7. 【二日目】 スマイル・トラップ
――――彼我の距離、約三十。
草むらで休息を取る、おそらく「Q」と思われる人物を確認。
この距離では人相は不明。
体格から判断すれば男。
簡素な皮鎧を着ているようだが、装備は短剣が一本のみのよう。
男性の騎士にしては装備が少ない。
女性ならばこのくらいが妥当だが、魔術師または魔術をメインに据えて戦うタイプと考えられる。
仲間の有無……。
……いない?
「どうなっているんでしょうね、これは」
「Q」の近くには仲間の「K」がいるのが普通。
緊急事態でもない限り別行動はしないはず。
「Q」のプレイヤーの様子から、緊急事態という線は考えにくい。
となると、残りは……。
「……罠?」
――――ガサリ。
ジェインのすぐ背後の藪が音を立てた。
(嵌められたッ!?)
――――振り返る。
驚愕に見開かれたジェインの瞳が捉えたのは…………。
――――大剣。
両手で持ったそれを振り上げる、ひとりの大男。
「くっ」
身体をひねって横に飛ぶ。
そんなジェイン目掛け、剣が振り下ろされる――!!
――――ゴンッッ!!
低い音。
腕から伝わる振動が脳まで伝わる。
揺れる視界。
その中をバックステップで後退。
なんとか避けて致命傷だけはまぬがれた……。
けれど。
(まともに受けていないのに、この威力って……化け物ですか)
腕を保護していた皮鎧の表面は無残に切り裂かれ、もう使い物にならない。
それに加え、おそらく左腕の負傷。最悪、肘の関節が折れている。
「敵襲ッ!」
襲い掛かってきた男が叫びながら突っ込んでくる。
体格のわりにすばやい。一瞬で肉薄される。
大剣が一閃。
ジェインの胴体を薙ぐように振るわれる。
――ヒュウ。空気が裂ける音が頭上を通過する。
数本の髪が舞った。
間一髪、ジェインは男の攻撃をかがんで避けていた。
回避動作は同時に、攻撃のための布石でもある。
あれだけの大剣。振るのには相当な力が必要なはず。となれば、狙うべきは剣を振った直後の足。
発生する巨大なモーメントを支える男の足は防御が脆い――――!!
ジェインは男の懐に入り、攻撃に転じようとしていた。
――しかし。
そんな彼の視界に、男の足。
(嘘ッ!?)
ジェインの常識では考えられない動きだった。
男は自身の振った剣がかがむことで避けられたことを知るや否や、ジェインの顔面に回し蹴りを放ったのだ。剣を振ることで発生したエネルギーを、地面についている足を軸にして逆側の足に伝えて威力とする。
驚異的な運動センスと即時の判断力が成した業だった。
――――衝撃。
ジェインの身体は地面から浮き、藪の中へ転がる。
四回、五回と転がり、止まるとジェインはすぐに立ち上がった。
視界はぐらついているが脳震盪はない。
男に蹴られる直前、ジェインはほとんど無意識に魔法を発動させていた。
それが功を奏したのだ。
ジェインの魔法によって男の身体は沈み込み、蹴りはジェインの肩当てを殴打するだけにとどまっていた。
ジェインは藪の向こうの、地面に脚を取られている男を見遣る。
男に蹴り飛ばされる直前、ジェインは魔法を発動した。ジェインが生まれた時から持っている魔法――所謂、精霊魔法だ。十五年以上慣れ親しんだ魔法だからこそ、なかば無意識ですばやく最適な結果を出すことが可能だった。
彼の家が伝える精霊魔法は、水分を自在に操ること。その中で彼は、特に土中の水分の操作に特化した精霊魔法を生まれ持っていた。
とはいえ、それほど便利な魔法というわけでもない。効果を及ぼせる範囲もジェインの未熟さゆえに広くはない。
だが、先ほどのような近距離でなら実戦レベルの魔法を放つことも可能だ。
ジェインの魔法は土中の水分を操ること――――男が蹴りを放った時、ジェインの魔法によって、男の軸足を支えていた地面の水分濃度を一気に上げたのだ。土はぬかるみ泥の沼に男の脚が沈む。そして沈んだ後に男の脚を囲む土の中から水分を逃がして固める。
ジェインが作る乾燥した土は、普通に乾燥させた土と比べて数段階硬い。これはジェインが蒸発によって水分を逃がしていないためである。ジェインは純粋に水分を移動させることによって土を乾燥させているため、土には水が水蒸気になる時にできる小さな穴が存在せず、硬いものができあがるのだ。
そんな土で脚を捕らえられてしまえば、そう簡単には抜け出すことはできない。
男は剣を地面に突き立てて地面に埋まった足を抜こうとしているが、うまく抜けられない様子。
さすがに本物の化け物――魔獣ほどの脚力はないらしい。
力のある魔獣なら話は別だが、普通の人間があの拘束を抜け出すためには硬くなった土に水分をしみこませてやわらかくするのが最も効率のいい方法だろう。魔法によって水分を与えるのが最も早いが、時間が経てばジェインの魔法によって周りの土に移動させておいた水分が硬くなった土へしみこんできて自然に拘束が解ける。
非拘束者の力や魔法の発動範囲にもよるが、拘束できるのは大体平均五分程度。
拘束が解ける前に逃げなければならない。
ジェインは大男に背を向けて走り出す。
あのまま一気に「Q」も拘束してしまうという手がないわけでもなかった。「K」が動けない以上、一対一の戦いをすることができるからだ。
しかしおそらく「Q」は魔術師。
接近戦をしかけてくる騎士タイプの人間ならジェインの精霊魔法によって勝機を掴むことができるが、遠距離攻撃タイプの魔術師には効果範囲の関係で脚を埋める魔法は有効打を与えられない。遠距離攻撃の撃ち合いになってしまえば、おそらく負ける。本職に学生が勝てるとは思えない。
それに大男の剣によって傷ついた左腕が熱を持ってきている。剣の一撃に加えて、肩への蹴りだ。大丈夫な方がおかしい。
このまま痛みが増していけばいずれ集中できなくなり、魔法は使えなくなるだろう。
そうなってしまえばもう戦えなくなる。
今は何よりも逃げることが先決だ。
「Q」はおそらく追ってこないだろう。
罠でもない限り「Q」と「K」は別行動しないからだ。
まして現在「K」は身動きが取れない状態にある。そんな状態の「K」を放ってまで追ってくるのはよほどの考えなしだけだ。
だからまずは敵がジェインを見失うだけの距離を稼ぐ。「Q」や「K」のPMAには「J」の位置を表示する機能はない。ひとまずはそれで安全になる。
そうしたら次は隠れられそうな場所を探して腕を治さないといけない。
「ボックス」――食料が入っている白い箱――の中には確か簡単な応急処置キットもはいっていたはずだからそれを使うべきだろう。
藪の中を無理に進んでいるだけあって、手や顔は細かい切り傷だらけだ。そちらの消毒もしておかないといけない。
「さすがは模擬戦争と言ったところですかね」
ジェインはシニカルに笑う。
だが彼は現在の状況を楽しんでいるわけではない。楽しめるわけがなかった。
無力の悔しさを押し殺して、彼は笑うのだった。
*****
森の中、二人のプレイヤーが昼食を摂っていた。
一人はむすっとした表情のいかにも騎士然とした大柄の男。もう一人は赤髪の小さな少女だった。ただし「小さい」といっても比較対象が大きすぎるために起こる半ば錯覚のようなものであり、実際には少女の身長はそれほど低いわけではない。
「ねぇ~。団長ぉ~」
「甘えた声を出すな、バカモン」
壮年の騎士にすり寄る少女とそれを引き離す騎士。
二人からは模擬戦争以前からの付き合いである様子が感じられる。傍から見れば、それは父親に甘える娘という光景にも見えた。
つれないなぁ団長は、と少女――カノンは呆れた風にため息をついた。
「そんなんだからいつまで経ってもイイ人できないんだよ」
「いいひと……? どういう意味だ」
「まったく、そんなことも分かんないの~? これだよ、これ」
そう言ってカノンは小指を立てる。
カノンの言う「イイ人」の意味を解した団長――エッジドルク第一騎士団団長カルバン。
今度は彼が呆れた風にため息をつく番だった。
「お前さんこそどうなんだ。勇者との仲は」
「タカ? 仲良くやってるよ、うん」
「脈なしか?」
「……どーなんだろ、分かんないや。師匠と教え子って関係だし。でもアイツはヘタレだし、文字読めないし、頭も要領も悪いし、バカだし、アホだし、むっつりスケベだし。私の勇者様像を返してって感じだよ。……まあ頑張ってるのは認めるけど」
素直じゃないな、とカルバンは思う。
剣だけを極め、恋愛や人の心の機微に疎いカルバンでも、この少女の心が勇者に傾きかけていることくらいはなんとなく察せる。
その想いが、親しい友人で止まるのかそれ以上のものになるのかは、分からないが。
カルバンにとってそれは喜ぶべきことだ。
「まあ、私のことはおいといて。団長こそどうなのよ」
「むぅ……」
せっかく話題をそらせたと思って安心した矢先にこのザマだ。やはりカノンを相手にこの件を話していると手強いな、と唸る。
「いい加減に奥さんをもらわないと寂しい独り身の老後を送ることになっちゃうよ。陛下にも言われてるんでしょ?」
「それはそうなのだが……」
剣のみでの戦いにおいて王城内では敵なしと謳われる壮年の騎士カルバンにも勝てないものは勝てない。
カノンとこうやって話をしていて、はたして自分は今までに何回彼女の言葉の剣を避けることができたのだろうかと、カルバンは思う。特にこの妻を娶ることの話題に関しては敗率百パーセントを誇るカルバンだった。
縮こまりながら、手元の保存食――彼が今食べているのはクッキーのようなものだ――を口の中にどんどん放り込み、今日の昼食分を完食する。
「さて、そろそろ無駄話も終わりだ」
「団長が逃げた~」
非難するような視線を向けるカノン。
図星だったカルバンは気まずくなって声を上げる。
「そもそも、だ。模擬戦争中にこんな話をしていること自体が間違っているのだ。しゃっきりとしろ、しゃっきりと」
「は~い」
まったく緊張感のない返事だったが、カルバンにはカノンを叱ることはできなかった。
そんな自分に嘆息するカルバン。
「……カノン。敵の数と周辺の状況は」
「ちょっと待ってね……」
PMAを取り出して確認するカノン。
その間の時間を使ってカルバンも自身のPMAを確認する。
彼の所有するPMAは二つ。「2」と「8」だ。
だだし、カルバンが確認するのは「2」のPMAだけ。「8」のPMAの索敵に関する機能はすでに使い物にならなくなっているためだ。
使い物にならなくなったといっても、機能が停止されているわけではない。
「自チームの『7』、敵チームの『8』のPMAの位置を表示する。
このPMAは模擬戦争中に一度だけ、このPMAから最も近い8つのPMAの機能を一時間停止させることができる。この機能が発動している時、模擬戦争のステージは移行しない」
これが「8」のPMAの固有機能だ。
二つ目の機能は主に逃走時に使う機能。奇襲時に使えないことはないが、奇襲しますよと宣言してしまっているようなものなので、あまり効果的な手段にすることはできないだろう。もちろん索敵に使えるはずもない。
一つ目の機能がもとは索敵、仲間と合流するための機能だったのだが、現在「8」のPMAのマップを見ても敵の位置が表示されることはない。
青い「7」の光点も赤い「8」の光点も存在しない。
これは自チームの「7」のPMAと敵チームの「8」のPMAがすでに機能停止しているということを意味している。
表示する対象がいないのなら、光点が現れないのは当たり前のことである。
「8」のPMAの位置は第二ステージ開始時から表示されていなかった。おそらく第一ステージのうちに「A」のプレイヤーによって機能を停止させられてしまったのだろう。
自分の獲物を横取りされて不完全燃焼したという感じが拭えないのも確かではあるが、そのことで機嫌が悪くなるほどカルバンは子供じみているわけでも戦闘狂なわけでもない。
「マップ」
PMAに記されている魔法陣の起動ワードを呟き、「2」のPMAを確認する。
マップ上の光点は黄緑色がひとつ、それと重なるようにいくつかの青い光点、そこからやや離れた場所に赤色の光点がひとつ。
このPMAが確認できる敵プレイヤーは近くにはいないらしい。
一瞬だけ「2」のPMAの固有機能を使うことが脳裏を過ぎったが、すぐにそれを否定する。不完全な索敵のためにPMAを一個犠牲にするのは馬鹿げている。カノンの結果を待てばいいだけの話。
「2」のPMAの固有機能はかなりトリッキーなものだ。
機能は全部で三つある。
一つ目。
「自チームのナンバーのPMAとの距離が五百メートル以下になった時、互いに相手のPMAの位置を表示する」
味方の位置を把握できる機能だ。
ちょうど「A」や「J」の「自チームの他のPMAとの距離が五百メートル以下になった時、警告し、そのPMAの位置を表示する。そのまま十五分が経過した時、このPMAの機能を停止する」という機能のデメリットをそのままメリットに変えてしまったような機能だ。
「J」のプレイヤーが強いられる過酷さを考えれば、いかに優秀な機能であるか分かる。
二つ目。
「機能停止していないPMAの総数が奇数の時、敵の『4』『6』『8』『10』のPMAの位置をこのPMAに表示する。偶数の時、このPMAの位置を敵の『2』『4』『6』『8』『10』のPMAに表示する」
優秀なのかそうでないのか分からなくなる機能だ。カルバンの見立てではプラスマイナスゼロといった所。
条件付きで、四つの敵のPMAの位置を表示できるという機能は見かけよりもずっと破格なものだ。今回の模擬戦争における「4」「8」「10」の機能を知り、肌で感じているからこそ分かったことだ。きっと紙面上でこの機能の説明をされてもその重大さに気づくことはできなかっただろう。
ナンバーのPMAにはほぼ必ず仲間と合流するための機能が備わっている。
たとえば「2」のPMAには近くにいる味方プレイヤーの位置を表示する機能があるし、「8」には自チームの「7」のPMAの位置を表示する機能がある。
それは「4」「10」のPMAについても同じで、確認したわけではないが「6」のPMAもそれに類する機能を持っているはずだ。
このことが意味するのは、「2」のPMAは敵のナンバーのプレイヤーのほとんどの居場所を知ることができるということ。
そんな強力が機能があるからこそ、条件次第では敵のほとんどのナンバーのプレイヤーに居場所を知られるという厄介な機能もついているのだ。
最後に三つ目。
「このPMAが接触している自チームのナンバーのPMAの機能を停止することができる」
二つ目の機能がなければまったくと言っていいほど使いどころが見えない機能だが、二つ目の機能と組み合わせれば使えないこともない。しかし所有するPMA一個という大きすぎる代償を払っても、二つ目の機能は残っているPMAの数に依存していて不安定な上に、アドバンテージを得るのは敵のPMAも同じというなんとも微妙な結果になる。
この機能を使うのはどうしても敵の位置を知りたい、または知られたくない時だけになるだろう。
先ほどこの機能を使うのを躊躇ったのもそのためだ。
これらが「2」のPMAの固有機能。
マップ上に表示されているのは赤色の光点がひとつだけ。この光点は敵の「2」の位置だ。
つまりこの瞬間もカルバンの位置は敵のほとんどのナンバーのプレイヤーに知られていることを意味している。
先ほどは暢気に昼食をしていたが、本来こんなほのぼのとした時間を過ごせるわけがないのだ。
カルバンたちは模擬戦争が開始されてからいまだ一度も戦闘を行なっていない。
敵の「2」の位置を知っても攻めてこないのは、相手もカルバンたちと同じく様子見をしているということだ。
確実に勝てる保証が手に入るまで、戦わない。
最終的には勝敗にまったく関係がなくなるナンバーのプレイヤーと戦うくらいなら、フィールドを歩き回って「Q」や「K」と合流して敵の「K」を倒す算段を立てることを優先するべき。
そんな作戦だろう。
かくいうカルバンたちも「Q」「K」との合流を優先させるプレイヤーだった。
しかしカルバンのPMAは語っている。
すでに六個以上のPMAが機能停止している――戦争が始まっていることを。
カルバンの「2」のPMAには敵の「2」の位置だけが表示されている。この敵の「2」の表示はカルバンのPMAの機能ではない。敵の「2」のPMAの、自分の位置を敵のPMAに表示する機能によって表示されたものだ。
つまり機能停止していないPMAの総数は偶数。フィールド上の全PMAの数が二十六個なので機能停止しているPMAの総数も偶数。
第二ステージへの移行は夜明け前に行なわれた――夜明け前までに五つのPMAの機能が停止されたことを考えると、第二ステージが始まってから少なくとも一つのPMAの機能が停止されていると分かる。
プレイヤー同士の闘争はカルバンに見えないところで始まっているのだ。
「団長ぉ~? 自分の将来のお嫁さんのことを真剣に考えてるところ悪いけど、ちょっと報告、いい?」
引き締めていた気持ちが一気に木っ端微塵になった。
「お前なぁ」
いい加減に説教をしなければならないのだろうか、とカノンを見る。しかしカルバンの目に映ったのは、声色とは正反対の真剣な瞳。
何か悪いことが起きているのだと、一瞬にしてカルバンは悟った。
「敵おそらく二人が接近中。うち一人は『10』。もうすぐここまで来るよ」
*****
「このPMAに最も距離が近い敵の四つのPMAのうち、ナンバーのものだけを表示する」
それが「4」のPMAの固有機能。
対奇襲において他の追随を許さない強力な機能を持ったPMAだ。
ナンバーのプレイヤーの奇襲に対しての効果は言うまでもなく、アルファベットのプレイヤーの奇襲にもある程度の対応をすることが可能だ。
「4」の機能は、距離が近い四つのPMAのうちナンバーのものを表示するというもの。
逆に考えれば、表示されている敵の赤い光点の数が四つ未満のときはアルファベットのPMAを所有するプレイヤーが近くにいることになる。
「いるかどうか分からない」と「どこにいるか分からないけど、近くにいる」の状態では明らかに後者が有利である。
その代わりに制限――デメリットも大きかった。
「上の機能を最後に使用してから三十分以上経った時、このPMAに最も近い四つのナンバーのPMAにこのPMAの位置を表示する。
また、このPMAは譲渡できない」
「4」の所有者は合計四つ以上の「4」以外の自チームのPMAが近くにない限り、満足に眠ることすらできないということだ。
敵に位置を知られることがない第一ステージにおいては味方と合流するために好都合な機能だったが、第二ステージではそうもいかない。
だが逆に言えばPMAを持つ仲間がいる場合はデメリットはないに等しいと考えることもできる。
そして、カノンとカルバンが集めたPMAは合計五つ。
デメリットなしで「4」の固有機能を使える状況だった。
「4」のPMAは完璧だと、そう思い込んでいたのだ。
カルバンにPMAを確認するように促がされたカノンは当然のように「4」のPMAのマップ機能を呼び出した。
マップを確認すると赤い光点が四つ。
そのうち一つはカノンたちとかなり距離がある場所に、二つ目の光点は一つ目と比較的近い位置にあったが共に行動している距離ではなかった。その二つはどうやら注意する必要はなさそうだと結論付ける。問題は残りの二つ。並んでいる二個の赤い点は、現在位置の黄緑色の点のすぐ近くにあった上に、注意して見るとどうやらカノンたちの所に真っ直ぐ向かってきているようだった。
危険を感じたカノンはすぐにカルバンに声をかけ、自分の持つ残り二つのPMAのマップ機能を使った。
二つのPMAはそれぞれ自分と同じナンバーの敵の位置を表示する機能を持っている。カノンの持つ「4」以外のPMAは「5」と「10」。二つのうち「10」のPMAに表示された赤色の光点は、先ほど「4」のPMAに表示され、カノンたちのもとに向かってきていたものと同じ位置にあった。
「敵おそらく二人が接近中。うち一人は『10』。もうすぐここまで来るよ」
カノンとカルバンは回りに注意を払いながら、二人の敵を待った。
相手が二人の場合、そして一人が二つのPMAをもっている場合、両方の場合を想定して、時が来るのを待った。
二人は知らなかった。
運命の女神が誰に微笑んだのか。
二人は気づかなかった。
「4」のPMAが孕んでいる落とし穴に。
*****
ピ――――――――――
警告音。
小さな音だ。耳鳴りに似た明らかな人工音。
神経が過敏になっている模擬戦争の最中であるなら、音が小さいといっても聞き逃すことはまずないだろう。
音を放っているのは彼女が所有する「J」のPMAだ。
「自チームの他のPMAとの距離が五百メートル以下になった時、警告し、そのPMAの位置を表示する。そのまま十五分が経過した時、このPMAの機能を停止する」
その固有機能の通り、「J」のPMAのマップには現在半径五百メートル以内に二つの青の光点が浮かんでいる。
音が鳴り始めてから十分ほどが経過しているだろうか。
制限時間は残り五分。
森の木々を避けながら五百メートルを走破するのには二分ほどかかる。
けれど心配する必要は無いだろう。
二つの光点は同方向にほぼ一定の速度で移動している。
状況は作戦通りに進行している。
「A」や「J」のPMAの単独行動を義務付ける固有機能は「Q」や「K」のものとは違い、一日で何時間までという制限はない。
十五分の区切りは一度五百メートル圏外に出てしまえばリセットされるため、しようと思えば集団行動は可能なのだ。とはいえ機能の性質上たとえ集団行動をしたとしても心休まる時間が得られないため、好んでしようとする者などいないだろうが。
ピ―――――。
………。
警告音が止まり、同時にマップから光点二つが消失する。
これで十五分の制限の時間がリセットされたことになる。
そして、これが作戦開始の合図でもあった……。
警告が途切れてからきっかり一分後、走り出す。
作戦はそう複雑なものではない。
模擬戦争の戦闘においての常套手段、奇襲による敵の無力化だ。
とはいえ、真昼間の昼飯時から普通の奇襲が成功する可能性はさほど高くない。
互いに敵の位置を把握することができるPMAを持っている以上、奇襲の警戒――敵の位置のチェックはこまめに行なっているはずだ。
事実、彼女自身もPMAのチェックは睡眠時を除き、欠かしていない。
誰でも睡眠時は警戒が散漫になるものだ。
それゆえに確実を期したいのならば夜が更けるまで待つべきなのだが、ただ時が来るのを待つだけというのもベストな選択肢とは到底言えない。
だからこそ彼女たちは巧遅よりも拙速を選んだ。
人の警戒が散漫になるのはなにも睡眠時に限ったことではない。
人間というのは一つのことに集中している時、必ず他のものへの集中――警戒が散漫になるものだ。
それを利用するのが彼女たちの作戦だ。
敵の人数が二人だけというのは今朝からの仲間の監視によってほぼ確定している。
対して彼女たちの人数は三。
数の差を利用するのだ。
ピ―――――
再び警告音が鳴り始める。
それとほぼ同時、ドォンッ! と空気を揺るがす音。かすかにだが、金属のぶつかり合う音も聞こえてくる。
どうやら戦闘が始まったらしい。
PMAに再表示された青の点を頼りに現場に進む。
彼女たちの作戦は単純だ。
仲間三人のうち、ナンバーのPMAを所持する二人が先行して奇襲に見せかけた囮として敵を襲う。
その間に敵のPMAに表示されにくい「J」のPMAを持った彼女が背後から敵に近づき、本命の奇襲を仕掛ける。
「J」のPMAが敵に気取られない場合に彼女たちの作戦は最も有効になるが、たとえ「J」が近くにいることが知られている場合でも充分に効果的なものだ。戦闘中はPMAを確認している暇はない。どこにいるとも知れない「J」に気を取られていては普段どおりの力を発揮することなどできないだろう。
そういう意味で、アルファベットとナンバーのプレイヤーがいかに協力するかが模擬戦争の勝敗に深く関わってくる。
危険を冒せば、その分アドバンテージを得られる。
競技というのは、そういう風にできているのだ。
戦闘音が大きくなる。
剣戟の音、破裂音。
相手は騎士一人、魔術師一人の構成なのだろう。これも予想通りだ。
徐々に距離を詰める。
気取られないよう慎重に。しかしあまり時間をかけずに、すばやく。ゆっくりしていては十五分のタイムリミットが来てしまう。
敵の姿を目視できる距離まで近づいた。
一対一の剣で戦う男二人と、少女の魔術師に味方の加勢をさせないように牽制する騎士の男。
すべては予定通り進行している。
ここからは特に慎重に。木や藪の陰に隠れながら近づく。
敵の騎士の男の背後まで移動する。
敵が気づいた様子はない。魔術師を牽制している騎士の男とは目が合ったが、一対一で敵と打ち合っている方の男はさすがに彼女に気づく余裕はないようだ。敵の騎士は相当な実力の持ち主のようで、なんとか持ちこたえているようだが、それも時間の問題かもしれない。魔術師を牽制している騎士の男が敵の騎士についても牽制を行なっているからこその膠着状況だ。
それほど時間は残されていない。
呼吸を整える。
彼女の役目は、奇襲をし、敵二人にそれぞれ可能な限りダメージを与えてすぐにその場を離脱すること。
集中すべきは最初の一撃。
それさえ上手くいけば相手には動揺が生まれ、数の差も手伝って、格段にやり易くなるだろう。
剣が翻り、閃き、重なる。
――――ガキンッ!
押し合う二人の男。
そのまま、動きが止まる。
――――今ッ!!
木陰から魔法を発動。
草を絡めて、男の足首に巻きつける。
植物からのイメージが伝わってくる。確かな手ごたえ。
鞘から剣を抜き放ち、木陰から躍り出る。一直線に敵のもとへ。
誰かが息を呑んだ気配。おそらく敵の魔術師のもの。
――――だが、今更気づいても遅い!
短剣を低く構える。
狙うのは鎧のない場所――脚。
体勢を低く、疾駆する。
そして――――――下から斜め上に、剣を跳ね上げる!!
*****
赤い血が噴き出した。
あかい、血が、ふきだした。
血。
ち。
それから……。
それから、
それから、……、
めのまえが、
くらくなって、
それから…………。
どうしたんだっけ……?
カノンの記憶はそこでぷっつりと途切れている。
誤字・脱字・アドバイス等ありましたら、お気軽に感想にお書き下さい。