プロローグ
移ろい。
青空。
空白。
三つ揃って生まれる時間は、
幾重の道を紡いで音色を奏でていく。
すぅ、と吸い込んだ空気が、こんなにも
美味しいと思った事は
今まで一度もなかった。
空気って、美味しいんだ。
小野田 夏芽は
その発見に、小さな感動を覚える。
僅か二両編成という電車に揺られて
降り立った場所は、
何が植えていられるか分からない
雑草だらけの田んぼと、ビニールハウス。
東京では、ほとんど見かけなかった
存在感がある電柱と電線。
そして、名前すら分からない山の連なり。
見渡す所ほとんどに、自然が溢れている。
空の青さが、眩しすぎる。
めっちゃ青い。青いなぁ······
じっくり空を見上げることなんて、
今までにあった?
······多分、ない。
「夏芽。上ばっかり見て、どうしたの?
道が悪いから、躓いて
こけちゃうわよ。気をつけて。」
ヒール履いてるママに、言われたくない。
見ちゃうでしょ。だって、青すぎるもん。
こんなに広がっていたら、夜は
たくさんの星が見られそう。
プラネタリウムみたいに。
それは、楽しみかも。
生まれ育った所とは、かけ離れている。
ひしめき合っている家もないし、
路地には必ず見かけていた人の姿も
ここでは、気配すら感じない。
新居に向かう自分たち家族の間を、
穏やかな風が通り抜けていく。
ここは、田舎だ。多分、かなりの。
電波、大丈夫かな。
圏外とかじゃ、ないよね。
福岡に移り住む事を、最初は
他人事のように聞いた。
現実を受け入れられないまま、今に至って。
とりあえず、少しずつ楽しくなってきている。
旅行感覚に近いから。
本当に、ここに住むのか、
まだ自覚がないのかもしれない。
来る前は、憂鬱で堪らなかった。
なんで、わざわざ何もない所へ
行かなければならないのか。
慣れた環境も、友だちとも離れてまで、
なんで、ここに。
大人なら、一人暮らしするって言って
東京に残れたのでは。
残念ながら、保護者が必要な年齢だから
そういうわけにもいかない。
分かっている。自分に決定権は、ない。
だけど。
不平不満を、母親の沙綾には
素直にぶつけた。
それで、変わるわけがないけど。
でも、ぶつけずにはいられなかった。
『ずっと、っていうわけじゃないのよ。
······お願い、夏芽。
悪いけど、受け入れてもらえないかしら。
ピアノの事なら、大丈夫。
先生のお知り合いで、福岡に幸い
良い方がいらっしゃるそうなの。
本当に、運が良かったわ。
快く引き継いでくださるそうだから。』
そんな問題じゃない。そう、言いたかった。
ピアノは、ピアニストになりたかった夢を、
ママが自分に押し付けているだけで。
自分は、よく分からない。
物心つく前から、ピアノが傍にあったから。
弾くのは習慣みたいなもので。
歯磨かないと気持ち悪いのと、同じ感覚。
嫌いじゃない事は確か。
ピアノの音色は、好きな方。
弾くのも、別に苦じゃない。
ただ、指を動くようにする為だけの
つまらない練習が、嫌いなだけだ。
自分が触らないとモノを言わない、
アップライトピアノ。その相棒は、後ほど
新居のリビングへ到着する予定。
本当は、自分の部屋に置きたかった。
だけど防音の関係で、それは叶わなかった。
電子ピアノでも良かったのに。
好きな時に、好きなだけ弾ける。
自分は、それでいい。
その気持ちが伝わったのか分からないけど
電子ピアノでもいいだろ、と
パパが言ってくれた。でも、
ママのこだわりは強かった。
『ダメよ。夏芽には、本物の音を
知ってもらわないと。タッチだって、
全然違うのよ?それに、
夏芽が弾くピアノを、私が聴きたいの。』
正直自分は、木でも電子でも
どちらでもいい。
音に、本物とか偽物とかあるのか。
良ければ、それでいいのでは。
そんな事を言い出すと、
ママのウンチクが止まらなくなるから
本音を閉じ込めている。
正直、ホッとしてるけど。
良かった。売られなくて。
ずっと一緒にいたから、やっぱり
いなくなると寂しい。
後で弾きに行くから、待っててね。
防音まで気にして建てた家を売り、
今までの生活をリセットして
ここへ引っ越してきた理由。
それは、弟の大翔の為だ。
新作です(*^^*)♪
作者自身、じっくりゆっくり楽しみながら
少しずつ進めて参ります。
マイペースになりますが、
お時間の許す限り
よろしくお願いします。