表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

インタヴュー・ウィズ・アーバンレジェンド#2

作者: 漆原カイナ

第二節 擬態~Hide and Seek~


「ちょっと……今日こそ説明してもらうわよ」

 屋上の鉄柵にもたれる克也に向けて私はもう何度目か分らないこの文言を口にした。

 時刻は放課後。茜色の夕陽が遠くの景色と混ざり合ってとても綺麗だ。

 私たち以外には誰もいない静かな屋上――つまりは二人っきりで私たちは互いに目を合わせたまま逸らしそうにも無かった。

 放課後の屋上で男女が二人っきり。

 何と甘酸っぱく青春らしいシチュエーションだろうか。

 私は今の状況をそう断じながら、同時にため息をついた。

 だが、これから私たちが交わそうとしている会話はそんな風にロマンティックな状況には似つかわしくないものだった。

 まさか夕陽に照らされて雰囲気の良い屋上に佇む男女が、大真面目な顔をして怪人がどうとかなんて話をしているなんて誰も思うまい。

 午前の授業の終わりを告げるチャイムが教室に響いた直後、椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ちあがった私は弾かれたように克也の席まで行くと、開口一番に切り出した。

 ――私が目の当たりにしたものに関しての詳しい話、もといこの街の裏で何が起こってるのか、ちゃんと私にも解るように説明してちょうだい。

 先日の赤マントの一件以来、何だかんだで詳しい事は何も話してもらっていない。

 何か色々とあったらしく、克也は“赤マント”を倒した日から数日もの間、学校を休んでいたのだ。

 その間、当然ながら私は気になってしかなかったのだが。

 一体、あの怪人や不思議な金属のようなものは何だったのか――?

 そして、この街の人々が知らない所で何が蠢いているのか――?

 別にジャーナリストを目指している私のような子でなくとも、きっと気になった筈だ。

 それこそ、この街で生活するする人なら誰でもが。

 数日後には克也は何事もなかったように登校してきた。

 しかし、登校してきたら、してきたで私の質問には中々答えてくれない。

 今までの姿勢が信じられなくなる程に人目を気にし始めた彼は結局、周囲に人が多いだの何だのの理由をつけて教室では詳しい事を話してくれそうになかった。

 こんなやり取りを数日間続けた結果、図らずも私はとある副産物を生んでしまった。

 私と克也が実は、単なる実行委員という間柄以上の仲という根も葉もない噂である。

 ここは高校。そして、高校生とくればこの手の話題が大好きなのは当たり前だ。

 というか、私も大好きなのは間違いないし、だから強く文句も言えずにいた。

 だからって……何でよりにもよってこのつっけんどん男と……!

 私は、ぼやきと共に腹立たしいものを感じて拳を握りしめた。

 確かに、私にも非はあるといえばある。

 噂の種になるような行動が無かったわけではないのだから。

 今まで誰のことも気にしなければ誰からも気にされることもなく過ごしていた克也。

 その彼が学校を休んだ途端に、彼がいつ頃登校してくるかが気になって仕方ない素振りを私が見せていたのは事実。

 そして、彼がいつ頃登校してくるかを休み時間にクラスの友達との話題にしたばかりか、彼の登校を心待ちしているとも取られかねないことをうっかり言ってしまったのだから。

 もっとも、心待ちにしていたのは間違いではない。

 ただし、噂好きの面々が期待しているような理由でないのは言うまでも無い事だけど。

 確かに面倒は面倒だけど、それだけならまだ良いし、何とかなるレベルだった。

 でも、今まで自分の周囲や他者のことなんて気にしなかった克也が途端に人目を気にし始めた上に、事情を知らない人たちから多大な誤解を招くような言葉を連発してくれものだからいよいよもって事態はややこしくなった。

 ――この件は二人きりで話さなければいけない。

 ――皆に聞かれるとマズいことぐらいわかるだろう?

 ――あの夜に何があったかお前以外に知っている奴はいないか?

 どれを取ってもまるで狙いすましたようにピンポイントで誤解を誘発してくれる素敵な発言の数々だった。

 もうここまで誤解が誤解を面白いくらいに呼んでくれると、いっそ清々しい気分にすらなるかと思ったけど、そうでもなかった。

 最近は事あるごとにあの夜とはいつだったのかを聞かれる。

 それより更に突っ込んだ質問をされることも多くなってきた。

 私が予想していた通り、その夜に何があったかを幾度となく聞かれ、そのたびに私は煙に巻く答え方をしなければならなかった。

 しかも、ただノーコメントや意味不明なことを言うだけはダメだ。

 割と納得のいくだけの信憑性があって、それなりに筋道が通っている回答をする為に私は工夫せざるを得なかった。

 夜の街で怪人に襲われかけた所を克也に助けられた。

 ひとりでに走るスーパーバイクや鎧にも武器にもなる不思議な金属をこの目で見た。

 彼は変身して怪人と戦い、見事倒すことに成功。実は彼こそが都市伝説の正体なのだ!

 まさかそんなことを言うわけにもいかずに、結局私は「いろいろあったの」の一言で片付けてしまったのだ。

 様々な解釈が正解足りえるそのコメントに様々な憶測が飛び交ったらしいことは風のうわさに聞いている。

 怪人とか都市伝説とか言ったって信じやしないでしょ! まったく……。

 最近の日々を思い、私は胸中で苦情を大声で声高に叫びながら克也の言葉を待った。

「……そうだな。日野、お前にも話しておくべきだろう」

 観念したような克也に、私は安堵しながらも苦言を呈するような口調になってしまう。

「何で早く言ってくれないのよ? ずっと気になってたんだから」

 どこか申し訳なさそうに克也はため息をつく。

 ゆっくりと時間をかけて十分に息を吐き出してから、彼は重たそうに口を開いた。

「迷ってたんだ……日野に話すかどうかをな」

「どういうことかしら?」

 その言い方につい訝しげな答え方をしてしまう私に克也は閉口した。

「みだりに一般人に話しても良い事ではないしな。それに――」

 何か含みを持たせた言い方をする彼に私は詰め寄った。

「それに――何よ?」

「お前に話せばきっと首を突っ込みたがるに決まっているからだ」

 まるで片付けなければいけない面倒事を前にしたような顔で彼は言った。

 心なしか、そう告げる声もため息交じりだ。

「悪かったわね……」

 何とかそれだけは言い返したものの、なまじ図星なだけにそれ以上は言葉が出ない。

 実際、私が彼から話を聞きたがったのだってそうだ。

 私の好奇心による所が多分にあるのは間違いないのだ。

「お前のことを相談したら、言われたんだよ。鈴美に……相棒にな」

 彼は小さな声で誰かの名前を言ったようだった。

 鈴美とは一体誰なのだろうか?

 克也は相棒だと言っていたが、もしかすると彼以外にも同じような事が出来る人がいるのかもしれない。

 実を言うとちょっと聞きたい気もした。

 彼と組めるような人がどんな人なのかも気になる。きっと、凄く我慢強い人に違いない。

 更に言ってしまえば、都築克也という人物について取材したい気もするのだ。

 しかし、私はつい聞きたくなる性分をぐっと堪えて彼の話に先を促した。

 やっと話してくれる気になっているのだ、ここで話を逸らしてしまえば次はまたいつになるかはわかったものではない。

「“あそこまで――巻き込まれたのに――何も知らせないのは――あんまり”だとよ」

 私の知らない誰かの口ぶりを真似する克也はやはりまだ躊躇っているようだった。

 それでも、意を決したように私の目を真っ直ぐに見据える。

「“ミーティア”」

 克也はやおら口を開くと、たった一言だけそう呟いた。

 意味がわからないと言いたいのを隠す事も無く顔に出しながら私が鸚鵡返しに聞き返そうとするよりも早く、克也は二の句を継いだ。

「――それが奴等の名前。この前、お前が遭遇した怪人の正体だ」

 私はすぐさま自分の記憶を辿り、外国語の知識を検索した。

 ほどなくして目的の知識は見つかった。

 ただ、うろ覚えなのが心配だけど。

 ――ミーティア。流れ星を意味する英単語だった気がする。

 確かそんな名前の歌もあったのを思い出すと同時にやはりうろ覚えのメロディが私の脳内で再生される。

「星空の彼方から地球に降ってきた隕石が実は生き物だった……そして、この地球に存在する知的生命体である人間と協定を結んだ――なんて話は信じられるか?」

 だしぬけに彼は私に聞いた。

 星空の彼方、つまりは宇宙から落ちてきた隕石が実は生き物?

 一体なんの冗談だろうか?

 自分で聞いておきながら失礼な話だとは思うが、私は思わず呆れてしまった。

 一昔前の漫画やアニメじゃあるまいし……。何言ってるのかしら。

 私は胸中で彼に負けず劣らずのため息をつきながら疲れたように呟いた。

 まさかここに来て彼はまだごまかそうとしているのか?

 だが、この時私の中で意外な声が意外な事を私に囁いた。

 ――あながち荒唐無稽な話でもないんじゃないかしら? 

 ――だって、あなたは見たでしょう? 他ならぬ自分の目で。

 いつもは飛躍する私の考えを冷静に戒める私の理性がこの時ばかりは克也の語る荒唐無稽な言葉を肯定していた。

 冷静になって理性的に考えてみればそうなのだ。

 いくら荒唐無稽な話だと一笑にふそうとした所で、もう既に私は直面しているのだ。

 私が持っていた常識の埒外としか言えないような存在に。

「隕石の姿でやってきた金属生命体――連中を一言で言えばそうなるらしい」

 逡巡が渦巻く私の胸中などおかまいなしに克也は一定のペースで口を動かし続けた。

「いつ頃かは知らないが、この地球にやって来て人間とコンタクトしたらしい」

「まるで宇宙人ね」

 驚きのあまり声が震えているのが自分でもわかった。

 少し無理をして打った冗談めかした相槌にも克也は真面目そのものの顔で答えた。

「そうだ。その言い方も殆ど間違っちゃいない」

「百歩譲って本当に宇宙人が来ていたとして、何の為に来て? 何をやってるの?」

 震える声で早口にまくしたてる私を見ながら、克也は相変わらず抑揚に乏しい表情で私を見つめた。

「まず最初の質問だが、実を言うとまだ不明なんだとよ」

 答える克也の言い方はどこか投げやりなような気がしたのは私の気のせいだろうか。

「連中が地球の言葉を喋れるわけでもないしな。ただ、お偉い学者が予想した所によれば、“知的生命体の知性を借りる”為らしい」

「それってどういう? 知的生命体の知性がどうかしたの?」

 今ひとつ彼の言ったことを理解できていない私は鸚鵡返しも出来ずに、断片的な言葉だけを繰り返した。

 その時の私が見るも間抜けな顔になっていたであろうことは、克也の呆れた顔を見れば嫌でも解ってしまった。

 ……悪かったわね!

「連中自体は複雑な知性を持っていないらしい、だから行く先々の星で出会う知的生命体に寄生してその知識を借り受けるんだそうだ」

 寄生。その言葉を聞いた時に私の中で先日の記憶が鮮明に蘇った。

 男の口から吐き出された赤銅色のスライム。

 そして、怪我をした克也の手から血の代わりにこぼれる銀色の液体。

 フラッシュバックするそれらの映像と共に、私は直感的に彼の説明を理解していた。

「じゃあ……キミもあの怪人“赤マント”の仲間なの?」

 驚きとは別の理由で震える声で聞きながら、私はどこか冷静に自分の声が震えている理由を推察していた。

 もしかすると、私は恐れているのかもしれない。

 目の前にいる相手がただのぶっきらぼうでつっけんどんなクラスメイトではなくて、宇宙の果てからやって来た未知の宇宙生物のような気がして。

 私の問いを聞いた克也は一瞬だけ何かに打たれたように固まってから口を開いた。

 発せられた声は抑揚に乏しい声ではなく、激昂するように荒げられた声だった。

「仲間……! “奴等”と俺を一緒にするなッ!」

 突然の大声に驚きすくみあがってしまった私に気付いたのか、克也は気まずそうに目を逸らした後、小さい声で呟いた。

「……すまない」

「私の方こそ……ごめん。それで、知性を借りて“ミーティア”は何をするの?」

「連中は知的生命体の頭から道具の知識を読み取って、自分の姿を変えるんだよ」

 自分の姿を……変える――。

 私は彼の言ったことをかみ砕くつもりで反芻した。

 再び私の中で強烈に焼き付いていた記憶がフラッシュバックする。

 克也の合図一つで鎧や鎖、そしてバイクに変わる銀色の液体。 

 液体のような身体をしているのはきっと、自由に自分の姿を変える為だからなのかも。

 自分でも不思議なくらいすんなりと納得しながら、私は再び克也の言葉に耳を傾けた。

「“コピーした道具の機能を自分のものにする代わりに、宿主に自分自身を道具として使ってもらうことで共生を図ろうとする”らしいぜ」

 また無感動な声に戻った克也はぶっきらぼうにそう告げた。

 口ぶりが彼のとどこか違う感じがするのは、誰かの言葉を引用しているせいだろう。

「おい、ついてきてるか?」

 やおら口調を変えた克也が私に問いかけた。

「ば、馬鹿にしないでよっ! 私だってそれぐらい解るから!」 

 顔の辺りが熱い気がする、顔を赤くしていないかが心配だった。

「“宿主である知的生命体に使われることを前提とした生態である故、生まれついての道具というべき存在であり、宿主の心によって善にも悪にもなる存在”――連中を簡単に言えばそう言うことらしい」

「全然簡単にまとめてないじゃない。そういう時は聞いたままをまるまる引用するんじゃなくて、自分なりに解りやすい言い方に置き換えるの。わかった?」

 しまった。ついいつもの癖で取らなくてもいい上げ足を取ってしまった。

 急に恥ずかしさが込み上げて来て今度は私が気まずい思いをする番になった。

 私だって報道部なのに、解りやすい原稿がなかなか書けずに苦労してる身じゃないの。

「……ごめん」

「いや、俺の方こそ……すまなかった」

 なんと、今回は珍しく克也の方から謝ったのだ。

 でも、まだ恥ずかしさから抜け切れていない私はそれを珍しがる余裕なんてなかった。

「ま、まあ……でも、便利じゃない? 何にでも自由に変わる道具があるなんて」

 空気を変えようと取りあえず発した私の一言に克也は自嘲するような顔で苦笑する。

「便利、か。そうかもな……だけど、それは適合が上手く行った場合だけだ」

「上手く行かないと……どうなるのかしら?」

「連中に意識を乗っ取られるか、力に溺れるか――その理由は様々だが、一様に共通しているのは放っといたら危険な存在になってしまうということだ」

 意識を乗っ取られる?

 さっき、克也は連中には複雑な知性は無いと言っていた気がするけど、それでもやっぱり自意識とかそういうのはあるんだろうか。

「宿主が欲している道具を察するってことは、宿主が目的として強く望んでいることを知るってことでもあるらしい。だから、寄生した相手が持つ強い想いをコピーしたミーティアに乗っ取られた人間はその“想い”の赴くままに行動する暴走マシーンになっちまう」

 私の疑問を察したように克也が的確に答えを返してくれた。

 立て板に水のように淀みなく語る彼の口調。

 しかし、いつもと違って誰かの言葉を引用しているという気はしなかった。

 漠然とした感じしか解らないが、強いて言うなら――。

 実感のこもった自分の体験を語っているような。

 淀みなく語る克也の口調にそんな印象を自分が抱くのを私は感じていた。

「乗りかかった船だ。これについても教えておく」

 克也は前置きをすると、ポケットから取り出した画鋲で自分の人差し指を軽く突いた。

 穴の開いた指の皮。その下から滲みだしたのは赤々とした血ではなく、銀色の液体。

 彼は絞り出すように人差し指の傷をもう一方の手で強く押さえつける。

 指全体を濡らすほどに溢れた銀色の液体が滴り落ちる寸前、ペンダントに使われるような細い鎖へと変化する。

 傍目には流れ落ちる液体のように見えるが、鎖となった銀色の液体は決して地面にこぼれ落ちることなく克也の指からぶら下がっていた。

 驚いた私が目を皿のように開いたまま見入っていると、彼は鎖を銀色の粒に変える。

 空中を漂う粒子のような姿になった鎖は克也の指に開いた傷口に吸い込まれていった。

「こんな風にある程度自由に連中の形を変えたり出来る奴等は今のところ、取りあえずは“スミス”って呼ばれてる」

 スミス――確か鍛冶屋を意味する言葉だった……と思う。

 私はさっきと同じようにうろ覚えの単語を何とか検索した。

 こんな調子で受験は大丈夫なのだろうか。そんな場違いな心配に駆られてしまう。

 ……今はそっちの心配をしてる場合じゃないでしょ。

 自分にそう言い聞かせながら、私は克也に聞いた言葉を頭の中で転がしてみた。

 なるほど。金属を自由に道具に変えられる力を持ってるから鍛冶屋(スミス)なのね。

 得心した私は反射的に手を叩いて軽快な音を出していた。

 それを見て克也は私が理解したと察したのか、待っていたように口を開く。

「それとは逆に連中に主導権を握られちまった奴は“ファーナス”なんて呼ばれてる」

「“ファーナス”?」

 聞きなれない単語に私は思わず鸚鵡返しに聞き返す。

 自分でも気付かないうちに声が尻上がりになってしまったようだ。

「“炉”という意味らしい。立場がとっくに逆転して道具である筈の連中に身体や知識をいいように使われる……もはや連中が自分の姿を変える為に使う道具や移動する為の容れ物にされちまった人間にはうってつけの言い方だろ?」

 なぜか私にはその時の彼が遠い目をしているように思えてしかたがなかった。

 やはりぶっきらぼうな声だったが、克也が今にも泣きだしそうなのを必死で堪えているように思えたのは気のせいだろうか。

「それで……その、“ファーナス”になった人はどうなるの……?」

 恐る恐る聞く私に答える克也の雰囲気はもう既にいつもの無感情に戻っていた。

「お前だって見ただろう? 連中には常識なんてものは通じない――」

「常識が通じない……? それもやっぱり意識を乗っ取られてるから?」

「奴等は強く刷り込まれた“想い”を実行することだけを考えて単純な考えで突っ走る。しかも、武器だの何だのは自由自在に出し放題。あまつさえ、宿主の身体のことなんて度外視して酷使するからバケモノみたいな動きをしやがる」

 指摘されるまでもなく私はあの夜の事を思い出していた。 

 鋭利な角も受け止める強固な鎧を瞬く間に作り出し、人外の速度で暴れまわる怪人。

 今思えば、身体の限界なんてものを考えないで強引に動かしているのだとしたらあの異常な身体能力にも納得が行った。

 そんなものが何も知らない人々が生活する街で暴れているのだ。

 常識も通じず、自分だけの一方的な考えで理由をつけて。

 それを理解した途端、私はぞっとする思いと共に寒気を感じた。

 警察が束になったってそう簡単に止められるものでもないだろう。

 ましてや、克也が言うには話し合いで解決できる相手とは思えない。

 関連する記憶がまるで連鎖するように私の中で次々と呼び起されていく。

 身に覚えのない言いがかりを一方的につけてきた男。

 彼の目には私は見ず知らずの、何の関係もない少女として映っていなかったのだろう。

「じゃ……じゃあ、どうするのよ? そんな奴等が街のどこかに紛れてるなんてっ!」

「――だから俺みたいなのがいる。そういうことだ」

 叫ぶような私の口調とは対照的に、克也は淡々と事実を告げる口調だった。

「もしかして、この前の怪人“赤マント”もその“ファーナス”だったの?」

「ああ。奴は自分を振った女と勘違いして何の関係も無い相手を見境なく襲っていた」

 変わらず淡々と告げられた事実を耳にした私は、雷に打たれたような衝撃を味わった。

 最近、この街の騒がせていた若い女性の行方不明に関するニュース。

 私が心を痛めたあの事件の犯人と知らないうちに私は接触していたのだ。

「これで解っただろう? 奴等はお前みたいな一般人が関わっていいものじゃない」

 克也の口調は突き放すようなものだった。

 だけど、私の中にはある決意が芽生えつつあったのだ。

「一応、お前にも奴等の見分け方を教えておく」

「見分け方! そんなものがあるの?」

「本来は思考が単純な“ミーティア”が主導権を握ってる以上、刷り込まれた目的には否が応にも忠実にならざるを得ない。傍から見れば“突然やたらと強引になった人間”はその可能性がある」

 私は克也の説明を一言一句聞き逃すまいと、記憶にしっかり刻みつける。

「――もっとも、あくまで可能性の話だけどな。お偉い学者は“折れず曲がらず固いという金属の特質が人間性に伝播する為”とか考えてるらしい」

 黙って聞いている私に向けて克也は最後にこう付け加えた。

「覚えておけ。こうした人間を見たら、極力近づかないようにしろ――」



「取りあえず、一番可能性があるとしたら彼女じゃないかしら?」

 廊下の一角に佇む私は傍らに立つ克也に声をかけた。

 授業から解放された歓喜に任せて思い思いに騒ぐ生徒でざわめく廊下は賑やかだ。

 私が横に向けた視線の先では克也が仏頂面を隠そうともしない。

「日野、お前は俺の言ったのを聞いてなかったのか?」 

 怒っているというより、疲れたような声で彼は私に問いかけた。

「聞いてたわよ。内容の方もしっかりと覚えてるわ」

「だったら何で首を突っ込んでいるんだ……!」

 あの日の放課後、私には屋上で一つの事実を聞いた時から芽生えた決意があった。

 この街の裏に潜む存在を暴き、白日の下に晒す。

 確かに、一女子高生の私に出来ることなんて限られてるかもしれない。

 でも、ジャーナリストを目指す者として、やる前から諦めてしまうわけにはいかない。

 私には無性にそんな気がしたのだ。

「都築くん、キミも私の言ったことを忘れたの?」

 そして、私の中に芽生えたもう一つの決意――。

「私も手伝うって言ったでしょ? キミ一人よりもきっと早く見つけられるハズだよ。それこそ、あの怪人の時みたいに何人も犠牲者が出る前に」

 あの夜の事件の真相を聞き、何の関係も無ければ罪も無い人たちが犠牲になっていたのを知った時、私は知らないふりをしていたくないと思ったのだ。

 だから……私の出来るやり方で克也に協力して、少しでも早く事件を解決する。

 出来るだけ早く――可能なら誰も犠牲者が出ないうちに。

「だからってお前に首を突っ込まれるのも困る」

「キミの話したことをよく覚えてるように言ったクセに」

 内心の決意を隠すように悪戯っぽく笑った私に辟易したように、克也は口を噤む。

「大体、キミは他人に興味が無さ過ぎだよ。“ファーナス”っていうのを見分けるには人となりを細かく見なきゃいけないのに。その点、私ならそれはキミより得意だから」 

克也は遂に反論する気もなくしたのか、諦めたように言った。

「事情通は新聞部の専売特許ってことか。もう好きにしろ」

「解ればよろしい。それと――新聞部じゃなくて報道部よ! 報道部! 何度言えばわかるの?」

 私は制服の二の腕に付けた腕章を人差し指で示しながら克也に言った。

 ちなみにこの腕章は私の自作で、実は結構気に入ってたりする。

「どっちでも良いだろう。それに、何でお前はその腕章をつけてるんだ?」

 私は大きく咳払いをしてから腕章が目立つようなやり方で腰に手を当てる。

「報道部の活動ってことにしとけば色々と調べてたって誰にも怪しまれないでしょ?」

 この案を思いついた時、我ながら名案だと思ったものだ。

 部活動ということにしておけば、色々な事に首を突っ込んで調べ回っても理由が通る。

 この案を実行するにあたって、克也は報道部に仮入部中という建前にしておいた。

 そうすれば私と一緒にこの辺りをうろついていても何も不思議に思われない。

 それに、一緒にいる理由が部活動ならこの前みたいに私達の仲を聞かれた時にも十分に言いわけが立つというものだ。

 うむ。我ながら名案。私は胸中で深く頷いた。

「そうか。なら、話をするのは報道部の部室とやらの中でにしろ。ずっと言っているように、一般人にみだりに聞かせるような話じゃあない」

「ないわよ」

 間髪入れない速さで私は即答した。

 一瞬、何の事だかわからずに呆気にとられた様子の克也は口をぱくぱくと動かす。

「ないって……何が?」

「部室。だから今はここで活動してるのよ」

「お前な……ここは廊下だぞ? それにお前は良くても他の部員はどうしてるんだ?」

 当然の疑問を呈する克也に私はしれっとして答えた。

「部員も何も、私一人だから」

 今度こそ克也は口を噤んだまま黙り込んだ。

 顔には出していないが唖然としているに違いない。

「だから部員を集めて正式に部活として認定される為に頑張ってるの。わかった?」

 早口で押し切るように言う私に、克也は呆れたような顔で何かを言おうとする。

 私は何か小言を言おうとする克也を制しながら、そっと人差し指を向けた。

「しっ、ほら……さっき言ってたのはあの()よ」

 私が控えめに指を向ける先では一人の女子生徒が快活に笑っている。

 セミロングの髪の所々にシャギーが入った活発そうな印象を与える女の娘だ。

「去年一緒のクラスだった沙月(さつき)って娘」

 私は沙月を克也に紹介すると、指をそっと横にずらす。

 沙月の隣では彼女の友達である女子生徒が所在なさげに立っていた。

「で、あの娘が佳苗(かなえ)っていって沙月の友達なんだけど」

 私が次に指で示したのはウェーブのかかった長い髪が印象的な娘だった。

 染めたばかりなのか、退色の無い髪の毛は鮮やかなブラウンをしている。

「あの二人がどうかしたのか?」

 ひとまず彼女たちの顔と名前を覚えたのか、ややあって克也が私に聞いた。

「この前、ちょっと取材してほしいって沙月に頼まれたのよ。それで、この前屋上でキミから話を聞いてそれを思い出したってワケ」

 私は声をひそめると一連の事情を克也に手短に話した。

 事の起こりはついこの間、私が“赤マント”事件に遭遇する前のことだ。

 去年同じクラスだった時に知り合った沙月が私に取材を頼んできたのだった。

 その取材というのが、彼女の親友である佳苗のイメチェン――地味だった彼女を可愛く変身させる過程を記録してほしいというものだったのだ。

 話自体には興味があった私は取材を受けることにしたのだが――。

「それとこれとにどういう関係があるっていうんだ?」

 私は顎に手を当てながら当時の事を思い出す。

「どうも見た感じ、沙月が佳苗を無理矢理付き合わせてるような気がするのよね」

 ひょっとしたら佳苗は内心では嫌がっているのかもしれない。

 元々、押しのあまり強くない彼女は沙月を気遣って言い出せずにいるのではないか。

 取材しながらそう感じた私は彼女のクラスメイトたちにも早速、話の裏を取った。

 少なくとも、去年同じクラスだった頃の沙月は友達が嫌がることを強制するような娘ではなかったのだから。

「そしたら、やっぱりクラスの人たちも沙月がちょっとやり過ぎなんじゃないかって思ってるみたいでさ」

 彼女のイメチェン計画は同じ学年の女子の間では少しばかり噂になっていた。

 最近、何があったのかは知らないけど急に強引になった沙月もその理由の一つだが、もう一つ大きな理由があった。

 聞く所によれば、同じクラスの浦田(うらた)くんという男子にアタックするように沙月が佳苗を焚きつけているらしい。

 浦田くんといえば女子の間ではちょっとと言うには大きすぎるほどの人気がある。

 私は別に彼への興味は無いが、内面と外面のどちらもが並以上という好青年らしい。

 佳苗が彼のことを気になりだすのも無理からぬ話だった。

 男女ともに話題の生徒だけに、恋愛話好きの女子の間で有名になるのも当然といえた。

「日野、いい加減にしろ……。俺には恋バナとかいうのを聞いてる暇はない」

「まぁ待ちなさいって。都築くん、最近この学校の女子の間で広まってる噂なんだけど」

 今にも帰ろうとする克也を引きとめた私はそう前置きしてからとある噂を語り始めた。

 この学校の女子生徒が学校帰りに夜遅く歩いていると、空から突然現れた相手に掴まれてどこかへと連れて行かれるという噂――。

 被害者が連れ去られる時には決まって“貴女が親しそうにしてた男の子に恋している娘がいるの――だからその娘の邪魔はさせない”そんな声がするという。

 今のところ、被害にあった女子生徒たちはただ連れ去られただけで怪我は無いらしい。

 だけど、全員がその一件でトラウマを抱えて学校を休んでいる。

 現在ではその噂はこの学校の女子たちの間で人づてに広まっていた。

 それに……その噂には気になることがあった。

 連れ去られた女子生徒たちは、発見された時に全員が口をそろえてこう言うらしい。

 ――銀色の天使にさらわれた……と。

「なん……だと……。もう少し詳しく話せ」

 余り顔に出さないように抑えてはいるが、克也が驚きを見せたのを私は見逃さなかった。

 やっぱり喰いついたわね。

 私は内心で拳を握りながらも、それを悟らせないように努めて平静を装った。

「で、気になったから女の娘たちにそれとなく聞いて調べてみたのよ」

 そうして、驚くべきことが判明したのだ。

 銀色の天使にさらわれた女子生徒は全員、浦田くんと仲の良い娘たちだったのである。

 私も最初は変質者が女子高生を狙った犯罪か何かかと思っていた。

 きっと、銀色の天使だの何だのは精神的なショックで記憶が混乱するあまり口走ったことが広まって、後からさらわれた人も疑心暗鬼になるあまり犯人がそう見えただけ――。

 一種の勘違いや錯覚、そうだと心のどこかで決めつけていた。 

 でも、先日の“赤マント”の一件以来、それよりももっと高い可能性に気付いたのだ。

「お前はその銀色の天使が“ミーティア”だって言いたいのか?」

「そ。まさか本当に天使がいるなら別だけどね」

「確かに。今回はお前の言っていることが一理あるのかもな……」

 渋々だがようやく納得した様子で克也は私に言った。

 私は胸を張るようにして口を開く。誇らしげになるのを控えようと思っても、今の私にとっては存外に難しいものだった。

「ちょっとは感心した? 女の娘たちの噂や色恋の事情はキミじゃあちょっと調べにくいかもねぇ。こういうのは私の専売特許だから困った時はいつでも言いなさい。うん」

 しみじみと頷く私を無視したように克也は教室内で雑談に興じている沙月に目を合わせたままの克也だったが、やおら私に向き直ると目を真っ直ぐに見つめた。

 私は突然のことでドキリとしてしまった。

 時折、彼は私の瞳を覗きこむように目を合わせる。

 曲がりなりにも男女の間でこんな目の合わせ方をするのだから、私だって恥ずかしい。

 もぅ……。恥ずかしいんだから急にこういうことするのは止めてよね……。

 内心で口をとがらせて抗議する私の声が聞こえる筈も無く、彼はしっかりと目を合わせたまま、今までとは違った調子でゆっくりと口を開いた。

「お前は沙月という女子が“ファーナス”だと思ってるんだな?」 

 恥ずかしさに耐えかねて目を逸らしながら私は小さく二度ほど頷いた。

「はっきりしろ。お前はどう思ってるんだ?」

 目を逸らしたのを確証が持てていないせいだと勘違いしたのか、克也はいつになくきつい言い方で私に尋ねた。

「私だってそうであってほしくないわよ……でも、最近になって急に強引になったり、佳苗の恋を応援してる人っていったら沙月しかいないし……」

 それに、今回の怪事件はこの学校の女子生徒だけが標的にされているのだ。

 いよいよもって、犯人がこの学校の中にいる確率は高いのではないか。

 何故か言い訳じみた言い方になってしまいそうな私の二の句を遮るように克也はたった一言、それも今しがたのようなきつい言い方ではなく、むしろ私を諭すように呟いた。

「日野、辛いかもしれないが……覚悟はしておけ」

 そう口にした時の克也の目はいつか屋上で見た時と同じように哀しげな光を宿していたように見えたのはやはり私の気のせいなのだろうか?

 何となく口を開くのが躊躇われる空気が私達の間に流れる中、教室では沙月が机に置いていたバッグを持ち上げていた。

 そのまま教室に残っているクラスメイトたちに手を振ると、横で待っていた佳苗の手を引っ張るようにして半開きのドアを通って廊下に出てくる。

「来たわね。行くわよ、都築くん」

 弾かれたように私は動くと、今まで見張っていたことは微塵も気取られないように気をつけながら、さも偶然に廊下で会った風を装って声をかけた。

「おつかれ、沙月。佳苗の方の調子はどう?」

 私に気付いた沙月は元気よく笑うと、手を上げて挨拶を返してくれる。

真桜(まお)じゃん、おつかれっ! そっちの彼が最近噂の彼氏さん?」

 沙月は私の横に立つ克也に目ざとく目をつけながらニヤニヤ笑い浮かべていた。

「止めてよ。私はそういうのを報道する側なのに」

 苦笑する私とは対照的に沙月は楽しげに笑う。

「認めちゃいなって。こっちの方も最近絶好調なんだから!」

 上機嫌の沙月は掴んでいた佳苗の手を離すと、彼女の肩を軽く叩く。

「聞いてよ真桜! 遂に佳苗と浦田くんのデートが実現するのよ!」

 急に話題の渦中に置かれた佳苗は恥ずかしさのあまり俯き気味だ。

 緊張しているのか、目も泳いでいるように見える。

 もっとも、私には彼女が目を落ち着きなく動かしているのは何も恥ずかしさの為だけではないようにも思えた。

 私はやおらイメチェン計画を聞かされた時のことを思い出した。

 確か、沙月に言われたとかで、メガネだったのをコンタクトに変えたと言っていたのを思い出した。もちろん、言っていたのは沙月だけれども。

 そして、その時の佳苗が目をショボショボさせていたのも思い出す。

 私はメガネもコンタクトも使っていないから解らないけど、やっぱりメガネに慣れた人が急にコンタクトに変えると違和感があるものなんだろうか?

「へぇ、羨ましいな。デートってやっぱり二人きりで?」

 今度は佳苗の方に水を向けてみた。

 そして、羨ましいというのは実は本当だったりする。

 しゃくだけど、ここ最近の私はデートというものにめっきり縁がなかったのだ。

「……ううん。沙月も一緒に行くから……」

 この娘はもともと積極的に話す方じゃないのは知っていたけど、今日はいつになく大人しかった。

 その原因が何なのか解りかねている私の前で佳苗は何かを気にするように、伏せがちの目を時折だが動かしている。

 気になって彼女の視線を追ってみた私はあることに気付いた。

 克也が彼女を凝視していたのだ。

 しかも、ふとした時に私に対してやるように目を覗きこむような見方をするものだから、ふとした瞬間に目が合った佳苗は驚きのあまり小さくなっていた。

 ……まったく、このつっけんどん男は何をやっとるか……。

 私は誰にも聞かれないようにため息をついた。

 ただでさえキミは近寄りがたい雰囲気があるんだから。

 勿論、声に出して本人には言わずに心の中だけに留めるに決まっているけども。

 私がどうやってそれとなく克也に相手が小さくなっていることを伝えようかと思案していると、沙月がけらけらと笑いながら言った。

「しょうがないなぁ、佳苗は。そんなんじゃ、せっかくのデートなのに浦田くんにアピールできないよ? やっぱり私がついてかないとダメかなぁ、このコは」

「どういうこと? 沙月もついて行くって?」

「佳苗だけじゃ不安だと思ってね。あたしも一緒にデートすることにしたんだ。このコと浦田くんの他にあたしも男友達を一人誘えたから。ダブルデートってやつ」

 なるほど。彼女が上機嫌だったのは佳苗のデートの実現が有力になっただけじゃなく、自分もデート出来るからだったようだ。

 多少強引だけど、微笑ましい友情がそこにあった。

 私は本来の目的も忘れて思わず微笑みを浮かべる。

 その時、私は今まで無意識のうちに抑さえつけていた罪悪感が動き出すのを感じた。

 ……友達思いの女の娘を疑ってるのね……私は。

 油断すれば暗澹たる気分が顔に出てしまいそうになるのを慌てて防ぎながら、私はあくまで微笑のままを保とうとして作り笑いをする。

「良かったね、二人とも。それじゃ、デート頑張ってね」

「ねぇ、真桜は今週末に予定とか無いの?」

 沙月の顔は再びさっきのニヤニヤ笑いになっている。

 何か含みがあるようなほくそ笑み方に思えてしかたなかった。

「特にないよ。家で部誌の下書きでもしてるよ。ほら、文化祭も近いし」

「予定が特にないんだったらさ、真桜もあたしたちと一緒にデートしない? もとからダブルなんだから今更トリプルになったってたいして変わりゃしないって。ちょうど彼氏さんもここにいることだし、ね? 大勢の方が楽しそうだし、二人も来てよ!」

 適当に会話を切り上げて帰ろうとしていた私は一瞬、気の抜けた上に変な声を出してしまいそうになった。

 そんな声を出してしまった日には、顔から火が出る程恥ずかしい思いをすることになるだろう。何とかそんな声を出さずに済んで良かったと心の底から思った。

 ――か、彼氏……? このつっけんどんでぶっきらぼうな男が?

 私は思わずそう叫びそうになりながらもかろうじて自分の口を押さえこんだ。

 第一、克也には彼女がいるではないか。

 私は“赤マント”の事件の日に見た光景――校門の前で克也が彼女らしき人と待ち合わせしているのを唐突に思い出してしまった。

「う~ん……ごめん、やっぱ止めと――」

 誘いを断る瞬間、妙案の浮かんだ私はそこまで言いかけて突然に口を噤んだ。

「止めとくの? わかった。残念だけど、また今度ね」

「――やっぱ止めとこうとかと思ったけど、行くことにしたわ! 今週末よね? 場所はどこ? 何時に待ち合わせ?」

 途端に誘いに乗り気になった私に沙月は勿論、傍らの克也も驚いていた。

「何をするつもりだ……?」

 小声で聞いてくる克也に向かって私も小声で答える。

「何をするって、デートよデート。私たちも沙月たちと一緒にデートに行くの」

 心底困惑したように聞いてくる克也の声は呻いているようだ。

 もしかして、彼は焦っているのだろうか。

「考えてもみてよ、これはチャンスなのよ? すぐ近くで一日中彼女を見られるんだから。もし、寄生されてるんだったらそれを確認するまたとない機会よ」

「だがな……そうは言っても……」

 珍しく歯切れの悪い彼を押し切るように私は小声かつ早口にまくし立てた。

「もし違ったら違ったでそれがわかれば良いじゃない。兎にも角にもそれをはっきりさせないことには次の調査も出来ないでしょ? はい決定、もう確定、これ絶対」

 克也はなおも何かを言いかけたが、私の勢いに押し切られる形で彼は遂に口を噤んだ。

「というわけで私と都築くんもお邪魔させてもらうことにしたから」

 言っていることが急速に180度ターンした私に驚いていた沙月も、私の返事を聞いてすぐに元気いっぱいの笑顔になる。

「やったぁ! じゃあ、早速集合時間だけど――」

 この日に見た中では一番の笑顔を浮かべながら日時を告げる沙月とは対照的に、思わぬことに巻き込まれた克也がげんなりしているであろうことは背中越しに感じられた。

 急に無茶言ってごめんね。私は心の中で克也に詫びる。

 でも、何だかんだでデートは楽しみだった。

 


 ゆうべの私がいつになく周到に仕掛けた幾重ものトラップを一つも発動させることなく、私はベッドから起き上がった。

 今日にいたっては頭もはっきりしている。いつも寝ぼけ頭でボーっとしている私とは思えないほどの正確さで部屋中にしかけられた複合トラップの数々を解除しながら私は腕を伸ばして朝の爽やかな目覚めを堪能した。

 机の上に仕掛けられた最後の砦とも言うべきトラップも忘れずにちゃんと解除する。

 正真正銘の完全勝利をおさめた今日の私は意気揚々と階段を下りていく。

 鏡の前で肌をチェックして顔を洗った私はダイニングのテーブルにあったカゴからロールパンを掴むと、それを口にくわえたまま階段を上がっていった。 

 クローゼットを開けると、私は素早く中身に目を走らせた。 

 季節のことも考えると、そろそろ少しは厚めの服も良いけど――でも、夏前に買ったけど結局あまり着ていない夏服も捨てがたかった。

 考えていても仕方ない。私は手当たり次第に服を取り出した。

 数分後、ベッドの上は服で埋まり、床まで占領されつつあった。

 不覚だわ……。私は自分に呆れてしまった。

 ここ最近、デートなんてものに行ったことが無かったせいで何を着ていけば良いのか皆目見当もつかない。

 店を開いているような状態の部屋を見回しながら思案している私がふと、大量の目覚まし時計のうちの一つに目を止めると、文字盤上の針が信じられない時間を指示していた。

 ……私のバカぁ……! 

 心の中で絶叫しながら私は、自分で言うのもなんだが、いつもの優柔不断さがまるで嘘のように迅速な決断を連発した。

今の私のセンスと残された思考時間で実現しうる限り最高のコーディネートを瞬間的と言っても過言ではないスピードで導き出す。

 すぐさま着替えた私は飛び降りるようにして一階に降りると、洗面所に駆け込んだ。

 枝毛が引っ掛かるのも構わずに櫛を通してから、ヘアピンで素早く前髪を留めていく。  

 次は唇にグロスを塗っていくのだけど、やっぱりこれも焦っている時に限って中々上手くいかなかった。

 少なすぎるかと思って塗り直せば、今度は多すぎてベトベトになってしまう。

 グロスのチューブをつまみながら、目だけを動かして左手の腕時計を見る度に私の焦りは一層ひどくなっていく。

 幸いにも、次に塗り直した時に会心の仕上がりを叩き出すことに成功。

 まさに刹那の判断で塗り直しの必要なしと判断すると、洗面所のドアを体当たりするように開けながら廊下へと飛び出し、自分の部屋へと戻ってくる。

 机の上で充電ケーブルにつながっているカメラをバッグにしまうと、お気に入りのキャスケット帽子をバッグのストラップと一緒に掴んで玄関まで全力疾走する。

 既に玄関には昨日の夜からスタンバイしておいた紙箱が置いてあった。

 箱を開けた私は中で紙に包まれていた新品のブーツにつま先を入れる。

 結局、この日の服装は白い薄手のブラウスに膝上までのタイトジーンズとニーソックスという割と無難な感じでまとめてみた。勿論、おろしたてのブーツも忘れてはいない。

 バッグを肩から提げてキャスケット帽を頭に乗せた私は玄関の鏡をチラリと一瞥。

 よし! 完璧! 

 私は鏡の前で拳を握り、ガッツポーズを決める。

 玄関のドアを開けて飛び出した私は近所のバス停まで全力疾走だった。


 

 待ち合わせの駅前には既に見知った顔が来ていた。

 海沿いを走ることで知られているこの電車は今日のデートスポットへと直通なのだ。

 高い所を走る設計になっているから眺めも良い。

 その電車が停まる駅舎の前に今日のメンバーが集合していた。

 沙月に佳苗、そしてその近くで雑談している男子二人は彼女たちの相手だろう。

 そして……四人と同じ輪の中にいながら独自の空間を形成している事が遠目にもわかる音が一人。

 本人があまり自己主張をしないせいであまり目立たない癖に、誰かと一緒の輪の中にいる時は目立たない努力のせいで逆に目立っていた男――克也を見ながら私は自分が最後に来たことを理解した。

 私は走りながら腕時計の文字盤に目を落とす。   

 まだ約束の時間には余裕があったが、まるで大幅に遅れた時のような後ろめたさがあるのはなぜだろうか。

「はぁ……はぁ……待たせて、ごめん。他にもいろいろと……」

 私は待たせたことを謝った後で、この輪の中であからさまに悪目立ちしている男を図らずも放置してしまったことへの謝罪も心の中で付け足した。

 遅刻しそうでもないのに必死の形相で駆けこんできた私にその場にいた四人は一様に驚いた後で笑って手を振った。

「真桜……大丈夫? 遅刻したわけでもないのに急ぎ過ぎだって」

 苦笑しながら沙月が言う。

 やっぱり佳苗のイメチェンの世話を焼いているだけあって沙月の私服はオシャレだ。

 彼女からアドバイスを受けているであろう佳苗の格好もなかなか可愛い。

 克也の私服はと言うと……ダークブラウンのレザージャケットの下は薄手のシャツ。

 全体的に厳しい使用環境で使い古された感じが醸し出す、ある種のシャープさが彼の一見すると近寄りがたい雰囲気とよくマッチしていてそれなりにカッコいい。

 自分だけ変な格好になってないか心配になった私は無意識に首から提げたペンダントの細い鎖を指先で直した。

 プレートに鎖をつけただけのシンプルなものだが、いつもつけているお気に入りだ。

 急いでいたので仕方ないことだったけど、結局ペンダントはバスの中で慌ててつけたからずれたり曲がったりしていないかが心配だった。

「紹介するね。こっちが浦田くん。で、コレが私の連れで登坂(とさか)

 確かに浦田くんは噂通りの好青年という感じだった。

 愛想笑い一つとっても爽やかさが溢れている。

 次に紹介された登坂くんは見るからにお調子者という感じの男の子だった。

 場を楽く盛り上げてくれそうな雰囲気が浦田くんとはまた違う魅力を醸し出している。

 早くも彼は陽気な声で“コレ”呼ばわりしてきた沙月にツッコミを入れていた。

 自己紹介と簡単な挨拶を済ませると、沙月は登坂くんを引っ張って駅舎へと歩き出す。

 いち早く出発する彼女はちょっとだけ後ろを振り返ると私に向かってアイコンタクト。

 まるで超能力者の如く彼女の意図を明確に察した私は、克也の手を取って歩き出した。

 おろしたてのブーツで走ったせいで痛む足を我慢しながら私は意図的に速足で歩く。

 同じく速足で歩いている沙月ともども、佳苗からは距離を取る格好になるのだ。

 男女のペアになるように仕向けた沙月の意図通り、私たちの後には佳苗と浦田くんが残されていた。

 これで良いのよね?

 佳苗に気付かれないようにこっちを振り返った沙月へ返すアイコンタクトにその問いかけを乗せた私に向かって、沙月はとびきりの笑みで頷いた。

 出だしは上々、さて……後は――。

 私はこっそりとほくそ笑みながら横目で隣を見やった。

「都築くん……せめてもうちょっとは嬉しそうな顔してよ」

 ため息が出そうになるのをぐっと堪えて苦笑だけに何とか留める。

 こんな時にため息をついたってしょうがない。

「まだ電車に乗るだけだぞ……まったく、子供じゃあるまいしはしゃぎ過ぎだ」

 やはり抑揚を欠いた平坦な声の彼に向かって、私はお調子者のような笑いを浮かべる。

「またまたぁ、クールを気取っちゃって。本当は楽しくてしかたないんじゃないの?」

 それでも克也はいつもの表情を崩さずに口を開いた。

 彼の声がむしろいつもよりも冷淡な声に感じられたのは私の気のせいなのだろうか。

「……日野、今日俺たちがここに参加した理由を忘れるなよ」

 む……今のにはちょっとムッとした。

 身体を寄り添わせる振りして近づいた私はちょっとだけ力を入れて彼の脇腹にひじ打ちを入れてやる。

 奇襲を受けた驚きと、ひじ打ちの衝撃で彼は情けないよな変な声を上げたようだった。

 その声が面白かったので今の発言は許してやる……ことにする。

 

 

 今日の目的地である遊園地に併設された水族館の中を歩きながら、私たちは辺り一面に設置された水槽に目を輝かせていた。

 色とりどりで形も様々な魚が泳ぎまわる風景はずっと見ていても当分は飽きそうにない。 早速、私はバッグから愛用のカメラを取り出すと水槽の中を泳ぐ魚たちを撮影し始める。 画質を枚数優先にしているが、このままだと容量が足りなくなりそうな気さえしてくる。

 遊園地と水族館の両方に入れるような高額なチケットを高校生の私達が手にできたのもひとえに沙月のおかげだった。

 彼女の父親がこの遊園地と関わりのある企業で働いているらしく、要は社員割引のようなものが彼女のおかげで適用されたのだ。

「さ、みんな。気にしないで買いねぇ、買いねぇ」 

 入口のチケット売り場で彼女は快くそう言ってくれた。

 今日は彼女に感謝しないとね。

 私は今度、彼女に何かお礼をしようと心に決めると、次の被写体を探して瞳とカメラのレンズを動かした。

 今日のメインキャストである佳苗は、あまり得意ではないなりに浦田くんと一生懸命会話しようとしているようだ。

 浦田くんも浦田くんで、彼女が男子との会話にあまり慣れていないのを察してちゃんとペースを彼女に合わせてくれているようだった。

 この分なら大丈夫だろう。私は安心すると共に一度頷いた。

 沙月と登坂くんの方はやっぱりというか何というか、今朝がたと同じノリのやり取りをここでも繰り広げている。

 ふざけた冗談や半ば捨て身のボケを繰り出す登坂くんに沙月が強烈なツッコミを入れる図は息が合っていて、これはこれでなかなか様になっていた。

 登坂くんに関してはさっきから全員にまんべんなく話しかけて場を盛り上げてくれているおかげで私たちの雰囲気は始終和やかだ。

 メンバーの中に登坂くんがいるだけで同じデートの安定感が違う。

 それを思うと沙月の人選には舌を巻くばかりだ。

 さっきはあんなことを言ってた克也も興味深そうに色々な水槽をじっと見入っている。

 何だかんだで楽しんでるみたいじゃないの。私はほっと一安心して彼に話しかけた。

「都築くん、楽しんでる?」 

 声には出さずに頷いた克也に私は悪戯っぽい笑みを浮かべると、水槽の中を指さした。

「ねぇ、あの魚って都築くんに似てない?」

「ん? あのサメか?」

 私が指さす先を目で追いながら彼は私に問い返した。

 確かに、私の人差し指が向く先には精悍な顔をしたサメがまさに王者の風格を漂わせて雄大に泳いでいる。

「違うよ、そのもっと向こう」

 私は笑いを必死にこらえながら彼にサメのいる辺りの更に先を見るように促した。

 彼は私の指先を頼りに視線を走らせ、そしてむっとしたように黙り込む。

 遂にこらえきれなくなって私は吹き出した。

 私の人差し指の指し示す先――そこには眠そうな目をしたハリセンボンがゆっくりと泳いでいた。

「ちょっと待て……あれのどこが俺に似てるんだ……」

「何よその言い方は? もしかして、最初にサメだと思ったってことはそっちの自覚があったんじゃないの?」

 再び黙り込む克也。どうやら図星らしい。

 私は更に笑いながら再びハリセンボンを指さした。

「やっぱりあっちの方が似てるよ。うん、間違いない」

「だからどこが似てるんだ?」

 私は目線をハリセンボンから克也の顔に戻した後でもう一度、悪戯っぽく笑った。

「そのふくれっ面とかソックリ」

 私に言われたことがよほど衝撃的だったのか、克也は一瞬フリーズしたようにリアクションを止める。

 やっと復旧したかと思えば、どことなく拗ねたようなふくれっ面を浮かべていた。

 だから似てるって言ったじゃない。

 そのせいで私の中で一度はおさまった笑いのツボが再びうずき出した。

 私がハリセンボンを指さしたまま笑っていると、克也はゆっくりと人差し指を水槽へと向けてから話しかけてきた。

「日野、お前に似てる魚もいたが」

 笑いすぎて涙目になっている視界を手の甲で拭ってから水槽を見上げると、そこは色鮮やかな魚が沢山泳いでいる水槽だった。

 私が水槽に目を向けると、克也はそっと一カ所を指さす。

 その先にいたのは私とは似ても似つかない、丸々と太ったような魚だった。

 まるで球体に近いその魚は額から何かが紐のように伸びていて、先端には丸い物までついている。身体は黒光りして目は小さく、何とも奇妙な姿をしていた。

「私のどこがあの魚に似てるのよ? 見た目もそうだし、何一つ似てないじゃない」

 私がハリセンボンに似てるなんて言ったものだから、取りあえず見つけたの同じように丸っこい魚を引き合いに出して意趣返しでもしてるつもりなのかしら。

 でも、残念。ふくれっ面が似てるキミとは違って私はあの魚には似てませんよ~だ。

 つい大人げない口ぶりになって言いそうになるのを、心の中だけに留めた私の反応を反論できないのと勘違いしたのか、克也はあの魚を指さしたまま二の句を継ぐ。

 さぁ、何でも言ってみなさい。私はもう余裕綽々の体で聞く態勢に入っていた。

「チョウチンアンコウって言うらしい。ことあるごとにフラッシュを焚きたがる所なんて日野にそっくりだ」

 冷静に事実だけを告げるような淡々とした声で克也は言った。

「そ、そっくりですって……! 女の子に……ってか私に対して失礼でしょ!」

 この年になれば私だって決して男の子との交友が一度もないわけじゃないけど……よりにもよってデートでチョウチンアンコウ呼ばわりされたのは初めてだった。

「言い直す。こっちの魚の方がお前に似てる」

 てっきり何か反論してくるかと思った私は拍子抜けしながら、彼が指の向きを変えた先にあった別の水槽とそこで泳ぐ魚たちを眺めた。

 魚には詳しくないから良く分からないけど、熱帯魚だろうか?

 原色豊かな魚達が泳ぎまわって極彩色の風景が出来あがっていた。

 その中でもとりわけ鮮やかな色をした魚を克也は指さしていた。

 その魚は鮮やかな色もさることながら、小柄で可愛い所も私にはポイントが高い。

 時折、方向転換をしながら軽快に泳ぐさまも割と可愛げがあった。

 ちょっとは上手い事を言うじゃないの。それに気を良くして私はほくそ笑んだ。

 でもそれを表に出すのも何だから、さっきの笑いの余韻に見せかけておくことにする。

「あの魚、何て言うんんだろね? 都築くんは知ってる?」

「魚には詳しくない。丁度良いものがそこにあるみたいだから見てみればいいだろ」

 やはりぶっきらぼうに言いながら、克也は目線で私に水槽の近くを示した。

 彼の目線を追って私が目を向けると、その先には絵や文字のかかれたパネルがあった。

 全体的に抑えられた証明の中でも煌々(こうこう)とした明かりを放っているパネルにはこの水族館にいる魚たちの紹介が書かれているようだ。

 パネルの前にいた子供が解説を読み終えたのか、別の水槽の前に移動したのを見計らって私もその解説を読んでみることにした。

 お目当ての記述はすぐに見つかった。

 さっき克也が指さした魚は有名な魚なのだろう。紹介と解説は一番最初に書かれていた。「ちょっと……都築くん……!」

 気を良くしたまま解説文に目を落とした私は思わず大きな声を出しそうになった。

 何と、解説にはこう書かれていたのだ。

 ――綺麗な見た目ですが猛毒があります、海で見つけても触らないようにしましょう。

 思わずズッコケそうになった私は、ついでに隣に書かれていた海でのアドバイスまで目に留めてしまった。

 毎年、海水浴客が海で綺麗な魚を見つけると毒があるとは知らずに触ってしまう事故が多発しているらしく、それを説明する為のイラストの数々にさっきの魚が登場していた。

 この魚を触ろうとする人の図に大きな「×」が重なっている絵や三角形の中心に「!」が配置されたマークと一緒になどなど、危険な生物の例に使われているあたりよほど猛毒で有名なのだろう。

「まったく……女の子に失礼でしょ、いくら勘違いとは言――」

 ここまで言って私は口を一時停止した。

 そうえいば、さっき克也は水槽と一緒に解説パネルも見て回っていなかったか?

「勘違いじゃなくて確信犯ね! もぅ!」

 今度は私がふくれっ面をする番だった。

 私を振り返った確信犯の克也は、さっき私がしたように悪戯っぽく笑う。

 それを見た私はむっとしていた顔が自然とほころんでいるのに気付いた。

 なぁんだ。そういう顔もちゃんと出来るじゃない。

 私はふくれっ面を微笑みに変えながら克也の袖を掴んだ。

「さ、今日はチケットで行ける所は全部行くんだから。ボーっとしてないで早く次に行きましょ」

 名残惜しそうに水槽を見ていた克也は最後にもう一度あの原色の魚と私の顔を交互に見ると、小さく笑った。

 


 薄暗い視界。吹きぬけていく風も実際の温度以上に肌寒く感じる。

 私の立っている道こそ片付けられているものの、道を外れたすぐ横には放置されたままの人骨が転がっている。

 路肩に生えている木々はすべて枯れており、奇怪な形に反り曲がった枝は鋭く尖った先端や褪せた色も相まってまるで骨のようだ。

 さっきから聞くだけで背筋も凍るような笑い声がどこからともなく響いてくる。

 私は全力疾走した直後のように震える胸に手を当てて何とか抑えようとしながら、少なくとも表面上はつとめて平静を保っていた。

 水族館を出て遊園地へと移動した私たちはお化け屋敷へとやって来ていた。

 沙月の提案で男女のペアでひと組ずつ入ることになり、当然ながら私は克也と入ることになったのだ。

 今のところ、通路を歩く私たち二人の不意を突いて何かが出てくる気配は無い。

 だけど油断は禁物だ。私は他のアトラクションに乗る時よりもことさら強く自分に言い聞かせた。

 隣を歩く克也は先程から元々少ない口数が更に少なくなって、もう殆ど無言の状態だ。

 少しばかり気になった私はそっと彼の表情を覗き込んだ。

 いつもと変わらない抑揚を欠いた表情。

 だけど、気のせいかいつも以上に感情が沈静化しているような気がする。

 そう思った瞬間、私は一つの可能性を直感的に脳裏に浮かべた。

 さっきから無言なことといい、もしかして怖がってるんじゃ?

 その可能性が浮上してからもう私には彼が怖がっているようにしか見えなった。

 私の中で笑みと共に意地悪な欲求が湧いてくる。

 さっきの魚のお返しだからね。言っとくけど、原因はキミなんだぞ。

 心の中で前置きしてから私はそっと彼の肩に手を伸ばす。

そしてその状態から呼吸を三回して秒数を数える。

 一……二……三……今だッ!

 胸中だけに響く声で号令をかけながら私は彼の肩を勢いよく叩くと、同時に空いている方の手で適当な方向を指さした。

「あーっ! あれっ!」

 まさかこんな適当な方法で効果があるとは思えなかったが、その予想は良い意味で裏切られた。

「……うおっ! ……ッ! ……ッッ! ○×△☆*!?」

 凄まじい驚愕のあまり最初の一言以外は声にならない悲鳴を上げたことからもわかるように、彼は盛大に驚いていた。

 ややあって荒い息を吐きながら彼は慌てて私を振り返った。

「何のつもりだ……! 日野!」

 そんな形相で、詰め寄るような聞き方をされたら私の方が驚いちゃうじゃないの。

 それに、むしろ驚いているのは私の方なのだ。

 怪人を相手にしても億さず戦う克也がまさか幽霊の類を怖がるとは思わなかった。

「ごめんごめん。流石に今のは急に驚かしたりして悪かったわよ」

 ぺろっと舌を出しながら謝る私はまだ目が開きっぱなしの克也との空気をごまかすように次の部屋と続く扉へと手を賭けた。

「ほ、ほら、次の部屋では何が出てくるのかなぁ? でも、お化け屋敷って言っても慣れちゃえばそんなに怖くないよねぇ」

 自分でもわざとらしいと思えるような喋り方でごまかしながら私はドアノブを捻る。

「お前……声が棒読みだぞ……!」 

 まだ震える声で克也が入れてくるにツッコミを笑ってごまかしながら私は扉を引いた。

「ははは、そんなことは無いよ? 全然棒読みなんかじゃないからぁ」

 そして、私は一瞬で凍りついた。 

 克也に気を取られていたせいで完全に油断していた。

 その結果、これ以上ないくらい完璧に不意を打たれる形になった私は勿論、やはり私に気を取れていた克也も同様に不意を打たれてやっぱり凍りつく。

 せいぜい次の部屋への扉だけかと思っていたら、その扉に連動した仕掛けがしてあったようだった。

 私たちが扉が開けるのに合わせて、まるで笑ったような顔をした骸骨が豪快に身を乗り出してきたのだ。

 当然、私達は油断していた所にその骸骨と顔を合わせる格好になる。

 今回ばかりは恥も外聞も無く情けない声を上げそうになった私の横で、克也が何か不穏当な事を口走ろうとしていた。

「……ッ……。 ……来いッ! 相――」

 その声のおかげというか何というか、私は瞬間的に落ち着きを取り戻した。

 間髪入れずに克也の口を手で塞ぐと、必死になって押さえつける。

「……はひ……ふふんは? ひほ……!」

「ちょっと! 都築くん! キミはこんな所で何を呼ぼうとしてるのっ!」

 私は自分の反応が間に合ったことにホッとしていた。

 危うくこの骸骨よりもはるかに怖い物がこのお化け屋敷に乱入してくる所だったのだ。

 鋭く大きな角を前面に押し出したモンスターバイクが壁をぶち破ってここに入って来る光景を想像して私は身震いする。

 ゾッとしたのはお化け屋敷のムードのせいでも、効きすぎている空調のせいでもないだろう……きっと。

 その一件のおかげで私は残ったエリアも特に驚くこともなければ必要以上に怖がる事も無く、結果として難なくクリアする事が出来た。

 少なくとも、私がたった今しがた未然に防いだ事態に比べれば、お化け屋敷に設置された仕掛けなんて怖くもなんともないような気がしたのだ。

 


 アトラクションをあらかた回り終えた私たちは飲食店が集まっている建物で一休みしている最中だった。

 テーブルに並んだハンバーガーやフライドポテトをあらかた平らげながら私は午前中のことを色々と思い出していた。

 水族館やお化け屋敷以外も堪能した私たちは結局、昼過ぎになるまでに一通りのアトラクションを最低一回は楽しみ終えていたのだ。

 隣でストローをくわえている無表情な克也を見ながら、ふとフリーフォールに乗った時のことが私の脳裏をよぎった。

 お化け屋敷の一件以来、すっかり彼が怖がりだと決めてかかっていた私は安全バーがロックされる瞬間も隣ですました顔をしている克也をちらちらと見ていたのだ。

 また面白い声を出してくれるんじゃないかと含み笑いを堪えていた私はそのせいで心の準備をし忘れていた。

 ろくに気持ちの用意も出来ていないまま、勢いよく上昇した座席に驚いた私は隣に座る彼に期待していたよりもはるかに珍妙な声を出してしまった。

 ホント……今思い出しても恥ずかしくなる声だった。

 穴があったら入りたいというのはこういう気分なんだろうか。

 おかげで克也の顔を見るたび、お化け屋敷での驚きっぷりを思い出して面白くなる代わりに、さっきの情けない声を聞かれたんじゃないかという心配が私の心に浮かんでくる。

 だけど、当の克也はここでも無表情だった。

 多分、彼なら私のあの怖がりぶりをネタにすることはない……ハズだ。

 そんな事を気にしているうちに登坂くんが席を立った。

 トイレか何かかと私が思ったの同時に沙月も席を立つ。

 二人揃ってトイレに行くのかなんて野暮なことは聞くつもりはない。

 男女がタイミングを見計らって二人で中座する目的はちょっと考えればおのずと解ることだった。

 食事時になった途端、本領発揮とばかりに登坂くんはトークの力量をいかんなく発揮して場を楽しませ続けてくれた。

 彼はただ賑やかなお調子者というだけではなくて気配りもきちんと出来るようだ。

 会話を聞くだけに徹しがちな佳苗にも要所要所で話を振って雰囲気に慣れてもらいながら、折を見て彼女を話題のメインに据えたりする。

 まったく……少しはどこかの誰かにも見習ってほしいわね。

 改めて私が凄さを実感した登坂くんが中座したせいで場は急に静かになる。

 何せ、あまり喋らない人が四人中二人もいるのだ。確立言えば50%である。

 単純計算すれば二人に一人が寡黙と言う状態なのに気付いた私は、浦田くんに話を振ろうとして思いとどまった。

 ここで私と彼が話したら、せっかく会話に慣れてきた佳苗が彼と話せないじゃない。

 余計なお世話だと自分でも思っていないわけじゃない。

 でも、せっかく沙月が気を利かせたのだから佳苗と浦田くんと間に入るわけにはいかなかった。

 それに――私が彼と話しだしたら、いよいよもって克也は話し相手がいなくなるしね。

 しょうがないなぁ。と呟きながら苦笑した所で私ははっとなった。

 ――浦田くんと佳苗。二人の間に入る……。

 思わず弾かれたように立ちあがりかけたのを直前で自制すると、私は何でも無いのを装って携帯電話を取りだした。

「今日なんだけど、確かここ出るのって5時くらいだったよね?」

 帰りの時間を家族にメールで送るフリをしながら私は自分を落ち着かせ、携帯電話のパネルをタイプする。

 やはり焦っているのだろうか、何度か誤変換を繰り返しながらやっとのことでメールの文面を書き終えた私は送信ボタンを押した。

 数秒後、私の隣から服の中で何かが擦れる音が聞こえてくる。

 ややあって携帯電話を取りだした克也は携帯電話の画面から顔を上げて私を見ようとするも、直前で明後日の方向に向き直ってくれた。

 私はヒヤリとする思いをしながら、それをおくびにも出さないように細心の注意を払って立ちあがった。

「三人とも、ちょっとごめん。私もトイレ。すぐ戻るから、待ってて」

 克也よりも一足先に建物を出ると、念のため佳苗たちからは見えないのを確認して自動ドアの横に立つ。

 ――これから中座するから、私についてきて。

   沙月のことを確かめよう。

 たったこれだけの短い文でも私たちには十分だった。

 ほどなくして自動ドアが開き、中から出てきた克也が私の目を覗きこむ。

 私は恥ずかしがるよりも先に真面目な顔で深く頷くと、彼に先だって歩き出した。

 沙月たちがトイレに行ったのではないことは既に明らかだった。

 トイレなら今いた建物の中にもあるのに、彼女たちは外へと出て行ったのだ。

 これから起こることのおおよその見当がついていたからだろうか。

 私も克也も互いに無言で歩いていた。

 少ししか歩いていない筈なのに、私は長時間歩いているような錯覚を覚えていた。

 私たちが少し歩いた先で、沙月たちはすぐに見つかった。

 様々な種類のゲームが設置された大型の複合ゲームセンターになっている建物の裏手。従業員用の通路しか無く、殆どの客は来もしないような所で二人は向かい合っていた。

「登坂、あたしが何であんたを呼び出したかはわかってるよね?」

 物影に隠れて覗きこむ私たちの耳に思いつめたような沙月の声が響く。

「佳苗はやっとの思いで浦田くんにアタックしてるのよ……だから、あの娘に声をかけすぎるのは止めてほしいの」

 沙月の表情はいつもの明朗で活発なものとは違う。

 ちょっとおふざけが好きな彼女からは想像もつかないほどに鋭い目つきで、彼女は登坂くんを見据えていた。

 その目線は心なしか彼を睨んでいるようも見える。

 彼女の様子に驚きを隠せないのか、登坂くんは返事も出来ずにただ立ちつくしていた。

「――だから……あの娘の邪魔はさせない」

 消え入りそうに微かだったが、私にははっきりとそう聞こえた。

 克也も同じだったのか、驚愕と焦燥で表情をこわばらせている。

 固唾をのんで見守る私たちの前で沙月はやおら右手を挙げた。

 私は咄嗟に克也を見ると、その動作の意味を目線で問いかける。

「――まさか契約した“ミーティア”をこんな所で呼ぶ気か……ッ!」

 押し殺そうと努力していなければとっくに絶叫になっているような声で克也が呻く。

「都築くん……!」

「わかってる……! 来い、相――」

 私と一瞬の目配せを交わした克也が唇を震わせようとしたまさにその瞬間だった。

 沙月は挙げた右手で自分の目元を拭う。

 慌てて口を噤んだ私たちが見ているとは知らずに、彼女は目じりから流れ落ちる雫を必死に抑えていた。

「なぁ、沙月……お前、無理してないか?」

 今日の間ずっと聞いていた陽気で調子のいい声ではなく、包容力すら感じさせる優しげな声で登坂くんは沙月に言った。

「気にしてないって言ってたけど……やっぱり前に好きだった奴のこと……」

 相手を気遣うが故の躊躇いで言葉を途切れ途切れにしながらも、登坂くんはゆっくりと目に涙を溜める沙月に問いかけていった。

「ごめん……ふっ切ったなんて言ったクセに泣いたりなんかして……」

 沙月を安心させるように登坂くんはただ首を振ってやんわりと否定する。

「……奥手なせいで、自分が好きな人が他の誰かと結ばれるのを見るようなコトは……佳苗にはしてほしく……ないの……だから、ごめん」

 登坂くんは沙月の震える肩にそっと手を置くと、優しく彼女の肩をさする。

「――俺で良ければいつでも話せよ。いつまでだって聞くから」

 優しげな彼の言葉と気遣いに感極まったのか、遂に堪えていた涙が沙月の頬を伝う。

「……ありがと……でも……そんなに優しくされたら……私……」

 殆ど嗚咽(おえつ)に隠されて聞き取れない彼女の声を辛抱強く聞きながら登坂くんは微笑んだ。

 沙月も涙を拭くと、恥ずかしそうに笑みを浮かべる。

「もう、私にこんなことまで言わせて。まったく、何様のつもりよ――?」

 泣き笑いの顔で問いかける沙月に、登坂くんも陽気で調子のいい笑みを浮かべる。

「何様も何も、ただの幼馴染だろ?」

 その一言がおかしかったのか、二人は声を合わせて小さく笑った。

「ま、お前が好きになった奴がまたお前の気持ちに気付きもしなかったら俺に言えよ。お前を泣かすような奴は俺がブン殴ってやるからよ」

 もうすっかりいつもの調子の良い物腰に戻った登坂くんが冗談めかした口調でそう言うと、沙月も今度は涙とは逆の事に耐えかねたようだ。

 口を開けて笑いだした彼女の肩を登坂くんが優しく叩く。

もう大きく口を開けて笑い合った二人は、連れ立って歩いて行った。

 ――良いラブコメだわ。

 私は胸中で思わず呟いていた。

 久しぶりに良い物を見せてもらいました。

 二人には悪いけど、何か得した気分を味わいながら私は隣に立つ克也に目をやる。

 彼も沙月たちに見とれていたのか、視線は一点を注視したままだ。

「良かった。私たちも行きましょ、都築くん」

 緊張の糸が切れて力が抜けそうになりながらも、私は彼より先に歩き出した。

 何はともあれ、私の心配は杞憂に終わったのだ。

 それで良いじゃないの。

 私は顔がひとりでに微笑むのを止められなかった。

 

 

 夕方になって終了時間が近づいたからだろうか。

 遊園地の風景の中に見える人影はまばらだ。

「今日は楽しかったわぁ~」

 先程の事はまるで無かったかのように沙月が快活な声で言った。

 一番はしゃいでいた彼女は、遊び疲れたのかあくびまでしている。

 駅の近くまで来た私たちは口々に今日の感想を言い終えると、それぞれが踵を返す。

「じゃ、今日はここで解散。みんなおつかれっ!」

 相変わらずの快活な声で沙月は言うと、登坂くんと二人して帰って行った。

 途中まで一緒だから私たちも……なんて野暮なことも言うつもりはない。

 去って行く二人の背中を見つめる克也もきっと私と同意見だろう。

 ふと彼の目を見た私には一対の瞳が寂寥感を湛えているように見えた。

「私たちも行きましょ、都築くん」

 そんな気がしたのも一瞬だけのこと、すぐにいつもの無感動な目に戻った克也にすかさず私は声をかけた。

 沙月たちが帰った後に残った私たちがすべきことはこれ以外にない。

 佳苗たち二人を残して私と克也は二人して帰路についた。

 不思議と電車には乗らずに歩きたい気分になった私は、遊園地から直通の駅舎には入らずに、ゆっくりと横道を歩き出した。

 二人っきりになった佳苗たちの気配が遠ざかって行くのを感じながら、ゆっくりと歩く私の足音に克也の足音が重なる。

「都築くん? 別に無理して歩くのに付き合わなくたって良いのに」

「“私たち”なんて言ったのは誰だ?」

 もうそろそろ慣れてしまったぶっきらぼうな声。

 だけど、抑揚のない表情にそんな声でも、一緒に帰ってくれるというのは不思議と嬉しいものだった。

 遊園地と水族館を中心としたテーマパークの為に周辺地域が整備された為か、直通駅にこそ人が溢れているものの、それ以外の街並みは人影が殆ど無かった。

 住宅街でもないこの辺りは週末のこの時間ともなれば尚更人通りがないのだろう。

 何か貸し切りのような気がして、ここでもちょっと得した気分を味わう。

 しかも、近代的な街並づくりをコンセプトにしているらしい街並みは洒落ていて歩くにはもってこいなのだ。

 結局残ったドリンクでまだ微かに冷えている紙コップを私は傍らの克也に差し出した。

「ちょっと残っちゃったね。飲む?」

 克也は躊躇するように紙コップと私の顔を交互に見比べている。

「それとも、私と一緒のストローじゃ嫌かしら?」

 わざと意地悪に言ってみたのが効いたのだろうか。

 彼はもう一度だけ紙コップと私の顔を見比べた後で、コップを受け取ってストローに唇を触れる。

 つっけんどんに差し返された紙コップを受け取った私は、中身がまだ少し残っていることに気付いて苦笑する。

 もしかしてわざと残したのかしら? 苦笑と共に私は邪推する。

「俺の使ったストローは嫌か?」

 すぐに私の邪推はあながち間違いではなかったことが証明された。

 声だけは平坦なクセに、きっと内心はほくそ笑んでいるんじゃないの?

 水族館での確信犯ぶりといい、もしかすると案外茶目っ気があるのかもしれない。

 そう考えると自然と笑みのこぼれる顔で私は彼に微笑む。

「ううん。全~然。別に気にも何にもしてないわよ」

 躊躇ないのを彼に見せつけるようにストローをくわえながら、私はふと気になっていたことを彼に聞いてみることにした。

「そういえば、キミが相棒って呼んでるあのバイクだけど――今日はどこにあったの?」

 今日私たちが遊んでいたテーマパークは海上に建造された人工島の上に位置している。

 確か、入口は橋が一本だけだった筈だ。

 お化け屋敷で彼がうっかり“相棒”を呼び出しかけてから気になりだして、それから後は周囲をそれとなく見てみたがバイクらしきものは見当たらなかった。

 今日は一緒に直通駅まで電車だったからバイクには乗って来ていない筈だ。

「待ち合わせをした駅に置いてきたが、俺が呼べばどこでも来るから問題は無い。別に今日のような場所でも水上を走って来るから大丈夫だ」

 夕焼けで茜色に染まり、人通りも無く静かな街並みに濁った音が盛大に響き渡る。

 むせながら私は思わず霧のように飲み物を吹き出してしまったのを通行人の誰かに見られていないかどうか本気で焦っていた。

「嘘……。あのバイクってそんなに凄かったの……」

 何度もむせながら私は何とか感嘆の気持ちが滲む声でそれだけを言い終えた。

 普通のバイクとは比べ物にならない程の速さや、それこそ全身金属の塊と化した赤マントの身体を軽々と持ち上げるだけの馬力があるバイクなのだ。

 確かに、あのバイクなら水上を走るなんて芸当もやってのけそうな気がする。

 だけど……次に彼が私に向けて放った一言は更なる驚愕を私にもたらした。

「――冗談だ」

 その言葉を聞いた瞬間、そんな事を言った克也と少しの間とはいえそれを本気にした私自身への怒りが同時に込み上げてくる。

 しかし、それもすぐに驚きによって上書きされた。

「もぅ、びっくりするじゃない……でもちょっと意外かな。都築くんも冗談を言うのね」

「俺が冗談を言ったらいけないのか?」

 もういい加減に慣れたこの喋り方も、もしかしたら演技なんじゃないかと本気で私は思い始めていた。

 私が口を尖らせているのを見ながら彼は珍しく用も無いのに自分から話しかけてきた。

「冗談が過ぎた事は謝る。本当の事を言うと、“相棒”はあの遊園地の中にいた」

 私は再び驚きに目を丸くした。しかも今度は二重の驚きだ。

 彼が自分から謝ることも驚きなら、彼の“相棒”が遊園地の中に紛れていたということも驚きだった。

「一体いつ? どこに? だれが? どうやって?」

 興奮のあまり早口でありったけの疑問形を連発する私に、彼はただ一言呟いたのみだ。

「どういう意味かは、じきに解る」

 どこかお茶を濁されたような返事に私は適当に相槌を打ちながら、唐突に思い出して財布の中身を確認する。

 克也とここまで長い雑談をしたのが初めてだったせいでうっかり忘れる所だったが、ゲームコーナーやお土産の店で思った以上に使いすぎたせいで帰りの電車賃が心配だった。

 案の定、硬貨が数枚だけという、すっかり寂しくなった中身を目の当たりにした私は周囲の景色を見回す。

 すると、丁度良いことに私は一件のコンビニエンスストアがあるのを発見した。

 財布の中を再び確認して銀行のキャッシュカードが入っているのを確認した私は、コンビニに続く横断歩道がどこにあるかも併せて確認する。

「ごめん私、ちょっとお金下ろしてくるね。ここで待っててくれる? すぐ戻るから」

 克也が頷いたのを見届けると、私は信号が青になったばかりの横断歩道に小走りで駆けこんだ。

 高校生の貯金だから額はたかが知れているけど、それでも帰りの電車賃にはおつりがくるだけのお金を下ろした私は横断歩道の信号が青へと変わるのを待っていた。

 さっきは偶然にも青になった所に駆け込めたから気付かなかったが、この信号は思ったよりも青信号の時間が車道優先らしい。

 待ち時間を少し長いと感じた私は何の気なしに周囲を見回した。

「え? 佳苗……よね?」  

 つい私は素っ頓狂な声に出して自問していた。

 コンビニから横に一本入った隣の通りには、二人分の人影があった。

 一方は私が見て取ったのが間違いでなければ佳苗。

 もう一方は後ろ姿しか見えないけれど、その見覚えのある後ろ姿は登坂くんだった。

 あれ? 確か彼は沙月と一緒に帰った筈だけど?

 それに、佳苗は佳苗で浦田くんと一緒にいた気がする。

 胸中で疑問の渦巻く私をよそに、佳苗はゆっくりと登坂くんに歩み寄る。

 少し俯いた姿勢で彼に近づきながら、彼女はぽつりぽつりと呟き始めた。

「“登坂くんと話している時が一番お似合いだと思う”――浦田くんにそう言われたわ」 

 断片的なようでいて彼女の口調はいつになく明瞭だった。

 そして、彼女の言葉は静かな慟哭のような印象すら私に抱かせる。

「“だから俺よりも彼の方が”――そう言って彼は私に気を使って先に帰ってしまった……。ねぇ、どうしてそんな誤解をされなきゃいけないの? ねぇ、どうして――」

「――その娘の邪魔をするの?」

 佳苗の問いかけは途中から別の誰かに引き継がれた。

 しかし、彼女の言葉を引き継いだ別の誰かの声も佳苗の声そのものだった。

 通りの向こうから更にもう一つ――三つめの人影が現れ出る。

 その姿、そして顔に私はどこかで見覚えがあるのを感じた。  

 色も作りも地味な服装にロングヘアーを一くくりにして、メガネをかけているその姿は佳苗に間違いなかった。

 ただし、その姿は沙月のアドバイスでイメチェンする前の彼女の姿だったが。

 昔の佳苗と今の佳苗。左右に並んだ二人の佳苗が時には言葉を分けて、また時には言葉を重ねて登坂くんへと尋ねていく。

「……私は浦田くんと仲良くなりたかっただけ。なのに――」

「その娘は浦田くんと仲良くなりたかっただけ。なのに――」

 突然現れた二人めの佳苗に驚きを隠せない登坂くんを追い詰めるように二人の佳苗はまた一歩前へと歩み出ると、声を揃えて問いかけた。

「――どうして邪魔をするの?」

「――どうして邪魔をするの?」

 彼に問いかけるその声が合図となった。

 昔の佳苗の身体が銀色に染まっていくのと並行して、胸や目鼻といった凹凸や表面のディティールが平坦化していく。

 やがて人型ですらなくなった昔の佳苗は長方形をした薄い板状の物体へと変化する。

 更に薄く伸びたその物体はひとりでに今の佳苗の腕や肩を包むように巻きついた。

 そう――その姿はまるでストール……いや、羽衣を纏うようだ。

 前にも一度似たような光景を見た事があるおかげで、それ自体にはあの時ほど取り乱しはしなかった。

 けれども、それとは別の驚きで完全に取り乱した私は後先も考えずに横断歩道の前で道路を蹴った。

私は、今まさに常識の埒外としか言いようがない出来事が起きている通りに駆け込む。

「佳苗……あなたまさか……!」

 思わず大声を出してしまった私に気付いた佳苗は弾かれたように振り返る。

 それには構わず、私はこの通りに立ちつくしているもう一人に向けて言い放った。

「それと、登坂くん――早く逃げてっ! いいからっ!」

 有無を言わせない私の剣幕に彼は何かを察してくれたようだったが、一足遅かった。

 佳苗が纏った羽衣はひとりでに動いて彼女の腕や脚、身体を隙間なく巻いていく。

 そして、ぐにゃりと脈打ったかと思えば、微かな継ぎ目さえもが一斉に繋がる。

 元が一反の布だったことなど想像もつかない表皮はもはや一体成型すら思わせる。

 流れるような長い髪に、羽ばたくような布のドレスは清潔で上品な美しさがあった。

 美しい女性をイメージして作られた彫像という銀色のオブジェ。

 更に背中の一部が硬度など感じさせないかのように隆起と湾曲をして見せた直後には、身の丈に匹敵するかという程の大きさを持つ一対の翼が現出していた。

 全身を金属で覆った銀色の天使――。

 佳苗の取った姿はそうとしか言いようのないものだった。

 私の学校に通う女子達の間に流れる噂で語られた存在が今、目の前に実在している。

 登坂くんは、きっとこんな相手に直面したことなどないだろうに。

 私の言葉を思い出したのか、必死に逃げようとする登坂くんを翼の一撃が見舞う。

 踵を返した彼は佳苗の翼によって強かに打たれ、突き飛ばされて道路を転がった。

 幸いにも大けがはしていないように見えるが、流石に気絶までは免れなかったらしい。

 標的の一人を無力化した佳苗は残った一人の標的である私に向き直ると、再び羽を振るうように動かした。

 羽が触れるには遠い距離にいると、たかをくくっていた私を嘲笑うように、振るわれた羽からは幾本かの羽根が散るようにして私へと飛来する。

 突然のことで動くこともままならないまま、私が真っ白になった頭で現状を考える。

かろうじて理解できたことと言えば、羽根のように見えても実は金属の塊であるものが刺さったらきっと大けがでは済まない――ということだけだった。

 “赤マント”の事件ではせっかく助けてもらったのに……都築くん、ごめん。

 最後の瞬間にそんなこと思うなんて。他に思うことはないのかしら?

 こんな時にも理性的な私は律義に出てきて、戒めるような口調で横から口を出す。

 確かに、最後に思うことがこんな事というのも――まぁ……良いかな。

 最後に思い浮かんだ克也の顔を見るともなしに見ながら、私が諦めかけた時だった。

呆けたように立っていた私の身体を誰かが突き飛ばしたのだ。

 当然ながら受け身なんて取れる筈も無く、道路をごろごろと転がりながらも私は今しがた突き飛ばしてくれた相手を必死に見ようとする。

 まさか、都築くんなの? 

 私の予想に反してその相手は克也ではなく、長い黒髪が印象的な一人の少女だった。

 その少女が振り返った瞬間、私の中で一枚の写真のように風景がフラッシュバックする。 この前の土曜日に高校の門の前で克也と待ち合わせをしていたあの少女だ。

 どうしてこの娘がこんな所にいるのかしら?

 私にその疑問を抱かせまいとするかのように、目の前で広がった光景は私の思考を強引に中断させた。

 私を突き飛ばしたということは飛来する金属の羽根にその身を晒すということなのだ。

 叫ぶ私の声は声にならなかった。

 幾本もの羽根がまるで投げナイフのように黒髪の少女の身体に次々と突き刺さる。

 私を突き飛ばしてくれた直後に刺さった為か、彼女の背中はまるで剣山のようだ。

 相当な威力なのだろう。彼女は吹っ飛ばされてから道路に倒れ、微動だにしない。

 涙と絶叫がとめどなく溢れるのを私は止めることが出来なかった。

 私をかばってこんな小さな女の娘が――私のせいで……。

「連中は宿主が強く思ってる人間に化ける事があるのは知ってるが……まさか本人に化けるなんて奴は初めて見たな」

 聞き覚えのある感情の抑えられた声、でも今は何か実感のようなものが滲んでいる。

 唐突に路地へと響いた克也の声が私を現実に引き戻した。

 路地の入口に立つ彼を見ながら私は涙でくしゃくしゃになった顔で叫ぶ。

「都築くん……! どうして……ここに?」

 彼はこの状況にも眉ひとつ動かさない。

「――すぐに解る」

 彼の言葉の意味も解らないまま私は、たった今自分を庇ってくれた少女へと駆け寄ろうと、抜けた腰を叱咤して無理にでも足を動かそうとする。

「あなたも邪魔をするのね――」

 何とか立ちあがった私の背後で、佳苗の声がしたのに気付いた時には遅い。

 黒髪の少女に駆け寄る寸前で私の身体は、佳苗が伸ばした銀色の腕に掴まれていた。

 本当に彼女の力なのかと疑う程に強力な腕力で押さえつけられた私の身体は、どれだけもがいても微動だにしない。

 直後に私の身体は浮遊感を感じた。

 恐る恐る自分の足元を見た私はブーツのつま先さえも地面に届かなくなっているのを目の当たりにして愕然とした。

 みるみるうちに地面から離れる私を腕に保持したまま佳苗は広げた翼で飛びたつ。

 瞬く間に流れていく周囲の風景と肌に感じられる風が否応なしに私の恐怖を喚起した。

「ちっ……! 行くぞ! 来い――相棒!」

 遠ざかっていく私を見ながら克也は気迫に満ちた声で叫ぶ。

 その声に呼応したのはなんと、私を庇ってくれた黒髪の少女だった。

 彼女はむくりと起き上がり、背中に深々と突き立ったナイフにも等しい金属の羽根を平然と掴んだかと思えば無造作に抜き出した。

 すぐに全ての羽根を抜き終えた彼女は小走りで克也の傍らまで行くと、瞳を閉じる。

 突然の出来事に驚愕するあまり言葉を失う私の見ている前で黒髪の少女は銀色をした無数の水滴へと変化する。

 一瞬にも満たない程の時間のうちに銀色の粒子は一カ所へと結集した。

 直後、克也の傍らにあったのは彼女の姿ではなく一台のバイクだ。

 克也はバイクに飛び乗るとストッパーを蹴飛ばすようにしてロケットスタートさせる。

 私を抱えたまま飛ぶ佳苗と、それを追う克也の両者が夕暮れ時で人の少なくなった近代的な街を疾走していく。

 佳苗は克也を追いすがらせまいと180度ターンして彼へと向き直る。

 後ろ向きで飛ぶ姿勢のまま、彼女は翼から羽根の形をした凶器を撒き散らした。

 克也は巧みなハンドル捌きで二度、三度と飛来する羽根を避けていく。

しかし、無数の羽根を避け終えた所を狙いすましたように狙撃されて、克也は自ら佳苗の羽根に突っ込む形になる。

 目を閉じたいのに、こんな時に限って恐怖で凍る私の身体は瞼を下ろすことも許してくれそうにない。

 克也の身体に凶器が突き立てられ、引き裂かれる直前に彼は再び気迫と共に叫んだ。

「――キャスト・イット・アップ!」

 その言葉に焚きつけられたように彼が跨るバイクの外装が一斉に剥離する。

 まるで修理中のようになった車体の前で、剥がれ落ちた外装が銀色の粒に変化する。

 進路上に出現した銀色の霧が克也へと迫る金属の羽根を盾で防ぐように弾き飛ばした。

 間一髪のところで難を逃れた克也は、スロットルを加速させて銀色の霧へと突っ込む。

 克也は銀色の一角鬼へ、一緒に入ったバイクは銀色の一角獣へと一瞬で変貌を遂げる。

 鮮やかな銀色の鎧を纏うが早いか、克也は右腕から延びる鎖を鞭のようにしならせて空を舞う佳苗を捕えにかかっていた。

 時に伸び、時に曲がる変幻自在の動きを的確に繰り出し、佳苗の動きに的確に反応する鎖の動きはまるで生きているかのようだ。

 ――そういえば金属生命体だっけ……。

 一部始終を見ながら私は妙に納得してしまうのを感じながら再び身をよじろうとして、すぐに思い直して大人しくする。ここで暴れたせいで落ちたりなんかしたら……。

 変幻自在の動きを見せる鎖でさえも、佳苗の機動性の前では空を切ってたたらを踏むことしか許されない。

 一方、佳苗も卓越した機動力を活かしての回避だけに留まらなかった。

 隙あらば金属の羽根を乱射して克也を的確に追いこんでいたのだ。

 頭上という不利な位置からの苛烈な攻撃で、克也の鎧に刻まれる傷は一瞬ごとに倍増していく。

 気がつけば、一方的に相手を追い詰める佳苗に克也がやっと追いすがっているような状態だった。

 飽和状態になったせいで、もう焦りはとっくに麻痺してしまったのだろうか。

 それでも――怖くないと言えば嘘になる。

 さっき遊園地でもそうだったけど、やっぱり私は高い所が怖いし、落ちるなんてことを考えただけで泣きたくなるのだ。

 だけど、何故か今の私が怖いと思っているのはそうではない気がしてならなかった。

 私に自問を止めさせるように金属同士が強烈にぶつかり合う甲高い音が響く。

 羽根の乱射をもろに受けた克也があやうくバランスを崩しかけ、寸前で持ち直す。

 その瞬間、私は曖昧模糊としていた恐怖の正体を理解した。

 ――私は自分が怪我したり死んだりする事よりも、克也の身に何かあるのが怖いんだ。

 くじ引きの偶然のせいで知り合ったばかりだし、遊んだのだって今日が初めて。

 でも、今日のデートで発見出来た彼の茶目っ気をもう見れなくなるのも、今日の思い出をネタに彼をからかって遊ぶのも、もう出来なくなると思うと無性に怖くなる。

 私は自分の気持ちを理解すると同時に何かが脳裏に閃くのを感じた。

 ――“思い出”……! “からかう”……!

 その単語が脳裏をよぎった瞬間、理性的な私が戒めるような声で告げにやって来る。

 正気なの? これはアクション映画なんとは違うのよ。

 理性的な私はいつも大体正しい。でもこの時ばかりは自分の意思でそれを突っぱねる!

 失敗すれば死んでもおかしくないことくらい解っていた。

 それよりも、今の私には克也が怪我したり死んだりする事の方が怖い!

「都築くん! さっきは女の子にあんな失礼なコト言って!」

 私は声を張り上げた。いつもと変わらない雑談と思って自分に言い聞かせようとしても、やはり恐怖で声が震えるのは止められそうにない。

「日野!? お前こんな時に何言って!?」

「いいから聞きなさい! いい? 今日は女の子に散々失礼なこと言ったんだから……せめて最後くらいは男の子らしいトコ見せなさいよッ!」

 私はまだ微かに手を動かすだけの余裕はあることに安堵すると、バッグに手を入れた。

「失礼な事……? だから、こんな時にお前は何のつもりだ!」

 叫ぶ克也の声を聞きながら、私はさっき水族館で浮かべた悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「似てるんでしょ? ――私はチョウチンアンコウにっ!」

 掛け声としてはどうかと思うけど、自分を叱咤して気合いを入れる効果は覿面だった。 

「絶対に……助けてよ? 信じてるから……!」

 私はバッグから取り出したカメラを佳苗の顔に向け、間髪入れずにシャッターを切る。  

 夕暮れ時で暗くなった風景に慣れた目にストロボの光は強烈だったようだ。

 たまらず佳苗は私を掴んでいた手を離し、叫び声を上げながら目を押さえた。 

 シャッターを切る瞬間に目をつむっていた私はフラッシュこそ平気だったものの、銀色の腕の保持を解かれて街並みを見下ろす高さから地面へと落下する。

 自分を叱咤した私は何とか目を開ける。ここで目を閉じているわけにはいかないから。

「……日野ッ! ったく……無茶しやがって!」

 瞬きも出来ずに私は、克也が捩じり切らんばかりの力でハンドルを捻り、スロットルを一瞬にして最大まで加速させるのを見ていた。

 地面へ激突する寸前で私は銀色の鎧に守られた克也の腕に抱きとめられる。

「ありがとう……助けてくれるって……信じてた」 

 路面にタイヤ痕を描きながら急停止したバイクの上で私は消え入りそうな声で呟いた。

「助けるさ――。そうするに……決まってる」

 緊張の糸が切れたせいで今にも体中の力が抜けてしまいそうな私を降ろすと、克也は私の方に顔を向けた。

 鎧に隠されて目まではわからないけど、きっとあの相手の目を覗きこむような見方をしているような気がする。

「日野、今度は俺を助けてもらう――頼めるか?」 

 聞きようによっては冷淡とすら思える彼の声。

 でも、私は感情のこもらない彼の声に不思議な力強さを感じた。

 少しだけ言葉を交わす。今の私たちにはそれだけで十分だった。

 ややあって克也は再びバイクをロケットスタートさせる。

 空を舞う佳苗と地を駆ける克也――対峙する両者が激突するその瞬間!

 私は目をぎゅっとつむりながら、再びシャッターを切った。

 街に降りた夜の帳をストロボのフラッシュが切り裂いていく。

 二度も同じ手は喰わないというのか、佳苗は素早くかざした手で自分の目を塞いで目をくらます光を未然に防ぐ。

 私と克也の連携は早くも失敗したかに見えた、でも……私たちはこれを狙っていたッ!

 一瞬とはいえ自分の視界を完全に塞いだせいで佳苗の反応は遅れざるを得ない。

 彼女がかざした手をどけた時には、縦横無尽に駆け巡った克也の鎖が電柱や信号機、街中に立つ柱と言う柱に絡みつくのを完了した後だったのだ。

 素早くバイクを分解して地に足を付けた克也はバイクだった分も鎖に回したのか、とてつもない長さの鎖を周囲に張り巡らせることで鉄鎖のネットを作り出している。

 自在な飛行能力があるとはいえ、急な方向転換は彼女にとっても無理難題らしい。

 避けられもしないまま、佳苗は軌道上にしかけられた網に正面から激突する。

 そして、生きた鎖はその瞬間を逃しはしない。

 迅速に動く鎖は伸びつ曲がりつを繰り返して佳苗を完全に絡め取った。

 まるで蜘蛛の巣に捕まったように空中に縫い止められた佳苗を見上げると、克也は腕から新たに伸ばした鎖を手近なビルの屋上に立つフェンスへと引っ掛ける

 投げ入れられた鎖が巻きつく音に重なるようにして鋼鉄の靴裏が奏でる轟音が響く。

 脱兎のごとく勢いで疾走した克也は鎖を手繰りながらビルの壁面を駆け上がる!

 最上階近くまで瞬く間に駆け上がった克也は、壁面を蹴る勢いで宙返りしながら空中へと飛び出した。

 空中で回転する克也は銀色の車輪となりながら右足を繰り出す。

 超人的なアクロバットで放たれた飛び蹴りは狙い過たず宙に静止する佳苗に炸裂した。

 凄まじい衝撃を受け止めたのだろう。佳苗を捕縛していた鉄鎖の網は耐えかねたように細かく千切れ、残骸は克也の眼下に広がる路面へと流星の如く降り注ぐ。

 息をすることも忘れて見守る私の前に銀色になった佳苗の身体が落下し、驚くほど静かに克也が着地する。

 鎧を銀色の雫に分解した克也と共に私は倒れている佳苗へと足早に歩み寄った。

 私たちの見ている前で天使の形をしたオブジェは赤く錆びた色に変じていく。

 やがて風化したように崩れ、吹き散らされた後には素顔の佳苗だけが残る。

「う……うぅ……ん」

 痛みに顔をしかめ、小さなうめき声を上げながらも佳苗は目を覚ました。

 あれだけの攻撃を受けても装甲の中身は無事のようだった。

 改めて私は驚きに唖然とするしかない。

 しかし、身体は無事なように見えていてもダメージはあったらしい。

 佳苗の腕には新しい傷口が出来ていた。

 私と違って慣れている克也は平然としたまま彼女に歩み寄ると、乱暴に手を掴む。

「……! 止めなさいよっ! 怪我してる女の子なんだよっ!」

 私の制止も聞かずに克也は佳苗の腕を掴んだまま目を皿のようにしていたかと思えば、やおら手を離した。

「すまない……」

 腕を押さえて目に涙を溜める佳苗に一言詫びると、彼女が落ち着くのを待って克也は上着のポケットからパスケースを取りだした。

 それを見せながら、やはり佳苗にも問いかける。

「聞かせてもらうことがある……コイツを知っているな?」

 少しは落ち着いたのか、佳苗はまだ半分は我に返っていないながらも、克也と目を会わせながらぽつりぽつりと言葉を発し始めた。

「地味で引っ込み思案な自分が嫌だった私に……あの“種”をくれた――貴方と同じバイクに乗って、同じ女の子を連れた人」

 断片的な言葉の一つ一つを噛みしめるように所々で頷きながら、克也はなかなか進まない彼女の話を辛抱強く最後まで聞いた。

「わかった。もういい――休むんだ」

 克也は言ったのを合図にしたように佳苗は再び瞳を閉じると気を失った。

 彼は佳苗を路肩に移動させると、私に診ているように言って電話をかけ始める。

 また先日と同じパターンだ。

 きっと、彼は“後は事情を知る大人が何とかしてくれる”とか言うんだろう。

 やがて電話を終えて戻って来た彼に、私は何から聞こうかと思案しながら口を開こうとした時だった。

「佳苗の傷口からは()い(・)()が(・)()ていた(・)――どうやら間に合ったらしい」

 機先を制するように口を開いた克也は開口一番、突然にそう切り出した。

「それに日野、お前に確認する事がある」

 急に話を振られて少しばかり驚く私に克也は問いかけた。

「この子はまだ……誰も手にかけていないんだな?」

 私は記憶の糸を手繰って確認すると、取りあえず小刻みに二度三度と頷いた。

 銀色の天使に連れ去られた女子生徒たちは誰一人として命を落としてはいない。

「なら……いい。もし、そこまで見境が無くなってたら――始末しなければならなくなる所だった」

 ――“始末”。彼は今確かにそう言ったのだ。

 心に受けた衝撃で思うように動かない唇から絞り出すように私は無理矢理声を出す。

「……“始末”ってどういうコト? まさか殺すなんて言うんじゃないでしょうね?」

 自分の声ながら本当に頼りなく感じられた。

 特に語尾などは消え入りそうで自分でも殆ど聞き取れない。

「――そうだ。赤い血が出ていなければ俺がやるしかないが、そうでなければ後は事情を知る大人の仕事だ。しかるべき所でしかるべき処遇というものが下される」

「そんな……どうしてそう簡単に“始末”だなんて言えるのよ……! 今日だって一緒に遊んでた子なんだよ? きっとこれから友達にだってなれるかもしれないのに……」 

 私は未だに一連の言葉が克也の口から出たものだとは思えなかった。

「仕方のないことだ。だから言っただろう? 覚悟しておけ――と」

 あくまで事実を告げるだけの淡々とした口調。

 今の私にはそれが自分でも不思議なくらいに腹立たしく思えた。

 彼が言った“覚悟しておけ”という言葉はこのことだったのだ。

 かろうじて助かったものの、佳苗の将来はここで絶たれていたかもしれないのだから。

「佳苗がそうなったら沙月や私……沢山の人が哀しむんだよ……“始末”なんて簡単に言ってるキミにとっては他人事かもしれないけど……」

 敵意剥き出しで言い放った私の非難にも表情一つ変えずに克也は私に向き直る。

「日野、理解したか? 俺のやる事に首を突っ込むということは、時には目を逸らしたいことも目の当たりにしなければならない――お前の好きな報道と同じだ」

 その言い方が気に障った私は自分でもゾッとするほどの恐い声を出した。

「……知った風なコトを言わないで……!」

 だけど克也は時折見せる遠い目でどこかを見ながらただ一言、殆ど聞こえないような小さな声で呟いただけだった。

「――知ってるさ。俺も良く」

 半ばヤケになったように、私は背を向けた克也に向かって叫んだ。

「どうしてよ……どうしてなのよ……何でキミはそんな冷徹でいられるのよ!」

「この旅を終わらせる為なら、俺は冷徹だろうが何だろうが喜んでなる」

「喜んでなる……? ふざけないで! 旅って何よ! キミはそうやっていつも煙に巻くんだからっ!」

「あいつが蒔いた種は全て俺が刈り取る……そして、この旅の果てにあいつを――。それが俺の旅の目的だからだ」

 折れず曲がらずどこまでも固く、そして冷たい――。

 冷酷と言えるほどに淡々と答える克也の声や姿はまるでそんな金属のようだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ