第12話 ふたりの約束、瓶に詰めて
【ライラ・ヴァルトラウテ】
(これは、手紙のかわりに贈る、お酒です)
瓶の中に封じ込めたのは、過ぎていった雪の季節と、あの旅の日々で言葉にできなかった、たくさんの想い。
(けれど、これをあなたが口にしてくれたとき。きっと私は、はじめて心のままに微笑める気がするのです)
◆ ◇ ◆
王都の夜が、静かな闇に包まれる頃。
工房の奥深く、私は最後の薬酒に、祈るように封蝋を施していた。揺れるランプの灯りが、溶けた蝋の艶やかな赤を照らし出す。ジュッ、と小さな音を立てて、私の想いが固く封をされていく。
出来上がったばかりの瓶を手に取り、そのラベルを指でそっとなぞった。整えた筆跡で、たった一言だけ。
――白い約束。
それは、あの雪深い街アルゼルムで灯った、もうひとつの約束の名前だった。
ふと、工房の窓に目をやると、ガラスの向こう側で、白いものが静かに舞い始めているのが見えた。ほんの少しだけ早い、王都の初雪だった。
その時だ。コン、コン、と扉を叩く、静かな音が響いた。
「遅くにすまない。……間に合っただろうか」
振り返れば、そこに彼がいた。上質な外套を羽織ってはいるが、その下に見えるのは旅の時と同じ、動きやすいシャツ姿。いつものように優しい微笑みをたたえながら、今日は、あの旅人のときと同じ――レオンハルトの顔をしていた。
◆ ◇ ◆
「君に返事を急がせるつもりはなかった。けれど……どうしても今日、君に伝えたいことがあって、来てしまったんだ」
「私も、です。今日なら……ちゃんと、あなたと向き合える気がしたんです」
私はカウンターの上に、そっと完成したばかりの薬酒を差し出した。
「白い約束、です。あの街で過ごした時間と、あなたとの旅を思い出しながら造りました」
彼は、まるで宝物を受け取るかのように、両手で丁寧にその瓶を包み込んだ。封蝋の上にそっと指を添え、静かに呟く。
「まるで……雪のような名前だ。……でも、とても温かい」
「私、もう誰かを肩書きで見るのはやめようと思います」
私は、まっすぐに彼の瞳を見つめて言った。
「あなたが王子であることも、私が王子に捨てられた女だと、誰かに呼ばれた過去も……今、この瓶の中に、全部封じましたから」
私の言葉に、彼はゆっくりと目を細めた。その表情は、ただひたすらに、優しかった。
「では、これから先の時間は……その瓶の先にあるものを、君と一緒に見てもいいだろうか」
私は、今度こそ迷わずに頷いた。もう怖がるのはやめよう。あの日の私を癒やしてくれた、この手で造るお酒と、目の前にいるこの人と、そして、自分自身の心を信じて。
「……ええ。ただし、お代はしっかりいただきますよ。薬酒師の誇りにかけて」
ほんの少しだけ悪戯っぽくそう言うと、彼は心の底から嬉しそうに、柔らかな笑みを浮かべた。
「もちろんだ。僕のすべてを、その対価にしよう」
ふたりの間に、ランプの灯りよりも温かい光が、静かに灯った気がした。
◆ ◇ ◆
そしてその夜。
白い約束は、ふたつのグラスに静かに注がれた。
窓の外では、初雪がしんしんと降り積もっていく。王都の片隅にある小さな工房で、ひとりの薬酒師とひとりの旅の王子は、世界にたったひとつの杯を、そっと傾けた。
それは誰のためでもない――ふたりだけの、未来への祝杯だった。
――完――