S3−23
しばらくエアコンの風がよく当たる所で
涼んでから、冷蔵庫へ向かった。
外から帰ってきたら、必ず水分補給をする事。
それは夏に限らず重要な習慣になっていて、
これを怠ると調子が悪くなる。
最近では、身体を清めるような感覚だった。
そして事前練習する時は、必ず水を飲む。
戦闘開始、というように。
冷たい喉越しが、頭をクリーンにさせた。
ピアノの元へ行くと、また大翔と目が合う。
そう。弟も。ずっと戦っている。
自分のピアノの全てを、間近で
一番聴いている。
かけがえのない、大事な観客。
待っててね。はる。
思わず笑顔になるくらいの、音色を。
届けられるようになるまで。
「やぁ、こんにちは。今日も暑いね。」
爽やかな恭佑の笑顔とともに、十分行き渡った
涼しい空気が夏芽を出迎える。
「こんにちは、先生。お邪魔します。」
「良かったら、アイス食べんかな?」
「あっ、えっと······はい。
レッスンが終わってから、なら······」
「ははっ。かしこまりました。」
”アイス食いたくなる!“って叫んでいた、
楽友の言葉を思い出す。
もう、食べちゃってそうだけど。
「あの、先生。ショパンのノクターン、
聴かせてもらいました。
めっっっっちゃ、素晴らしかったです!」
グランドピアノが置かれた部屋に入って
すぐに、聴いたことを伝えた。
すると、彼は苦笑いをする。
「あぁ······ははっ。あれね。
若気の至りってやつでね·····
今思えば、恥ずかしい限りなんよ。」
······恥ずかしい?何が、だろう。
「あれは、門外不出のやつで。唱磨のやつ、
どこで見つけたんやろうって。
僕も、あるの忘れとったのに······」
そう零す彼は、どことなく
陰があるように見えた。
それが、引っかかってしまう。
「実を言うと、君に聴かせるのは
かなり迷ったんよ。
解釈が、めちゃくちゃやから。」
「そんなことないです!自分は、
聴いてよかったって思います!」
はっきり伝えようと思った。
弾いた本人が、否定するなんて。
感動した自分も、否定されちゃう。
「もっと自由でいいんだって、思いました。
聴いてなかったら······自分は、
弾いてみたいなんて思わなかったです。
こんなショパンもいいんだなって。
ホントに楽しくて。」
本音を、先生に知ってもらいたい。
100%伝えるのは、
難しいかもしれないけど。でも。
届いてほしい。
「自分、ずっとダメだって踏み出せなかった。
技術とか表現力とか、全然
まだまだ足りてないって······
ずっと重くて。
でも、それを理由に動かないなんて、
それもおかしいなって。
足りてないから、もがくしかないなって。
それで、笑われても······
いいんだって、思えるようになりました。」
自分が納得できるまで、動こうって。
「······自分も、ノクターン弾きたいです。
ご指導、お願いします。」




