戦場で彼が最期に書いた手紙は妻にではなく幼馴染の私宛でした
数多くの作品から目に留めていただき、ありがとうございます。
ある日、戦場から一通の手紙が届いた。
それは私が愛したただ一人の男性からのものだった。
しかし私ではなく、他の女性を選んだ人なのに……。
『フィシス、この手紙を君が読んでいるということは、俺は死んだんだな。死者に免じてこの告白を許してほしい。今更こんなことを書き残せば君が混乱することはわかっている、それでも最期くらい俺の本当の気持ちを知ってほしかったんだ。身勝手だけど伝えずにはいられない。君は俺の初恋で、子供の頃からずっと好きだ、ずっと君を愛していた、命が尽きる瞬間まで』
私は思わず手紙をクシャッと握り締めた。
「なによ……これ」
これを書いたアニアン公爵令息のラスヴェートは戦死している。
既に三カ月が過ぎ、葬儀も終わっていた。
我がバイエルン王国は隣国のヘーリオス王国と戦争中で泥沼の五年目。多くの戦死者を出しているが終戦の目途は全く立っていない。まだ戦火が及んでいない王都でも物価は高騰して国民の暮らしは困窮していた。
私は彼の墓石の前に立っていた。
この手紙は必ず私に直接手渡すように預かっていたものらしく、王都へ帰還した負傷兵から届けられた。死を覚悟していた彼が最期の手紙を残したのは、両親でも、妻のアリッサ様でもなく幼馴染の私だったのだ。
私はフィシス、亜麻色の髪にラピスラズリの瞳の二十二歳。ヴェルディ公爵家の一人娘で現在後継者として領地運営を勉強中だ。独身、婚約者無し、跡継ぎなのに結婚するつもりがないのは、未だにラスヴェートのことが忘れられないからだ。両親も私の気持ちを知っていて諦めているようで、将来は親戚から養子を貰おうと考えている。
ラスヴェートと私は幼馴染だった。
私の初恋で、王立学園に共に通い、愛を確かめ合い、将来を誓い合った。しかし、私はヴェルディ公爵家の一人娘、ラスヴェートはアニアン公爵家の嫡男、私たちの結婚には大きな壁が立ちはだかっていた。
ラスヴェートは継嗣の座を弟のリカルドに譲って、自分はヴェルディ公爵家に婿入りしようと父親であるアニアン公爵を説得していると聞いていた。
しかし、私たちの婚約が調わないまま、五年前、彼は突然、バイエルン王国の第三王女アリッサ殿下と婚約した。
『俺たちが結ばれるのは無理だったんだ、なんかもう面倒になった。王家からの縁談は我が家にとって有益だから、貴族らしく政略結婚を受け入れることにした』
私の目を見ることもなくラスヴェートは言った。
私の涙を拭ってもくれなかった。
私を愛していると言ってくれたから、信じて待っていたのに、その愛はどこへ行ってしまったの?
私はもう二度と誰かを愛することは出来ない、誰も信じることは出来ないと、領地に引きこもった。
その後、ラスヴェートが出征したと風の便りに聞いた。アニアン公爵家は軍事を担う家柄なので、士気を高めるために嫡男が率先して戦場に立つべきだと考えてのことだろう。
幸いヴェルディ公爵領は戦地から遠く、戦火は及んでいなかった。私は領地経営を学び、一人で歩くことに慣れてきたところだった。そんな矢先、たまたま所用で領地から出てきて王都のタウンハウスに滞在している時、こんな手紙を受け取るなんて……。
「フィシス姉様、王都に来ておられたのですね」
ラスヴェートの墓石の前に佇んでいた私が、突然かけられた声に振り向くと、お供えの花束を手にしたリカルドが立っていた。まだ私のことを姉様と呼んでくれるのね。
リカルドはラスヴェートの弟、去年王立学園を卒業したばかりの十八歳だが、長男のラスヴェートが戦死したことで、アニアン公爵家を継ぐことになったと聞いている。四歳年下の彼は昔から姉様と呼んで懐いてくれていたが、私とラスヴェートの関係が破綻してからは会っていなかった。
「兄上を許して下さるのですか?」
リカルドは私が供えた花に気付いた。
「許す? なにに対して?」
「それは……」
「私を捨てたこと?」
「違う! ラス兄様はあなたを捨てたんじゃない! 嵌められてそうせざるを得なかったんです」
リカルドは口走ってしまったことを後悔したようにハッと顔を歪めたが、もう遅い。
「嵌められた? どういうことなの?」
私は視線を泳がせるリカルドに詰め寄った。
「なにを知っているの? 私には知る権利はあると思うのだけど」
リカルドはしばらく躊躇っていたが、やがて重い口を開いた。
「媚薬を…………アリッサ様に媚薬を盛られたんです」
「え……」
驚きのあまり言葉が続かなかった。
「アリッサ様は王太子殿下の名を使って兄上を王宮へ呼び出しました。そして彼女の手の者に媚薬を盛られて、正気を失ったまま関係を持たされてしまったのです」
「まさか、そんなことが」
衝撃の告白だった。
私は全く、欠片も知らなかった。
「アリッサ元王女に甘い陛下は、娘がしでかした醜聞を隠そうとしました。関係した者は皆口封じされたようです。元王女の命令に逆らえなかった哀れな犠牲者なのに容赦ない。証拠は消され、兄上とアリッサ様が関係を持った事実だけが残って、兄上は責任を迫られたのです」
「そんな……」
だからリカルドはアリッサ様のことをお義姉様とは言わないのか。
「そんな王家に反意はあったものの、戦争が始まったばかりの頃、国内で揉めている場合ではなく、我が公爵家としても一旦受け入れるしかなかったのです。あなたに真実を打ち明けなかったのは、消された関係者のようにあなたの身に危険が及ぶ恐れがあったからです。兄上と父上とヴェルディ公爵が相談して、あなたには真実を知らせずに第三王女と婚約しました」
だから父はなにも言わなかったのか……。アニアン公爵家の継嗣をリカルドに変更して、ラスヴェートがヴェルディ公爵家に婿入りする話は進んでいたはずだ。なのに突然、アリッサ王女と婚約だなんて裏切りにも近い仕打ちなのに、父がアニアン公爵家に抗議した様子がなかったのは、そういう事情だったからなのね。私の安全のために……、そして私を領地へ逃がした。
「兄は、陥れられたとしても、あなたを裏切ってしまったことに違いはないと苦しんでいました。だから、婚儀を挙げたものの、初夜も済まさずにその夜のうちに戦場へ行ったのです」
結婚式の翌朝にはラスヴェートは出征していたと聞いていた。そして一度も戻らずに戦死した。
「世間的には白い結婚でした。婚儀の前に兄が媚薬によって無理やり関係を持たされていたことは伏せてありましたからね。我が家の使用人たちも初夜はなかったと証言していました。だから兄上が出征してから三年後には離婚、または結婚の無効を訴えられるはずでした。しかし、アリッサ様は公爵家から出て行こうとはせず、兄の帰りを待ち続けていたのです」
「アリッサ様はラスヴェートに執着していたから……、学園時代からそうだったわ。ラスヴェートが何度断っても付き纏っていたわ」
本当にラスヴェートのことが好きだったのかも知れない。でもそれは最初から独りよがりの愛だった。彼女は、自分は王女なのだから誰からも愛されて当然だ、なんて言ってたわよね。でも一番愛してほしい人には愛されなかった。
「兄は戻らないつもりだったのかも知れません。危険な戦場を選んで先頭に立ったと聞いています。兄はあなたを愛していました、あなたと結ばれないくらいなら……」
彼は私を捨てたわけではなかった。やむを得ない事情があったのだ。しかし今更そんなことを知っても……。
彼は戻らない、二度と会うことは出来ない。あの手紙の返事を告げることも出来ないのだ。
私は膝の力が抜けて崩れ落ちた。
そして、彼の墓石に縋りついて泣いた。
彼に別れを告げられて泣いた十七歳の時以来の涙だった。
* * *
気が付くと王立学園に来ていた。
ラスヴェートと過ごした思い出がいっぱい詰まっている。あの頃は全てがキラキラしていて一番幸せな時だった。
それも二学年の終わり頃までだけど……。
彼は突然、アリッサ第三王女と婚約した。沈み込んだ私を見兼ねた父が私を領地へ戻したのだと思っていたが違ったようだ。
その後、学友からの便りによるラスヴェートの近況は、いつも怖い顔をしているとか第三王女とはうまく行っていないようだとか書かれていたが、きっと私の気持ちを気遣ってくれているのだと思っていた。
でも、事実だったのね。
ラスヴェートは陥れられた。
アリッサ元王女は身体さえ繋げてしまえば、心も繋がると思っていたのかしら? ラスヴェートは自分を悍ましい罠にかけた王女を愛することはなかったのよ。彼が考えたのはあなたから逃げること、そしてとうとう元王女にも手が届かないところへ旅立ってしまった。
彼はどんな思いで私に別れを告げたのだろう。あの時の私は溢れる涙で彼の顔がハッキリ見えなかったけど、どんな表情をしていたのだろうか? 私は彼の嘘を見破れなかった。愛していたのに……彼の心を信じ切れていなかったのね。
でも……彼を信じたとしても、あの時の私になにが出来ただろう?
あてもなく校内を歩いているつもりだったが、気が付くと古い時計台へ来ていた。そこもラスヴェートとの思い出の場所。
この時計台には言い伝えがあった。〝時を戻す時計〟強い思いで飛び降りると時間を巻き戻せると言うものだ。
ラスヴェートともそんな話をしたことがある。
『もし、時間を巻き戻せるなら、いつに戻ってやり直したい?』
『やり直す必要なんかないわ、あなたとの楽しい思い出がいっぱいあるし、これからもあなたと共に歩む幸せな未来があるんだもの』
そんな会話を思い出した。
あの時はこんな悲しい未来を想像していなかった。こんな今だから思うのだろう、あの頃に戻りたい、と……。
古びた階段を上り、塔の天辺、時計の裏側まで来てみた。建物で言うと五階くらいの高さになるだろうか、ここから飛び降りたら間違いなく死ぬわね。
私は下を覗き込んだ。……それもいいかも。
するとその横、時計の枠に立っている人物がいることに気付いてギョッとした。
「な……なにをしているの」
私より若い女性だった、まだ十代後半だろう。服装からすると学園の生徒ではなく平民だ。なぜ、こんなところに?
愚問だった、彼女が飛び降りようとしているのは一目瞭然、恐らくあの言い伝えを信じての行動だろう。
「迷信を本気で信じているの?」
私は刺激しないように声を押さえて言った。
「もうそれに縋るしかないのよ」
「ここから飛び降りたら死ぬだけよ」
「そうかもね、でもそれでもいいわ、彼のいない世界で生きていてもしょうがないもの。言い伝え通り過去に戻れたら彼に会える、もし戻れなくて死んでも、あの世で彼に会えるわ」
「あなたも愛する人を亡くしたのね」
「あなたも?」
彼女はこちらに目を向けた。
「私はフィシス、ここの卒業生よ、あなたは?」
「私はメリル、パン屋の娘だったけど店はもうないわ。町で評判の店だったけど、戦争のせいで原料が高騰して続けられなくなったのよ。だから生活の為に父と、店の手伝いをしていた恋人のキースは志願兵として戦場へ行った。そして二人とも戦死してしまった。ショックを受けた母も病で死んだ。私は独りぼっちになってしまったのよ。母が男爵令嬢時代ここへ通っていたから、時計台の伝説は聞いていたの」
「そんなの所詮は伝説よ。私だって戦争で大切な人を亡くしたわ、でも、やり直すことなど出来ないのよ、時間を巻き戻すなんてこと出来る訳ないでしょ。冷静になりなさい、あなたの恋人はあなたの死を望んでいるかしら? それに自殺は大罪よ、死んでも恋人と同じところへは行けない、会えないわよ」
「う……ううっ」
メリルの目から大粒の涙が溢れだした。
「過去に戻って戦争が起きないようにすれば、キースも家族も死ななくて済むと思ったのに」
「平民のあなた一人の力で戦争を阻止できるはずないでしょ」
「……そ、そうだけど」
「さあ、危ないから、こちらへ戻って」
私はメリルに手を差し伸べた。
メリルは渋々戻ろうとしたが、その時、バランスを崩して彼女の体が傾いた。
「あっ!」
メリルは咄嗟に、伸ばしていた私の手を引っ張った。
私も彼女を引き戻そうとしたが、彼女の体重を支えるには非力過ぎた。
反動で態勢が入れ替わる。
メリルの体が中に戻され、私は外に放り出された。
もちろん彼女が狙ってやったことではない。
ああ、これは事故、自殺じゃないから、きっとラスヴェートのところへ行ける。
* * *
「え……」
私は芝生の上に座り込んでいた。
「生きてる?」
時計台を見上げた。
確かにあそこから落ちたはず、助かる高さではない。しかし、体に痛みはなく怪我もしていない。
そして……王立学園の制服を着用していた。
「え……」
一瞬、思考が追い付かなかったが、程なく思い当たった。
「過去に戻ったの?」
触れた頬はピチピチの艶々、ハイティーンの肌だ。私は学生時代に戻ったの? リボンタイの色からすると二年生、肌を刺す寒風、季節は冬らしい。
時計台の言い伝えは真実だったってこと?
じゃあ……。
その時、ラスヴェートがこちらに向かって駆けてくる姿が見えた。
「フィシス!」
茫然と座り込んでいる私の前に来て膝を折った。
「こんなところにいたのか」
「ラス……」
目頭が熱くなった。
ああ、ラスヴェートだ、生きている、エメラルドグリーンの瞳が私を映している。
私は感極まって思わず彼に抱き着いた。
「フィシス?」
涙が止まらない、私は彼の胸の中で嗚咽を漏らし続けた。
彼は戸惑っていたようだが、しっかり私を受け止めてくれた。
「もしかして、第三王女殿下になにかされたのか?」
私はしゃくり上げるだけで答えられなかった。違うの、生きているあなたに会えたことが嬉しいのよ、と心の中で叫んだが、説明は出来ない。
未来から時を遡って来たなんて誰が信じる? 私自身もまだ半信半疑なのだから、もしかしたら死に際に見る走馬灯というモノなのかも……。
いいえ、違うわ、彼の腕の逞しさは本物だし、心臓の鼓動も本物だ。
どのくらいそうしていただろう。
私が落ち着くまで、ラスヴェートはずっと抱きしめていてくれた。
帰りの馬車の中でもラスヴェートは私の肩を抱き寄せていた。こんなに甘い雰囲気になった記憶は私の中になかった。一緒にいることは多かったが、正式な婚約者ではないから節度は保っていた。急接近に私は戸惑っていた、と言っても私が最初に抱きついたのだけど。
「お前がこんなに取り乱すほど酷いことを言われたか、されたのなら、家を通じて王家に抗議してもらおうか、ヴェルディ公爵家とアニアン公爵家連名での訴えなら、国王陛下も無下には出来ないだろ」
「その必要はないわ、第三王女殿下は関係ないの」
「じゃあ、なぜ?」
「…………」
「言いたくないなら無理には聞かないよ、お前だってたまには泣きたいこともあるだろうし、それに俺としてはちょっと得した気分だし」
ラスヴェートはわざと耳元で囁いた。
「ずっとお前に触れたかったんだ」
カッと頬が熱くなる。こんな甘い言葉を囁いてくれる人だったかしら? 私が火を点けてしまったの? 前の時間軸ではラスヴェートとこんなふうに触れ合ったことはなかった。過去に戻ったからと同じことの繰り返しではないのだ。行動が違えば結果も違ってくる。
「第三王女殿下に、来週王宮で開催される隣国ヘーリオスの王弟殿下の歓迎パーティーでのエスコートを頼まれたんだ。もちろん丁重にお断りしたよ、お前以外の手を取るつもりはないからな。だから八つ当たりされたのかと焦ったよ」
ヘーリオス王国王弟殿下の歓迎パーティーって、確か例の事件の起きた夜会のことだわ。じゃあ、今はラスヴェートと私の婚約に向けて両家が調整している頃だ。
確かこの頃が一番、アリッサ王女に絡まれていた。
ラスヴェートに狙いを定めていた彼女にとって、婚約間近の私は邪魔者でしかない。しかし私は圧力をかけられても簡単に屈するような気の弱い少女ではなかった。四大公爵家の一つ、ヴェルディ公爵令嬢だ。これが伯爵家以下なら、簡単に潰されていただろう。
ラスヴェートを振り向かせることが出来ずに、アリッサ王女は悍ましい手段で陥れる。それは戦争が始まった頃だったし、もう少し先か……。なんとしても王女の魔の手からラスヴェートを護らなければならないわ。
「俺はいい機会だと思っているんだ。今度のパーティーは国内の主要貴族のほとんどが参加するから、正式な婚約はまだだけど俺たちの関係を示すのには最適な場だと思っているんだ」
まだ戦争は起きていない。
その夜会で、ブルース王弟殿下が暗殺されて、それが戦争勃発の引き金になるのだ。
と、言うことは、暗殺事件が起きなければ戦争は回避できる?
時計台から落ちたのは私なのに、回帰したタイミングはメリルが望んだ戦争前、直前と言っていいだろう。もし暗殺事件が起きなければ戦争も起きないかも知れない。
「あ、ゴメン、調子に乗り過ぎたか?」
ラスヴェートは黙り込んでいた私の顔色を窺って、抱き寄せていた手を肩から離した。そうじゃないのよ、もっとくっ付いていたいわ。姿は十七歳だけと中身は二十二歳、そんなに初心じゃないのよ。……ということを悟られてはいけない、ラスヴェートは意外と勘がいいから。
それなら気付かれる前に打ち明ける?
これから起きることを話せば、アリッサ王女に対して警戒心を持つだろうから、嵌められることもなく未来を変えられるかも知れない。
でも、信じてもらえるだろうか? 時計台から飛び降りて、未来から過去に戻って来たなんて言ったら、頭が変になったと思われるかも……。
考えすぎて一段と険しい顔になったのだろう。ラスヴェートが心配そうに覗き込む。だから一旦保留にすることにした。考える時間はまだある。
その前にするべきことがある。
* * *
五日後に開催される王家主催のパーティーで、平和交渉に訪れていた隣国ヘーリオス王国の王弟ブルース殿下が毒殺される。もしその平和交渉が恙なく成立していれば戦争は起きなかっただろう。
大勢の人が犠牲になった戦争、防げるものなら防ぎたい。
でも、十七歳の私になにが出来る?
ブルース王弟殿下の暗殺をどうやって阻止すればいいの?
王弟殿下はパーティー会場で倒れた。毒殺だったが、遅効性の毒もあるし、いつどこで盛られたかわからない。私には食い止める方法がわからない。
一晩中考えても名案は浮かばなかった。
そして決めた。
「毒殺の根拠は?」
「……悪夢を見たのです、王弟殿下が吐血して倒れる」
私は父であるヴェルディ公爵に告げた。
時計台から落ちて時間が巻き戻ったので未来を知っているのです。なんて信じてもらえそうにないから、悪夢を見たことにした。こんな拙い方法しか浮かばなかったのだ。
「予知夢とは言えません、きっと不安が悪夢を見せたのだと思います。今回の和平交渉、過去の確執から反対している人たちも多いでしょう、ヘーリオス王国と国境を接していてずっと小競り合いをしていたボウマン公爵などは特に」
ヴェルディ公爵である父は財務大臣の要職に就く政権の中央に身を置く重鎮だ。
隣国ヘーリオス王国との国境に隣接する領地を持つ四大公爵家の一つであるボウマン公爵は、それまでヘーリオス王国からの侵略を防いできたのはボウマン公爵領の騎士団だと自負しており、過剰な軍資金を要求されて、財務を担当する父はいつも頭を抱えていた。
ボウマン公爵領は今までの紛争で多くの領民や騎士たちの犠牲を出している。それを今更なかったことにするなんて、ボウマン公爵が和平交渉をすんなり受け入れているとは思えない。第一容疑者でもある。
しかし未来では、戦争に突入した混乱の中で犯人を突き止めることが出来ず、有耶無耶になっていた。ブルース王弟殿下を暗殺した首謀者は野放しのままだった。
「しかしなぁ、娘が悪夢を見たからと陛下に進言するわけにはいかないぞ」
父は眉間に深い皺を寄せながら腕組みをして、しばらく思案していた。
「わかった、お前の夢はともかく、万が一にもそんなことがあってはならない。近衛騎士団を統括する警備責任者のアニアン公爵に話をしてみよう」
「私の夢のことは」
「わかっている、娘の悪夢を真に受ける愚かな父と思われたくはないからな」
* * *
バリーン!!
私の鼻先を掠めるようにして落ちてきた植木鉢が足元で砕けた。
危うく脳天に直撃するところだった。割れた植木鉢の破片が足に当たって少し怪我をした程度で済んだのだが……。
当時の私はまだ人の悪意の恐ろしさを本当の意味で知らなかった。ただ不運が続くなぁと言うくらいにしか思っていなかった。まさか命に係わる大怪我をするような仕打ちをされているなんて思ってもいなかった。
今ならわかる、アリッサ王女は邪魔な私を抹消しようとしていたのだ。私が無事だったのは運がよかったとしか言いようがない。もしかしたら、お父様が密かに護衛を付けてくれているのかも知れない。
記憶によるとこの後、王女に呼びだされるのだ。
「大人しく身を引きなさい、私がラスヴェートにエスコートして貰うのよ。私は知っているのよ、あなたは彼の弱みを握っていて従わせているのでしょ。それがなにか知らないけど、いい加減にラスヴェートを解放してあげて」
やはり同じだった。
どこからそんな発想が出て来るのか、当時の私には理解できなくて、返す言葉もなく茫然としていた。でも回帰したことで腑に落ちた、王女自身がそうして他人を支配していたからなのね。
「私の方が美しいし、王女と言う地位もある、私が選ばれないなんて変よ!」
確かに彼女は国王陛下に寵愛されている側妃様そっくりで、プラチナブロンドにサファイアブルーの瞳、小柄だけどボンキュッボンのナイスバディ、外見だけは完璧な美少女だ。
「私は誰からも愛される王女よ、誰よりも幸せになる権利があるのよ、ラスヴェートと結ばれて幸せになるのは私なのよ!」
なんて傲慢な人なのかしらと、今も、回帰前も呆れた。そして可哀そうな人だと思った。
でもいくら王女でも、望みは叶わないと思っていた。
アニアン公爵家は軍部を統べる家系だ、王家と雖も簡単に従わせることが出来ない権力を持っている。いくら王女が降嫁したいと言っても、公爵が首を縦に振らなければ無理やり押し付けることなどできない。
それに、人の気持ちを理解しようとしない、自分さえよければいい、世界は自分中心に回っていると信じている傲慢な人をラスヴェートが愛するはずない。第三王女がラスヴェートに選ばれることは絶対ない、と思っていた。
だから、王女と婚約したと知った時は雷に打たれたようなショックを受けたのよ。……理由を知らなかったから。
全てを知る今、感じているのは激しい怒りと嫌悪感。
「私の方があなたよりずっとラスヴェートを愛しているわ!」
それは違う、あなたのは支配欲、人を愛する心など持っていないわ。
私はあなたがこれからすることを知っている、必ず阻止してみせるわ。
* * *
私は数々の事故を回避して、無事にパーティーの夜を迎えた。
そしてラスヴェートから贈られたドレスと宝飾品を身に着けて、彼のエスコートで会場入りした。
私たちの衣装は同じデザインに同じ色目、そしてラスヴェートの瞳の色であるエメラルドのネックレスが私の首元を飾っている。誰の目から見ても私たちの関係は明らかだ。
それでもまだアリッサ第三王女は諦めない。
「一曲くらいお相手してくれてもイイじゃない、フィシスもそこまで心が狭くないわよね」
王女はラスヴェートにダンスを強請っていた。
「俺が嫌なのですよ、今夜はフィシスの傍を離れたくない。殿下は今日の会場の雰囲気にお気付きじゃないのですか? 隣国ヘーリオスの王弟殿下をお迎えしているとはいえ、警戒が尋常じゃない」
「えっ?」
アリッサ王女の表情がなぜか硬くなった。
「警備を厳重にしなければならない事情があるのではないですか? 我が国で王弟殿下になにかあれば、戦争になり兼ねないですから」
「戦争だなんて大袈裟な」
いやいや、隣国との関係は一触即発じゃない、未来ではこの交渉が決裂したことで戦争は起きたんだから。
王女は情勢に無関心すぎるわ。
「なにか事件が起きる恐れがあるとしたら、俺はフィシスを護らなきゃならないし」
ラスヴェートは察しがいい、見た目には変わらない警備体制を敏感に感じ取ったのだ。そんな彼が、未来でアリッサ王女に嵌められるなんて、彼女はどんな手を使ったのだろう。
パーティーは表面上、恙なく終了した。
ヘーリオス王国王弟殿下の暗殺は未遂に終わった。
後に聞いたのだが、近衛騎士団の捜査部が暗殺者を捕縛したらしい。
これで危機は回避できたはずだ。このままヘーリオス王国との関係が改善に向かえば戦争は起きない。
メリル、あなたの目的は私が代わりに果たしてあげたわよ。恋人も家族も失わずに済むわね。
* * *
しかし、もう一つの問題が残っている。
翌日、王立学園に向かう足が重かった。
きっとまたアリッサ王女に嫌味を言われる。ラスヴェートにダンスを断られて、扇をへし折りそうになってたもの。
「学園内では表立って護衛を付けられないから十分に注意するんだぞ」
ラスヴェートは心配そうに私に寄り添う。昨日のパーティーでの衣装を見た周囲の人たちは、私たちがもう婚約したものと思っているからなにも言わないが、この距離はちょっと恥ずかしい。
これってアリッサ王女が見たら逆上するんじゃないかしら、煽っているとしか思えない程、ラスヴェートは過保護になっていた。
「今日、第三王女殿下はお休みのようだし、大丈夫よ」
「いや、油断は禁物だ、彼女は自分で手を下さなくても代わりに動く下僕を持っているからな」
私は背筋がゾクッとした。
王女という権力を翳せば、私やラスヴェートのような高位貴族はともかく、下位の者は逆らえば家ごと潰される危険もある。そうやって脅して弱者を意のままに使うのだろう。
ラスヴェートが罠に嵌められたのも、そんな協力者がいたからだろう。本当に用心しなければいけないのはラスヴェートの方なのだ。
* * *
「今度はなんだ?」
その夜、父が帰宅したと聞いてすぐに父の執務室へ行った。
私の姿を見ると、嫌な予感に父は眉を顰めた。ちょっと失礼じゃない、戦争を回避できたのは私のお陰でしょ。
「暗部の者を何人か貸していただきたいのです」
王家に〝影〟が存在するように、公爵家にも裏の仕事を請け負う暗部の者が存在する。
「なんに使うのだ?」
「ラスヴェートを密かに護衛してほしいのです」
こんな方法しか浮かばなかった。
嵌められた話をリカルドから聞いたものの、それが具体的にいつ起きたのかは聞いていない。昨夜の暗殺とは違って日時がハッキリわからないのだ。戦争が回避できたことで状況は変わっているから、余計にアリッサ王女がいつ行動を起こすのか予測できない。
「ラスヴェートは護衛を付けなければならないようなか弱い男ではないぞ」
「わかっています、でも怖いのです。相手は王族ですから……第三王女殿下がラスヴェートに執着しているのはお父様もご存じでしょ」
「そう言うことか」
「王女殿下のことです、どんな方法でラスヴェートを手に入れようとするかわかりませんし」
「それならお前の身を護るべきだが、どちらにせよ、もう心配しなくていいぞ」
「えっ?」
「お前には教えてもいいだろう、王弟暗殺を阻止できた功労者だからな」
「私は悪夢の話をしただけです」
「そのお陰で近衛騎士団の捜査部が密かに動いて、実行犯を捕縛したことは話しただろう。それが王家の影に所属する者で第三王女の担当者だったことが判明した。王女に懐柔され本来の任務を放棄して、王女の個人的な僕となっていたのだ。アリッサ第三王女はブルース王弟殿下暗殺未遂の首謀者として拘束された」
「なぜ王女殿下がそんなことを!? まさか、戦争を望んでいたのですか!?」
私は思わず驚きの声をあげた。
父は大きなため息を吐いてから、
「そこまで深く考えていなかったのだろうな。ただ、倍ほどの年のブルース王弟殿下の後妻になるのが嫌だったらしい。まだ公にはなっていないが、和平の証として、第三王女がヘーリオス王国に嫁ぐ話が浮上していたのだ」
ブルース王弟殿下は三十代半ば、二、三年前に病で奥方を亡くされて今は独身だけど、
「年が離れた王弟殿下と第三王女殿下との縁談があったなんて知りませんでした。王女を可愛がっておられる国王陛下がその話を進められていたのですか?」
「可愛がっておられたが、甘やかすつもりはなかった。王族として生まれた以上、政略で他国へ嫁ぐのは王女としての義務だと陛下に言われて、王女はショックを受けたようだ」
「結婚するのが嫌だから殺してしまおうなんて、そんな発想だったのですか」
「ああ、恐ろしいな、相手がいなくなれば嫁がなくて済む、そんな安易な考えだったのだ。もし成功していたらどんな結果になるかなんて考えてもいなかった」
戦争になって多くの血が流れた回帰前をアリッサ王女は見ている。それが自分のせいだと心を痛めていただろうか? 自分の身勝手な行動が引き起こした戦争で、何千何万の尊い命が失われたことをどう思っていたのだろう。そしてラスヴェートが戦死したのも自分のせいだと後悔しただろうか?
「幸い未然に防ぐことが出来たが、今回ばかりは陛下もお許しにはならないだろう」
「じゃあ、王女は」
「自国の王女が暗殺を企てたなんて知れたら平和条約は破綻するから、事件を公にすることは出来ない。幸いヘーリオス王国側には気付かれていないし、ブルース王弟殿下の暗殺未遂事件はなかったことになっている。関係した者は既に処分されているし、第三王女は表向き病気療養と言うことで幽閉された。生きて出ることはないだろう」
アリッサ王女はもうラスヴェートを陥れることは出来ない。
戦争が起きないようにしたことが、同時に、ラスヴェートを魔の手から救うことにもなったのだ。
なんか、万事うまく運び過ぎて怖い……。
* * *
「人の寿命ってわからないものだな。ついこの間まであんなに元気だった第三王女殿下が急病であっけなく亡くなるなんて」
あのパーティーから十日後、第三王女の訃報が発表された。
ラスヴェートはなにも知らされていないようだが、私は父から王女が毒杯を賜ったことを聞いていた。
可愛がっていた娘でも、今回の事件は事が大きすぎた。切り捨てるしかないと国王陛下も非情な判断を下されたのだ。
そして、第四王女のメアリーアン殿下がブルース王弟殿下に嫁ぐことが発表された。彼女はまだ十五歳になったばかりだが、父の話によると、『国の為に王女としての義務を果たします』と仰った姿は凛として素晴らしかったそうだ。婚礼は一年後の予定だ。
夜会以来、ラスヴェートは学園の送り迎えをしてくれている。回帰前には考えられない程、ラスヴェートは甘々で、毎日愛していると囁いてくれる。なんかキャラが違ってしまったと思っていたら、
「なんかお前が急に大人っぽくなったから、これでも理性を保つのに苦労してるんだぞ」
言い訳をするが、そうよね、中身は二十二歳のお姉様だもの、十七の少年には滲み出るお色気が堪らないのかしら?
「今日は帰りに寄りたいところがあるの、付き合ってくれない?」
邸まで送り届けてくれる馬車の中で言った。
「いいけど、どこへ?」
王都で平民が営む評判のパン屋は何十軒もある。メリルの両親の店を特定するのに少々手間取ってしまったが、ようやく見つけることが出来た。
「ここだわ」
小さな店の前で看板を見上げると、ラスヴェートは不思議そうに小首を傾げた。
「ヴェルディ公爵家の料理人はパンを焼くのが苦手なのか?」
「そんな訳ないでしょ、我が家のシェフは一流よ。ただ、たまには下町の素朴な味を試してみたくなったのよ」
五年の時を遡ったのだ、メリルはまだ十二、三歳だろう、店に来たところで会えるとは限らないが、私は思い切ってその小さな店に入った。
「いらっしゃいませ!」
と言ってから、店番をしていた少女は私たちを見て固まった。そりゃそうだろう、見るからに高位貴族の私たちが来るような店ではない。
「お店のお手伝いをしているの? 偉いわね」
私はにこやかに話しかけた。
「一人娘ですから家の手伝いをするのは当然です、将来は私が継ぐんですよ」
メリルだわ、間違いない。
あなたのお陰でラスヴェートにもう一度会うことが出来たわ。そして未来を変えることが出来た。ありがとう、と言ってもなんのことかわからないだろうけど……。私は目頭が熱くなるのを必死で堪えた。
「焼きあがったよ」
焼きたてのパンを載せたトレーを持った少年が奥から出てきた。彼がキースなのだろう。
キースも場違いな私たちを見て、一瞬、固まったが、
「とうとうこの店の評判がお貴族様にまで届いたんだ!」
喜びの声をあげた。
「そうよ、そちらの焼きたてを全部頂こうかしら」
「ありがとうございます!」
二人は揃って満面の笑みを浮かべた。まだ幼いけれど、もう想いを伝え合っている仲なのかしら?
「またお伺いするわ」
私はパンをいっぱい詰めた袋をラスヴェートに持たせて店を後にした。
「こんなに買ってどうするんだよ」
「使用人たちの夜食にするから大丈夫よ」
あの二人はきっとこの店を継いで守っていくのね。
私はそんなあなたたちの笑顔を守れたのね。
歴史を変えることが出来た。
長年敵対していたバイエルン王国とヘーリオス王国の平和条約が締結されて、大役を果たした王弟殿下は無事に帰国したから戦争は起きない。
キースは戦死しないし、あの店も無くならない。メリルに悲しい未来は訪れない、きっと幸せになれるわ。
そして、ラスヴェートからあんな手紙が届くこともない。
文字じゃなくて、直接〝愛している〟と言ってもらえるのだもの。
おしまい
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