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3. 【一日目】 悪魔は何処に

 何もない部屋だった。

 石造りの床と壁があるだけで、入り口は一つのみ。窓すらもない。


 そんな部屋の中央に、絨毯のように敷かれたおよそ二メートル四方の布切れがある。


 布の上に乗る。


「――リザイン」


 言葉に反応して、布に記された魔法陣が自動的に足裏から微量の魔力を吸収。術者を模擬戦争参加者として記録(リザイン)、フィールドへ転送する。






   *****






 灰色の景色が一瞬にして緑に変わる。

 転移魔法使用後の特有の気持ち悪さ――所謂、転移酔い――は数秒もすると収まり、ヒダカは安堵の息を漏らした。


 魔法陣による魔法――陣魔法をちゃんと使えるかどうか心配だったが、うまく発動してくれたようだ。魔法陣が音声反応式で、自動的に術者から魔力を吸い上げてくれるものだったのが良かったのかもしれない。



 辺りを見回したヒダカは、それにしても、と思う。

 一般的な高校生だったはずの自分がどうしてこんなサバイバルゲームのようなことを公然とすることになってしまったのか。

 両親のしごきを思い出して苦笑する。

 ホームシックになっているのだろうか。

 辛い辛いと愚痴をこぼしながらも、あれはあれで結構幸せな毎日だったのかもしれないな、と思っている自分がいることに驚く。


「って、こんなこと考えてる場合じゃねーや」


 ここには感傷的な気分になるために来たのではない。



 足元にある転移魔法陣の片割れを拾い上げる。銀色の三十センチ四方の正方形の軽い板、通称PMAだ。文字に疎いヒダカにはどういう意味の言葉なのか分からなかったが、とにかくこの板のことを指しているらしい。

 表面には参加者をこのフィールドに転送するための転移用魔法陣が記されている。この魔法陣は模擬戦争終了時に城に帰還する時と、模擬戦争中に重症を負った場合などで離脱(リタイア)せざるを得なくなった場合に使用する。つまり競技者(プレイヤー)の生命線だ。

 ルールにも「競技者は常にPMAを所持しなければならず、他の競技者のPMAの破壊・奪取を禁ずる」とあった。

 ただ、それは競技する上での必要条件であって、例えば野球をするときにバッドを武器として使ってはならない、というような当たり前のルールであるのでそこまで重要なわけではない。


 問題は裏面。

 付いていた土を手で払うと、のっぺりとした銀色の光沢がある面に円が彫られているのが顕になる。

 もちろん、それで終わりではない。


「マップ」


 そう呟くと、手に微かな振動。

 自動的にヒダカから魔力を吸い出して、PMAに記述されたもう一つの魔法陣が起動する。

 円状の溝の内側が、白く光る。そうして浮き出たもの――フィールドマップ。

 これは今回の模擬戦争のフィールドの様子が描かれたもので、PMAが向いている方向に合わせてマップを表示してくれるという、方位磁針いらずのすぐれものの地図だ。

 さらに円形のマップの左上の少し下寄りの辺りに黄緑色の光点がある。おそらくこれがヒダカの現在位置なのだろう。

 他にもマップの外側、正方形の板の左下の余った部分にはマップよりふた回りほど小さい円があり、その内側には、中心からその円周上に向けて一本の線が引かれている。これはこちらの世界で言うところの時計で、現在の太陽の位置を示すことによって時間を表しているものだ。今は地平線から太陽が昇って、南中するまであと半分といった所を指しているので、九時くらいだ。


 そしてもうひとつ。模擬戦争開始直後に一番大事になってくるのが、右上に浮かび上がる白い円。ちょうど時計と対称の位置に存在するその円には、


 彼のプレイヤーナンバーが、






   *****






競技者(プレイヤー)全員のPMAの起動が確認されました。ただ今より、第二三〇七回模擬戦争を開催します。競技(ゲーム)は第一ステージから開始されます。競技者(プレイヤー)の皆様は、各自ナンバーを確認の後、行動を開始してください』






(キング)」と、文字が浮かび上がる。






 内面に湧き上がってくる高揚感で、叫び出したい衝動を抑えるのに苦労した。


 自身の運命を少しだけ呪って、そして感謝した。

「世界はとても残酷で優しい」という、どこかで聞いた言葉を思い出す。

 その通りだった。






   *****






 模擬戦争は、五百年前にこの地に現れた勇者が作った競技だと云われている。今時小さな子供でも知っていることだ。

 しかし、これは事実ではない。

 勇者自身はこの競技の成立にはほとんど関与していない。実際は彼がよくパーティを組んでいた、弓の名士であった男が発案したものであるのだ。

 では何故勇者の名前が一人歩きしてしまったのかと言えば、その原因は模擬戦争に使用される特殊な数字群にある。 

 

 模擬戦争において、プレイヤー数は最大でも十人対十人で二十人だが、フィールドには合計で二十六個のPMAが配置されている。

 これは所有者のいないPMAも存在することを意味している。

 PMAには白銀色のものと黒銀色のもの――この二種の色の違いは両者を並べて比較しないと分からない程度のものであり、どちらの国のチームに属するPMAであるかを表している――があり、それぞれ「A」「2」~「10」「J」「Q」「K」と十三のナンバーとアルファベットと呼ばれる文字が与えられている。


 この、AやJなど数字とはまったく関係のない文字が、勇者の故郷にあった「トランプ」というカードゲームに由来しているという話は有名であり、ここから間違いが生まれてしまったのである。


 ところで。

 どうしてアルファベットが使われるようになったのかといえば、それは模擬戦争の競技進行上、特別な役割を持つプレイヤーを用意したかったためである。

 全プレイヤーがPMAを起動した後、PMAにはランダムにナンバーかアルファベットが与えられる。この時AやJなどのアルファベットは必ず誰かが所持しているPMAに割り振られ、所持者のいないPMAはアルファベットにならない。

 そしてその「特別な役割」が「A」「J」「Q」「K」の所有者には与えられる。


 例えば、「(キング)」の所持者はその名にふさわしく、模擬戦争の勝敗を決定する役割がある。勝敗決定条件は模擬戦争の進行状況によって変化するが、所持者が重症を負うことなどによって競技から離脱した場合、大抵はそれだけで勝敗が決定してしまう。






 そして……。




 彼女の瞳の先には「(エース)」の文字。




「まったく。厄介な配役を押し付けられたものです」



 彼女――ネア・オーシェはため息と共に呟いた。


 目鼻立ちのすっきりした端正な顔立ち。濃い藍の長髪はしなやかに腰まで流れており、丹念に手入れされているであろうことが窺える。また、目蓋の奥に隠された髪と同色の瞳はのぞきこんだ者を吸い込んでしまいそうなほど澄んでいた。

 さらに彼女は、代々優秀な宮廷魔術師を輩出していることで有名なオーシェ家の長女であった。当然、彼女の魔術師としての腕は言うまでもない。

 家柄・容姿・才能のどれをとっても一流。才色兼備を体現したような女性であり、十三歳から三年間通っていた王都の学園では、毎日のように良家の嫡男から熱烈なアプローチを受けていたほどである。

 しかし彼女はそれらすべてのアプローチを断り、学園卒業後は、国内最難関と云われるエッジドルク第一騎士団への入団を果たした。

 宮廷魔術師となる道も拓かれていたにもかかわらず。

 安全で高給、しかもほとんど約束された待遇を蹴ってまで、魔獣退治専門の部隊へ――戦場に身を置いたのだった。


 魔獣を斃し、人々を護るヒーローに憧れたわけではなかった。



 彼女は、復讐者だった。




「父上、兄上……」


 真っ暗な世界で、目蓋の裏側の二人に思いを馳せる。


 それはネアが自身に課していた掟だ。

 戦場に赴く前に、亡き二人に黙祷を捧げる。


 そうやって、彼女は覚悟を決める。誰かを傷つける覚悟。

 それ以外の覚悟の決め方を、少女は知らなかった。

 少女が未来を決めた時、彼女はあまりにも幼く、だからそれ以外を知らなかった。知らないまま生きてきた。


 ネアは泣きながら誓ったのだ。

 復讐だけではない。

 彼女は、彼女の父親が守ってきたものを守ると誓った。


 彼女の父が治めていた、そして父亡き後は一度引退した祖父が治めている、その土地を、人々を。




「……行って参ります」






   *****






 彼はガゼン共和国側のプレイヤーとして参加していた。


 鬱蒼と茂る森の中を、周囲に視線を走らせながら進んでいく。

 人気はない。

 風による葉擦れの音や、彼の存在に気づいた野鳥が飛び立っていく時に音を立てる程度である。

 森は、しんと静まり返っていた。

 それは当たり前だ。まだ競技開始から三十分程度。ほとんどのプレイヤーは敵プレイヤーに遭遇しないように気をつけながら、味方と合流しようと試みている時期だ。たとえ敵を発見したとしても、味方もおらず相手の力量も分からないうちに突っ込んでいくのは愚策中の愚策。

 それにこのフィールドは広大だ。遠くでの戦闘の音も、耳を澄ませなければ聞こえないことの方が多いと云う。


 そんな静かな森の中、彼はセオリー通り、仲間と合流するために移動していた。



 彼のプレイヤーナンバーは「6」。

 PMAに与えられているの固有機能は「自チームの『3』『9』、敵チームの『6』の位置をマップに表示する。また、このPMAに加えて『3』『9』の二種類のPMAを所持した時、両チームの『Q』の位置を表示する。この時、二種類のPMAは機能停止されていてもよい」だった。


 この固有機能の説明は、PMAのマップが表示される面の裏側にある転移魔法陣が記述されている面に、マップを使用している間だけ浮かび上がるものだ。

 それぞれのPMAには異なる機能が与えられていて、それを固有機能と呼ぶ。ただしチーム間で不公平がないように、同じナンバー、アルファベットには同じ機能が与えられることになっている。




 なかなか使い勝手のいい機能なのではないか、と彼は思う。


 特別な役割を持つアルファベットのPMAと違い、ナンバーのPMAは決まった役割を持たない。そのため、戦略上の必勝法を生み出さないためという理由もあって、PMAが持つ固有機能は模擬戦争が行なわれるたびに変更される。


 模擬戦争に参加するのはこれが初めてだという彼にはこの機能の良し悪しは判断しづらいが、敵の場所が分かり、さらに最大二人の味方と合流可能なこの機能は序盤で役に立つように思える。

 また、三つのPMAを集めるというなかなかハードな制限はあるが、「Q」の位置を表示する機能も終盤で役に立ってくるだろう。




「マップ」




 そう唱えてPMAを確認する。

 銀色の板には白色の光の地図が浮かび上がり、その中に三つの光点。黄緑がこのPMAの位置で、後の青色二つが味方の「3」と「9」だ。今はまだ表示されていないが、じきにこれらの光点に加えて赤色の光点が浮かび上がってくるだろう。それが敵の「6」だ。


 どちらが「3」でどちらが「9」なのか、マップ上に数字が表示されていないので分からないが、彼はとりあえず黄緑色の光点から近い青の光点の方向に進んでいた。

 青光点の位置には高確率で仲間がいるはずだ。


 ガゼン共和国は参加可能な最大人数である十人でこの模擬戦争に参加している。アルファベットのプレイヤーがそのうち四人なので、単純に考えて三分の二の確率で仲間がいることになる。


 もう光点は目と鼻の先にある。

 そろそろ仲間の姿が見えてきてもいい頃だった。



 いまだ戦闘音が聞こえていないということは、この近くにこちらに害をなす敵がいないことも示している。彼はそう考えていた。

 だから少しだけ気を抜いて、青い光点のもとに向かった。






 しかし敵がいないと決め付けるのは、少しばかり早計だった。


 彼のPMAが示す青い光点が、所有者のいないPMAを示しているという可能性。近くに敵がいてもお互いに気づかずにすれ違っている可能性。この第一ステージにおいて唯一、敵のPMAの位置を表示できる機能を持ったPMAの存在。

 それらのことを彼は考慮していなかった。


 初参加の、しかも故郷の命運がかかった模擬戦争であるという緊張感。そして静まり返った森の不気味さ。

 それらが彼の視野を狭くしていることに、彼自身気づかない。

 自分にとって都合の悪い現実があるにもかかわらず、無意識の内にそれらを考えないようにしている。ある意味では仕方のないことなのだろう。


 仕方のないことではあったが、それは隙だった。

 致命的ではないといえども、彼には隙があった。



 これは真剣な勝負である。

 故郷や名誉、人それぞれ賭ける物は違えど、誰一人として半端な気持ちで参加している者などいない。


 模擬戦争。

 規模は小さくとも、戦争なのだ。




 だから、致命的ではない隙ですら、彼の敗北の理由には充分になり得たのだ。











 その後姿が見えたのは、それからさらに五分ほど進んだ時だった。



 木が生い茂る森の中にぽっかりと開いた広場のような、下草の広がる場所。光が差し込む広場で、ひとつの切り株に腰を下ろしている人影を見つけた。


 はっ、と息を呑む。


 風に吹かれてさらさらと流れる藍の髪はこの戦場にはあまりにも不似合いで、美しかった。


 妖精、という言葉が思い浮かんだ。

 彼は見たことがないが、この世界には精霊を見ることが出来る特別な眼を持った美しい種族がいるという話を両親から聞いたことがあった。それが妖精族。

 精霊魔法の生みの親でもあると云われる妖精族は、自然の多く残る、人間の住む地方から遠く離れた土地で暮らしているらしい。

 太古の昔は人間と妖精は共にあり、助け合って暮らしていたという言い伝えがある。やがて人間は木を切り倒し、家を作り、自然を破壊するようになり、二つの種族は永遠に決別した。

 しかしそうなるまでに人間と妖精のハーフは多く誕生し、人間の中にも妖精の血を色濃くけ継ぐ者たちがいる。それが現代では数も少なくなっていると云われる精霊魔法の使い手たちだ。

 精霊魔法の使い手が人間と異なるのは一点。精霊魔法が使えるということだけだ。つまりそれは人間と妖精の肉体構造が、さほど違わないことを意味しているのではないか。



 彼には、藍色の髪の少女が妖精に見えた。

 ここが何処にあるのかも分からない、人里離れた森の中だったこともそれを手伝っていたのだろう。

 極度の緊張が、不安が、そしてそんな中でやっと仲間を見つけられたという思い込みが、彼に妖精を幻視させたのだ。




 手元で自身のPMAを確認していた妖精――少女が振り返る。


 その美貌にプレイヤーナンバー「6」の彼は一瞬だけ見とれ、そして違和感。

 違和感の正体が分からないまま、彼は少女を見つめる。


 ゴクリ、と息を呑む。

 先ほどの恍惚の時間とは天と地ほどの差があった。

 何かが違う。

 違う。

 でも、何が違うのか分からない。


 銀色のPMAを握る手には力が入り、汗ばんでいた。




 少女が自身のPMAを切り株に置き、彼の方に歩いてくる。

 ゆっくりとした優雅な足取りだった。風に吹かれて髪が舞う。実際に目にしたことはないが、それは舞踏会でダンスを踊る淑女の姿に見えた。




 幻想的な森の中。

 妖精は迷い込んだ男に近づき、ダンスを申し込む。

 男は妖精の手を取り、日が暮れるまで踊り続ける。

 甘い、甘い時間。


 そしてダンスを終えた男は気づくのだ。

 …………夜が来たことに。


 恐ろしい森の夜が来てしまったことに。






 少女が何かを呟く。彼には何を言っているのか聞き取れなかったが、違和感が強くなったことだけは確かだった。


 そして少女が流れるような動作で腰から剣を引き抜き……剣を引き抜いた(・・・・・・・)



 そこでやっと彼は気づいた。

 彼が昨日、最終確認で顔合わせしたメンバーの中に……。




 藍色の髪の(・・・・・)女なんていない(・・・・・・・)……!!






 初弾に気づけたのはまったくの偶然だった。



 ひゅ、という何かが風を切る音が聞こえた。

 手に持っていたPMAを反射的に適当な場所に放って、転がるようにして女から距離を取る。

 半分以上を草に覆われた視界の中で、こちらに駆けてくる女と直前まで自分がいた場所を背後から襲う氷のつぶてを捉えた。


(さっきのは魔法の詠唱だったのか……!?)


 形状からして、殺傷用ではなく、こちらを昏倒させる目的で放ったものだろう。

 注意を術者自身に引きつけておいて、背後から撃つ。

 古典的な戦法だが、それだけ効果的で対抗策が少ない、優秀なものだ。


 しかし一度トリックに気づかれてしまえば、二度目からは通用しにくくなる、「ねこだまし」的な戦法でもある。


 相手は剣を持っていても、所詮魔術師。接近戦に持ち込めば、剣を専門に扱うこちらが有利……!




 そこまでの思考は一瞬。

 模擬戦争初参加といえども、彼も修行を積んだ者。



 すぐに立ち上がると同時に剣を抜き放ち、臨戦態勢を整える……が、






「いない……?」


 広場には女の姿はなかった。


(……後ろか!?)




 振り返った彼の目に映ったのは、




 自身へと迫る、




 ……刃。











 防御の暇はなかった。

 彼は迫りくる刃を見つめることしか出来なかった。




 ――――ゴンッッ!



 金属の震える音が尾を引く。




 意識が闇に沈んだ。











 彼は気づかなかった、無意識に自分が不利になる可能性を排除していたのだ。

 彼の中では、魔術師になれなかった者が剣を学び、魔法を学ぶ者は剣を学ばないのが常識だった。無論、ガゼン共和国に剣も魔法も扱う者がいないわけでもないが、そんな人間はごく少数のエリートだけで、彼の周りにはいなかった。

 魔法を使うものは魔術師だけだと、彼は思い込んでいたのだ。

 魔術師になりたくても才能がなかったという、彼のコンプレックスが招いた仕方のない結果なのかもしれない。


 しかしここは戦場。


 彼の思い込みは致命的な隙を生み出した。


 習慣も文化も違う相手と戦うのが戦争だ。

 常識に囚われたままではいつか足元を掬われる。


 彼の頭からは、エッジドルクの騎士が魔法を扱うことが抜けていたのだ。

 知らないわけではなかった。

 しかし彼自身の常識が邪魔をして、そのことを意識していなかった。

 ネアが魔法を使った時点で、彼女が「慣れない剣で武装した魔術師」であると思い込んだ。そして、基本的に学者肌である魔術師に身体能力で自分が劣るわけがないと、驕ってしまった。

 それが彼の致命的な隙。

 ネアの本職が騎士であることを見破れなかった、彼の敗北の原因。


 ネアの剣の扱いを流れるような動作だと評価した彼には、充分にそのことを気づく機会が与えられていた。

 それを生かせなかったのは、彼の未熟さゆえ。


 彼は、模擬戦争を、ネアを、なめていたのだ。











 森に迷い込んだ男は気づかなかった。


 ……妖精は、夜になると姿を現す、人喰いのバケモノの擬態だったことに。






   *****






 微妙に色彩が異なる二つの銀色の板を接触させると、ピーン、と小気味よい、小さな鐘を鳴らしたような音が鳴った。


「よし」


 これでカウンターが示す数字は2。ステージを移行させないためには十分な安全マージンを得たことになる。カウントをこれより上げようとすれば、おそらく今夜、早ければ夕方までに第二ステージに移行してしまう。

 それはどちらのチームの「K」にとっても歓迎できないものだろう。誰かは分からないが、彼らはまだ安全圏に留まり、覚悟を決め、状況の見際めを優先すべきだ。

 もちろん、第二ステージになれば動きにくくなるという個人的な理由もあった。











 そもそも、ステージとは何か。

 簡単に言えば、それは段階的に変化する模擬戦争の勝利条件だ。


 各ステージ毎に勝利条件が存在し、ある特定のトリガによってステージが進み、勝利条件も変化するという寸法だ。


 そして現在は第一ステージ。

 ルールにはこう記されている。


「このステージでは勝敗は決定されない。

 また、このステージにおいて『A』以外のすべてのPMAは敵のPMAの位置を表示する機能を使用できない。


 『K』のPMAの所持者がリタイアした場合、『K』のPMAに最も近い自チームのナンバーのPMAが『K』となる。また、リタイアの原因となったプレイヤーの所持するすべてのPMAの機能を停止する。


 PMAが五つ以上機能停止した時、次のステージに移行する」



 ちなみに。


「リタイアとは、


 1、プレイヤーの所持するすべてのPMAの機能が停止された場合。

 2、プレイヤーが所持するPMAの転移魔法陣を使用し、競技から離脱した場合。

 3、プレイヤーが死亡した場合。

 

 の三種類の状態を指す」




 つまり、プレイヤーは敵の「K」をリタイアさせてしまうと自分もリタイアすることになる。しかも敵プレイヤー自体はリタイアしても「K」は復活してしまうのだから、捨て身になってまで「K」を狙う理由がないのである。良くて引き分け、悪ければ敗北などという戦いは誰もしたがらない。

 第二ステージまで待てば、嫌でも「K」を狙う理由が出来るのだから。


 そして「K」を狙えないということは、無闇に相手を攻撃できないということだ。相手が「K」ではない確証がない限り、戦闘行為は行なわれない。

 そもそもほぼすべてのPMAは敵の位置を表示する機能が使用できないため、敵と遭遇する可能性も低い。


 つまり自分のプレイヤーナンバーが相手に割れていない限り、比較的自由に動けるのが第一ステージというわけだ。






 そしてネアの持つ「A」は第一ステージにおいて最も自由度の高い――好き勝手な活動を許されるPMAだった。

 正確には、第一ステージだけではなく、すべてのステージにおいて、だが。


「A」は模擬戦争上で「K」に次いで重要な役割を持ち、制限も多いため、与えられる固有機能も強力だ。



「A」のPMAは、敵チームのナンバーのPMAに接触した時、その機能を停止する効果を持っている。

 つまり相手のPMAに触れるだけで、リタイアに追い込むことができる優れものだ。そして先ほど鳴っていた、ピーンという音が機能を停止したという合図みたいなもの。

 大抵のPMAには他者のPMAを意図的に停止させる機能はないため、相手をリタイアさせようと思ったら、重症を負わせて離脱させるか殺すしかない。本当に稀だが、両腕を折られても執念で向かってくるような猛者もいるので、正直な所相手のリタイアが即座に確定する「A」のPMAの機能は優秀だ。

 リタイアしたプレイヤーは速やかに競技から離脱しなければならない。PMAの機能が停止されても、記述されている転移用の魔法陣は残っているので、それを使えば転移することはできる。

 ちなみに相手を殺すというのは、論外だ。それではせっかく模擬戦争を行なうようになった意味が薄くなる。プレイヤーが死亡した場合リタイアなどというルールは形の上だけで存在するにすぎない。



 そして「A」のPMAには固有機能として「カウンター」というものがある。

 このカウンターが「A」のPMAの機能の半分以上を占めている。それほど重要な機能なのである。

 はっきりいって、後の要素はオマケみたいなものだ。


 カウンターは、このPMAが触れることによって相手のナンバーのPMAを停止させた時、1増える。

 そして日の出、日没毎にカウンターは1減り、カウンターが0の状態で日の出または日没を迎えた場合、競技は次のステージに移行される。ただしカウンターは0未満にはならない。


 また、「カウンターが0~2の時、このPMAから最も近い、相手チームの、所有者のいるナンバーのPMAと所有者のいないPMAの位置をそれぞれマップ上に表示する」という機能もある。



 他にもごちゃごちゃと色々な機能があるが第一ステージで重要になるのはこれくらいだろう。




 つまり「A」のプレイヤーはステージを進めるトリガになっているわけだ。このために「A」のPMAは唯一、第一ステージにおいても敵のPMAを表示する機能を停止されていない。

 したがって「A」がまったく動かなくてもステージは進み、動きすぎても「PMAが一定数以上機能停止した時、次のステージに移行する」というルールによってステージは進む。


 敵の「A」との兼ね合いも重要になってくる。

 こちらが自重したところで、相手がそうでなければ、ステージはすぐにでも移行する可能性がある。

 結局は運任せだ。

 しかし、「どうせ相手も遠慮しないんだから」と思っていてはステージはすぐに進む。




 悪趣味だ、とネアは思う。



 まるで人間社会の縮図だ。

 みんながやっていることだからと、軽い気持ちで罪を犯す。そしてその連鎖だ。実際には誰一人やっていないことだとしても、思い込みで人は罪人に堕ちるのだ。


「みんなやっていますよ」


 そんな悪魔の囁きに騙されてはいけないのだ。




 ……ここまで思考を飛躍させてしまう自分の方がどうかしているのだと、ネア自身理解しているが、どうにもこの模擬戦争という競技は悪趣味に思える。






 ――――何を考えているのだろう、私は。



 ネアは思考を切り替える。

 今考える必要の無いことは帰ってから考えればいい。模擬戦争は現在進行形で続いている。


 ネアは今し方自分が倒した男を見やる。

 男は警戒心の無さからいって十中八九模擬戦争初参加者なのだろうが、ネアも他人のことを笑っていられないかもしれないと気を引き締める。






 PMAのマップ機能で、所有者のいない「9」のPMAを確認したネアはすぐにこの広場に来て、「9」のPMAの機能を停止させた。

 来る途中、「6」のプレイヤーが近づいているのは知っていたが、第一ステージでは襲われないことを半ば以上確信していたネアは「6」のプレイヤーを意図的に無視していた。


 ネアには襲われない自信があった。

 現在が第一ステージだったことだけが原因ではない。


「A」のPMAには「カウンター」以外にも比較的重要な特徴があった。「A」のPMAの位置を知る機能はどのPMAにも存在しないのだ。

 これは直接の「A」の機能ではないが、ルールでそうなっているのだ。いくらナンバーのPMAの機能が毎回変わるといっても、このことだけは信用していい。



 唯一警戒すべきは仲間の存在だったが、それも「6」のプレイヤーが一人だということが分かった時点で杞憂に終わった。

 伏兵の可能性もあったが、おそらくネアを仲間であると勘違いしているだろう相手が、そこまで周到な策を練ってくることはないと考えていた。



 そしてネアの予想は的中し、「6」のプレイヤーとの戦闘。

 相手が油断してくれたこともあり、拍子抜けするほどあっけなく戦闘は終わった。


「6」のPMAの機能を停止させると共に、相手プレイヤーを一人無力化して現在に至るわけである。






 カウンターはひとまずの目標である2に達した。これで何もしなくとも明日の夕方までは、ネアのPMAが原因でステージが移行することはない。

 相手の「A」が欲張らなければ、小競り合いはあるだろうが、大局的に見れば平穏が続くだろう。



 しかし、本当にそんなに都合良くいくものだろうか。




 マップを確認すると、黄緑色の光点とその近くに「7」と示された赤い光点がある。近いが、警戒するほどでもない。

 所有者のいないPMAを示す黄色の光点はフィールドのほぼ反対辺りに「2」と示されている。しかし今から向かっても、ネアが到着するまで誰にも所有されない可能性はゼロに等しいだろう。

 ネアは、戦闘を行なってまでカウンターの値を増やしたいとも、敵を減らしたいとも思っていない。そもそも、その位置まで急いで移動して、敵と戦う体力が残るのかすら、あやしい。フィールドは広大だ。




 時刻はまだ十時を少し過ぎたばかりだが、昼食を確保しておくべきかもしれない。

 それとも気は早いが、見つかりにくい寝床を探しておくべきだろうか。




 ……。


 少し早いが昼食を摂って、夜に備えて寝るとする。

 ネアの読みが正しければ、事態は夕方から深夜にかけて動くだろう。

 それまではゆっくりと身体を休めるべきだ。


 寝て起きたら、安心して眠れる場所など、何処にもなくなってしまうだろうから。






 誰かは分からない。

 けれど「A」である誰かの耳元で悪魔はひっそりと囁くだろう。


「みんなやっていますよ」


 あなたがやらなくても、誰かがやるんです。

 それなら、あなたが甘い蜜を舐めませんか。




 そんな声だ。

PMA=Personal Magical Assistant


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