S3−25
蓋を開けて待ち構えるグランドピアノへ、
導かれるように二人は歩いていく。
夏芽はトートバッグから楽譜を取り出して
譜面台に置くと、ピアノ椅子に座った。
その隣に、恭佑は立つ。
「弾いてみた?」
「はい。弾いてみましたけど······
かなりゆっくりじゃないと、弾けません。
難しいです。」
「ゆっくりでも弾けたなら、上出来と思う。
con fuocoの部分やね?」
「······はい。
大好きなところなんですけど······」
ショパン・ノクターン第4番。ヘ長調。
冒頭から24小節まで、とても穏やかなのに。
25小節目から、転調して
急にコントラストが付く。
そして、あまり見た事も弾いた事もない、
右手の重音。
con fuoco
(火を伴って、火の如く、火のように)と
示すように、譜が激しく連なる。
この曲をリピートして聴いていて、
あの変な夢を見てしまった。
「こんなにメリハリのある曲は、
ショパンの中では珍しいんよ。
僕も、このコントラストが好きなんだ。
······
強弱の付け方が、重要になるけんね。
苦手意識があるみたいやから、
克服するには良い機会だと思う。」
”夏芽さん。もっと力強く。“
橋本先生の言葉は、自分の深い所まで
染み渡っている。
いつの間にか、それがダメなんだと否定して
直そう直そうとする度に、緊張して
思うように指が動かなくなってしまう。
「力を入れて弾かないとって思うと、
逆に打鍵できなくなるよ。
きちんと呼吸をして、脱力すること。」
······?
力強く弾けないのに、脱力する?
その真逆の言葉に驚いて、思わず目を向けた。
「力が入りすぎとるんよ。夏芽ちゃん。
もっと楽に弾いていい。」
付け加えられた言葉も、
理解が追いつかない。
「楽、に······?」
「そう。弾きたいように、弾こう。
······ははっ。聴いたやろ?僕のやつ。
あれほどじゃなくていいけど、
あれくらいの気持ちで、いいよ。」
的野先生が弾く、第4番。
con fuocoの部分は、本当に
炎が踊ってるみたいで。
楽しそうに、揺らめいていた。
「······楽しそう。」
ぽそっと、漏れた。
それを拾い、恭佑は笑う。
「楽しもう。君のノクターンを。」
*
期末テストは無事に終わって、後日
全校生徒に結果が知らされた。
二人の、勝敗の行方は。
唱磨くんの、大勝利だった。
しかも、学年トップだと聞いた。
中間テストの時は、二番目だったらしい。
部屋に引きこもっていたのって。
もしかすると、ずっと勉強してたのかもって。
ここで、初めて気づいた。
前田くんは、素直に負けを認めた。
でも、次こそはと。諦めてはいなかった。
悠乃はマイペースに、
中間よりかなり良かったと喜んでいた。
自分は、というと。
唱磨くんに続いて、二番目だった。
この事に、一番驚いた。
勉強会で、みんなと範囲のポイントを絞って
おさらいできたお陰だ。きっと。
ホント、素直に。
よくできました、と。褒めたい。
勉強会は、これからも続けたいな。




