S4−17
Valse No.6 変ニ長調。
通称『小犬のワルツ』。
年齢問わず、幅広く親しまれている曲である。
“小犬のワルツの犬は、どんな犬?”
そんな話題で、唱磨くんと
盛り上がった事がある。
“やっぱ、トイプーでしょ。”
これは、固い。きっとそうだ。
自信満々で言うと、
首を横に振りながら笑われた。
“その時代に、トイプーおらんやろ。
まぁ確かに、プードル路線は
当たっとるかもしれんけど。
俺のイメージは、
耳がちょうちょみたいなやつ。”
彼の答えに、今度は
自分が首を振って笑った。
“パピヨン犬って。それこそマニアックすぎ。”
“あいつ、かわいいやん。”
あ。それ禁句。
何気ない言葉にドキッとして焦る中、
彼は楽しそうに語った。
“まぁ極論やけど、小型犬イメージできたら
どんな犬でもアリっちゃないと?
弾く人によって変わるやろうし。
聴き手に任せて、それが浮かぶくらい
ヘミオラを上手く弾ければ。”
なるほど。聴き手が、
小型犬がイメージできれば
なんでもいいってことか。
“······柴犬も、アリ?”
“ははっ。アリやろ。”
“でもやっぱり、トイプーだなぁ。”
“よかっちゃけどさ。それでも。”
“どーでもよくなってきてない?”
“小犬なら、何でもアリってことで。”
思い出して、笑みを浮かべる。
橋本先生が描く、小犬のイメージは。
多分、王道のプードル。
綺麗にカットされて、気品あって、
まっしろでふわふわなやつ。
ふわりと視界に入る、サラサラな髪。
右隣に座る大翔に、夏芽は目を向けた。
少し、身体を揺らしている。
それが、楽しそうに映って。
笑っているように見えた。
それに浮き立って、立ち上がりそうになるが
何とか堪える。
大翔が、感情を。
家族の誰かに伝えたいと思っても、
演奏中で声は出せない。
左隣にいる唱磨に視線を移すと、
すぐに彼は気づいてくれた。
すかさず、指して知らせる。
言いたい事を瞬時に理解して、
彼は笑顔で頷いた。
嬉しさのあまり、彼女も笑顔になる。
すごいことだ。これは。
橋本先生のピアノは。
大翔が作る固い殻まで、突き破る。
この時。なぜか。
春に起こった雷の事を、思い出した。
いや。
思い出したのではなく。
自分の中で、雷が落ちたくらいの衝撃が。
ちかちかと、目の前に火花が散る。
そうか。
音が、大翔に届くのなら。
届けられるくらいの力を、自分が持てば。
大翔は、戻ってきてくれるのかもしれない。
そう考えた瞬間。鼓動が高鳴った。
自分の、ピアノの音色を、大翔に。
届けることができたら。
もしかしたら。
そう思えば思う程、波打った。
夏芽が決意の光を強める中、
最後のワルツに移る。




