黙々と、白いヒツユに肉体を喰われるのみ。
「カタストロフィってね、にくたいをよせあつめたり、ゆうごうさせたりするちからがあるらしいんだ。これでわたしとイチカ、ひとつになれるよね」
えへへっ、という可愛らしい笑顔を浮かべながら、その口周りを肉片と血で汚すイチカ。彼女の白い髪と白い肌と相対するような色が合わさる事により、血の色が際立って見える。
もはや骨まで見える程に喰い尽くす白いヒツユ。そして身体を綺麗に半分程まで食べ尽くすと、彼女はそこに見える白い骨に指を絡ませる。そして、それに力を込める。
するとなんと彼女の肉体がまるで泥のように溶けていき、重力に逆らってイチカの骨だらけの身体へと吸い付いていく。あまりのおぞましい融合に目を背けたくなるような光景だが、当の本人は至って嬉しそうだ。
やがて彼女の身体は消え、完璧にイチカと同化する。顔は一度どろどろにとけ、そしてやがて再構成されたその姿は―――髪の白いイチカだった。
だがその意識は、眠っていたイチカのものと白いヒツユのものが完璧に融合を果たしていた。
「……あァ、あ……あ、ふふ、ふふふ、くひひひははははははははははっ。これが……わた、し? ぼく? なんだろう、よく分からない気持ち。足りない、もっと何かが……」
ギロリと開けたその瞳は、紅い瞳と紅い瞳が混ざり合い、もはや黒に近い真紅の紅へと変貌していた。そしてその瞳が開かれた瞬間、彼女の身体を伝って、花全体にある回路へと何かを流し込む。
それは命令。元々イチカを動力源かつ制御として考えていたその花の形状をした兵器、コードネーム『ブロッサム』は、今は完全に白いヒツユとイチカが融合した白いイチカの制御下にあった。
「なァんか、すっごく暴れたい気分だよ。全部嫌いなんだ、全部。そうだよ、ぼくとわたし以外には何も要らない、全部壊してぼくらだけの世界にしたい。そうだよ、足りないのはぼくらだけの世界さ」
まるで二人共存しているような言葉。しかし主導権は二人の本能が融合した新たな人格にあるようだった。それはお互いがお互いを尊重しあい、欲望を元に再現した結果、白いヒツユの持つ『イチカだけが欲しい』気持ちと、イチカの持つ『ヒツユと自分以外は必要無い』という気持ちが融合されたものだった。
つまり『完成された二人以外の何物も存在しなくてよい』という極限的な排他的思考の塊となってしまったという事。
それが表されたように『ブロッサム』は暴れ出す。機体に付けられていたストッパーを全て解除し、機械特有の電磁波のようなものを垂れ流しにしながら、その花びらは遂に飛行を始めた。
開閉式の天井を遠隔操作し、そこから勢い良く、まるでロケットのように飛び出した。
「壊してやる―――全部、全部! あははは、ははははははははははははははははッッッ‼︎‼︎‼︎」
最悪の兵器が起動してしまった。
開発者の五十嵐すら死に、もはや止められるものは誰一人としていない。
もしも止めるのなら―――破壊する以外に、方法は無い。
―――その頃、その反応を察知して駆けつけていたヒツユとイリーナにも、変化があった。
「何よ、この音……研究所全体が揺れるような……!」
ゴゴゴ……‼︎‼︎ という巨大な音に警戒し、思わず立ち止まってしまうイリーナ。ヒツユも同様で、二人はしばらくそこに立ち往生してしまう。
振動はそのまま止まらず、いつまでたってもむしろうるさくなっているようにすら思える。
「ヒツユ、なんか変化はあったの⁉︎ その侵入者とやらには‼︎」
「…………っ、あ」
自身の両肩を押さえてうずくまるヒツユ。よほど強い何かを感じ取ったのか、イリーナの言葉に反応すら出来ず、そのままおかしな脂汗を流す。
「ど、どうしたのよ……青ざめちゃって……!」
「こ、れ……イチ、カ……!」
「え⁉︎」
途端、ヒツユは一気に走り出した。イリーナもそれに慌てて付いていくが、今まで向かっていた方向とは見当違いの方向に彼女は走っていく。目指しているものが変わったのか、彼女は一目散に建物の大窓へと辿り着いた。ベランダがあり、ヒツユは大窓を体当たりで破壊しそうな程の勢いで外へと出る。
「どうしたってのよ……行くなら教えてって言っ……」
イリーナの言葉が、詰まった。
何故なら、目の前の光景を見てしまったから。
高さ300メートル超、直径500メートル程の超巨大な花びらの形をした兵器が、突如として現れたのだから。
「何よ……あれ……」
それは既に被害を出し始めていた。
その花びらの中から何百、いや何千というピットが飛び出し、そこから発射されるレーザーが、空中庭園の街を焼き尽くしていくのだ。ここからではただの米粒より小さくしか見えないが、街が戦火に包まれていくのが、やけに煌めいて見える。
「……止めなきゃ……!」
瞬間、ヒツユは本来の姿を解き放つ―――つまり、神化。
裸体に羽衣が舞うような姿になった彼女は、ベランダから一気に飛び降り、一直線に兵器ブロッサムの方へと飛んでいく。武器も何も持たずに、この場所では僅かしかカルネイジの大剣に必要な肉を集められないというのに。
「待ちなさいヒツユ、先走る必要は……!」
しかし、そんな事は聞いているハズもない。まるで止まらない弾丸ですらあるかのように、彼女はブロッサムに向かい飛んでいった。
イリーナはそれを歯軋りしながら見やる。
「……くそ。待ってなさいよヒツユ、アタシもすぐに……」
そう言って彼女は羽織っていた服を振り払う。その下は五十嵐に改造された黒いパイロットスーツのような格好そのままであり、武器などもそのまま揃っていた。背中に格納されていた二丁の折り畳み式ロングライフルを展開した彼女は、ヒツユと同じようにベランダから飛び降りる。
大きな風を全身に浴びながら落下し、そしてジェットパックの準備が整った瞬間、それは爆発するようにイリーナの身体を押し上げる。
「待っててヒツユ……今度こそ、アンタと同じレベルで一緒に戦ってみせるから……!」
そう言うと、彼女は周囲にシールドピットを六枚展開させる。それらすべては六角形型をしており、ゆっくりとイリーナの周りを旋回しながら飛行する。それと同じ様に、十個のレーザーピットも姿を見せる。
―――今なら、彼女と同じ舞台で戦える。
そう確信したイリーナは、ジェットパックの勢いに任せながら、正体不明の破壊兵器の元へと向かっていった。