S1−13
言われるままに、夏芽は両手を
鍵盤に持っていく。
二度目は、要所で止められて
言葉が添えられていった。
「ゼクエンツ(反復進行)の扱いが、
単調にならないように。
強弱は丁寧に、メリハリを付けて。」
「多声に響かせるためには、
長音を辛抱強く聴き続けること。
······そう。ここ、我慢して。」
的確に伝えていく恭佑の指導は、
厳しいというより、短所を補うような
実のある優しさを帯びていた。
否定するのではなく。
こうしたら、もっと良くなるよ。
と、いうような。
「最後は、現実に戻る感じやね。
夢見心地だったゼクエンツが
カデンツで断ち切られて、
付点リズムで閉じられる。······僕的には、
美味しいスイーツを食べ終わった後。
あー、幸せやったなぁ〜、みたいな。」
思わず、噴き出した。
それなら、分かりやすい。
なるほど。そんな感じでいいのか。
イメージしやすいかも。
「はい。踏まえて、もう一度。」
恭佑の言葉は、スポンジのように
夏芽の指に吸収されて、反映していく。
もう一回弾いたら、また良くなるのかな。
ピカピカに磨かれていくような。
音色も綺麗になっていって、キラキラする。
この、グランドピアノのお陰?
先生の指導のお陰?
何だか分かんないけど、
弾いてて楽しいって思うの、久しぶり。
「今日は、ここまでにしよう。」
気づくと、レッスンの時間は
終わりを迎えていた。
「ありがとうございました。」
心から感謝の気持ちを籠めて、夏芽は
深々と頭を下げる。
「めっっちゃ楽しかったです。······
って言うの、おかしいですよね。」
「ははっ」
顔を綻ばせて向けられた
恭佑の眼差しは、限りなく優しい。
「そう思えたなら、良かったよ。
······君の技術は、素晴らしいと思う。
それが見えたけん橋本先生は、指導に熱が
入りすぎたんやなぁと思うよ。」
「······そんなこと、ないです。
褒められたことなんて、なかったから。」
記憶を辿っても、見当たらない。
「僕も。一回も褒められたことない。」
「えっ?」
「正確には、面と向かって。
先生は、本人目の前にして褒めない。
伸び代を見つけたら、
厳しさを優先する人やから。」
橋本先生の事を、
そんな風に見た事はなかった。
「先生から僕に伝えられた君の印象は、
ピアノを聴いて一致したよ。
“正直で芯が強い”。その通りやなぁって。」
「······」
ママは橋本先生から、的野先生の事を
“良い先生”と聞いていた。
本当に、合ってると思った。
「先生は君を、しっかり
見てくださっとるから。自信持って。
君は、明るい未来を
見通すことができるから。」
それは、励ましなのか。
本心で、言っているのか。
素直に、確信が持てなかった。
だけど。
伝えられた、その言葉は。
真っ直ぐに向いていなかった
ピアノに対する姿勢を、正すには。
十分すぎる効力があった。




