もしや、結婚詐欺ですの!?
「手紙が来ない……?」
アイズ伯爵家の令嬢であるキッティは、羽ペンを走らせていた手をピタ、と手を止めた。
侍女のペルシに目を向けると、彼女は淡々と言葉を発する。
「左様にございます。お嬢様のお出しになられたいつもの手紙の返事もなければ、お引越しの日程を決める為の予定確認にも梨の礫。御当主様が少々お怒りにございます」
キッティは、羽ペンをペン立てに刺して、ペルシに向き直る。
そして顔の脇、バンスクリップで纏め上げたところからこぼれ落ちていた黒髪を耳に掛けながら、首を傾げた。
「持参金は、確か既にお渡ししているのよね?」
「はい。それでミケノ男爵領に、お嬢様と男爵令息のお住まいになる新居を建てる予定でしたね」
淡々と答えるペルシは、青みがかった灰色の髪をひっ詰めにしており、一部の隙もない服装と直立不動の姿勢で、ごく普段通りの様子である。
元々無表情で感情の変化が分かりづらいが、ペルシにも微かに怒りの気配が見える。
二つ年上の彼女の言葉に、キッティは唇を尖らせた。
「ふぅん……?」
キッティの婚約者……ミケノ男爵令息であるティル様は、元々は文通相手だった方である。
ここ10年ほど、知識階級の間で流行っている『匿名交換文通』というものがあり、交換所に手紙を預けると、ランダムに交換所登録者に送る、そういう遊びだ。
ティル様とは、そこで知り合った。
キッティは元々文章を書くのが好きである。
だから昔は、割とまめに『初めまして』の手紙を書いては交換所に預けていた。
正直に言うと、ただの趣味である。
別に返事がなくても良かったけれど、それなりに返事はちゃんと来る。
筆まめしかやらないような遊びなので、当然かもしれない。
そんな風に遊んでいたある日、とても美しい字を書き、内容も博識なのに奥ゆかしく、キッティの好きな本の内容を深く考察していた彼の手紙が送られてきたのだ。
勿論、最初は名前どころか性別すら知らなかった。
けれど、他の誰よりも素晴らしいその筆致と表現の豊かさに心を打たれ、何より自分と同じ物語を深く愛していて、その上、キッティにはない目線を提供してくれたのだ。
一目で手紙を気に入り、数度のやり取りを経るうちに、少しずつティル様のことを知った。
物足りなく感じ始めた他との文通をやめて、それ一本に絞り、様々な物語や書物のことを記してやり取りを続けていたのだ。
そこで知ったのは、まだ『彼』とすら分からないティル様が、あまり裕福ではなくそれ程多くの本を持っていないこと。
それでも、貸し本制度を利用してどうにか、安価でそこそこ広く読まれているものだけは読んでいることだった。
ーーーこの方が、もしわたくしの気に入っている他の本を読んだら、どんな感想を抱くのか、凄く知りたいわ!
そう思ったキッティは、試しに本を一冊、手紙と一緒に送った。
すると彼は読んでくれて、丁寧な感謝と共に、やはり素晴らしい感想を返してくれたのである。
律儀に本も返してきた為、『差し上げる』と今度は別の本と一緒に送り返したのだが、それもまた返ってきた。
『こんな高価なものは受け取れない』と。
そこでもう、キッティはティル様にぞっこんになった。
勿論、その時点ではまだ性別も知らないし、抱いた感情は恋愛感情ではなかったけれど。
ーーーなんって律儀な方なのかしら!! 人柄まで素晴らしいわね!!
そうして数年が経つ内に、ティル様と少しだけ……身元がバレない程度の、本当に性別やあだ名程度に……プライベートな話もした。
やがて父から『そろそろ婚約者を探したいと思うが』と打診された段階で、ティル様の名前を上げたのである。
漏れ見えてくる情報から、おそらくは下位貴族だろうとも思っていたけれど、全然気にならなかった。
お父様は最初少し難色を示していたが、『身元をしっかりと示せるのなら、会うことは許そう』と言ってくれたので、早速手紙を書いたのである。
その結果、ティル様も『お会いさせていただけるのであれば、直接顔を見て本のお礼を述べたい』と返答をくれ、きちんと自分の身元を書いて送り返してくれた。
ミケノ男爵令息であることを知ったのはその時で、流石にお父様が渋った。
伯爵家は高位貴族であり、順番としては下から男爵、子爵、伯爵、侯爵である。
渋ったのは、二つ爵位が離れれれば別世界の住人、とすら言われているからだ。
なので『子爵家でもあまりいい気はしないのに、男爵家は……』と執務室で告げられたが、キッティは怯まなかった。
『あら、我がアイズ伯爵家は、娘を一人下賜する程度で揺らぐ家柄でしたの?』
『お前の評判を心配しとるのだ! 愛娘が苦労するかもしれんと思って、誰が両手を挙げて歓迎するのだ!?』
『するわけないでしょう。お父様はわたくしを誰だと思っておられるの?』
『……』
黙り込むお父様に、キッティはビシッと閉じた扇を突きつけた。
『そもそも。わたくしと気が合う男性など、どれ程おられると?』
キッティは、容姿には自信がある。
まるでキャッツアイのよう、と言われるルビーの輝きを秘めた目に、濡れた黒羽の髪。
顔立ちも『気が強そう』という評判はあれど、『非の打ちどころがない』と、もてはやされていた。
それでもこの歳まで婚約者が決まっていないのは、キッティの容姿ではなく、性格的な部分が大きかったのである。
キッティを使ってどうしても他家と繋がりを持たないといけない程、アイズ伯爵は困窮もしていない。
結局お父様は折れたけれど、その後も今度はティル様に『私の方が釣り合わない』とお見合いを断られたり、お礼の面会なら、と顔合わせだけはどうにか了承して貰ったり。
特に面白かったのは、キッティの顔を見たティル様がポカンとしてしまったことだ。
『あまりにも美しくて……芸術家の手で生み出された女神の似姿かと……』と、本当に何の媚も衒いもなく照れ臭そうに言われて、キッティは想像通りの人柄に満足した。
ティル様は、『いい方に目立つ』感じの人ではなかった。
格好こそ、精一杯着飾ったのだろうと思えはしても、着古した服である感じは拭えないし、髪型も垢抜けない。
しかし顔立ちそのものは悪くなく、何より所作は素晴らしい人だった。
本であれば礼儀礼節の本まで擦り切れるほど読んだ、という手紙の文面に一切の偽りがなく、お父様も目を見張るくらい全てのマナーが完璧だったのだ。
『どうですの?』とキッティが勝ち誇ると、お父様はぐぬぬ、と悔しそうで、お母様はティル様を気に入ったようだった。
数度会う内に、熱心にお母様とキッティが口説き、お父様もだんだん彼自身が気に入って口説きに掛かった。
服を贈り、アイズ伯爵家の手で流行の髪型などを整えれば、本当に見違えた。
見目麗しい上に謙虚で博識、という、個人としては最高の男性に変わって行ったのだ。
そうして『嫡男なので婿養子に入るのは難しいが、それでも良ければ』と、ティル様は折れた。
『それなら』と、お父様もたまたま男爵領に隣接していたアイズ伯爵領の飛び地を彼に与えて、そこに二人の新居を建てることにしたのである。
ーーーなのに、ですわ。
そんな彼と、連絡が取れない。
しかも持参金を渡した直後から。
さらに言えば『どうせ新居に持っていくのだから』と、彼が興味を示した大量の高価本を荷馬車に乗せて、随伴させた上で男爵領に帰らせている。
「……逃げた?」
「可能性はありますね」
キッティが目を細めると、ペルシは淡々と言葉を重ねる。
「あれだけの本を売り払って持参金を着服すれば、一人なら一生遊んで暮らせるでしょう」
「実家も捨てて?」
「ご実家の男爵領は裕福ではないようですし。あるいは、実際は男爵家の者ではない可能性も、ないことはないかと」
「詐欺?」
「判断はお嬢様にお任せ致しますが」
キッティは、眉根を寄せる。
「あれだけ博識で、しかも所作まで完璧で……会えるかどうかも分からない相手と、数年間文通した上で?」
そこまでの手間暇をかけて、目的が金?
「もしかしたら、途中でそれを思いついたのかもしれませんし」
「ああ、なるほど……」
貧乏な男爵家の嫡子と、裕福な平民。
どちらがいいか、人によって判断が分かれるところだと思うけれど。
「あり得はする、かしら。自分の見る目に狂いがあったとは思えないけれど……まさか……」
もし、本当にそうなら。
キッティは指先で自分の顎を撫でて……。
ーーー徐々に徐々に、満面の笑みを浮かべるのを抑え切れなくなった。
「そんな面白そうなことある〜〜〜!!??」
「そう仰ると思いました」
ペルシが全く動じもせずに、そう応じる。
「結婚詐欺!? わたくしに対して!? っっきゃーーーー!!! ちょっとペルシ! 本当かどうか確かめないとわたくしの好奇心が収まらなーーーい!!♪」
「そうでしょうとも」
これである。
キッティの性格で最も難点とされるのは、この『猫よりも好奇心が強い』という部分だった。
何か興味を持ったことがあると、絶対に止まれない。
誰かの話であれば根掘り葉掘り、謎であればとことん調べ尽くし、貪り尽くさないと気が済まない性格なのである。
「気になる気になる気になるーーーー!! どんな心境の変化があったのかしら!? それとも最初から!? 最初からならあまりにも遠大過ぎる計画だし、わたくしではなく高位貴族の子女であれば誰でも良かった!? それとも筆跡でわたくしが女性と理解して、狙いを定めたのかしら!」
そうであれば、凄まじい頭脳であると言わざるを得ない。
何せ、キッティだけでなくキッティの家族まで皆騙し切ったということなのだから。
「もしそうなら、ますます結婚したいわ!!!」
「流石に御当主様が許さないかと」
「許させるわ!」
こうしてはいられない、とキッティは立ち上がる。
「出かけますわよ、ペルシ!!! 男爵領に行って、色々確かめて、失踪したティル様の足取りを追いますわよ!!!」
「まだ、詐欺と決まったわけではないと思いますが」
「些細なことよ!!」
頭の中であれこれとティル様の行動の意図を考えまくりながら、キッティは高揚した気分を抑え切れなかった。




