S2−2
ピアノ椅子に座り、鍵盤蓋を上げると
クロスで軽く拭き上げた。
Aの4番の呪い。
まだ引きずってるけど、最近
この音だけが狂っているというのは
おかしい。そう、考え始めた。
でも、相棒の調子は確かに、おかしい。
ずっとモヤモヤしっぱなしで、
この前のレッスンで思い切って、
先生に打ち明けた。
唱磨くんに言われた、ということも。
すると先生は、まるで呪いを解くような
明るい笑顔で答えてくれた。
―「調律なら、僕でよければいつでも。」―
えっ、先生が?
調律、できるんですか?
驚きと失礼さが混じってたけど、
先生の明るさは変わらなかった。
―「このグランドピアノは、僕が調律しとる。
······あぁ、お代はタダってことで。
橋本先生の弟子同士っていう仲に免じてね。
君のお母さんに伝えといてね。」―
ママのテンション爆上がり。
自分も。あのグランドピアノみたいな
綺麗な音を、相棒も出してくれると思ったら。
―「唱磨は、僕よりも
耳が良すぎるところあって。
少しでも狂ったら、
お構いなしに要求されるんよ。
······あっ。あいつ、夏芽ちゃんに
失礼な事、言ったりしたんやなかと?」―
心当たりが大アリで、焦った。
でもそこは何とか、スルーできた。
今度の土曜日、調律してくれる事になった。
めっちゃ嬉しい。やっと、呪いが解かれる。
事前練習を終えた夏芽は、
冷蔵庫で待ち構えていたシュークリームの箱を
手に取ると、そっとテーブルに置いた。
自転車で行ける距離にある、
ショッピングモールの食品街にある
シュークリーム屋さん。その場で買って
初めて食べた時、美味しすぎちゃって
あと3個欲しいとママにお願いしてしまった。
毎日でも食べたい勢いだったけど、
流石に太るしお金もかかっちゃうから
頑張ったご褒美として食べたいと
お願いすることにした。
それから変化して、レッスン前の
勝負メシみたいな扱いになっている。
中のクリームを注文受けてから入れるお陰か、
生地がサクサク。で、大きい。
戦闘前に、最適なボリューム。
いただきます。
はむっ、と被りついて、
端から出そうなクリームを後追いする。
程よく冷たくて、
優しい甘さのバニラカスタードクリームが
口の中いっぱいに広がる。
んーっ、うまぁ。幸せ。がんばろ。
あっという間に食べ終えると、
きちんと手を合わせて
ごちそうさまでしたと唱える。
トートバッグを持って、足取り軽く
玄関へ向かった。
行ってきまーす、と声を掛けようとしたら
沙綾がすぐに出てきて、紙袋を差し出す。
「これ、先生と唱磨くんにもお願いね。」
「······はーい。」
シュークリームの差し入れは、
今回が初めてかも。二人とも、好きかな?
······このお店のシュークリームなら、
大丈夫だよね。
ここへ初めて来た時と、微妙に
景色は変わっている。
田んぼは耕されてるし、
新しい家が建てられ中だとか。
少し日の入りも遅くなって、
この時間でも暗くないところとか。
何も変わらないようで、少しずつ
時間は過ぎている。
ママは少し、明るくなったかな。
仕事で忙しそうだけど、パパも
よく笑うようになった。
大翔は······変わらないけど。
自分は、ピアノに対する考えと姿勢が
変わったかな。······正された、っていう方が
合ってるのかも。
ビビリなところは、全然変わんない。
これを、どうにかしたい。
あとは、行動あるのみ。




