S2−6
立ち止まったまま動かない恭佑を、
夏芽は椅子に座ったまま見守りつつ
鼓動を高鳴らせていた。
多分、廊下に、いる。
試みが成功したという歓喜と。
これから何を話そうかという困惑と。
様々な感情が入り混じる中、
恭佑と入れ替わるように、唱磨が姿を現す。
視線を向けるが、それに彼は合わせることなく
ソファーへ歩いていくと、腰を下ろした。
彼女は、彼の後頭部を見つめる。
「······」
「······」
重い沈黙で、一気に不安になった。
弾いちゃダメ、だったのかな。
先生は、大人の対応をしただけで······
部屋から出てきたのって、
ダメ出しする為かな。
どうしよう。呪いの時は
八つ当たりって言ってたけど······
今度は、ホントに怒らせちゃったとか······
「何で、13番弾いたと?」
やっぱ、そうかも。この聞き方って。
「······お前に、何が分かると?」
一気に、心が寒くなった。
ごめん。そうだよね。
踏み込んじゃいけない領域、だったんだ。
「ごめ······」
「もう一回弾いて。」
「······えっ?」
「近くで聴きたい。」
「······」
えぇっ······?
まさかの、アンコール??
どういうこと???
疑問しか浮かばなかったが、夏芽は
きちんと座り直して、息を整える。
今度は、本当に観客として
彼が傍にいる。聴こうとしている。
さっきとはまた違う緊張感があるけど、
一度披露している。二度も同じ。
そう言い聞かせて、譜面と向き合う。
渦巻く感情を抑えつつ、ふわりと両手を
鍵盤に置いた。
僅か、二分足らずの曲ではあるが
一音ずつ、息を吹き込む。
零れる涙のように、ポロポロと。
溢れるように、キラキラと。
その世界に立つ人影は、とても明るく。
笑顔を浮かべて、語り掛ける。
唱磨。
生まれてきてくれて、ありがとう。
あなたがいてくれて、良かった。
いい人生だった。
「······っ」
最後の三和音を弾いた余韻の中に、
嗚咽が混じっていた。
びっくりして、彼の方へ目を向ける。
この位置からは後頭部しか見えなくて、
どんな表情なのか分からない。
でも、確かに、聞こえた。
泣きじゃくる声が。
どうしていいか分からず、只々見つめる。
震えている。
声を殺して、泣いている。
まさか、泣くなんて。
思ってもいなかった。
自分のピアノが。ここまで、
溢れさせるなんて。
均衡した時間が、過ぎていく。
それを破ったのは、
ソファーから立ち上がった唱磨の方だった。
こっちに向かって歩いてくるけど、
充血した目は、自分を見ようとしない。
相変わらず、視線が合わない。
彼の足は止まらないまま、すれ違いざまに
言葉が掛けられた。
「······ごめん。」
思ってもない、謝罪の言葉。
そのまま、部屋を出ていこうとする。
「ま、待って。」
夏芽は椅子から立ち上がり、呼び止めた。
「教えて。謝られても、困る。
何で、泣いたの?
何で、13番が好きなの?」
彼の背中へ、
今まで溜め込んでいた問いを投げる。
「楽友、でしょ?教えてよ······」
話さなきゃ、分かんないよ。話したいよ。
話そうよ。一人で、泣かないでよ。
少しでも話して、吐き出したら、
楽になると思うのに。
自分でよければ、聞くのに。
思っただけで、言葉にはできなかった。
でも、伝わったかもしれない。
振り向いて、目を合わせてくれたから。
「······時間、ある?」
ここで、ないとか、言うわけない。
「全然、ある。」
「連れていきたいとこあるけん、
付いてきて。そこで話す。」