何もない動機
事件が起きてすぐ、白い砂浜に散った血の色は町を揺るがすほどの騒ぎを生んだ。
海辺には警察が集まり、野次馬が遠巻きにその光景を見つめた。
佐伯は抵抗もせず、ただ銃を手に持ったまま、呆然と立ち尽くしていた。
彼の顔には何も浮かんでいない。
ただ茫漠と、そこに立っていた。
警察官が駆け寄ると、彼は素直に銃を差し出し、静かに逮捕された。
連行される道すがら、佐伯は一度も振り返らなかった。
周囲の騒音も、ざわめきも、彼には何の意味もないように思えた。
取調室は灰色の壁に囲まれ、天井の電球が淡く光を投げていた。
佐伯はテーブルの向こうで椅子に座り、手錠の掛かった手を無造作に前に置いていた。
刑事はテーブルを挟んで向かいに座り、訝しげに彼を見ている。
「なぜ撃った?」
佐伯はゆっくりと視線を上げた。
少し考えるように間を置いてから、淡々と口を開いた。
「太陽が眩しかったからです」
刑事は思わず口を開けたまま、佐伯を見つめる。
「……は?」
「太陽が眩しかったんです。それだけです」
刑事は短く息を吐くと、手元のメモ帳にペンを走らせる。
「ふざけてんのか?」
佐伯は静かに首を振る。
顔には真剣さも、悪びれた様子もない。
ただ事実を告げているだけの、無機質な表情だ。
刑事は苛立ちを隠せず、椅子の背に身体を預ける。
「お前、何言ってんだ? 何か他に理由があるんだろう。恨みとか、トラブルとか――」
「ありません」
「じゃあ何で撃ったんだ!」
「太陽が眩しかったからです」
「おい!」
刑事の声が取調室に響いた。
だが佐伯は微動だにせず、静かにその目を刑事に向けていた。
まるで、彼が問いを理解できていないようにも見えるし、その答え以外は存在しないと確信しているようにも見える。
刑事はペンを投げ出し、苛立ちに肩を震わせた。
取調室の外には別の刑事たちがガラス越しに彼らのやり取りを見ている。
中の刑事がこちらを向いて、疲れ切った顔で首を振った。
取り調べは何度も繰り返された。
刑事が代わり、日を改めても、彼の答えは一貫して変わらない。
「太陽が眩しかったからです」
検事も、精神鑑定の医師も、弁護士も、誰もが彼の言葉を理解しようとした。
しかし、言葉の裏には何もなかった。
ただの光。眩しさ。
「動機がない、というのか?」とある刑事が呟く。
「いや、ある。彼にとっては――それだけだ」
取調室の中、佐伯は一人、静かに座っていた。
誰かが何かを言い続けても、彼にはもう意味がなかった。
ただ白い光だけが、頭の中に揺らめいているようだった。
「太陽が眩しかったから」
その言葉だけが、どこまでも深く、空っぽなまま繰り返された。