4. 【一日目】 義務みたいなモノ
その子供と出会ったのは、森の中をさ迷い歩いて一時間半ほどが経った頃だった。
銀髪の、戦場には場違いな、小さすぎる少女だった。
「……はぁ」
もう何度目になるかも分からないため息をつく。
どうしてこんなことになってしまったのか誰かを問い詰めたい気分だ。しかし、肝心の「誰か」がいない。捜し歩いているのだが、見つかる気配がなかった。
本当にここで模擬戦争が行なわれているのだろうか、とヒダカは思う。
彼の想像する戦争は、銃撃や爆撃の音を耳がおかしくなるほど聞かされるもの、そんな印象だった。
もちろん、そんな近代的な戦争に巻き込まれるのはごめんだし、中世レベルの技術力があるかどうかあやしいこの世界にそんな音を本気で求めているわけでもなかった。
しかし、ここまで何も起きないとかえって不安になってくるのだ。
耳を済ませてみても聞こえるのは自分の足音、息遣い、そして野生の鳥や小動物がたてる物音くらいだ。誰かが戦っている音も聞こえてこない。
もしかすると、自分だけ何かの手違いで、模擬戦争とはまったく関係のない別の場所に転移させられてしまったのではないか。
そんな風に勘ぐってしまう。
とりあえず今は、誰かがいそうな場所――マップに示された川の方角に進んでいるのだが、あまり期待はしないほうが賢明かもしれない。
そこに人がいるという可能性はお世辞にも高いとは言えない。
「……はぁ」
意図したわけでもないのに、ため息が出てしまう。さっきからずっとこの調子だ。
ため息の原因は、いまだに仲間と合流できていないことだけではなかった。
「マップ」
手元のPMAを確認したが、先ほど確認した時とそれほど変化がない。プレイヤーナンバーも変わらなければ、マップの黄緑の光点の位置もあまり変わっていない。時間もほぼ進んでいなかった。
フィールドは彼が思っていたよりもずっと広大だった。すぐにとは言わずとも、三十分ほどでたどり着けると思っていた川までの距離は遥か遠い。
しかも、森の中だけあって、真っ直ぐ進んでいるつもりでもいつの間にか見当違いの場所を目指していることもあった。
川に一歩ずつ近づいているんだと自分を鼓舞しながら進んでいたのに、実は同じ場所をぐるぐる回っていただけだったことに気づいた時のやりきれなさは、体力的にはまだまだ万全であるヒダカの精神力を一気に削った。
こんなことでいいのだろうか、と不安になる。
自分が原因で敗北するようなことがあったらどうしよう、と。
後ろ向きな気持ちになりながらも、足を前に出す。
一度立ち止まってしまえば、歩き出すのに力が要る。
だからヒダカは足を動かし続けねばならなかった。
弱々しい力で彼の背中を押しているのは、こんなことで負けを認めるのは恰好悪いという彼なりの意地と、ため息の原因の最後のひとつである彼のプレイヤーナンバー。
もう十回以上は確認したが、そのうちの一度として別のプレイヤーナンバーが表示されることはなかった。
「『K』、か……」
ヒダカの配役は、模擬戦争において最も重要なキャラクターだった。
彼がしくじれば、それだけでチーム全体の敗北を意味する。それはこれ以上ないプレッシャーだ。
昨晩聞いた、カノンの言葉がよみがえる。
『参加者も少ないらしいし、あんた一応勇者だから、もしかしたら初参加で「K」引き当てちゃうかもね』
その時はお互いに笑って流していたが、今となってはあれがきっかけになってしまったのではないかと、そんな荒唐無稽なことさえ考えている。
――――実戦経験もない新米に、なんで大役を任せるんだよ……。
プレイヤーナンバーはランダムに決定されるため、ヒダカが怒りをぶつけることができるのは、時の運を司る何らかの存在に対してのみだった。
そんなモノを信じているわけではないので、それは諦め意味が強い思考だった。
あるはずもない解答を探すことしかできなかった。
ヒダカのプレイヤーナンバーは「K」。
模擬戦争の勝敗を司るアルファベットだ。
そして現在は第一ステージ。
ヒダカの記憶が正しければ、この第一ステージでは「K」が誰なのか露見しない限り、襲われることはほとんどないはずだった。
それは何処にいるとも知れない「K」が抑止力となっているからであり、さらに正真正銘の「K」でもあるヒダカは、たとえプレイヤーナンバーが露見しようとも、襲われる可能性は万に一つくらいしかない。
この模擬戦争において、制限や危険の多さは、そのままPMAの機能の強力さにつながる。
逆に言えば、第一ステージにおいて「K」の危険がほぼゼロであることは、つまり「K」のPMAの機能がほぼゼロであることを意味する。
彼のPMA曰く。
「第一ステージにおいて、このPMAは固有機能を持たない」
マップを表示してくれるだけで、仲間の位置も敵の位置も教えてくれない。何か特別で強力な効果があるわけでもない。
第一ステージにおいて、という注意書きから分かるとおり、「K」のPMAはステージが進むたびに機能が変化していくという特殊なものだ。模擬戦争終盤になり、状況が「K」にとって過酷になればなるほど、PMAの機能が強化されていく。
そういった視点で見るならば、PMAが固有機能を持たない現在の安全な状況は、仲間との合流を果たすことができていない上に覚悟も中途半端なヒダカからすれば喜ぶべきことなのだろうが、それでも素直に喜べないのが彼の心境だった。
いまだ仲間との合流ができていない自分は足手纏いにしかなっていないのではないか。
多少実力がついたといっても、ヒダカは一ヶ月前までは普通の高校生だったのだ。
様々なプレッシャーや不安を抱えて、何処とも知れない森の中に独り放り込まれ、平気でいられるほど肝が据わっているわけがなかった。
「まったく、冗談じゃねーよ」
愚痴をこぼしながらも歩く。
歩かずにはいられない。
……そのことに気づいた時、ヒダカはまず安堵した。
次いで気を引き締める。
実感はまだないが彼は戦場にいるのだ。
――――どうする……?
作戦を練るのはあまり得意ではない。
せっかくの機会を、躊躇によって逃したくもない。
ならば答えはひとつ。
「……出てこい」
立ち止まって、背後に声をかけた。
それはまるで素人の尾行だった。
足音も殺しきれておらず、息遣いも荒い。
おそらく相手はまともな訓練を積んでいる者ではない。
それならば、たとえ戦闘を行なうことになっても、最悪逃げ延びることだけはできるはずだ。「K」という切り札を見せる必要は、ない。
……十秒ほど待ったが出てくる気配はない。
「後、十秒だけ待つ。それでも出てこない場合は敵対者とみなし、攻撃させてもらう」
追跡者のだいたいの位置はつかんでいる。
予想が正しければ、ヒダカから十メートルほどを隔てた所にある大樹の裏に隠れているはずだ。
一、二、三……。
……六、七、
その時だった。
樹の裏から人影。
ヒダカは目を凝らす。
緊張の一瞬。
相手が攻撃してきた場合に備える。
そして……。
彼の瞳に映ったのは、
年端もいかない……少女?
油断していなかったといえば、嘘になる。
この戦場には不釣合いな、防具のひとつすらもつけておらず、その代わりになぜか裾の長いぶかぶかの白衣を着たその姿に集中をかき乱された。
なぜ、というひとつの小さな疑問が、彼の意識をほんの一時奪った。
気づいた時には、少女の姿が視界から、
「……え?」
――――消えていた。
――――ドンッ!!
突如、ヒダカの手前にある地面が爆発した。
土ぼこりが舞う。
(なんなんだ、一体ッ!?)
視界を回復させるため、その場から離脱しようとした時だった。
――――首筋に冷たい金属の感触。
冷や汗が流れる。ゴクリと喉の鳴る音。
「チェックメイト」
感情のない声が告げた。
*****
全PMAには、味方や敵のPMAの位置を表示する機能とは別に、「ボックス」と呼ばれるものを表示する機能が例外なく存在する。
この「ボックス」は、森の中では非常に目立つ純白をしており、体積が五十リットルほどの大きな箱で、フィールドに一定間隔おきに多数設置されている。その外見ゆえにPMAの機能を使用しなくても見つけることはさほど難しくない。
この箱は何なのか。
全プレイヤーにわけへだてなく与えられるもの。武器の類いではない。
答えは簡単。生きる上では絶対に必要だが、競技をする上では必ずしも必要とはいえないもの――食料や水だ。
それらのものを持参したり確保したりする手間を省く、ある意味では当然の、主催者側の配慮である。このボックスの存在がなければ、プレイヤーは競技をする以前に本格的なサバイバルをすることになってしまうだろう。それは誰にとっても望むことではない。
プレイヤーは任意のタイミングで任意の量の食事を摂ることができるのである。
ただし、食事を摂る暇があれば、の話であるが。
模擬戦争において食事とは、余剰時間に行なうエネルギーの補給行為である。
その行為は、見ず知らずの誰かとの親睦を深め、団欒するため時間には決してなりはしないはずだ。
ガゼン共和国側のベテランプレイヤーである彼は、自分が今までに培ってきた経験の中で導き出された当たり前すぎる答えを確認していた。
にもかかわらず、彼の前には、そんな当たり前すら分かっていない奇妙な青年プレイヤーがいた。
「なあ、おっちゃん。自分今から、飯やさかい、一緒に食わへんか?」
「………」
事の発端は少し前。
その時、彼は自身のPMAに見慣れない黄色の光点を発見した。
彼のPMAに与えられたナンバーは「5」。
固有機能は大きくわけて二つあり、一つ目は大抵のPMAが持っている味方や敵の位置を表示する機能。味方のPMAと一つと、自分と同じナンバーを持つ敵のPMAの位置を表示するというもの。比較的ポピュラーな、別の表現をすれば、突出して優秀な機能ではない。
二つ目の機能は少し特徴的だった。
どうやら「5」のPMAには、「A」のPMAの機能として知られる「カウンター」が機能として備わっているらしい。「5」の「カウンター」がステージ移行のトリガになることはないようだが。
傭兵である彼はこれまでに三度の模擬戦争を経験してきたが、そのいずれにも「A」以外で「カウンター」の機能を持つPMAを見たことはなかった。とはいえ、ナンバーのPMAの機能ががらりと変わることはさほど珍しくもないので驚いてはいない。
PMAの固有機能の説明文によれば、
「五つのPMAの機能が停止されるたびに、このPMAのカウンターは1増える。カウンターを1減らし、『5』以外の任意のナンバーのPMAの機能を停止することができる」
敵対する相手のPMAのナンバーが分かっていれば、戦闘を行なわずに無力化できるかもしれないという機能だ。
相手のナンバーが分からなければ有効な手段とはならないことや、アルファベットのPMAには効果がないこと、相手が二個以上のPMAを所有している場合は情報面においてのダメージしかあたえられないこと。
これらの制限はあるが、概ね優秀であると断言してしまってもよいだろう。
「5」のPMAの機能はざっとこんなところだ。
これだけが「5」のPMAの機能だったはずなのだ。
マップ上に自チームの「10」を青い点で、敵チームの「5」を赤い点で、自分を黄緑の点で表示する以外には、光点を表示する固有機能はないのである。
けれども彼はマップに黄色の光点を発見した。
黄色の光点は「A」のPMAが所有者のいない敵チームのPMAの位置を表すものだったはずだ。
「10」のPMAの所有者と合流するために移動していた彼は、ひとまず謎の黄色の光点が何なのか確かめることにした。
距離は近かったのですぐにその場所までやってくることはできた。おそらくプレイヤーのスタート地点として設定されていたのだろう、幅三メートルほどの小川の岸――砂利が広がる場所に黄色の光点の正体、所有者のいないPMAに見える銀色の板があった。
繰り返すが「5」のPMAに黄色の光点を表示する機能はない。
そのPMAが自チームのものなのか敵のものなのか、はたまたそのどちらでもなく、まったく別の新しいアイテムなのか。彼には判断がつかなかった。
恐る恐る近づいて観察していた時に、突然「一緒に飯はどうか」と声をかけられた。
振り向くと、怪しげな青年がいた。
その青年は防具をまったくつけておらず、その代わりに袖の異様に長い、暗い赤色のシャツを着て、同色のフードを深くかぶっていた。おそらく魔法陣を編み込んだ服で、魔術的な防御を行なうのだろう。用途不明の細長い筒のようなものを背負っており、その他にはこれといった武装はしていない。
魔術師系のプレイヤーであろう青年は、片手に食料が入っている皮袋――ボックスの中に入っているもので、二つでおよそ一食分の目安だ――を三つ提げていた……。
そんな奇妙な青年は、耳慣れない訛りの言葉で、おかしな誘いをしてきたのである。
プレイヤーナンバー「5」の彼は自身の容姿が他人に怖がられていることを知っていた。額に大きな傷跡がある大男を見れば、大抵の人間が萎縮してしまうのは仕方がないだろう。まして武装している今の状態で、傭兵仲間以外から声をかけられるのはこれが初めてだった。
そんな彼に気さくに声をかけてあまつさえ食事に誘うというのは、現在が模擬戦争という特殊な環境下にあることを考慮しても、彼の理解の範疇を超えていた。
……いや、模擬戦争中であるなら、なおさら声などかけないだろう。
誰もがありもしない安息を求め、仲間との時間を求める。
青年の行為はおよそ、その対極に位置するものだ。
彼は青年と初対面だ。ガゼンのプレイヤーは皆、昨日の最終確認の時に顔合わせは済ませている。
それが意味するところは、彼と青年が敵同士だということ。
考えられる可能性は三つ。
青年がルールも知らずに模擬戦争に参加しているのか、勝つつもりがないのか、罠なのか。
悩むまでもなく、罠だろう。
しかしこんな見え透いた罠を仕掛けるメリットが分からない。
これでは自分を警戒してくれと言っているようなものだし、奇襲するにしろ物質的な罠を仕掛けるにしろ、もっとスマートな方法がいくらでもあるはずだ。
青年の意図は知れないが、要注意。
要注意人物ならば「K」ではない限り、早めにリタイアしてもらうに越したことはないだろう。
そしておそらく、青年は「K」ではない。
「K」は第一ステージの性質上、戦闘を行なって純粋な敗北をすることはない。悪くても引き分けだからだ。そのためルールで「『K』のPMAを所持するプレイヤーは第一ステージにおいて先制攻撃、自衛を超える過剰な攻撃を行なってはならない」と定められている。
だとすれば青年がリタイアすることでメリットはあっても、デメリットはないだろう。
相手が罠を張っているなら、こちらはその罠を利用させてもらうだけだ。
結論を急ぎ気味の自覚は彼自身にもあるが、悩みすぎても状況が好転するわけでもない。
ここは青年の誘いに乗るのがベターだろう。
*****
「……油断しすぎ」
靴に仕込んだ魔法陣で加速し、勢いをのせた両脚を地面に叩きつけることで巻きあげた土埃が地面に落ちる。視界があらわになってきたところでハクロは告げた。
眼前には両手を上に上げたままじっとしている男が一人。
顔には少しだけ見覚えがある。
ハクロの教え子が召還したという男。
召還の儀で、昏倒状態のまま召還された男が丸一日経っても目を覚まさないと、教え子に泣きつかれた時があった。
起きている時に対面するのはこれが初めて。
したがって向こうはハクロのことを知らない。
顔見知りではなかった。
しかし、敵というわけでもない。
同じエッジドルク王国側の参加者――味方だ。
*****
「つまり、俺を試したってこと?」
「そう」
ヒダカが、彼を尾行していた小さな追跡者に襲われてから数刻後。
取り敢えずは落ち着いて話ができるところに行くべき、というのがハクロの最初の提案だった。
どうやら味方であるらしい彼女の提案に釈然としないものを感じながらも、一応同意したヒダカは、彼の元々の目的地だった川原に向かい、そこで少し早めの昼食を摂りながら話をすることになった。主題は今回の襲撃の経緯についてだ。
時は模擬戦争開始直後まで遡る。
プレイヤーナンバーやフィールドマップ上での自分の位置を確認したハクロは、まず自分のPMAに表示された唯一の味方プレイヤー、つまり「K」であるヒダカのもとに向かった。
しかしマップ上で見た「K」はハクロから遠ざかるように移動したり、同じ場所をグルグルと回ったりと、不審な動きが見られた。
何か目的を持って移動しているようにも思えなかった。
アルファベットのPMAが持つ機能は、ナンバーのPMAのように模擬戦争毎に変化することはない。「K」のPMAが第一ステージでは固有機能を持たないのは不変のことだ。そのため「K」のプレイヤーは仲間――今回の場合はハクロだ――と合流するまでは無闇に動き回らないのが定石だった。
にもかかわらず、ハクロのマップに表示された「K」の位置は動いている。
もしかすると敵に襲われているのではないか。移動しなければならない、もしくは移動したほうがよい状況にあるのか。
そう疑った。
ハクロと「K」の開始地点にはそれほど近いというわけでもなかったのに、それに追い討ちをかけるように「K」が離れていってしまうのだから、追いつくのに一時間以上を要した。
そうして、やっと「K」の姿が視界に収められるぎりぎりの距離まで近づくことができた。
不審な移動の原因を探ろうと「K」の様子を窺ってみるが、特におかしな所は見受けられない。
開始直後に運よく他の仲間と合流できて、すでに行動を開始している可能性もあったが、周囲に仲間はおらず、固有機能の存在しないはずの「K」のPMAを確認しながら移動しているようだった。
敵が接触している様子もない。
距離が遠いためにハクロが気づけなかった要素があるのかもしれない。
そう思って近づいた途端、ヒダカの耳に引っかかってしまった。
考えた結果。
周りに敵がいる場合に備え、まずは目くらましを実行。その後すぐに「K」のプレイヤーを無力化して、その場を離脱。ハクロに敵意がないことを伝えた上で改めて話をする。
模擬戦争の要である「K」の実力を知ることもできて一石二鳥だろう。
「よし、この作戦で行こう」とハクロが意気込み、
そして、先の襲撃に繋がる。
ここまでがハクロが語った内容だ。
もしかしなくても、原因の九割近くはヒダカの無知によるものなのだろう。
話を聞いているうちに、ヒダカはなんだかすごく申し訳ない気持ちになった。
状況が分からないからといって、仲間を襲うことにしたという少女の思考回路もどうかとは思うが、責める気にはなれなかった。
原因の根っこはヒダカが無闇に動き回ったこと。少女の短絡思考を引き合いに出して揚げ足取りを行なうのは、筋違いだ。
なにより、年の頃十二、三歳に見える子供に長距離を移動させてしまったことが罪悪感の源になっていた。
たとえ少女がヒダカを簡単に無力化できるほどの実力を持っているとしても、だ。
簡単に割り切れてしまうほど、ヒダカの頭脳は柔軟ではなかった。
「ちなみに聞くけど。もし俺がハクロより強くて、勝っちゃったらどうするつもりだったの?」
はっと気づいて、ハクロはヒダカを見る。
無垢な瞳だった。
「……何も考えてなかった」
ヒダカは嘆息する。
ハクロの短絡思考回路に、ではない。
こんな年端も行かない少女になめられ、救いようのないことに、実際負けてしまったことに対して。
強くなったつもりでいたが、思い上がりだったのだろうか。
「まあ結局、ハクロは負けなかったわけだし、気にすることないさ。誤解も解けて、一件落着」
フォローを忘れないくらいには、余裕は残されていた。
ただし、そのフォローで本人が傷ついていては世話ない。
「タカ、そんな落ち込むことない。ハッタリはすごかった。あれには騙された」
ハクロの言う「ハッタリ」とは、二人が対峙していた時にヒダカが放った「姿を現さなければ、攻撃する」という宣言のことだ。
「K」は第一ステージにおいて先制攻撃を許されていない。
つまり攻撃宣言は、完全な嘘というわけになる。
彼女はヒダカを褒めているつもりなのだろうが……。
「ハッタリはって……」
「…………ごめんなさい」
謝って欲しかったわけでもないのに責めるようなことを言ってしまった自分に反省させられる。
しかも、謝られてさらに惨めになるという悪循環。
まあ、でも。
天然毒舌かもしれない少女だが、やっと仲間と合流できたのだ。
「汚名返上は勝利によって、ってね」
*****
負けた。
男の思考には、その言葉が浮かんでいた。
相手が罠を張っているなら、こちらがそれを利用する。
そんなことを考えていた過去の自分を殴り飛ばしてやりたい。
相手が魔術師だと驕っていたのが原因なのだろうか。それとも、実力不足が原因か。
おそらくその両方。
不意打ちだった。先制攻撃は男だった。
……なのに。
一分後にひざまずいていたのは男の方だった。
重要なのは、一分という時間ではない。
接近戦なんてよほど実力が拮抗してでもいない限り、一対一ならすぐに決着がつく。
負けた、という一点。
アドバンテージを得て、なお青年の実力が上だった。
それだけが重要だった。
「自分、約束しとるから負けるわけにはいかんのよ」
男の両腕を折って無力化した後、青年はそう言った。
仕事なのか、と男は訊いた。
「仕事やない、約束や」
フードで顔はよく見えないが、ニィッと青年の口元が笑ったのは分かった。
その後青年は、男が青年に声をかけられるまで観察していたPMA(?)を発見すると、「おもろそーなモン見っけたわ」と言って去っていった。
去り際に名を訊いたが、「復讐は勘弁してな」と教えてくれなかった。
それもそうだろう。自分が倒した相手に名乗りを上げるのは復讐してくれと言っているようなものだ。それが分かっていたからこそ、青年はフードで素顔を隠していたのだろう。
あれから十分ほど待っているが、仲間が来る気配はない。
助けを期待しているわけではなかった。
こんなところで「5」のPMAの固有機能を失うのは惜しい、と男は考えていた。
PMAの転移魔法陣を使って競技から脱落すれば、プレイヤーがその時点で所持しているすべてのPMAの機能は停止される。ある意味当然とも言える措置だ。
男は「5」のPMAを誰かに譲渡するつもりだった。
PMAの奪取、交換はルール上禁止されているが、PMAの譲渡に関しては双方の合意の上で許可されている。ただし、PMAを所持しないことは許されていないため、譲渡する側が二個以上のPMAを所持していることが条件になる。
男は「5」のPMAしか所持していない。
低すぎる確率だが、二個以上のPMAを所持した味方が発見してくれる可能性に賭けていた。
だか、それもそろそろ限界だろう。
折れた腕がだいぶ熱を持ってきている。
「……あと五分」
それだけ待とう。
青年は約束だから負けられないと言っていたが、男は仕事でここに来ている。
戦うことはできなくても、できることはある。
それを最後までやり遂げる。
最後まで足掻く。
生きるための義務みたいなものだ。
誤字・脱字・アドバイス等ありましたら、お気軽に感想にお書き下さい。