第五話 船旅
最近忙しくなってきたので今後も投稿は遅れ気味になります。
第五話 船旅
双眼鏡を覗いて見た世界は一面の銀世界だった。
しかし雪景色によるものではない、昼時の太陽光を鈍く反射している鉄の輝きが作り出した物である。
レンズいっぱいに写る金属製の一枚板はゆらゆらと動いたがそれがなんなのかまではわからない。
「おっと倍率が高すぎた」
双眼鏡の倍率が下げれれても相変わらずの銀世界が広がっていたが、その正体が地面を埋め尽くさんとばかりにいる軍勢であることは見て取れるができた。
(凄い迫力だな)
軍勢の大部分は重装歩兵で中世ヨーロッパによく見られるデザインのプレートアーマーを着込んでおり、残りは騎兵となっていた。
これで四本足で歩く巨大なトカゲに騎乗する騎兵の姿がなければヨーロッパ時代の軍勢かなにかと勘違いしたかもしれない。
(あれが話で聞いていた地竜、体長は2,3メートルってところか、見た目はデカイだけのトカゲだな)
軍勢は双眼鏡内で徐々に大きくなっていく、つまり軍勢はこちらに向かって進軍してきているが離れていても軍勢から感じる敵意が決してこちらに友好的ではないのは感じ取れた。
(未だに散開させていないってことはここを完全には包囲するつもりはないな、まあこっちが600人にもとどかないからな、普通なら周りの壁を壊さなくても軽くノックすれば入れると思うわな)
「支隊長」
(とりあえずここまでは想定どおりに相手は動いてくれた)
「有沢支隊長ー」
(でも実際に一万越えの兵力を見ると自信が揺らいでくるな…)
「有沢雅澄中隊長!」
軍勢にすっかり気をとられていた有沢はようやく自分が後ろから呼ばれている事に気づき双眼鏡から目を離して後ろを振り向くと自分の副官たる後藤曹長が
「なんだ曹長いたのか」
「さっきから呼んでいましたよ、いい加減に支隊長と呼ばれるのに慣れてくださいよ」
「いや考え事していて気づかなかった」
「その考えてことを始めると銃弾が掠めても反応しなくなるのも直してください」
「わかったから、それで配置は?」
説教された有沢は若干バツ悪そうに鉄帽の位置を変えながら後藤に話の続きを促すと後藤も口うるさい先輩から副官の立場に戻って報告を始める。
「はっ、支隊は全員所定の位置に付きあとは支隊長の号令を待つのみです」
「騎兵隊は?」
「広場で集合を完了しております」
「観測機は?」
「いつでも飛べる状態です」
「そうか…あとはお客さんを待つだけだな」
有沢は自分が立っている塀から軍勢を再び見下ろすと後藤も釣られて視線を送る。
「凄い光景ですな,味方ではないのがとても残念です」
戦場には慣れていた古強者の後藤も流石に万を超える軍勢の姿には息を呑むように見つめる。
「我らが栄光の帝国陸軍は“圧倒的な兵力の敵”になにかと縁があるのはわかっているが」
有沢も軍勢を見ながら毒づき、自分が立っている今回その軍勢からなんとしてでも守るべき都市を見渡す。
周りが草原に囲まれた都市の建築物は木造建築が多く貧相さが少し目立ちながらそれなりの規模を誇っており、塀も高さが低い木製だがしっかりと都市を囲っており一応は城塞都市と言える物だった。
確かに防御力は丸石で作られた本格的な城塞都市と比べれば劣るが、兵力が十分にあれば万を超える軍勢でも十分に耐えうるだろう、そう兵力がありさえすれば。
「違う世界に来ても、そうなのは何かに呪われているのか?」
有沢の言葉通りに本来なら今いる塀の上には守備兵が並んでいなければならないはずなのに、有沢と後藤以外に人影がちらほら程度にしかいないのが何よりの証拠と言えた。
少なくともこの世界の常識で見るならあと少しで矛先を揃えてこちらに襲いかかってくる一万の軍勢に対してあまりにお粗末な状態である。
「ちょっと前まで語学研修していたはずなんですがねえ」
「もう遠い日のように感じるがな」
徐々に隊列を整えながら近づいて来る軍勢を見ながら有沢はどうしてこうなったんだ、と過去を振り返ってみる。
全ての事の始まりは大日本帝国がこの世界に来た時だった。
1945年8月15日に国が突如どこかに転移したという大日本帝国どころか日本が建国した以来最大の国難に直面した。
もちろんこの事態が発覚した時には国全体が上から下までの大混乱に陥ることなったが一年前ほどからこの事を諸事情で知っていた鈴木貫太郎内閣はこの事態に備えて準備に準備を重ねていたため、混乱自体は一週間ほどで収束を迎える事に成功する。
混乱が収まると次に鈴木内閣は周辺の状況を確認するため、帝国陸海軍に周囲の探索、特に帝都が近いという理由で東側を重点に置くように命じた。
一年間でこの事態のためにある程度の資源は主にソ連経由から輸入し備蓄していたが、しかし輸出するソ連が戦時中しかも一年という短い期間で貯めることが出来る資源はたかが知れており特に石油の量が少なく平時の使用量で二年分あるかどうかといった具合であり、他の国と接触して貿易協定を結ぶまでは自力で調達するか貯蓄を切り崩しながらやりくりしなければならない。
もし二年以内に供給体制を確立できなく石油が枯渇するなんてことになれば軍も産業も動かくなり待っているのは緩やかな死のみとなる。
国の命運が掛かっている外地の探索は下手をすれば他国の領空侵犯をする事になるため少しずつ範囲を広げての捜索だったためすぐには見つからないだろうと言われていた。
しかし当初の予想を裏切り開始の二日で海軍所属の偵察機が千葉から東に500海里地点に島を見つけた。
最初は建物や人の姿が見られずただ林が広がる無人島かと思われていたが念入りに繰り返し行われた航空偵察の結果、建物らしき物の発見が認められたために政府は極少数の人員を送り込み接触を試みることを決定する。
またもしもの事態に陥った場合の護衛として陸軍から一個小隊が派遣されることになった。
「暑い…」
この世界に来てから始めて見つけた島に対する調査隊の護衛小隊隊長である有沢は甲板の上から雲一つない快晴の下で360°どこまでも続く穏やかな波を見ながら、夏場の日本らしいじっとりとした暑さを愚痴る。
思わず他の部下達のように上半身裸になりたくなるが周りの目も立場もあるので、手で顔を仰ぐ程度で我慢した。
(しかし異世界に来たらしいのに変わらない海に変わらない暑さ、みんながみんな本当にここが異世界なのか疑いたくなるのもわかる)
手で顔を仰ぎながら有沢は欄干に寄りかかり数ノットの速度でゆっくりと進む船の行先を見ても目標の島はまだ見えてなく海が見えるだけだった。
(…船舶兵が言う通りならそろそろ“島”が見えてくはずなんだか)
進んでいてもずっと同じ光景が続くため自分がどの位進んでいるのかがわかりづらく、後どれくらいの我慢で済むのかわからない状況が有沢の精神を追い詰めていく。
海ばかりを見ては精神的にダメになると思った有沢は今いる船尾の甲板から船内に目を向けるも屈強なはずの帝国陸軍兵士が暑さにやられている死屍累々の姿を太陽の下に晒しており、暑苦しさが前面に出ている光景となっていたため、目を逸らしてなんの遮もなく見えている太陽を忌々しげに睨む。
「せめて甲板に屋根があればなー…」
船を動かす船舶兵が周りにいないことをいい事に船の設備を愚痴る有沢だったが、有沢達が乗っている船は陸軍が保有する排水量1000t未満の小型艦のSS艇と呼ばれる港湾施設に頼らずに海上から兵員・車輌などを揚陸が出来る揚陸艦の一種になる。
陸軍が船と言われるとおかしい話かもしれないが、島などに対する陸上兵力への輸送は陸海軍で分業しており、そのため陸軍は主に揚陸艦を運用していたのである。
そして当たり前だがSS艇は軍艦であり最初から客船のように快適な船旅を約束することを重視した設計ではないので有沢の要望は土台無理な話だった。
有沢が一人で腐っていたら船尾の甲板に上がってくる、この船に乗る今回の調査隊の顔というべき要人の姿が見えたため素早く有沢は姿勢を正す。
「なにかありましたか、杉原特命大使?」
Yシャツ姿の杉原千畝は律儀に役職名を言う有沢に苦笑しながら杉原大使で十分ですよと返して有沢の隣に立つ。
杉原千畝は調査隊の実質的な代表者となっており、島において現地民との何らかの交渉または現地での交渉妥結も認めてられている特命大使としてこの船に同乗していた。
「少し外の空気に当たりたくなりましてね」
そういう杉原の顔は汗だくの状態で、杉原がさっきまでいた船室が蒸し風呂状態だったのは想像に難くない。
「ご不便をおかけします」
「いえいえ、謝らないでください元より無理をお願いしたのはこちらですから、それにドイツの時と比べればどうってことありません」
杉原千畝は第二次世界大戦中は混沌のヨーロッパ戦線のドイツやチェコスロバキアといった大使館に勤めており、当時ドイツで行われていたユダヤ排斥運動から逃れようとヨーロッパ中に溢れていたユダヤ人難民に本国からの反対を振り切って(しかし当時の総理だった東条英機は杉原の行為を黙認していた)彼らに渡航ビザを発行して数千人のユダヤ人をヨーロッパから逃がした。
その後もドイツの諜報機関に目をつけられたりと激動の体験を得て終戦後に帰国してからは外務省から干され気味だったが鈴木内閣から自由に使っても外務省から横槍が入らない人材として注目され、ある言語の勉強を命じられて今にいたる。
「…確かに一隻と聞いた時は驚きました」
有沢の言う通り二人が乗る船の周りに護衛の艦は一隻もいない、当初から一隻で向かうという案に虎の子の揚陸艦を出す陸軍は危険すぎると反対しており海軍の護衛をつけるべきだと主張していたが結局は陸軍が折れて政府の意向に従うことになった経緯は有沢も知っていた。
SS艇も航空攻撃からの自衛用に対空機銃や対空砲は多数装備していたが、それとて海軍が運用している駆逐艦や海防艦の武装と比べれば貧弱この上なく陸軍の懸念ももっともだと言えた。
「誰の縄張りかわからない場所で武器を見せながら歩いて相手を怒らせたくはなかったものですから、この船なら少々無理がありますけど問題になれば武装商船として相手に押し通せます、それに石油は節約できることに越したことはありません」
SS艇は杉原の言うとおり一見してわかるほどの武装はしておらず、あくまで“自衛用”武装しかしておらず、武装商船と言えなくはない。
それに外交的な問題で言えば軍艦が領海を侵犯したのと武装商船が領海を侵犯したのでは天と地ほど問題の規模が違ってくるので今回はSS艇のみと鈴木内閣は決定した。
とはいえ輸送中の船団が米軍の潜水艦に撃沈されて命を落とした知人が多数いる有沢にとって護衛なしの航海は落ち着かないことこの上なかった。
しかし有沢は杉原が語った理由以外に陸軍内でまことしやかに噂されていることを杉原にちょっとカマをかけて聞いてみてみる。
「そうですか、自分は海サンが港から出たがらないと聞いていましたが?」
艦隊を失った海軍がよく患うといわている艦隊保全主義という名の引きこもり病に第二次世界大戦でしばらく艦隊を編成するのも厳しいほど沈められた帝国海軍も罹ったため艦を港から出したがらなかったと陸軍内では言われていた。
ただ陸海軍間で根も葉もない陰口はよくあるので有沢も鵜呑みにしているわけではいない。
「…ははっそんな事ありませんよただの噂ですよ、そういえば有沢中尉は日中戦争時に3倍の敵兵力を撃退したことがあるそうですね」
(あったんだな…)
「確かにしましたが、今になって言いますとあれは多分に運に助けれましたし相手がそもそも戦下手だったので私自身が何かしたというより部下が奮戦してくれたおかげです」
有沢はこの話題を出された時に用意している何時もの答えを返す。
「でも手腕を認められたから今回の護衛を任されたんですよ」
「そうですか?自分にはとても…そうは思えませんでした」
終戦後に意味不明の架空言語を半年以上も勉強をさせられていた有沢にはとても上層部が自分に対して好意的とは思えなかったし今回の護衛任務もある種の“生贄”に放り込まれたと受け止めていた。
「…もし解せぬ事があったなら多分もう少しで謎は解けると思いますよ」
「それはどういう…」
含みを持たせた杉原の言い方に有沢が聞き返そうとした時、見張りの船舶兵が大声を上げる。
「島を目視で確認!!」
有沢と杉原を含め甲板で休んでいた陸軍兵も一斉に起き上がり船から身を乗り出して前方を確認する。
まだ小さくしか見えなかったが確かに自然豊かな島が徐々に大きくなってそこに鎮座していた…。
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