S1−14
恭佑が部屋のドアを開けて
廊下に踏み出すと、驚いた様子で
すぐ側の壁際に目を向けた。
後ろから付いて出ようとした夏芽は、
強制的に足を止める。
「唱磨?」
その呼びかけに、ドキッとした。
この角度からは、姿が見えない。
「······弾いていい?」
「え?······あ、ああ。
終わったけん、よかよ。」
恭佑と会話を交わして
出入り口に現れた唱磨を、夏芽は凝視する。
彼は、視線を合わせてきた。
じっと窺ってくる圧に、怖気づく。
このタイミングで現れる意味が、
分からなかった。
彼の顔が、ふ、と小さく緩む。
“分かったやろ?”
そう、聞かれたような気がした。
瞬間、気づく。
固まったまま立ち尽くす彼女の横を、
唱磨は通り抜けて部屋に入っていく。
「······夏芽ちゃん?」
ただならない彼女の様子に、
恭佑は首を傾げている。
口を、パクパクさせた。
心臓は、バクバクしている。
なかなか、言葉が出ない。
「どうしたの?」
「······あ、の······」
完全に、キョドってしまった。
もう、このまま、引き下がれない。
「······聴いて、いっても、いいですか?」
「······えっ?」
このお願いは、きっと、おかしい。
レッスンは終わったのに、
この部屋に残るというのは。
「聴いたらすぐ、帰りますから。」
······でも。
答えを、彼に伝えなければならない。
「······い、いいよいいよ!」
何かを察し、恭佑は
満面の笑みを浮かべて言った。
「ゆっくりしていきなさい。
良かったら、晩ご飯食べていかんかな?」
「えっ?」
「ははっ!料理は得意やけん!安心して?
今、ちょうど春キャベツと新玉ねぎが
······うん、あと鶏肉があれば······
あっ、家の方には連絡しとくから!」
「えっ、せ、先生?」
「唱磨!くれぐれも、失礼のないように!
買い物行ってくるけん!」
「ちょ、父さん、なにそれ、まっ······」
言い終わる前に、姿が消える。
「······」
「······」
残された二人は、唖然とした。
まさか、こんなことになるなんて。
しばらく沈黙が続いたが、
ピアノ椅子に座った唱磨が切り出す。
「何か、ごめん······」
今回の彼の謝罪は、恥ずかしさが占めている。
「別に、いいよ······」
夏芽は戸惑いながらソファーへ歩いていくと、
ゆっくり腰を下ろした。
「無理して、おらんでもいいけん。
父さんが勝手に言い出した事やから······」
「······」
無理、じゃない。
どちらかというと、今の状況は、楽しい。




