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1. 【開始前】 勇者と巫女と

物語の背景なんて読まなくても大丈夫という人は三話からでもOK。

 勇者。

 それは魔法陣「勇者召還の陣」によって異世界より召還された人間を指す。

 彼らは一般に、通常の人間とは一線を画する類い稀なる能力を有しており、その能力を用いて数多くの偉大な功績を残したことから、その勇敢さを称え、勇者と呼ばれる。


 エッジドルク暦七五二年三月。

 ひとりの勇敢な若者が、この地に誕生した。






   *****






「―――冗談じゃねーよ」






 日高拓(ヒダカタク)は無意識の内に、半笑いの声で呟いていた。






 ヒダカは基本的には常識人の範疇に収まる青年だった。

 基本的には何の特技も取り柄もない青年だった。


 県内にある政令指定都市から電車で四十分行った所にある何処にでもあるような町に住んでいた。これといった特産品はなく、ビルが立ち並ぶような都会でも、田園風景が広がるような田舎でもない。唯一の特徴といえば、年に一度秋ごろに、収穫祭の名残であるお祭りで季節外れの花火大会があるくらいだった。


 そんな町に住むヒダカは、市内で五番目にレベルの高い高校に通っていた。

 五番目と言っても、市内にある高校は両手で数え切れるほどの数しかないため、学力が高いわけでもない。全国の高校生が一斉に受験する学力試験の結果、ヒダカの高校の偏差値は五十を少し超える程度。

 そんな高校の中でのヒダカの成績は良くもなく悪くもない。得意教科は平均点を超えるのが普通で、不得意な英語は赤点の心配をする。

 素行は教師に目を付けられない程度には悪い。第一ボタンは開けておくのがデフォルトで、年に二、三回は学校をサボる。


 朝、会った時に挨拶をする友達はそこそこいるが、親友と呼べるような人間はいない。

 向かいの家に住む、同学年の女子生徒――所謂、幼なじみの女の子もいるにはいるが、物語で描かれるような甘酸っぱい関係になる可能性はほとんどゼロだった。小さい頃はよく一緒に遊んでいた時期もあったけれど、いつの間にか疎遠になっていた。きっかけがあったわけではない。


 初恋も普通だった。小学校の時、クラスで一番可愛い女の子に恋をした。四月だった。初めての感情にウジウジ悩んでいたら、五月にあっさりと恋は終わった。クラスで一番足が速くてサッカーが上手かった男の子に先を越された。翌日、人生で初めて学校をサボった。仮病を使ってベッドを殴りまくった。


 中学校の時に一度だけクラスの女子生徒と付き合ったことがあった。

 お互いに遊びで、ちょっとした冒険心だけがあった。恋ではなかったと思う。「世間のルール」という見えない存在に反抗したかっただけだった。互いを尊重しあうなんてことはせずに、ひたすらに自分本位な関係。

 一ヶ月もしないうちに別れた。求めていたものなんて何処にもなくて、簡単に冷めた。

 そもそもが気の合う二人だったから、気まずくはならずに今でもたまに連絡は取り合っている。


 どこにでもいるような青年、ヒダカが唯一クラスで注目を浴びることがあるとすれば、体力測定の時だった。

 昔から反復横とびと持久走だけは得意だった。動体視力も良かった。


 でも、それだけ。


 得意なスポーツもなければ、他人に自慢できるような特技もない。

 人より少しだけ体力があって反射神経がいいだけ。


 そんな唯一の取り柄は必要だから身につけたものだった。

 身体を動かす才能もセンスもなかった。


 ちょっと、ほんの少しだけ、特殊な家庭に生まれてしまっただけの、普通の青年だった。






 ヒダカは普通の青年だった。

 だからもちろん薬物なんかに手を出した覚えもない。

 風邪をひいているわけでもなく、高熱もない。

 精神科を受療したこともない。




 ――――それなら、どうして俺に幻覚が見える?




 現実逃避気味の思考。



 ヒダカは普通の青年だった。

 そして普通の青年らしい、普通の感性を持っている。

 そんなヒダカから見て、目の前に広がる光景は、理解の範疇を容易く超えていた。






 刃渡り五〇センチ以上ある剣を扱う集団がいた。ざっと見た感じ三十人はいる。ほとんどが男性だが、ところどころ女性もまざっている。


 理解出来ない。それがヒダカの感想だった。


 真剣同士が打ち合う金属音が耳につく。

 怒声。腹からの叫び声。

 そして爆音。


 様々な音が交じり合っていた。


 ヒダカの価値観はこれがスポーツであることを許容できなかった。

 真剣を扱うのはもはやスポーツではないと誰かが言っている。

 両手剣を振るう大男と短剣をひらめかせ華麗に立ち回っている細身の女性。ここまで対照的な二者が向かい合うスポーツなど信じられない。

 ヒダカが知らないだけかもしれない。

 しかしこんなスポーツを認めることが出来なかった。


 そして事実、スポーツではない。


 ――――だったら、これはなんだ?


「訓練」だと説明された。


 何の訓練か? 戦いに決まっている。戦争のための訓練だ。

 だとしたらなぜ剣という非効率なものを使う? もっと簡単に人間を殺せる道具なんてたくさんあるはずだ。

 なぜ銃火器を使わせないのか。

 歩兵にしてももっと使い方があるはずだ。

 そもそもここまでの身体能力を持った集団をただの歩兵として使い潰す上層部の意図が分からない。






 ……………。




 ヒダカの常識では目の前の事象を説明できなかった。


 意味が分からない。

 分からないと思考がわめく。

 考えることを停止して、信じられないことから目を背ける。


 それは現実逃避というものだ。



 だが、こんなことに何の意味があるのだろう……。






 意識的に無視してきた光景が、視界に入ってくる。



 真昼間から火の玉が乱舞する世界を、ヒダカは知らない。

 虚空から水を取り出し、意のままに操る術を、ヒダカは知らない。

 言葉一つで突風を起こす現象を、ヒダカは知らない。

 命のないゴーレムに誰一人怖気づかない集団を、ヒダカは知らない。



 まるで魔法のよう。



 そして事実、それは「魔法」だった。

 正確には、ヒダカの隣にたたずむ少女がそう説明した。


 なるほどこれはファンタジーだ。しかし紛れもない現実。

 寝て起きたら自分の部屋にいた、なんて都合のいい展開がないことは二回も実証済みだった。



 いい加減に認めなければならないのだろう。


 素直に認めるのは癪だ。

 しかし、叫んでわめいて無様な姿を誰かに見せ続けるのも癪だ。


 いらいらする。

 願いが叶うなら、この世の運命を司る何者かを自分の前に引きずり出してほしい。


 こんな願いが無駄なことは分かっている。


 自分の怒りをぶつけるべき相手がもっと身近にいることも知っている。

 本当に許せないのなら、今自分の隣に立っている少女――カノンを殴ればいいだけの話だ。


 目を向ける。

 ヒダカよりもひと回り小さい、赤い髪をした活発そうな少女だ。


「……ん。どうしたの? タカ。納得してくれたの」


「違う」


「ふーん」


 カノンは剣戟の音の広がる空間に再び目を向けた。

 彼女の瞳と、ヒダカの瞳、本当に映している世界は同じなのだろうか。

 彼女は何を思い、何を感じているのだろう。


「この世界」とは無関係だったヒダカを勝手に「召還」した、カノン。ヒダカと眺めるこの光景にどんな感慨を持っているのだろう。



 すべてから目をそらしていられればどんなに楽だっただろう。

 何も知らなければ、この少女を罵り、殴り、挙句殺すことにすら抵抗を感じなかったのかもしれない。


 けれどヒダカは知ってしまった。



 ここに来て、最初に見た光景が今でも忘れられない。






 月明かりが照らす青白い部屋だった。

 ヒダカはどこかに寝かせられていた。意識がぼんやりしていて、何も分からなかった。


 目の前にあるモノが、そこにある。そんな簡単なことを頭が意識してくれない。

 何もかもが無意味なまどろみの中にいた。


 不意にすすり泣く声が聞こえた。

 意識したことではなかった。


 視界の隅には目を閉じて祈っている誰かがいた。

 泣いていた。

 謝罪の言葉が雫になっていた。


 打算も欲望も何もないまどろみの中で思った。

 少しだけあった自分の意識の純粋な思いがそこにあった。


『……俺がなんとかしなくちゃ』



 



 カノンが何故涙を流していたのか、今でも本当のところは分かっていない。



 ……けれど。


 彼女は涙を流した。

 ヒダカにとってそれは重要なことだった。


 気づかせられてしまったのだ。

 カノンはヒダカと同じ人間だ、と。

 嬉しければ笑い、辛ければ泣く。

 当たり前のことに気づいた。


 けれど気づいてしまったらもう殴れない。

 知らなければ良かったのかもしれない。


 今のヒダカには後戻りすることなどできない。

 仮定の話をすることは無意味だ。




 相手が痛いことを知ってしまえばボクサーは殴れない。

 そう誰かが言っていた。




 今のヒダカはそれと同じだ。

 殴られれば痛くて、痛ければ辛い。

 それを理解してしまったから、もうカノンを殴ることはできない。




 ヒダカが抱いているのは崇高な感情(モノ)などではない。

 彼女を思いやってのことでもない。


 ひたすらに自分本位な、だから誰にも打ち明けたくない感情だ。



 ヒダカの中の何かは、カノンの涙に濡れてしまったのだ。

 湿った枯れ木が燃えないのと同じように、彼の中にあるモノはいくら炎であぶられようと、燃え上がることはできなくなってしまった。






「仕方ないか……」


 このまま停滞した時間を過ごせば、きっとヒダカは内側から蝕まれ、醜く腐っていくだけだろう。


 それは、嫌だ。






   *****






 その知らせを聞いたのは、訓練を始めてから一ヶ月ほどが経った時期だった。



「あっ、そういえば」


 そんな、さして重要でもない用件を伝えるような彼女の言葉からすべては始まった。






「タカ、あんた明日から、特別訓練に出ることになったから」


「は? 特別?」


「そ、特別」


 そう言ってにやりとカノンが笑った。

 ショートカットの赤い髪の少女だ。こっちの世界に来て初めて会った少女であり、右も左も分からなかった魔法初心者のヒダカの面倒を見てくれた少女でもある。

 見た感じヒダカより一、二歳年下だが、実年齢は知らない。レディに年齢を聞くのはこっちでもマナー違反らしい。そう言った彼女の姿は、中学生が背伸びをしているようにしか見えなかったのは秘密だ。

 口は災いの元。


 ちなみに、彼女には魔法だけでなく文字も教えてもらっている。

 こんな常識はずれな世界なだけあって文字までは読めなかった。

 それでも言葉が通じただけでも僥倖だったのだろう。まったくどういう原理なのか、ヒダカの母国でしか使われていない言葉がこんな土地の人間に通じたのである。「通訳ができる魔法なんて知らない」というのがカノン談なので、原因は依然謎のままだ。


 文字の読み書きができないといっても、会話さえできればコミュニケーションには事足りる。

 知人と呼べる人も少しずつではあるが、増えてきている。

 ヒダカは王城――確認するまでもないが、この国の国王が住んでいる――に厄介になっているのだが、そこで働いている給仕(メイド)さんとか、たまに訓練に混ぜてもらっている騎士団――この世界に来て三日目にカノンに見せられた、剣を持って立ち回る集団だ――の騎士さんたちとかがそうだ。



 戦闘訓練にも慣れつつあった。

 手に職はなく、それだけで食っていけるような技術も持ち合わせていなかったヒダカに選択肢などあるはずもなく、半ばカノンに強制される形で訓練を始めた。


 大抵のファンタジー物語がそうであるように、この世界にもモンスターがいる。それに対抗するための騎士団である。そこに所属する騎士は言わずと知れた、対モンスター戦のエリートたちだ。

 もちろんそんな普通ではない人たちに、ほぼ普通人間(ヒダカ)がついていけるわけもなく、初めて訓練に参加させてもらった時は、それはもうヘトヘトになった。

 それでも、こちらの世界に来て身体に変化があったのか、特殊な両親に育てられたために適応力だけはあったせいなのか、ヒダカの成長には騎士団の騎士たちも目を見張るものがあった。

 今では騎士団の人たちとまともに打ち合うことができるようになっている。






 そんな感じで、こちらの生活にも慣れてきた頃の、カノンの言葉である。

 ほとんど毎日、長い時間を一緒に過ごしていればお互いの癖も何となく分かってくるわけで……。

 にやりと笑った彼女の表情と声のトーンには見覚え、聞き覚えがあった。


 魔法の訓練でヒダカをしごく時のものに良く似ている。






「……特別って何をやるんだよ」


 少し不機嫌そうに訊くヒダカ。

 ちなみに怒っているわけではない。怖がっているのだ。



 そんな彼に返ってきた答えはこのようなものだった。




 タカもそろそろ実力がついてきた頃なので、そろそろ実戦の空気を味わうのもいいのではないか。

 そこで「模擬戦争」に参加させようという話が出た。


 模擬戦争。

 それは戦争の代替案として、過去この地に召還された勇者が考案した競技だ。 

 人間の国家同士の、本当の意味での戦争が起こっていたのは五百年以上前のこと。それ以降、戦争は模擬戦争に取って代わられた。


 と、言うのも。

 魔獣の討伐や、魔族の軍勢が攻めてきた時のために騎士を鍛えているのに、その騎士を人間同士の戦争で失うということが多々あった。しかしそれでは何のために騎士を鍛えているのだ、ということになる。

 その状況を当時の人々は憂い、そこで考え出されたのが「模擬戦争」というシステム。

 戦争と言っても実際に殺しあうわけではなく、両国から選出された五人以上十人以下の代表者たちによる、死人がほとんど出ない小規模な競技である。

 もちろん戦争の代替案として考えられた競技なので、負戦国は領土の一部を失い、小額ではあるが賠償金を支払うことになる。



 そんな大事な競技に何故ヒダカを出すことができるのかといえば、その秘密は「模擬戦争」のルールにある。


「模擬戦争参加国は参加者に参加の依頼、強制をしてはならない」


 人権を尊重していると言えばそうなのだろう。

 しかしこんなルールがあっては好んで参加する人間など限られてくる。

 勝戦国の参加者への報酬はもちろんあるものの、競技中の怪我による損害を考えればどうしてもほしいというほどの額でもない。

 だから大抵の参加者は、自分の故郷が「模擬戦争」の景品になってしまっている人間か、自分に箔を付けたい人間の二通りになる。

 ただ、今回の戦争の相手は小国だった。勝って当たり前、負ければ恥をかく上に怪我をする。そんなものには誰も参加したがらない。

 だから参加希望者も集まらないのだ。


 そこで話題に上がったのがヒダカだ。

 参加枠があまっているなら参加してしまおうとカノンが考えた結果である。






「それって俺に拒否権は、」


「――なし」


 即答だった。


「……やっぱりか」


 ある程度予想はついていたのだ。「模擬戦争参加国()参加者に参加の強制をしてはならない」とカノンが口にした時から。つまり国ではなくて、個人が参加を強制することは可能だということ。


「ルールブック渡しておくから、それ読んで今日は早めに寝ること」


「……はい」


 カノン先生には頭が上がらないヒダカだった。






 その後。

 ルールブックに書いてある文字が読めないことに気づいてカノンの部屋を訪ねたヒダカが、彼女の着替えに遭遇してしまい、軽症を負ったのはまた別のお話。

誤字・脱字・アドバイス等ありましたら、お気軽に感想にお書き下さい。

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