6. 【二日目】 デイブレイク・ナイト
「J」は騎士だ。
その剣は主に仇なす者を屠るために存在し、主を守護するために存在する。
役目は単純明快だ。
敵の王までの道に血の絨毯を築き、主を守ること。
一度命を賜われば、その命尽きるまで戦うのみ。
成功のあかつきにのみ、その御許に帰すことを許される。
馴れ合う必要は無い。
彼の者はただ主の障害を排除する。
*****
『競技者の皆様にお知らせします。ただ今をもちまして第一ステージを終了し、第二ステージを開始します。競技者の皆様は各自ルールを確認の後、行動を開始してください』
「やっと僕の出番ですか」
放送を聞いたジェイン・オーシェの顔からは普段の爽やかな営業スマイルが一瞬にして消え、ただひたすらの無表情が浮かんでいた。
ジェインは元々、この模擬戦争に参加することにあまり乗り気ではなかった。
参加を決めた理由は二つ。
彼の主であり友人でもあるディークジクトから「友人として」勧められたことが一つ。
二つ目は、彼の通う学校の「魔法実技」と「武器実技」の授業の単位が、この競技に参加するだけで一単位ずつもらえることが分かったこと。
十数日前の午後。
授業後の時間を学生寮内の自室で過ごしていたジェインのもとに、ディークジクトからの手紙が届いた。
そこにはジェインの義姉、ネアが模擬戦争に参加することになったという旨の言葉が綴られていた。
第一騎士団の団員であるネアが模擬戦争に参加することはそれほど不思議なことではない。実力も申し分ない。むしろ騎士団に所属する人間以外が参加する方がよほど特殊だ。
義弟であるジェインからすると、ネアは強くて高貴な女性だ。手合わせをしてもらったことも何度かあるが、とてもではないが勝てる気がしない。
それなのに何をそれほど慌てることがあるのか。
ディークジクトは日頃、ネアをピンと張った糸のような女性だと形容していた。洗練されて美しい音色を奏でるが、どこか危うくて何かの拍子に切れてしまいそうだ、ということらしい。
ジェインもその意見に共感していた。
しかし共感していたといっても、それは死と隣り合わせの魔獣退治に固執しているネアに対しての印象であって、対人間の模擬戦争に参加することはそれほど危険には思えないというのがジェインの本心だ。
心配しても仕方がないという気持ちもあった。
たとえジェインが模擬戦争に参加したとしても、ネアをサポートできる場面に遭遇できるとは限らない。未熟な自分が足手纏いになる様子の方が容易に想像できてしまう。
さらに言えば、ネアが模擬戦争に参加するのはこれが初めてではない。
それなのになぜ今回に限って、と思うのだが、ディークジクト曰く「嫌な予感がする」とのこと。
呆れてものも言えなかった。
ディークジクトの「嫌な予感」が当たらないことは、昔から友人をしているジェインが一番よく知っている。
しかし乗り気ではなかったジェインの心を変えた原因の一つに「授業の単位」というディークジクトが仕掛けた餌の存在があった。
ジェインが模擬戦争に参加すれば、学園長に掛けあってくれるらしい。
いささか職権乱用が過ぎる気もするが、模擬戦争参加と授業二単位分ではまったくつり合いが取れていないのも事実。最低でも五単位分は欲しいところだ。ここまで譲歩されては、学園長も断るに断れないと困る姿が浮かぶ。
「魔法実技」の単位は正直な所どうでもいいが、「武器実技」の単位はどちらかといえば欲しいかもしれない。
昔から剣を振るのは苦手なのだ。
テストが上手くいかなかった時の保険に、ここで単位を稼いでおくのもいいかもしれない。
それに、ジェインを模擬戦争に参加させるためだけにそこまでのことをする親友の頼みを無碍にはできないという気持ちもあった。
心配性すぎるとは思う。
けれどディークジクトの想い人を知っているジェインからすれば、その気持ちも分からないわけではなかった。
ジェインが参加することで、結果は残せなかったとしても模擬戦争中のディークジクトの心労の種をひとつでも潰すことができるのなら、模擬戦争参加も割に合わないことではないように思えた。
そして当日。
人間の気持ちとは不可解なもので、話を聞いた当初はあまり乗り気ではなかったにもかかわらず、時間が経過するにつれてモチベーションが高まり、この日に最高潮に達していた。
第一ステージでは戦闘はあまり行なわれない。
それは分かっていた。
第一ステージは第二ステージ以降で有利に戦いを進めるために、味方と合流したり情報交換をしたりする準備期間だ。
しかしジェインに与えられたPMAは、その準備行為すら行なわせてくれなかった。
彼に与えられたのは全プレイヤーナンバーの中で唯一、第一ステージをまったく必要としない配役だった。
平穏の中では、騎士の剣は振るう相手を持たない。
時が満ちるまで座して待つ。
それが「J」。
Jとも読むらしいその文字は、何の因果か、クラスメイトたちが彼を呼ぶ時に使う名と同じだった。
そんな無駄なことを競技中に考えることができるほど、彼は暇を持て余していた。
*****
時は巡り、第一ステージの終了が告げられた。
本当の意味での模擬戦争の開始であり、「J」にとっての模擬戦争も同時に始まる。
マップに浮かんだ、たったひとつの赤い光点。
たったひとりの倒すべき敵。
まだ夜も明けきらぬ暁の中、ひとりの騎士が動き出す。
その双眸に理知的な獣の光を湛えて。
*****
放送があったのは日の出の直前だった。
長くもったのか早かったのか、模擬戦争初参加のハクロには判断がつかない。
彼女に分かるのはこれで本当の意味での模擬戦争が始まってしまったということくらいだ。
「すべての所有者がいないPMAの機能は停止される。
『K』の所持者が競技から離脱した時、そのチームの敗北で勝敗が決定する。
『K』の所有者が殺害された時、その原因となったプレイヤーの所属するチームの敗北で勝敗が決定する。
このステージに移行後、PMAが八つ以上機能停止した時、次のステージに移行する」
これが第二ステージのルール。
敵の「K」を殺さずにリタイアさせることが勝利条件となる。
また、第一ステージでほぼすべてのPMAに課された「敵のPMAの位置を表示する機能を使用できない」という制限は、ルールからも分かるとおり、第二ステージへの移行とともに取り払われる。これで全プレイヤーが少なくとも一人の敵の位置を把握することが可能になった。
第一ステージにおいての「K」のPMAを除き、すべてのPMAには最低でも一人の敵の位置を知る機能があるからだ。このことは毎回固有機能が変化するナンバーのPMAにも適用されている。
真正面から突っ込むのか、狡猾な罠にはめるのか、様々な戦法の違いはあれど戦闘の発生は必至だ。
気を引き締めねばならない。
ハクロのプレイヤーナンバーは「Q」。
その役割は「K」を陰から支え、そして守ることだ。
*****
「J」のPMAに与えられる固有機能は大きく分けて三つだ。
一つ目は「J」のプレイヤーに単独行動を義務付ける機能だ。
「自チームの他のPMAとの距離が五百メートル以下になった時、警告し、そのPMAの位置を表示する。そのまま十五分が経過した時、このPMAの機能を停止する」
この機能は「A」のPMAにも共通する固有機能だ。
味方のプレイヤーと合流することは許されず、常に単独行動を要求される。
第一ステージでも敵の位置を知ることができる「A」とは違って、「J」のPMAは他のPMAと同様に敵の位置が表示されない。
味方との合流ができない「J」は、だから第一ステージではただ「待つ」ことしかできない。
加えて「『J』のPMAは敵に位置を知られない」というルールがあるわけでもない。
「A」のPMAには存在するこのアドバンテージがないことが意味するのは、第二ステージ以降、特に終盤になってくるにつれて「J」のプレイヤーは安心して眠ることが許されなくなるということだ。
終盤になって味方も減り、作戦上どうしても一人で睡眠をとらなければならなくなるナンバーのプレイヤーが出てくることもないわけではないが、「J」のプレイヤーにはその選択肢さえ用意されない。
「『J』の位置を無条件で知ることができるPMAの固有機能は存在しない」
このルールが意味するのはナンバーのPMAの中にも条件付きで「J」の位置を知ることができる固有機能を持っているものがあるかもしれないということ。
「A」のPMAにもカウンターの値の条件で「J」の位置を知る機能があったはずだ。
単独行動を義務付けられるという点では同じ厳しさを持つ「A」と「J」の二者だが、敵に自分の位置を把握されないという点でまだ前者の方が難易度の低い義務であると言える。
二つ目の機能は「敵チームの『Q』の位置を表示する」こと。
「J」のPMAのマップ上には自分の位置を示す黄緑色の光点の他には敵の「Q」の位置を示す赤い光点しか存在しない。
敵一人の位置が分かるだけというもので、これはそれほど優秀な機能でもない。
味方のプレイヤーとの情報交換もままならないという「J」の性質上、他の味方プレイヤーの情報と合わせて敵の動きを予測することも難しい。
ただし「Q」のプレイヤーは「K」と共に行動するのが定石であるため、この機能は敵の「K」のだいたいの位置を把握することにも使用できる。
無条件で敵の要であるプレイヤー二人の動向を知ることができるといえば聞こえはいいが、逆に言えば「Q」のプレイヤーは常に「K」と共に行動しているのであり、単独行動が義務付けられている「J」がその二人を狙うのは少々危険な賭けであるとも言える。
まともに戦闘になればほぼ確実に二対一の戦いを強いられるのだ。
そして最後の一つの固有機能。
「このPMAは接触した敵チームの『Q』のPMAの機能を停止する。
この機能が使用された時、段階が第一または第二ステージであるなら、第三ステージに移行される。
また敵チームの『Q』がリタイアした時から、このPMAは『11』のナンバーのPMAとして扱われ、『J』とは別の固有機能を持つ」
前半部分だけを見れば「A」のナンバーのPMAに対する機能を、対「Q」に特化させたものだ。
「Q」のPMAの機能を停止させた時、第三ステージに移行させる機能は、考えようによっては「A」の「このPMAの所有者がリタイアした時、段階が第一または第二ステージであるなら、第三ステージに移行される」という機能と同質のものと考えることもできる。
「Q」のPMAの所有者がリタイアした時点で「J」のPMAは存在しなくなるとも言えるからだ。
これらが「J」の固有機能のすべて。
言い換えれば、「J」のPMAは敵の「Q」を倒すためだけのものであると断言できるだろう。
対「Q」にひたすら特化したPMA、それが「J」だ。
その機能はお世辞にも優秀とはいえない。
「J」のPMAはその固有機能の平凡さには似合わず、全PMAの中で最も過酷な競技内容を所有者に要求するPMAだ。
義務付けられた単独行動。
約束された二対一の戦闘。
所有者によって最強のPMAにも最弱のPMAにもなる。
「『J』は諸刃の剣のようなものです」
ジェインの義姉、ネアが語った言葉が蘇る。
「この『J』という剣を上手く扱える者が持てば、全PMA中最短の時間で敵の『Q』『K』を無力化することができます。もちろん、所有者は『単独行動をしなければならない』という傷を常に負うことになりますが、たった一人で模擬戦争の勝敗を決めることすら可能です。
しかし上手く扱えない者にとっては、仲間と合流することを妨害する、ただの足かせにしかなりません」
ジェインにはこの諸刃の剣を上手く扱うことはできないだろう。
それは諦めや思い込み、自分を過小評価した上での結論ではない。
冷静な分析の下での結論だ。
ジェインは義姉のように騎士団で毎日過酷な訓練をつんでいるわけではない。
騎士団に所属している血の繋がらない姉を持っているだけの、一介の学生だ。
そんな人間に、ネアと同じような結果が出せるはずがないのだ。
ジェインは実戦経験をほとんど持たず、「武器実技」の成績も並みの学生と変わらない。
魔法の才能は一般の人以上にはあるが、それも実戦でどこまで通用するか未知数。
ジェインは元来、研究専門の魔術師向きの人間なのだ。
王宮に紛れ込んだ自国の狼共を狩ることはできても、他国の戦士とやりあうのは少々分が悪い。
ジェインの目的は、この競技に参加することで得られる授業の単位と、運良くネアをサポートできる立場になった場合に、足手纏いにならない程度に彼女を補佐することだ。
前者は達成済みだし、後者に至っては「J」のPMAを所持している時点でほぼ達成不可能。
……これだけ戦うべきではない理由を挙げているにもかかわらず、ジェインの中に燻る気持ちは一向に消える気配がなかった。
普通に考えれば、ここで無理に戦う必要は無い。
ジェインを分家から引き取った、本家であるオーシェ家の治める土地がこの模擬戦争に賭けられてしまっているとしても、だ。
ジェインが戦わないからといって、エッジドルクが負けるとは限らない。
特攻して無駄な怪我を負う可能性の方がよっぽど高い。
しかし、そんなことで自分の気持ちを割り切れるほどジェインは達観していなかった。
諦めるのは至極簡単だ。
戦うことと諦めること、双方のメリット・デメリットを天秤に掛ければ簡単に答えは見えてくる。そうして自分の行いを正当化すればいい。言い訳なんていくらでも思いつく。
だがジェインは諦めたくはなかった。
なにより彼のプライドがそうすることを拒んだ。
だからジェインは葛藤しながらも、敵の「Q」のもとに向かった。
戦うためではない。彼が戦うべき時を見極めるためだ。
二対一ならまず勝てない。
けれど二対二以上なら話は別。
「J」のPMAには仲間の接近を知る機能がある。
たったの十五分だが、共闘する猶予がある。
それらを上手く駆使して勝機を掴む。
それがジェインの作戦だった。
*****
「つまり『Q』は強力な固有機能を持つ代わりに、ずっと『J』に狙われ続けるってこと?」
「そう」
夜明けから一時間。
ヒダカとハクロは朝食を摂りながら、今後取るべき対応について話し合い――実際はハクロがヒダカに一方的に解説をしているだけだが――をしていた。
ルールブックを一読するよりも、実戦の中で解説してもらうのはよっぽど分かりやすいな、というのがヒダカの感想。
百聞は一見に如かずだ。
「でも『Q』が狙われるからといって『K』と別行動するわけにはいかない」
「敵の『Q』の固有機能が問題になってくるわけだな」
「そう」
「Q」の固有機能には、自チームの「K」と敵チームの「K」「Q」の位置を表示するというものがある。
だから敵の「Q」には、「Q」であるハクロと「K」であるヒダカが別行動を取っていれば、すぐにそのことが伝わってしまう。
基本的に「Q」と「K」は一緒に行動するため、別行動をしている場合、考えられる可能性は二通り。
敵プレイヤーと遭遇し、「Q」が敵を引きつけて「K」を逃がしている場合と、そう見せかけた罠の場合だ。
どちらの場合にしろ「Q」という邪魔者が一人減った状態で「K」を襲撃できるのだから、相手にしてみれば願ったり叶ったりだ。
だから「Q」と「K」が別行動をするのは「K」を襲ってくれと挑発しているようなものだ。
「Q」の固有機能については昨日ルールブックを読んで知っていたヒダカだが、やはり詳細な戦況のことに関してはまだまだ知識の質が低い。
断片的なことはカノンから教えられていたのだが、ハクロに説明されて初めて、それらのことが理解できたといった感じだ。
「それに『J』や『Q』ばかりに気を取られてると負ける。敵のナンバーのプレイヤーも注意しなきゃいけない。だから『K』の固有機能も必要」
「確かに……」
ハクロの言う通りだ。
敵はなにもアルファベットのPMAの所有者だけではない。ナンバーのPMAにも条件付で敵や味方の「Q」「K」の位置を知ることができる固有機能を持ったものがある。
忘れていて負けました、では誰も納得しない。
そうならないための「K」の固有機能だ。
第二ステージにおける固有機能は以下の通り。
「このPMAと自チームの『Q』のPMAの距離が五メートル以下の時、このPMAに最も近い二つのナンバーのPMAの位置を表示する」
「A」や「J」の位置が分からないことや、味方のナンバーのPMAが近くにある時は奇襲を警戒できないという欠点はあるものの、「Q」と「K」の二人だけで行動する時ならば、これは優秀な奇襲への対抗機能であるだろう。もちろん「A」「J」のプレイヤーの奇襲には対応できないので頼りきりになるわけにはいかないが。
加えて、「Q」と第二ステージ以降の「K」の厄介な固有機能が、ナンバーのプレイヤーとの団体行動を許さず、二人だけで行動せざるを得ない原因となっている。
「このPMAの半径五百メートル以内の範囲に自チームのナンバーのPMAがある時、両者に警告し、両者のPMAに相手の位置を表示する。
日の出から日没まで、日没から日の出までをそれぞれ1サイクルとし、1サイクル中で合計一時間以上、このPMAの半径五百メートル以内の範囲にとどまった自チームのナンバーのPMAの機能を停止する」
ごちゃごちゃとした説明だが、要するに半日のうち一時間以上「Q」または「K」の近くにいたらPMAの機能が停止されるということだ。
近くにいる味方の位置を知ることができるのは利点だが、やはり団体行動できないのは痛い。
しかし条件は敵も同じ。
悲観してばかりではいられない。
「やっぱりまずは仲間と合流するのが先決か……」
「二人だけで敵の『K』を倒そうとするより、安全」
「う……」
「何?」
「……なんでもない」
相手がどれだけの猛者なのか確かめずに突っ込むのは無謀。
ハクロは当たり前のことを言っただけなのだろうが、言外に「お前は頼りない」と言われているようで少しだけ傷つく。
「食べ終わったら移動するから、今のうちにマップ確認しておいて」
そう言って、保存食の乾パンを両手で持ってモソモソと齧るハクロ。
身体の小ささと相まってリスのようだ。
もう少し可愛げがあればいいのにとは思ったが、口には出さない。
無愛想な天然毒舌を刺激しても、ヒダカが傷つくだけだ。
ヒダカも手に持っていた乾パンのあまりを口に突っ込む。ガリガリと噛み砕いて水筒から水を飲み、やわらかくなったパンを咀嚼しながら、PMAのマップを確認する。
現在位置からそこそこ距離のある場所に青い光点が二つ並んでいる。「3」と「6」。
複数人で行動しているのか、一人が二つ以上のPMAを所持しているのか。
どちらにしろこの近くに敵プレイヤーがいないことは確かだろう。
……確か?
その時、ヒダカの耳が一つの異音を捉えた。
――――違う。そうじゃない!
「後ろだ、ハクロッ!!」
ヒダカの叫びに反応したハクロが飛びのいた、そのすぐ後、直前までハクロの身体があった空間を細剣の一閃が通過した。
「こんのヤロッ!」
無我夢中だった。
腰の鞘から剣を引き抜き、突然の襲撃者に突っ込んでいく。体勢を崩したハクロへの追撃は意地でも防がなければならない。
――――ガキィィンッッ!!!
金属音。
散る火花。
にらみ合う両者。
ヒダカの眼前にあったのは女性の顔だった。
――――いけるか!?
相手が女性だからといって油断するヒダカではない。実際、彼は自分よりも強い騎士団の女性を何人も知っている。
ヒダカは騎士団で学んだのだ。
ほとんどの女性は、鍛えている男性に単純な腕力勝負では勝てない。
だから女性と戦う時は力の勝負に持ち込む。卑怯も何もない。戦いは勝った方が正義なのだ。
けれど油断してはならない。
向こうも力では勝てないことを承知で戦っているからだ。繊細さ――細かい剣技においては、女性に分がある。
押し込むヒダカ。耐える女。
そんな均衡を崩すものがヒダカの視界の端に――――!!
(――――二刀流!?)
力のバランスが崩れ、女は押し倒されながらも片手で持ったもう一本の細剣を振る。
視界の外側から迫りくるそれを、真横に飛んで避ける。
(くっ!)
地面を転がる。
ふらつく頭で立ち上がると、女はすでに立ち上がりハクロに向かって剣を振り上げていた。
対するハクロは小型のナイフ一本。昨日ヒダカの首筋に突きつけたものだ。
あの時のヒダカは得物を何も持っておらず、完全な不意打ちだったからこそ、あのナイフが脅威になり得たのだ。
剣を向けてくる相手にリーチの短いナイフでは分が悪い。
女が剣を振り下ろす。
それを受け流そうとハクロがナイフを構える。
――――キィィィン!
金属同士が擦れあう耳障りな音。
ハクロの手からナイフが落ちる。
だが、女の攻撃はそれだけで終わらない。
二刀流には二撃目がある――――!
彼我の距離は十メートルもない。
しかしヒダカの足では遅すぎる。どうやっても剣が振り下ろされる前にハクロのもとにたどり着くことはできない。
ヒュゥ、と剣が空気を裂く音。
剣が裂いたのは空気と、そして風に舞う白い布――白衣の端だ。
ハクロは身体をそらしてなんとか刃を避けた様子。そのまま女の足元の地面に倒れ込む。
「はああぁぁぁっ――――!!」
腹から声を出し、自分の存在を主張して斬りかかる。
(ハクロを斬らせてたまるかッ!)
「チッ」
女の舌打ち。
かすかに聞こえた。
足元に転がるハクロの腹を蹴り転がし、女が振り返る。片手の細剣を横に薙いで牽制。
それをバックステップでかわし、剣を正中に構えて突進する。
「うりゃああっ!」
――――ガキィィンッッ!!
ぶつかる両手剣と二本の細剣。
カチャカチャと音が鳴る。三本の剣が一つの交点でせめぎあう。
「くっ」
女の表情が苦痛にゆがむ。
――――その瞬間。
剣を斜めに払い、一歩踏み込む。
姿勢を低く、力を腕に、視線は斜め上――女の顔に注ぐ。
そして。
剣を跳ね上げ、袈裟に斬る――!!
――――キィィンッ!
打ち上げられた一本の細剣が宙を舞う。
不利を悟った女はバックステップで距離を取り、ヒダカはその隙にハクロを女からかばう位置に移動。
にらみ合う両者。
先に動いたのは女。
ヒダカに背を向けて、地面に突き立った細剣に走る。
「させるかッ!」
女を追おうとするヒダカ。
しかし――。
「おわッ!?」
駆け出そうとしたヒダカの足に何かが引っかかる。
そして顔面から勢いよく草のベッドにダイブ。
「ヤバッ!?」
立ち上がろうとするも、何かが足首に絡み付いて上手くいかない。
力任せに引きちぎって、膝立ちになって辺りを見回す。
幸いなことに襲ってくる女の姿は見ずに済んだが、逃走する後姿すらもヒダカの視界からは消えていた。
安堵したのも束の間。
「って、ハクロは!?」
振り向くと銀髪の少女は何事もなかったかのように立ち上がり、ヒダカを見下ろしていた。
「最後のは魔法。草の葉でロープでも作ったのか……足見せて」
「いやいやいやいや。お、お前腹思いっきり蹴られなかったか!?」
「大丈夫。治った」
疑わしげな視線をハクロに向けるヒダカ。
しかし怪我人はそんな視線などなんのその。ヒダカの足首に巻きついた草で出来たロープのようなものを手に取っている。
治ったというハクロの言葉を信じたわけではないが、痛がっている様子はない。
「本当に大丈夫なんだな? 我慢してないな?」
「しつこい男は嫌われる」
「大丈夫ならいいんだけどよ……」
釈然としないものを感じながらも、追及するのはやめにする。
本人曰く、ハクロはこの形でも魔術師らしいし、服を固くする魔法とか衝撃を逃がす魔法とか、そういうもので事なきを得たのだろうと納得しておくことにする。
少なくともこの模擬戦争が終わるまでは協力する間柄なのだ。
こんなところで機嫌を損ねてもいいことはない。
「さっきの女、何?」
ヒダカの足首に巻きついていた草のロープの検分が終わったのだろう。ハクロが唐突に言った。
「何と言われても、敵で二刀流だったとしか……」
「そんなこと訊いてない。プレイヤーナンバーを訊いてる。直前までPMAを見てたはず」
「ああ、そっち……そっちね……」
ヒダカは自分の勘違いを恥じる。
「少なくともナンバーのプレイヤーではないことは確かだ」
「『Q』も『K』も近くにはいなかった。つまり『A』か『J』。おそらくあれが『J』のはず」
「まあ、そう考えるのが妥当か」
「また来たら倒せる?」
「正面からなら負けはしないと思う。でも奇襲されるとなると、正直分からん」
女が始めに放った一太刀が脳裏に浮かぶ。
ハクロを背後から切り裂こうとしたものだ。
あれには一切の迷いがなかったように思う。本気でハクロを殺しにきていた。
後少しでもヒダカが気づくのが遅れればハクロの背中からは血飛沫が上がっていたかもしれなかった。
草をロープにする魔法も厄介だ。
一度種が分かってしまえば戦闘中は恐れるほどのものでもないが、奇襲時の一太刀と一緒に使われたらと思うとぞっとする。
それらに加え、ヒダカの耳に気取らせずに近づく技術。
PMAのマップを見て気を抜いてしまったのがいけなかったのだろうが、索敵には自信があったヒダカとしては正直少しばかりショックだ。
「相手も馬鹿じゃない。次は何か策を練ってくる」
「ま、簡単に出来る対策は下草の多いところで休まないってことくらいか」
はっとした顔でハクロがヒダカを見る。
「ヒダカにしては良いこと言った」
「……俺、怒っていいよな」
「ごめんなさい」
前途多難な二人組みだった。
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