【アップ✨】2026年4月5日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります☕️
初めまして、天川裕司です。 ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。 また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。 どうぞよろしくお願い致します。 少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。 サクッと読める幻想小説です(^^♪ お暇な時にでもぜひどうぞ♬ 【アメーバブログ】 https://blog.ameba.jp/ucs/top.do 【男山教会ホームページ】 https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/ 【YouTube】(ユメノ記) https://www.youtube.com/@%E6%98%9F%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B1%E3%83%A9-v5x/videos 【ノート】 https://note.com/unique_panda3782 【YouTubeドラマにつきまして】 無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、 お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。 基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。 創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪ 出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬ でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、 どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日のメッセージ】
※本日は機材の諸事情により動画を録画できず、聖書のほぼ同箇所のメッセージをアップして居ります。
【60分でわかる新約聖書】ハーベストタイム
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=lfjLAqyAjsE&t=851s&pp=ygU_44CO44Oa44OG44Ot44Gu56ys5LiA44Gu5omL57SZ44CP77yI56ys5LiA56ug5LiJ44Cc5LiA5LqM56-A77yJ
【詩篇Ⅴ 第5巻(107〜150篇)無宗教者による意訳・旧約聖書朗読/希望の祈り】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=2_dZOlAToiM&pp=ygUt44CO6Kmp56-H44CP77yI56ys5LqU5LiA56ug5LiJ44Cc5LiA5Zub56-A77yJ
聖書
『ペテロの第一の手紙』(第一章三〜一二節)
『詩篇』(第五一章三〜一四節)(口語訳聖書では一節から)
讃美歌〜♫
讃美歌148番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=WEt024VQc6Q
讃美歌154番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=RP6b9jM078s
※4月5日礼拝説教動画はありません。
2026年4月5日 礼拝説教 聖書箇所
神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの 復活によって、生き生きとした希望を与え、
ペトロの手紙一1章3節
御前からわたしを退けず あなたの聖なる霊を取り上げないでください。御救いの喜びを再びわ たしに味わわせ 自由の霊によって支えてください。
詩編51編12,13 節
はじめに
「イースター」礼拝の朝、聖霊の恵みにより、主の復活と命によって礼拝をささげる。
1
「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように」。「神」が 「神」であることを信じることは、「人間」が「人間」であることを信じることと一つ。永遠の御 子が、まことの人間になられた。しかしながら、まことの人間になられたイエスが、まことの神で あることを、復活の主を見えることによって「後で、分かる」(ヨハネ13章7節)事となった。そ れは、ただの事実認識にとどまらず、信じる者の内に、尽きることのない永遠の喜びをもたらす。 ペトロ自身、受難の日には、三度となく主を否みながら、復活の朝、空の墓を見、弟子たちの内に 現れた、復活された主イエスの体を見て「主を喜ぶ」者に変えられた(ヨハネ20章。ルカ24章)。 まことの神礼拝は、ただ、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神(神また父)」を賛美 する。「キリストが人である故、神はキリストの神であり、キリストが神である故、神はキリスト の父」(ジョン・ギル)。「ほめたたえる」とは、人間の側から神を祝福するということではな く、御子の贖いによって、神に近づく者に変えられた者たちによる、「神」を「神」として、栄光 を帰するに相応しい方として「信仰によって」告白すること(ヘブライ11章6節)。
2
「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ」てくださる。わたしたちは、だ れ一人として礼拝的儀式によって救われる人はいない。かつての割礼も、洗礼も、それ自体に、罪 人を救う力はない。主イエスは、「このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受ける ことができるか」(マルコ10章38節)と、イエスが受ける「栄光」を誤解していた弟子たちに問い かけられた。主イエスはご自身の「死」(受難)を、「洗礼」と言われた。使徒パウロも、「洗 礼」を主の「死」(受難)と一つのものと言う。「キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受け た(身を沈めて洗われた)わたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けた」ことを 「知らないのですか」と問いかける。そして「わたしたちは洗礼によってキリスト共に葬られ、そ の死にあずかる者となりました」「それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させ られたように、わたしたちも新しい命(清新なる生命:塚本試訳)に生きるため」(ローマ6章3,4 節)と言う。じつに、わたしたちは「キリストにおいて、手によらない割礼、つまり肉の体を脱ぎ 捨てるキリストの割礼を受け、洗礼によって、キリスト共に葬られ」「キリストを死者の中から復 活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられた」(コロサイ2章11,12節)。そのすべて は、ただ、「神の豊かな憐れみ」による。ペトロ自身、「しかし、わたしはあなたのために、信仰 が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」 (ルカ23章32節)と、受難の日に、主イエスからあらかじめ深い同情による励ましを受けていた。 3
「死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え」る者とされ た。イエスの復活は、ラザロの復活のように死ぬ前の肉体の形のままで墓から出てきたのではな い。そうではなく、新しい体をとって(しかし十字架の傷跡を遺しながら)復活された。「しか し、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたま までおられるなどということは、ありえなかったからです」(使徒2章24節)と、聖霊降臨の日、 ペトロは、エルサレムの人々に、イエスの復活が、「全能の神」の業であることを伝えた。わたし たちを新しい命に生んでくださった神は、尽きることない生命に溢れた希望で満たしてくださる。 わたしたちが求めるべき、栄光は、キリストの復活における「新生」と「永遠の生命」にある。
おわりに
主が、墓から起き上がられた日は、「あなたの救いの喜びをわたしに取り戻してくださ い」との祈りを、聖霊の恵みによってささげ始める日。今日、信仰によって祈りを新たにしたい。
(Mynote)
二〇二六年四月五日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「第二の戒めでは、何が命じられて居ますか。」
「神様ご自身の御言葉が規定して居る通りに、神様を礼拝する事です。」
十戒の第二の戒めには「あなたは自分の為に刻んだ像を造ってはならない」と在り、「刻んだ像」とは偶像の事である。イエス様はゴルゴダの丘で、全ての人(罪人)の為に十字架に付けられ、その罪から救われる契機・確約を与えて下さった。全ての人はこのイエス様の存在を通し、イエス様に会い、その恵みに与る上で、信仰に依り自分の罪を悔い改め、その罪から神様の側へ立ち返らねば成らない。
(公同礼拝)
『ペテロの第一の手紙』(第一章三〜一二節)
『詩篇』(第五一章三〜一四節)(口語訳聖書では一節から)
(※機材の不調により、途中までしか録画できておりません。ご了承下さい)
本日はイースター礼拝である。イースターとは、イエス様が十字架に付けられ葬られてから三日目に甦られた事を祈念する日であり、復活祭とも呼ばれる。
「私が聖なる者であるから、あなた方も聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。(『ペテロの第一の手紙』第一章一六節)
イエス様は弟子達を通し、全ての人にこう教えた。
信仰生活とは、決して楽な途ではない。よく一般社会に於いても「世間に揉まれて、その厳しさから洗礼を受けた」と言われる事がある。よもやこの聖書で言う洗礼も、このニュアンスに近い。所謂る厳しさにより洗礼を受ける…と言う事になり、決して楽な途を歩む事を言わない。
「あなた方は、終わりの時に啓示されるべき救いに与る為に、信仰に依り御力に守られて居るのである。その事を思って、今暫くの間は、様々な試練で悩まねばならないかも知れないが、あなた方は大いに喜んで居る。」(『ペテロの第一の手紙』第一章五〜六節)
この「試練」が「世間で揉まれる事の厳しさ」…即ち、生活に於ける凡ゆる悩みや苦しみとなろうか。しかし信仰に依りしっかりイエス様に繋がって居れば、その試練は喜びに変わり、その契機は「終わりの時に啓示されるべき救いに与る」事に在ろう。
人は自分の罪の内から、今日まで様々な神々を作り出した。その為このキリストの真実が「唯一の神である」と言う事に疑問を持ち、また目に見えない・手に触れられない事からその疑問は度合いと奥行きを増し、更にキリストの真実・信仰から離れる生活に就く。この点に大きな問題がある。詰り「どうしてキリストの神をその混沌とした多くの神々の内から、唯一誠の神なのか?」と言う事への疑問を解決出来ないのである。そこで人(罪人)は自分が目に見えて・手に触れる程に・感じられる程の救いを持つ神々を作り上げ、そこに自分が欲しい救いを手早く置き、それが常習化すれば、やがてはその事が正義であると肯定する迄になり、その事を過ちとは捉えない様になる。いつの時代でも、多くの現代人の姿がこれに在る。
苦しい時の神頼みの精神で、その時々に於いて「居て欲しい神」が変わる。また「神」という言葉を遣い過ぎて、本当に神様を畏れる心が(無くなる程に)乏しくなり、人に対して「神」と崇めたり、物に対して「神」と崇めたり、出来事に対して「神」と崇めたりする。人は見えないもの、知覚できないものに、ほとほと弱い。究極においてそれを「在る」と肯定できず、窮地に於いて縋るものは見えるもの・知覚できるものになり易い。例えば金銭や、生活での出来事など。ここにこそ、信仰の力が大いに必要となる。
聖書に於いて、信仰に於いて、先ず神様とイエス様を信じるか否かに尽きるのである。信じる事により、それは知る事に変わり、信仰への途が開け、イエス様を通した救いに与り、神様の御計画に於いて終わりの時に、心から…その自分の存在全てを懸けた大いなる喜びに生かされる。この事を信じるのである。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Caffe〜
榎本保郎牧師 ミニ説教18 「人と異なることをもあえて」
https://www.youtube.com/watch?v=ryDjUYzHBTU
「ここに、私がおります。私を遣わしてください!」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=EiF67kwlqPE
中川牧師とめぐる旅:【パンと魚の奇跡教会】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Zdse8AUIZiY
ユメノ記
https://www.youtube.com/@%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%A6%E3%83%A1-v5x/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。 サクッと読める幻想小説です(^^♪ お暇な時にでもぜひどうぞ♬




