S1−17
Aの4番の調律。
呪いが、まだ解けずにいる。
レッスンした次の日、家で練習した時。
先生んとこのグランドピアノの音色が
良すぎたのか分からないけど、
相棒の音色が調子悪く聴こえた。
えっ?どうしたの?もっと良い音出すでしょ?
そう思いながら弾き続けるけど、
全然治らない。どうしよう。
唱磨くんが言う、調律が狂ってるというのは
本当なのかな。今すぐにでも
調律師さんに診てもらいたいけど、
あれって、なかなかお金がかかるんだよね?
ママに頼みたいけど、言い出せない。
どうしよう。このまま、他の音も
どんどん狂っていって、気になって、
練習できなくなったら。
······うーん、うーん······
「なっちゃーん!行くわよー!」
沙綾の呼びかけに、夏芽は顔を上げた。
「······はーい······」
今悩んでいても、解決しない。
あとでまた、考えよう。
今から、遠くに桜が見えていた公園へ
ママと大翔の三人で行く事になっている。
準備万端だったので、すぐに部屋を出た。
今日は、花見の下見。
明後日の日曜日に、お弁当を持って
家族全員で行く予定になっている。
夏芽が階段を下りてリビングに行くと、
つばの広い帽子を被った沙綾が夏芽に
日焼け止めスプレーを差し出した。
「結構、日差しが強いわよ。帽子は?」
「いらない。」
素直に受け取り、露出した腕と足に
シューッと振りかける。
「大翔は?」
「もう済んでるから、大丈夫よ。」
大翔は、ママのすぐ側で
じっとしている。
元気だった頃、ブロッコリーマンの顔が付いた
キャップを被って、よく外で遊んでいた。
だけど、今はもう、それを被りたがらない。
「はる。行こ。」
手を差し出して、呼びかける。
それを、じっと見て、ぎゅっと取った。
こうして呼びかけたら、素直に来てくれる。
返事とかしないし、目とか見てくれないけど、
自分の声は聞こえてるんだなと、
少しだけ、ほっとする。
まだまだ、自分よりも小さい手。
背も、自分の頭一つ分低い。
「ママも入れてほしいなぁ〜。」
もう片方の空いている大翔の手を、
ニコニコしながらママが握る。
何も、言わない。
どちらとも、目を合わさない。
手を繋いでも嫌がらないし、歩けば
どこへでも、一緒に歩いていく。
ただ、ここに来て、一つだけ違うことがある。
ずっと、空を見上げていること。
「ここに初めて来た時も、
雲一つない青空だったわねぇ。」
大翔と同じように、ママも空を見上げる。
自分も見上げちゃうと、どちらかが躓いて
こけちゃうかもしれないから、
しっかり前を向いていた。
公園に着くと、大翔くらいの子どもたちが
サッカーボールを蹴り合って遊んでいた。
そしてそれを、保護者らしき人たちが
話しながら見守っている。
滑り台には、三歳くらいの子と
そのパパらしき男性が一緒に滑っている。
鉄棒が3つ。
大きいのと、中くらいと、小さいやつ。
ブランコの定員は、二人。
公園の広さは、思ったよりも狭い。
日曜日になったら、シート広げて
お弁当食べる人たちで、いっぱいになりそう。
早めに場所取らないと。
「七分咲き、くらいかしら······
とってもきれいね〜!」
ママは、桜に夢中だ。
家から見えていた桜は、並木になっていて
思った以上に咲いていた。
吹いている風とともに、揺れている。
大翔も、ママと同じ方向を見上げていた。
もしかしたら、このきれいさが
届いているのかな。だと、いいな。