S2−3
自宅から自転車で行くと、すぐに着いちゃう
的野先生と唱磨くんの家。
歩いてもいいんだろうけど、ママが
自転車で行く事を勧める。多分、防犯の為だ。
少しだけ、暗くなったこの辺りを
歩いてみたいって思う。ちょっとだけ。
街灯ないから、ちょっと怖いけど。
ちょっと、楽しそうなんだよね。
今度パパに、頼んでみよっかな。
自転車を停める定位置は、若い一本桜の側。
若葉のドレスに包まれて、
風のエスコートで踊っている。
幹が細く、まだまだ頼りない様子だが
夏芽には、力強く生きているように見えた。
勝手に、戦友だと思っている。
ねぇ。聞いて。
やってみようと思う事があるんだけど。
うまくいくと思う?
語り掛けるなんて、普段はしない。
返事が返ってくるわけがないからだ。
しかし今の彼女には、そうしたくなる
十分な理由があった。
······
やってみなきゃ、分かんないよね。
枝の揺れ具合を見て、頷く。
とある試み。
温めてきたものを、ついに今夜披露する。
これで何も、反応がなかったら。
······いや、うん。
なくても、ヘコむな。
とにかく、仕掛ける。
「こんばんは。いらっしゃい。」
「こんばんは。あの、これ······
ママからです。」
「おおっ!ここのシュークリーム、
大好きなんよ!ありがとうございます。
遠慮なくいただきます。」
スイーツ、ホント大好きだよね。
先生の笑顔を見ると、何かホッとする。
平和そのもの、って感じで。
「調律の事、お母さんに伝えた?」
「はい。めっちゃ喜んでました。」
「ははっ。喜んでもらえて恐縮です。」
「恐縮するのは、こちらの方です。先生。
本当にありがとうございます。」
「そ、そんなご丁寧に!君は本当に
礼儀正しかなぁ。さぁ、上がって。」
お代がシュークリームと礼儀だけじゃ、
全然足りないよ。先生、良い人すぎる。
「······夏芽ちゃん。
学校で、唱磨とは話したりする?」
急に、楽友の名前が出てきた。
「······いえ。全然。」
「そっか······変なこと聞いてごめん。
先に、部屋に入っとってね。」
問い掛けは、それで終わった。
大事そうにシュークリームの紙袋を
持って行く恭佑の背中を、夏芽は見送る。
一体、何が気になったんだろう。
言われた通りに部屋に入ると、
グランドピアノの屋根と鍵盤蓋は開けられ、
準備万端だった。
毎回この瞬間、テンションが上がる。
良い意味で、慣れない。
トートバッグをソファーに置いて、
楽譜を取り出す。
ピアノ椅子に座ったと同時に、
恭佑が部屋に入ってきた。
「12番と6番、続けて弾こうか。」
的野先生のレッスンは、すぐに始まる。
それが、好きだったりする。




